カテゴリー「100盗賊一般」の記事

2009.03.28

〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(6)

新しく燗をしたちろりを片手に、板場から出てきた〔たずがね)の忠助(ちゅうすけ 45歳前後)が、もう片方の手の紙づつみをひらいたのを示し、
(てつ)さん。6両(約100万円)つつんでいたよ」
〔盗人酒場〕ではめったに拝むことがない小判が6枚、まぶしく光っている。

銕三郎から切り餅(25両の包み)を戻された〔墓火(はかび)〕の秀五郎(ひでごろう 50がらみ 初代)が、「この場の酒代」といって忠助に押しつけていった金子である。

「酒代(さかて)を横取りしてすまないが、(ひこ 34歳)どのと左馬(岸井左馬之助 24歳)さんに2両(約32万円)ずつ、お手柄賃としてやってもらえまいか?」
彦十が「ひえっー、2両!」と奇声を発した。

「なに、もとはさんへの身代金---じゃなく、お助け金(がね)---いや、これもちがうな---」
「お父っつぁん、お礼金(おれいがね)!」
おまさが横から助(す)ける。
「そう、そのお礼金がわりにおいていったのものだから、さんがおもいどおりに分けてくだせえ」

笑みいっぱいに2両ずつ受け取った彦十左馬之助に、銕三郎が、
「ところでご両人。盆と正月がいっしょにきたところで、申しわけないが、事件が早く片づいたのだから、先渡しした日当8日分の2分(約8万)ずつ、拙に返しなさい」

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2人が、忠助に小判をこのごろ出回るようになった南鐐(なんりょう)2朱銀にくずしてもらう。
彦十には、2朱銀が8枚・計2分しかわたらない。
忠助どん。あとの2分は?」
「これまでの付けを、帳消しに---。これでも、はしたはお負けしときやした」
「ひゃあ---憎いほど、そつがねえ」
頭をかいたく彦十を、おまさが、しっかりとたしなめた。
「商売は商売、つきあいはつきあい」
おまさ坊は、所帯持ちのいいご新造になるぜ」

「しっかりしすぎていて、だれかさんに、ふられています」
おまさが、ちらりと銕三郎をみる。

銕三郎は、聞かなかったふりを装い、杯を口からはなして、
「それから、さん。1両はおまさへ、〔墓火〕に酒を献じた褒美に」
「わぁ、うれしい。冬の着物が買えます。これまでの、揚げをおろしても、短くなってしまっていて---」
母親を亡くしているおまさは、むすめになっていく自分を、自分で育てている。

「さて、残った1両で、お疲れさま宴(うたげ)のやりなおしといこう」

しばらく、注ぎ注がれつがあって、
さん。秀五郎お頭だが、あれほど身内おもいの仁が、どうして〔墓火〕などというおどろしげな〔通り名(呼び名)ともいう〕をつけたのでしょう?」
「悪いことをしていても、ときにはいいことがしてみたくなる---それが人間というやつでやす。身内にやさしいからといって、いつも、だれにもやさしいとはかぎりやせん。げんに、仲間を差した〔蛭田(ひるた)〕の善吉(ぜんきち)---仏になったときの午造(うまぞう)は一味から仕置きをうけています。命じたのは〔墓火〕のお頭でやす」

みんな、しんみりしたとき、銕三郎が訊いた。
さん。だちは、このごろ、どうです?}
「元気いっぱいでさあ」
「蝦夷から、帰ってきたのかな?」

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(奈良公園の鹿 写真:Hideki Fujita さん 絵葉書の部分)

「へえ。嫁さんをつれて---いやね、恥ずかしがって、嫁さんを連れてはあらわれねえんでやすが---そういやあ、お(すえ 45歳)っていいやしたか、あの、〔墓火〕のところの婆さん---」
さんはないだろう。〔笹や〕のお(くま 46歳)どのと齢ごろはいっしょだよ」
「おがやってきたとき、岸井さんに尾行(つ)けさせなって、知恵をつけてくれたのも、だち(友だち 雄鹿)でさあ」
左馬之助
は、異なことを聞くといったような目つきで彦十を見た。

参照】2008年3月23日~[〔墓火(はかび)〕の秀五郎] () () () () (

参照】2008年3月19日~[菅沼摂津守虎常] (1) (2) (3) (4)


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2009.03.27

〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(5)

「お(すえ 45歳)を放免してもらったので、菅沼組がつつんでくれた礼金は、戻したのだよ」
銕三郎(てつさぶろう 24歳)の言い分に、さも、惜しいそうな表情をしたのは〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう)であった。

「じゃあ、(てつ)っつぁん。日1朱(約1万円)の留守番賃はわっちらも返さないといけやせんね」
彦十は、しぶしぶ、ふところへ手をいれかけた。
さん。それにはおよばない。2人とも、日当以上のみごとな働きをしてくれた。約束どおり、存分にやってくれていい」
「悪いな、さん」
岸井左馬之助(さまのすけ 24歳)は、さすがにこころえて、同情の言葉だけは口にした。

四ッ目の通りの〔盗人酒屋〕である。
のれんをだす前の時刻なので、客は3人だけである。
とりあえず、おまさ(13歳)が酒と牡蠣(かき)のたまり煮の酒菜を運んできた。
牡蠣のおいしくなった季節である。

strong>左馬之助がつきとめた〔墓火(はかび)〕の秀五郎(ひでごろう 50がらみ)の盗人宿をあずかっていたおは、組糸師としてりっぱに生計(たつき)をたてていた。
組糸は、服飾のほか、太刀の下げ緒や柄の巻紐と用途はひろかった。

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(組糸師 『風俗画報』明治32年2月10日号 塗り絵師:ちゅうすけ)

の獄送りをふせいだ銕三郎だが、彦十たちとの約束を守り、きょうは〔盗人酒屋〕で労をいたわっている。

亭主でおまさの父親の〔たずがね)の忠助も板場から、ちりめん雑魚の山椒煮を盛った小どんぶりをもって、ひょりとあらわれ、
「あっしからの差し入れのつもりで---おまさ。酒の燗をみておいてくれ」
と、飯台に座りこんだ。

「いやあ、さん。いいことをなさいましたよ」
情のこもった声でほめた忠助に、
「父上から、味方にしなくていいから、敵をふやすな---と教えられているもので」
銕三郎がけろりと応じる。

「そうだ。久栄(ひさえ 17歳)さんもはいってもらおう。おまさ坊。誰か、使いを頼めないか」
左馬之助をさえぎって、銕三郎が、
「いま、悪阻(つわり)なのだよ」
「それはめでたい。生まれてくるややに祝杯をあげよう」

そのとき、どこかの店主のようにでっぷりした大柄で目の細い50がらみの男と、これも糸ほどの目の背丈のある20歳前後の青年のうしろに、なんと、おがついてはいってきた。

