カテゴリー「091堀帯刀秀隆 」の記事

2007.08.29

堀 帯刀秀隆

堀 帯刀(たてわき)秀隆(ひでたか)は、火盗改メ方の長官として、本役を天明5年(1785)11月15日(49歳から、同8年(1788)年9月28日(52歳)まで勤めて、長谷川平蔵宣以(のぶため)と交替した。

任期中の明和7年5月に、暴徒による江戸打ちこわし事件がおきた。
暴徒の鎮圧に、町奉行所も火盗改メの堀組(先手・弓・第1番手)も役に立たないというので、幕府は、組頭が比較的若い先手組10組に出動命令を出したことは、これまでに記している。

このところずっと引用してきた深井雅海さん『徳川将軍政治権力の研究』 (吉川弘文館 1991.5.10)の第3編に[第3章 徳川幕府御庭番の基礎研究]があることも、2007年8月12日[徳川将軍政治権力の研究]第1回目に報告しておいた。

郡上八幡藩の農民一揆についての、田沼主殿頭意次(おきつぐ)の介入の報告がおわったので、第3章の御庭番についての史料を拾い読みしてみたら、なんと、長谷川平蔵に関連する記述がかなり多い。
しかも、これまで見たこともない史料が少なくない。
御庭番の史料は、著者の勤務先である徳川林政研究所が所蔵する、徳川宗家が保管していた「御庭番手続書」とか「御庭番勤方心得之儀中申上置候書付」などだが、将軍や側衆の命令で、町奉行所や火盗改メを探索した報告書もある。

たとえば、天明7年5月の江戸打ち壊し騒動の直前の、堀 帯刀秀隆についての風聞ものを現代文に置き換えてみる。

一 先手組頭・火盗改メ長官の堀 帯刀は、このほど、「用米」という札を立て、神田三河町辺の米屋から米百俵ばかりを車に積んで、さほど離れてはいない裏猿楽町の自分の屋敷へ引きとった由。そのとき、同心3人が大八車に付き添っていた。
(府内が米価の暴騰と米の売り惜しみで困っているときに)、なんともあやしげな所業である。
堀 帯刀には、かねてから、カネづまりによる、とかくの噂があった。とてもじゃないが、米100俵も一度に買えるような家計ではない。
打ち壊しの噂を耳にした米屋が、危険を感じて、へ依頼、預かったのであろうとのもっぱらの噂である。

これでは、悪人取締りの火盗改メが、どうにも処置なしである。
が、幕閣が、火盗改メにまで隠密をつけて風聞をさぐらせているのだから、世も末といえようか。

ところで、この江戸打ち壊し事件のときに、探索を命じられた御庭番のひとりが梶野平九郎炬満(のりみつ)である。この梶野家の『寛政譜』を掲出しておく。
内容を読むためではない。吉宗が将軍として江戸城へ入ったとき、紀州藩の薬組から召された17家の1家である梶野家の当主が、代々、御庭番の職についていることを見るためである。

Photo