は、彦十を見てはっとしたようだが、だまっている。
「これは〔墓火〕のお頭---」
さっと立った忠助が、年配の男へあいさつを送った。

忠助どん。長谷川さまはどちらで---?」
墓火〕のお頭と呼びかけられた男が問いかける。
「こちらのお武家さまでやす」

墓火〕は、おの命が助けられた礼を丁寧に述べ、ふところから分厚い紙づつみを飯台におき、
「ほんの気持ちでございます」
「いや。礼はお言葉で十分です。幕臣の嫡子としての拙の立場もあり、せっかくのお志ですが、こちらは、いただくわけには参らないのです。どうか、お直しください」

「これは気がつきませんでした。お立場もごさぜえましょう。それでは---」
と若いほうに目くばせすると、こころえて、ふところから別の紙づつみを忠助へ手渡した。
忠助どん。それは、酒肴料です。手前にささ(酒)を一口、くださらんか」

忠助おまさにいいつけ、新しい杯と燗ができているちろりを運んできた。
おまさが注いだ杯を一気にあけて、
忠助どんのところの酒は、いつも甘露だ。そうそう、長谷川さま。お末の息子の秀九郎でござえます。お見知りおきを---と申すのもなんですが、こんどのことをいちばん喜んだのがこいつです」

ちゆうすけ注】この日の秀九郎が、その後に〔墓火〕を襲名、 『鬼平犯科帳』文庫巻〔谷中・いろは茶屋〕で顔をみせた。2代目〔墓火はかび)〕の秀五郎である。

秀九郎どのとやら。長谷川銕三郎です。お母上は、放免されて当然なのです。盗(つと)めにはかかわりがないのですから。いつまでも孝行なさってあげてください」
秀九郎は、黙って頭をさげた。
が目頭をおさえていた。

銕三郎は正面して、
「〔墓火〕のお頭。後学のために、ひとつお教え願えますか」
「なんでございましょう?」
「粕壁から、どうすればこのように早く本所へ着けるのですか?」
「は、はは。そのことでごぜえますか。粕壁に住んではいねえのですよ。もっと江戸に近いところに居をおいておりましてな。いずれは、生まれた故郷(ふるさと)の畳の上で往生させていただこうとおもっとりますが---」
「なるほど」
「お楽しみのところを、お邪魔しました。これで、失礼いたします」

墓火〕の秀五郎父子たちが出ていった。

「さすが、大首領だ」
左馬之助が感嘆の声をあげ、銕三郎がうなずいてから言った。
「居は、四ッ木か梅田あたり---」
忠助が咳こんだ。

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(武蔵国葛飾郡四ッ木村、梅田村あたり)

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2009.03.26

〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(4)

銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、火盗改め・助役(すけやく)の組頭・攝津守虎常(とらつね 55歳 700石)の筆頭与力・村越増次郎(ますじろう 48歳)に手をまわしてもらい、浅草阿部川町の〔佐江戸(さえど)〕の仁兵衛(にへえ 31歳)が住んでいた裏長屋を借りた。

さっそくに、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)と、その護衛役として岸井左馬之助(さまのすけ 24歳)が入居した。
所帯道具は、仁兵衛のものがそのまま残っていたので、布団をもう一組、損料屋から借りるだけですんだ。
墓火(はかひ)〕一味は、もしかすると、仁兵衛の逮捕も、牢内での自裁も気づいていないのではなかろうかと、彦十が言ったが、銕三郎はそれに賛意をしめさず、
「もう、知っているとおもっておいたほうがいいが、こちらは、仁兵衛がことは、まったく聞かないで空き店(だな)を借りたという態(てい)でいること」
「さいですか」

「それから、どの。連絡(つなぎ)の者は、千住方角か、北本所あたりから来るとおもっておくこと」
「承知しやした。が、なんで?」
「〔盗人酒屋〕の忠助どんの読みです」
「そういえば、忠助どんの店にも、しばらく、ご無沙汰しておりやす」
「この件が片づいたら、馳走しょう」
「待ってますぜ」

左馬之助には、くれぐれも彦十から目をはなさないようにと、念をおした。
墓火〕一味のことゆえ、彦十を攫ってれ口をわらすこともを杞憂していたのである。
もちろん、銕三郎は、〔墓火〕の秀五郎(ひでごろう)がどういう首領かもしらない。
しかし、酒薦印づけ職の〔蛭田(ひるた)〕の善吉(ぜんきち)こと、午造(うまぞう)の殺し方から想像して、相当に手荒い一味とふんだのである。

ところが、彦十たちが移り住んだ3日目に、45,6の齢かっこうの老婦が訪ねてきた。
応対にでた彦十をみて、家を間違えたとおもったか、いったん戸口から外へ出、あらためて入ってきて、
「あの、どなたさんでしょう?」
と問うた。
「あっちは、3日めえに越してきた、太郎吉ってもんですが、だれにご用で---?」
おんなは、返事もあいさつもしないで、引きかえした。

彦十は、機転をきかせて、左馬之助に尾行(つ)けてもらった。
正解であった。
おんなは、御厩河岸で渡し舟にのったのである。
もし、彦十だったら、そこで尾行を見破られたろう。
左馬之助は、おんながきたときに顔をみられていない。
だから、渡し舟に乗りあわせても、尾行者とまでは気がまわらない。
左馬之助は、何くわぬ顔で、しきりに首をかしげているおんなを観察した。

おんなが入っていったのは、北本所の中ノ郷竹町のしもた屋であった。

_140_2菅沼組に捉えられたのは、〔墓火〕の秀五郎の妾としては用ずみの、おであった。
もっとも、44,5歳のおを、用ずみなどと呼んだということを、弥勒寺門前の茶店〔笹や〕の主・お(くま 46歳)が耳にしたら、それこそ怒りくるって、素っ裸になり、
「用が足せるか、たせないか、抱いてみてからいえ」
と怒鳴るであろう。
ま、裸躰はともかく、顔の皺をみると、柳原の夜鷹などよりも齢をくっていることはたしかだから、用をたしたがる男は滅多にいないとおもうが---。(歌麿『寄辻君恋』 美しすぎる夜鷹のイメージ)

それはともかく、村越筆頭が紙づつみを銕三郎の前においたとき、
村越さま。捉えてから申しあげるのもなんですが、おを釈放さなさる手だてをおかんがえいただけませぬか」
「なんと---?」
「おを拷問におかけになると、仁兵衛の二の舞を演じましょう。さらに申せば、おは盗賊の首領の妾であったことはありましたが、盗みに加わったという証拠はございませぬ。詮議が評定所までもちあがると、菅沼摂津守さまに傷がつくやもしれませぬ」

村越筆頭から銕三郎の申し分を聞いた菅沼組頭は、
「もっともである」
と、おを召し放つにあたって、
「命びろいをしたのは、長谷川銕三郎どのという部屋住みの若衆のお蔭であることを忘れるな」
と言い渡した。


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2009.03.25

〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(3)

同心・田口耕三(28歳)とは、両国橋の東詰で別かれた。
銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、竪川ぞいに三ッ目ノ橋まで行き、屋敷へ帰ると断ってから、
田口さま。〔佐江戸(さえど)〕の仁兵衛(にへえ 31歳)が、御厩河岸の渡しを使っておいて、深川の同郷の者と会っていると、わざわざ小浪(こなみ 30歳)に告げているのは、〔墓火(はかび)〕一味の盗人宿(ぬすっとやど)を隠すためかともおもわれます。もしやしたら、盗人宿は---竪川(たてかわ)ぞいの相生町、あるいは北本所の番場町あたりにあるのかもしれませぬ。そのあたりの辻番なり木戸番をおあたりになってみてはいかがでしょう?」
「一つの目安ですな」
田口同心は、回向院のほうへ向かった。

それを見さだめた銕三郎は、一ッ目ノ橋を南へわたり、弁天社裏の裏長屋に〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)を呼び出し、二ッ目ノ橋東詰の軍鶏なべ〔五鉄〕へ誘った。

入れこみの奥の卓につき、まず、酒をすすめて、
「命がけの仕事があるのだが---」
「こんな命でよければ(てつ)っつあんに差しあげまさあ」
力む彦十に、
「いや。むざむさとは死なせはしない。左馬(さま 之助 24歳)さんが 守護をする」

仕事は、浅草阿部川町の法成寺脇、〔佐江戸〕の仁兵衛が数珠職として住んでいた裏長屋へ、新たな店子として浪人・岸井左馬之助とともに引越し、訪ねてきた者を尾行(つ)けて、行き先をつきとめることで、手当ては日に1朱(約1万円)ときまった。

銕三郎のもくろみは、仁兵衛が捕縛されてからまだ7日夜と経ていない。
〔墓火〕一味の中には、仁兵衛の捕縛を知らされていない者もいるはず、と推察したのである。

彦十にとりあえずの手当て1分(約4万円)を渡し、鍋は彦十に残し、三次郎(さんじろう )には、彦十にあまり呑ませるなと言いおいて、押上の春慶寺へ向かった。

春慶寺の離れから、岸井左馬之助と連れだって、四ッ目ノ橋に近い〔盗人酒場〕へむかう。
道中、火盗改メ・助役(すけやく)の組頭・菅沼摂津守(虎常 とらつね 55歳 700石)のところの筆頭与力・村越増次郎(ますじろう 48歳)からたのまれた、酒薦印づけ職・午助(うますけ 34歳)の口封じの殺し捜しの一件に、用心棒がいるのだと話した。

「新妻をほったらかして、捕り物にうつつを抜かしていていいのか?」
その左馬之助の耳へそっと、
「じつは、久栄が身ごもったらしい」
「らしいって---さん」
「いや。で、ちと、控えめに---にと、母者から言われてな」
「そういうこともあるんだ」
一人暮らしをしている左馬之助には、夫婦の機微は、まだ、察しがつかない。

〔盗人酒屋〕には、客が幾客もいて、〔(たずがね)〕の忠助は板場へこもりっきりで、客席のほうは、おまさ(12歳)がひとりできりもりしていた。

ちろりと肴を配膳したおまさに、
「いいか?」
銕三郎が、目で板場を指した。
「ちょっとのまなら」
左馬之助の相手をおまさにまかせて、板場へ入った。

「〔墓火〕のところの〔佐江戸〕のが、菅沼組の牢内で、舌を噛み切って果てた」
低い声でささやく。
忠助は、包丁の手もとめずに、
「見事な---いまどき、筋の通ったのが少なくなりやしたからねえ」

佐江戸〕のを吐いた嘗役(なめやく)もどきの軽い者(の)が、助役方の見廻り地内の地獄谷で口封じをされたこと、菅沼組としては、町方への意地もあって、いきにえを一人あげないではすまないことを、手短に話すと、銕三郎を見ないで忠助がつぶやくように言う。

「粕壁から江戸へのとば口は、北千住のほかに、四ッ木から向島の筋もありやすからねえ」、
銕三郎は、忠助の背中をぽんと叩いて、板場をでた。
見送った忠助が、初めて、小さく笑った。

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2009.03.24

〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(2)

あとさきもなく、ずばりと、〔墓火(はかび)〕の秀五郎という名に耳覚えはないか、と鉄五郎(てつごろう 24歳)から訊かれたもので、場数ょをふんでいるさすがの小浪(こなみ 30歳)も、とっさに視線を動揺させた。

銕三郎は見のがさない。
「何かご存じのようですな」
小浪は、ちらっと同心・田口耕三を気にしてから、頷(うなず)いた。

「ついさきごろ、お縄になった〔佐江戸(さえど)の仁兵衛(iにへえ 31歳)はんが、渡しの帰り舟のついでに、お茶を召しがいら、お休みになりました」
仁兵衛も、小浪も盗(つとめ)にかかわりがあるおんなだと、においで感じとっていたらしい。
もちろん、直裁に素性をうちあけたわけではない。
おもて向きは、あくまで阿部川町の裏店で数珠職をよそおっていた。

だが、あるとき、ふっと、
「この冬場の火盗のお頭に、菅沼摂津とおっしゃる方が発令になったそうですな」
とつぶやいて、小浪の眸(め)の動きを確かめるようにうかがったという。
「でも、このあたりは、定役(じょうやく)のおかかりですから---」
そう受けると、合点したように、
「深川あたりの見廻りが濃くなりそうで---」
「あら。深川ににも、納め先がございますのですか?」
「いや。品(ぶつ)の納めは新寺町だが、同郷の知り合いが深川におりましてな」
ふっと笑いをもらして、それきり、黙ったという。

田口同心がせきこんで、
「知り合いは、深川のどこと---?」
問いかけたのを、京都弁でさらりと流した。
「そないお言いやしたかて、聞いてまへんのどす」

_100銕三郎が、お代わりを頼んで、新しい茶がきたとき、
「〔佐江戸〕という通り名が知れたのは---?」
小浪ははっとしたようであったが、あっさりと打ち明けた。
「連れのお人と見えたときに、通り名で呼びかけあってはったし、粕壁のお頭---というのんも耳にしましたよって、〔墓火〕のお頭のとこのお人やなあと---」

「その連れの男というのは---?」
またしてもも田口同心が口をはさむ。
「男はんては言うてえしまへんえ。おなごはんどした」
「女賊---齢のころは?」
{40を3つか4つもすぎてはりましたやろか」

銕三郎が引きつぐ。
「石原橋からの帰り舟で着いたようでしたか?」
「いいえ。そのときは、舟は着いてえしまへん」
「では、蔵前通りから?」
「そないおもいました」
「その女性(にょしょう)ときたのは、初めて?」
「1回きりどした」

そのおんながなにかの職人ふうであったことがわかっただけで、銕三郎と田口同心はあきらめて、切り上げた。

渡し舟を対岸の石原橋の舟着きでおり、両国橋のほうへ幕府竹蔵前の河岸道を歩きながら、銕三郎が、
田口さま。小浪どのは拙の大切な伏せ綱(ふせづな 間者)です。くれぐれも、他言はご無用にお願いしておきます」

ちぢみのように細かく波立っている大川の水面に視線を投げながら、
「心得ましたが、まさか、長谷川どののこれでは?」
田口同心が小指を立てた。
「とんでもない。あの人には、怖い後ろ楯がついています」
「ほう」
浅草、今戸をとりしきっている香具師の元締の〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 60歳)と告げた。
「人を殺(あやめ)ることなぞ、なんともおもっていない輩ですから、お気をつけください」


参照】2008年3月23日~[〔墓火(はかび)〕の秀五郎] () () () () (

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2009.03.23

〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代

菅沼組の筆頭与力・村越増次郎(48歳)から、酒薦印づけ職・午造(うまぞう 35歳)を殺害した〔墓火(はかび)〕の秀五郎(50からみ)一味の探索をたのまれた銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、この事件を担当している与力と同心への顔つなぎを、まず、提案した。

山椒】2008年3月19日~[菅沼摂津守虎常] (1) (2) (3) (4)

「ごもっとも」
早速に、椎名陽介(42歳)与力と田口耕三(28歳)同心が呼ばれた。
じっさいに、遺体の検分に立ちあったのは田口同心である。
椎名与力は、先役・仁賀保組から引きついだ、〔墓火〕かかわりの手控え帳を見せてくれた。

それによると、午造に差された〔佐江戸(さえど)〕の仁兵衛は、浅草阿部川で数珠づくり師に化けていたところを捉えられた。

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(数珠職 『風俗画報』明治28年11月10日号 塗り絵師:ちゅうすけ)

仁賀保組のきびしい拷問にも口をわらず、3日目の夜、舌を噛んで自裁したと。
ついでに書いておくと、呼び名の〔佐江戸〕は、武蔵国都筑郡(つづきこおり)の村名である(現・横浜市都筑区佐江戸町)。

仁賀保組の小者が、佐江戸村まで身元調べに出張ったが、けっきょく、生家はわからなかった。
法恩寺の住職の話では、30年ちかくも前に村を捨てた何軒かのうちの一家かもしれないということでおさまったという。
遺骸は、罪人ゆえに鈴の森に捨てられた。
そのことを聞いたとき、銕三郎は顔色にはださなかったが、こころの中で合掌して成仏わ祈っていた。

辞去するとき、田口同心が町廻りにでるというので連れだち、三味線堀から蔵前のほうにあるいた。
火盗改メ・助役(すけやく)の菅沼組の受け持ちは日本橋から南と、深川・本所だから、田口同心は、きょうはどうやら、深川あたりの見回りをするつもりらしい。

陽は照っていたが、北風がきびしかった。
田口どの。そこらでお茶でも---」
誘うと、<田口strong>耕三同心は、けっこうですな、と応じた。

三好町の茶店〔小浪〕へ入った。
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田口同心の着流しに2本差し姿から、火盗改メと早くも察した小浪(こなみ 30歳)は、ふつうの客なみのあつかいをきめこんだ。
銕三郎が首をふって、
小浪どの。こちらは、いいのですよ」
田口耕三のほうは、ぼうっとして、小浪の美貌にみいっている。

銕三郎には茶を、田口の湯呑みには酒を注いでだした小浪に、田口を引きあわせ、
「見廻りが深川・本所のときは、寄ってあげてください。女将どの。よろしく」
田口同心は、ぴょこりと立って、不器用にあいさつをし、湯呑みの中味が酒としると、また感心しきりであった。

小浪どの。〔墓火〕の秀五郎というご仁に、耳覚えはありませぬか?」
銕三郎が、あまりに自然に訊いたので、田口同心はまたも目を見はった。


参照】2008年3月23日~[〔墓火(はかび)〕の秀五郎] () () () () (

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2009.03.14

東京都の出身と不明の盗人

さて、[盗賊 Who's Who] とでもいうべき紳士録(?)の棹尾(とうび)を飾るのが、江戸とその近郊生まれとおぼしい数十名の盗人たち。

もっとも、江戸生まれだからといって、潔いとはかぎらない。
潔いのは、おまさだけかも。
おまさの父・〔(たずがね)〕の忠助と母・お美津も、下総国印旛郡佐倉の在---酒々井(しすい)村(現・・千葉県印旛郡酒々井町酒々井)の出とふんでいるが、おまさ自身は、江戸で生まれている。
ただし、江戸のおんなの例で肌は透き通るように白いとはいいがたい---らしいのだが、それだと、母親を江戸生まれと見なければならないので、このあたり、池波さんの筆のすべりとしておこう。

おまさ梶 芽衣子さん)は、〔鬼平クラス〕を引率して京都の撮影所を見学したときに記念撮影をして、そばでしみじみと拝顔したが、そんなに浅黒い肌とはおもわなかった。
さんは東京生まれ。

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ついでに、鬼平さんと彦十さんとも。

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いや、本題、ほんだい。

東京都の出身の盗人
不明
 ↑ 色変わりの県名をクリックで、東京都出身あるいは不明と思われる盗賊が見られます。
見終わったら、画面左上方の 「戻る」 をクリックで、一つ前ののページへ戻ります。
恐れずに、画面中のダイダイ色文字(関連人物)のクリックで、鬼平プロムナード(気まま散歩)をお愉しみください。

なお、不明者について、おこころあたりがありましたら、コメント欄へご教示ください。

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2009.03.13

香川、愛媛、福岡、佐賀の各県出身の盗人

盗人の大票田の東京をのこして、ついに九州まできた。

四国も九州も、江戸へ遠いので、さすがに、火盗改メかかわりの盗人は少ない。

香川県の出身の盗人
愛媛県の出身の盗人
福岡県の主審の盗人
佐賀県の主審の盗人
 ↑ 色変わりの県名をクリックで、その県出身と思われる盗賊が見られます。
見終わったら、画面左上方の 「戻る」 をクリックで、一つ前ののページへ戻ります。
恐れずに、画面中のダイダイ色文字(関連人物)のクリックで、鬼平プロムナード(気まま散歩)をお愉しみください。


明日は東京と不明分。

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2009.03.12

兵庫、鳥取、島根、岡山、広島の各県出身の盗人

西のほう生まれの盗人は、活躍(?)の場がどうしても名古屋以西になりがちなので、火盗改メとのかかわりが、薄くなるようだ。

あるいは、池波さんの土地勘が薄いのかもしれないのが、そのゆえんかもしれない。

もっとも、なかには、[]の奇特にヒーロー---〔帯川(おびかわ)の源助のように、長野県出身で上方で盗(おつとめ)をしていたのもいるし、[はさみ撃ち]の〔猿皮(さるかわ)〕の小兵衛のように、西国でかせぎまくっておいて江戸に薬種屋をひらいているのもいる。

兵庫県の出身の盗人
鳥取県の出身の盗人
島根県の出身の盗人
岡山県の出身の盗人
広島県の出身の盗人

 ↑ 色変わりの県名をクリックで、その県出身と思われる盗賊が見られます。
見終わったら、画面左上方の 「戻る」 をクリックで、一つ前ののページへ戻ります。
恐れずに、画面中のダイダイ色文字(関連人物)のクリックで、鬼平プロムナード(気まま散歩)をお愉しみください。

ちゅうすけ は、鳥取市が生地だし、甥一家は倉敷で育っている。
中国地方の鬼平ファンの方のコメントが、どっと、ほしいところ。


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2009.03.11

滋賀、京都、大阪、奈良、和歌山の各県出身の盗人

滋賀県生まれの盗賊は、静岡県や長野県に次いで多く書かれている。
それというのも、池波さんは、『鬼平犯科帳』を立ち上げる前、甲賀忍者ものを書いていた。
その取材の課程で、地名を記憶にとどめたのであろう。
代表的なのは、〔小房〕の粂八、〔大滝〕の五郎蔵。

もちろん、京都も、毎年末に骨休めしていたところだから、親しみもとりわけ深かったろう。
もっとも、父・宣雄の墓は、千本出水の華光寺にはない。葬儀をしただけとの文書があり、遺骨は江戸の戒行寺へ葬られた。
史実は史実として、小説にしたがって足を運んでもみたが。

滋賀県の出身の盗人
京都府の出身の盗人
大阪府の出身の盗人
奈良県の出身の盗人
和歌山県の出身の盗人

上の色代わりの県名をクリックで呼び出せます。最上段左端の[戻る]をクリックで元の画面に。

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2009.03.10

福井、岐阜、静岡、愛知、三重の各県出身の盗人

小説の盗人だって、観光資源なんだって、スイスで教えられた。
シャーロック・ホームズといっしょに滝壺へ落ちた---なんていったっけ、あの悪人---そうそう、モリアーティ---あの場所も観光名所だ。

ベルギーのリエージュ---メグレ警視の作家--ジョルジュ・シムノンの生誕地だけど、15,6歳のシムノンが人生や芸術などを論じていた、指物屋の2階にも、標識札が貼られていた。

地方自治体は、『鬼平犯科帳』からも、観光資源を抽きだしたらいい。墨田区だけに利を得さしめることはない。

きょうは、東京に次いで多く、盗賊の〔呼び名〕として使われている静岡県も紹介。
静岡県が多いのは、家康かかわりの小説の現地取材の回数がおおかったせいであろう。

福井県の出身の盗人たち
岐阜県の出身の盗人たち
静岡県の出身の盗人たち
愛知県の出身の盗人たち

 ↑ 色変わりの県名をクリックで、その県出身と思われる盗賊が見られます。
見終わったら、画面左上方の 「戻る」 をクリックで、一つ前ののページへ戻ります。
恐れずに、画面中のダイダイ色文字(関連人物)のクリックで、鬼平プロムナード(気まま散歩)をお愉しみください。

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2009.03.09

神奈川、山梨、長野、新潟、冨山の各県出身の盗人

明治30年代に出た吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)が、池波さんの書斎にあるのを見つけ、ひょっとしたら、盗賊の呼び名は、これに拠っているのではなかろうか---と思いついた。
明治に出たこの辞書についての池波さんの弁。

たとえば、故吉田東伍博士の著書〔大日本地名辞書〕のごときは、手垢のつくまで使用させてもらつてたいるが、ページをひらくたびに、この念の入った、ほとんど半生をかけてなしとげられた業績の恩恵を身にしみて感ぜずにはいられないのだ。([時代小説について] 朝日文芸文庫『池波正太郎自選随筆集 2』)

それから、同『辞書』を捜した。(その課程で、80万円分ほどの蔵書を神田の某古書店(南〇堂書店)に騙りとられたのもいまとなっては苦笑ものである。やはり、その南〇堂書店は、古書組合を除名されたらしい。蔵書を売るときには、南〇堂は注意マーク)。

けっきょく、『辞書』は自宅から3kmほどのところにある区の図書館が所蔵していた。

330名ほどの盗人の出身地がこれで特定できた。
地方自治体の担当の方々のお世話にもなった。
自ら出向いていって確認したこともあった。

そしておもった。うまく使えば観光資源になると。

ま、とりあえず、、ともにお愉しみいただきたい。

神奈川県の出身の盗人
山梨県の出身の盗人
長野県の出身の盗人
新潟県の出身の盗人
富山県の出身の盗人
石川県の出身の盗人

 ↑ 色変わりになった県名をクリックで、見られます。
見終わったら、画面左上方の 「戻る」 をクリックで、一つ前ののページへ戻ります。
恐れずに、画面中のダイダイ色文字(関連人物)のクリックで、鬼平プロムナード(気まま散歩)をお愉しみください。

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2009.03.08

茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の各県出身の盗人

6~7年前、ホームページで[『鬼平犯科帳』と彩色『江戸名所図会』]というのを立ち上げた。
親しいデザイナーがタイトル・ページやレイアウトを担当してくれた。

しかし、礼をしないわけにはいかない。
そのお礼が、だんだん、負担になってきたときに、ブログが登場してきた。
これなら、ほとんど自分でやれる。

ただ、ブログの短所は、日記形式だから、過ぎた記事はほとんど読まれない。
それで、過去の記事にリンクを張ることをひこころがけるようにした。
というのは、データ中心のブログだから、うもれさせにはもったいないから。

こんどの盗人の出生地復活シリーズもその一つの試みである。

県名の色変わり((ダイダイ色)の県名をクリックすると、その県生まれとおぼしい盗人が
ぞろりと現われるしかけ。

茨城県出身の盗人
栃木県出身の盗人
群馬県出身の盗人
埼玉県出身の盗人
千葉県出身の盗人

さあ、↑ をクリックしてお確かめを。

元の画面へ戻るには、最上段に近い左端[戻る]をクリック。

該当県のご出身とかお住まいの方、コメントをお願いします。
掲出の県の方でなくても、ご感想をお書きこみください。

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2009.03.07

宮城、秋田、山形、福島の各県出身の盗人

2004年12月20日から4年2ヶ月---1500日以上、1日もやすまずに書きつづけてきた。
べつに、弱音を吐くわけではない。
資料調べを徹底したい。
それで、当初の1年数ヶ月つづけた、盗賊の出生地調べを振り返っていただきながら、そのすきに資料調べを、と考えた。
で、1日に4~5県ずつにリンクをはり、該当県に縁のある方には、その土地の思い出をコメントしていただき、そうでない方には『鬼平犯科帳』のおさらいをして、その篇や盗賊についてのご感想をコメントしていただくことに。

色変わり(橙色)している下の県名をクリックすると、その県の出身とおもえる盗賊が、ぞろっとでてくるしかけ。

鬼平犯科帳』は、いってしまうと、盗(と)られる商店、盗(と)る盗賊、それを捕(と)らえる火盗改メのお話である。
捕られる盗賊の人間性にも池波さんの配慮が及んでい、そのために並みの白浪ものを超えたおもしろさが生まれている。
そのあたりをお愉しみください。

宮城県出身の盗人
秋田県出身の盗人
山形県出身の盗人
福島県出身の盗人


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2009.01.28

〔蓑火(みのひ)と〔狐火(きつねび)〕(2)

蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 47歳)の軍者(ぐんしゃ 軍師)の一人であった〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 30歳)が、盗賊仲間の盟友・〔狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 49歳)にゆずりわたされたのは、〔蓑火〕の一味に、剣の腕のたつ〔殿さま栄五郎(えいごろう 30歳がらみ)が加わったからと、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は承知している。

参照】2008年10月23日[うさぎ人(にん)・小浪] (1)
2008年11月2日 [『甲陽軍鑑』] (2)

そのおと、4日間も旅して、いっしょにいた。

田沼意次の封地である相良の築城を見たあとの焼津港までは、船旅であった。
駿府(静岡市)に近い清水港でなく、焼津をえらんだのは、別れてから掛川城下まで一人で帰るおに、東海道の難所の一つである宇津谷(うつのや)峠を越えさせたくなかったからであるが、銕三郎はほかの理由を言った。
「田中城と、長谷川家のご先祖が祀られている小川(こがわ)村の菩提寺にも詣でるために、焼津港がいいのです」
田中城も長谷川家に深い因縁があるが、もう一つ、前藩主であった本多伯耆守正珍(まさよし 60歳)侯への土産話のこともあった。

「ご先祖のお墓参りができるのって、いいですね」
は、故郷を捨てたし、母親ももう中畑村にいないので、10年以上も、生まれた村へは帰っていない。

が、もう一と晩、焼津港か小川村でいっしょにすごしたいと頼むので、銕三郎は、許した。
(もう、これきり、逢うことはあるまい)
そう、こころに決めたからである。
江戸へ帰れば、久栄(ひさえ 17歳)との婚儀が待っている。

翌朝、東海道口・水上(みずかみ)村まで、おを見送っていった。
が、重みのある紙包みを銕三郎の手ににぎらせ、
「旅籠代の足しにしてください」
「足りているよ」
「いいえ。掛川からここまでの、わたしの分です」
「そうか。では---」
は、振り返れば、駆け戻ってしまうとでもおもっているのか、そうしないで、島田宿のほうへ去った。

一人になると、大事なものを手放してしまった喪失感に襲われた。
乳首を吸ったり、湿った内股へ入ったことではない。
が洩らした言葉のはしばしが、砂地から水がしみでるように湧いてきたのである。。
つよく印象にのこったのは、おが生地の村長(むらおさ)のところでの『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』講で学んだ武田信玄公の言葉の中で、

---弓矢の儀、勝負の事、十分のうち、六分七分の勝ちは、十分の勝ちなり。八分の勝ちはあやうし。九分十分の勝ちは味方の大負けの下づくりなり。

がもっとも気にいっていると言ったことである。

18歳のおが、16歳のお(かつ)とのおんな同士の色事のうわさに追われるように村を捨て、中山道を放浪していて、熊谷宿で路銀がつきた。
そこの商人旅籠でおに枕さがしをやらしたのが発覚(ば)れたとき、安宿の持ち主が〔蓑火〕の喜之助で、配下に加えられた。

参照】2008年9月13日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] (7) (8)

喜之助は、お信玄公の軍法にくわしいこと、軒猿(のきざる 忍者)の末裔であることを知ると、軍者(ぐんしゃ)扱いをしてくれた。
盗賊仲間で名を高めるためには、押し入った先から奪うのは、「六分か七分」にとどめるといい、とおが告げると、喜之助はさっそくに採りいれた。

以後、〔蓑火〕に押し入られた大店(おおだな)で、その後、商売が立ち行かなくなったとこころは一軒もなかった。
が言ったとおり、〔蓑火〕の喜之助は、盗賊界の名門となり、また、喜之助は盗人の聖人のようにあがめられた。
ある一味の頭など、蓑火稲荷を盗人宿の裏庭に祀って朝晩おがんでいるという噂もでた。

銕三郎は、2年前---明和4年(1767)---六郷で出会った〔蓑火〕の、あと20年もしたら大黒人形そっくりになりそうなほど顎がはった福々しい、温和な風貌をおもいだし、
(さもありなん)
合点した。

参照】2008年7月25日][明和4年(1767)の銕三郎] (9)

ちゅうすけ注】もっとも、盗賊の聖人にも泣き所はあった。大おんな好きである。母親がそうであったことによるらしい。
その性癖が遠因となり、『鬼平犯科帳』文庫巻1[老盗の夢]で自滅してしまう。

蓑火〕と比べると、狐火(きつねび)の勇五郎(初代)には、もうすこし生臭いところがあった。
考え方として、
一、盗まれて難儀するものへは、手をださぬこと。
一、つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手こめにせぬこと。
これはきちんと守っている。

しかし、おが、信玄公の「六分七分」説を聞かせたところ、
「だんだんと、仕込みに金がかかるようになってきている。それに、若い者たちがいささかでも分け前の多いほうがよろこぶ時代にも向かっている。格好ばかりつけていてもなあ---」
苦笑したという。

銕三郎は、自分の目で見たことのある〔蓑火〕の喜之助と〔狐火〕の勇五郎(初代)と、おがぽろりぽろりと洩らした2人の断片をつなぎあわせて、自分に置きかえて考えた。

やがて勤仕することになる書院番士としては、〔蓑火〕型の、接する者の長所だけをみるようにしながら言動することになろう。
しかし、徒(かち)組の組頭なり、先手の組頭になったら、〔狐火〕方式で、その部署に求められている能力者を見抜いてあてがっていくことになろうか---と。

それにしても、「六分七分の勝ち」を頭にすすめたというのだから、おというおんなの才智は、どうなっているのか、もうすこし見極めてみたかったと、未練がのこった。
いや、未練などという軽い言葉ではいいあらわせないほど、その思いでがこころの襞(ひだ)に棲みつくことになるおんなであった。
しかも、そのことは、こんご、誰にも打ちあけることができない。
思いだすことさえ禁じられているともいえる。
(おれが役に就いたときの軍者として、そばにいてほしいくらいなのだが---)


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2009.01.27

〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)〕

掛川から相良、そして 相良港から便船で焼津への、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りゅう 30歳)との旅のあいだの会話から、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、盗賊について、おもいもかけないほど多くの知識をえた。

もちろん、銕三郎からが訊こうとしたことではないし、おも、仲間の秘密を教えるつもりはなかった。
ただ、つい、ぽろりともらした言葉のはしばしから、銕三郎が類推していった知識である。

盗(つと)めでむつかしいのは、狙った商店にいつ現金がたまっているかを見きわめることらしい。
商人は、現金のまま寝かしておくような間抜けなことはしない。
はげしく回転させ、その中で利をかせぎだしていく。

まあ、駿河町の越後屋三井呉服店がはじめた、掛け値なしの現金商売をならい、多くの店が「現金掛値なし」の看板をあげているが、店頭だけでのことが多く、常得意や客先への廻りのばあいは、どうしても節季払いになってくる。
江戸の大店は、地方卸しも少なくはなく、それらはほとんど年2回か3回の〆になりやすい。

たから、いつ、現金が金蔵にたまっているかを探り出すのが、軍者(ぐんしゃ)たちの腕の見せどころではある。
それには、店の手代以上の地位にある者を買収するか、色じかけでたらしこむか。
あるいは、引きこみをいれて調べるか。

それと、銕三郎が意外におもったのは、押しこむときよりも、金を奪って引き上げときのほうにより多くの注意をはらっていることであった。
押しこみが成功すると、つい、気のゆるみがでがちで、それで足がついたり、捕まったりするのだと。

そう言われてみると、武家の戦闘でも、勝ったにしろ、負け戦さにしろ、軍を引きどきがむずかしいと聞いている。
追ってくる敵を、適当にあしらいながら、なるべく損害を少なくするように退(ひ)くのは、よほどの戦さ上手でも工夫がいるらしい。

蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 47歳)は、その引き上げの手ぎわが、なみたいていの盗賊がおよばないほど綿密に練られているので、これまでいちども失敗がなかった。
そのコツは、退き道を3つ以上練りあげ、一味を3組にわけ、それぞれに気のきいた組頭をおき、3つの退路を使って引き揚げさせている。
退き道がはっきりしないうちは、盗めもしない。
もちろん、盗み金(つとめがね)も3つにわけて、盗人宿まではこぶ。

蓑火〕の頭にくらべると、〔狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 49歳)のやり方は大胆でそういう綿密に計算はせず、配下たちにまかせているところが多いようにおもうと。
というのも、〔蓑火〕一味には、一から鍛えあげられた配下がほとんどで、頭の命令が絶対である。
引きかえ、〔蓑火〕から〔狐火〕へ移籍して歳月の浅いおではあるが、〔狐火〕では2人の息子がまだ育ちきっていないので、ほかで腕をみがいた手の者を期限つきで雇っているからのように見える。
もっとも、〔瀬戸川せとがわ)〕の源七(げんしち 53歳)とっつぁんは別だが。

そういえば、〔蓑火〕には実の男の子がいない。それだけに、したってきた若い子を育てるのであろう。

銕三郎は、自分の立場あてはめて考えてみた。

番方のなかでも毛並みのすぐれた両番(書院番士と小姓組番士)の家にうまれているから、つぎの役つきは、徒(かち)組頭か小十人組頭で、上がりは先手組頭---いずれにしても、親代々の組下の上にのっかることになるから、〔蓑火〕型でなく、〔狐火〕型に近い。
しかし、組下の者の信頼感からいうと、〔蓑火〕型のほうがまっとうな気もしないではない。
(ま、15年か20年先のことではあるが---)


参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

2008年5月28日~[〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七] (1) (2) (3) (4)


_150ちゅうすけのつぶやき】これまでもあちこちに記したが、『鬼平『犯科帳』に登場している盗賊400余人の〔通り名(呼び名とも)〕のうち、ほとんどは生地とおもわれる地名だが、なかに16人、鳥山石燕『画図百鬼夜行』から、池波さんが採っている。
鳥山石燕は、長谷川平蔵とほとんど同時代に生きていた画家である。
「百鬼夜行」は、その当時の日本人の心に棲んでいた妖怪像である。
だから、もしかしたら、史実の長谷川平蔵もその妖怪図を見ていたかもしれない。

同書を池波さんが愛好していることに気がついたのは、『剣客商売』巻2[妖怪・小雨坊]でp203 新装p221で、『画図百鬼夜行』の書名を目にしたときである。
ただちに、近所の区の図書館で同書を借りだしてしらべた。
結果、16人を探し出せた。
16人の中に、なんと、〔蓑火〕と〔狐火〕があった。

2枚の妖怪の絵を眺めてみて、池波さんが借りたのは〔通り名〕だけで、妖怪の性格ではないことがわかった。
しかし、読み手は、おどろおどろしい〔通り名〕から、それを名乗っている盗賊の性格まで連想しがちである。

そこで、この稿では、、『画図百鬼夜行』の絵とキャプション(添え書き)を明らかにして、2人の性格とは関係がないことを示そうとおもいたった。
語り部は〔中畑〕のおだが、彼女が生な形でお頭や組織のことを明かすはずがない。
彼女の言葉のはしばしを頼りに、銕三郎が組みたてたかたちをとった。

(注)絵には、妖怪をうきあがらせるために、若干の手をくわえている。

〔蓑火〕 田舎道などによなよな火のみゆるは、多くは狐火なり。この雨にきたるみの(蓑)の嶋とよみし蓑より火の出しは陰中の陽気か。又は耕作に苦しめる百姓の臑(すね)の火なるべし。

_360

〔蓑火〕は「耕作の苦しめる百姓の臑(すね)の火」ともあるが、喜之助は、信州・上田の造り酒屋の生まれで、百姓家の子ではない。
だから、臑の火からとった〔通り名〕ではない。


狐火〕 みんな知っているからであろう、キャプションはない。夜中、里近くまでおりてきた狐が啼く。「コンコン」ではなく、ぼくの幼年時代の記憶では「ギャーギャー」であった。啼き声に、雨戸をそっと開けてのぞくと、小さな炎がちらちらと動く。「ああ、狐火だ」と納得してまた寝床へ入ったものである。

_360_2

絵には狐が3匹描かれている。
2匹はいわゆる狐色の毛。真ん中の1匹は白---どうやら、これは雌らしい。
とすると、彼女をはさんでいる2匹は雄か。とすると、狐火を口から吐いている2匹は、求愛の合図を送っているとしかおもえない。
そういえば、〔狐火〕の勇五郎は、小説の中だけでも3人の女性にそれぞれ子を生ませている珍しい子福者の盗人である。

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2008.12.31

憎めない盗賊たち

ことし、365日、質の良否はともかく、健康の助けをえて、勤勉に1回も休まず書きつつけられた。
大晦日のきょうくらい、ほっとひと息、入れたい。

ちゅうすけのひとり言](29)に、静岡のSBS学苑の[鬼平クラス]で、「憎めない盗人たち」を揚げてもらったついでに、アクセスしてくださっている方々にも呼びかけたら、すでに、4人の方が揚げてくださった。
それをリストに加えて、一年のしめくくりとしたい。

〔蓑火(みのひ)〕の喜之助 [1-5 老盗の夢]
〔伊砂(いすが)〕の善八 [3-11 盗法秘伝]
お豊(とよ) またはおたか [3-3 艶婦の毒]---みやこのお豊さん
〔間取(まど)り〕の万三 [深川・千鳥橋]---tomo さん
〔鷺原(さぎはら)〕の九平 [5-5 兇賊]---tomo さん
〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 [6-4 狐火]
〔浜崎(はまざき)〕の友五郎(友蔵) [6-5 大川の隠居] 
〔猿皮(さるかわ)〕の小兵衛 [7-3 はさみ撃ち]
〔掻掘(かいぼり)〕のおけい [7-4 掻掘のおけい]---みやこのお豊さん
〔泥鰌(どじょう)〕の和助 [7-5 泥鰌の和助始末]---chanpon さん
〔鹿留(しかどめ)〕の又八 [8-2 あきれた奴]---chanpon さん
〔雨引(あまびき)〕の文五郎 [9-1 雨引きの文五郎
〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵〕 [9-3 泥亀]---chanpon さん
〔風穴(かざあな)〕の仁吉 [9-5 浅草・鳥越橋]---kayo さん
〔帯川(おびかわ)〕の源助 [11-3 穴]
[雨隠(あまがく)れ〕の鶴吉 [11-7 雨隠れの鶴吉]---kayo さん
〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門 [14-2 尻毛の長右衛門]
〔馴馬(なれうま)〕の三蔵 [18-2 馴馬の三蔵]---kayo さん
〔針ヶ谷(はりがや)〕の宗助 [18-3 蛇苺]---kayo さん
〔高萩(たかはぎ)〕の捨五郎 [20-5 高萩の捨五郎]
〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛 [21-4 討ち入り市兵衛

忘れている盗賊は、呼び名のオレンジ色のひらがなをクリックしてお確かめを。
新たにおもいだされたら、コメント欄へ書き込みを。来年追加して、膨大なリストをつくることに。

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2006.11.23

白浪もの

阿部 猛さんは『泥棒の日本史』(同成社)の[あとがき]に、

「泥棒は歴史とともに古い職業のひとつといわれ、文学の題材としても多く採りあげられてきた。
それは洋の東西をとわないが、シラーの『群盗』、ブレヒトの『三文オペラ』、ダリアンの『泥棒』、ジュネの『泥棒日記』、レオーノフの『泥棒』などは著名である」

『三文オペラ』といえば、開高 健くんに『日本三文オペラ』がある。
詩人の故・木場康治くんの、大阪の造兵廠の焼け跡で、鉄屑を盗むようにして集めている人群があるとの示唆によって創作されたと、木場くんから聞かされたことがある。
開高くんも木場くんも、ともに同人誌「えんぴつ」での仲間だった。

「泥棒の話は深刻な話であるはずなのに、なぜか一種のおかしみをもって語られる。近代においては大衆文学の世界で採りあげられ、旧い呼称でいえば探偵小説、いま風にいえば推理小説の主体は探偵であるが、これも泥棒あっての探偵小説である」

Photo_249 ミステリーで記憶に残っているのはマイクル・クライトン『大列車強盗』(原作1975 ハヤカワ文庫 1981.7.21 乾信一郎訳)だ。ヴィクトリア朝の犯罪で、壮大で緻密な計画に舌をまいた。クライトンは、SF『アンドロメダ病原体』や近未来もの『ジュラシック・パーク』の作家でもある。
渋いファンの多いローレンス・ブロックには『泥棒は選べない』(ハヤカワ文庫 1992.2.29 田口俊樹訳)ではじまる愉快な連作もある。

池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』は、日本代表としてあげるべきだろう。

そういえば、阿部さんは、チャイナの代表作もあげていない。

「江戸時代の泥棒については、三田村鳶魚の著述があって豊富な話題を提供し(「鳶魚江戸文庫」中公文庫)、それ以来大正期には小酒井不木の研究があった(『犯罪文学研究』国書刊行会。1991年刊)、泥棒に関心を寄せる人は多く、たとえば高知大学の泥棒研究会は『盗みの文化誌』(青弓社。1995年刊)という真面目な研究書を公にしている」

「ウーヴェ・ダンカー著『盗賊の社会史』(藤川芳朗訳 法政大学出版局、2005年刊)は本格的な論考で、すこぶる参考に値いする」
図書館で探してみようかな。

落語での盗人の話は、靖酔さん、永代橋際蕎麦屋のおつゆさん、豊島のお幾さんに、歌舞伎の白浪ものは、みやこのお豊さんの書き込みを待つ。

文楽にも、盗みものはありましたか、亀戸のおKさん、蕎麦屋のおつゆさん? 『鶊山姫捨松』の中将姫のあれは盗みでも、職業的ではないから。盗賊を仕事(おつとめ)にしているのにかぎって。

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2006.11.22

『盗賊の日本史』

120 阿部 猛(たけし)さん(東京学芸大学名誉教授)『盗賊の日本史』(同成社 2006.5.10)の刊行は、近くの図書館で月刊誌『日本歴史』のバックナンバーの目次と出版広告をチェックしていて気づいた。

行きつけの図書館は購入していなかったが、区内の別の館にあったので、予約しておいた。
昨日、届く。

古代、中世は、いろんな物語から抽出(タイトルに『---日本史』とあるように、盗みという犯罪からみた社会史的な著述なのである)。

長谷川平蔵に関連するのは「近世社会」。
ざっと目を通したが、史料は『御仕置例類聚』、 『刑例抜粋』、『御触書』、『世事見聞録』、三田村鳶魚『泥棒の話 お医者様の話』、妻鹿淳子『犯科帳のなかの女たち』など。

長谷川平蔵とかかわった盗賊は、真刀(まと)徳次郎ただひとり。ただし、この盗賊は『鬼平犯科帳』には登場していない。

真刀徳次郎の記述を引き写す。

渡世人真刀(まと)徳次郎は、奥州や常陸・上総・上野・下野・武蔵などの関東筋、その他近国在々村々数百か所忍び込み、または強盗を働いた。
道中筋では、帯刀し、野袴を着て、従者または渡り盗賊を若党に仕立てて召しつれ、荷物には「御用」と書いた札をたて、また御用提灯を持たせ、寺・修験宅・百章家・質蔵・町屋の戸をこじあけ、押し開け、あるいは火縄で錠前を焼き切り、脇差を抜いて押し込み、家人をしばりあげ、声を立てる者は斬り殺し、金銭・衣類・反物・帯・脇差その他の品物を奪う。
これを、手下に命じて市場や古着屋で売らせ、または質入れし、金をみなに配分し、遊興に費やしたという。
寛政2年(1789)捕らえられた徳次郎は町中引廻しのうえ、武州大宮宿で獄門にかけられた(『刑例抜粋』)。

ほかに池波小説関連までひろげると、『男の秘図』の徳山五兵衛がかかわった〔日本左衛門〕こと浜島庄兵衛の顛末、短篇[鬼坊主の女]ヒーロー---鬼坊主清吉などに言及。

長谷川平蔵をまったく無視した観のある「近世は弱かった」と著者もあとがきで告白しているから、次作をまちたい。

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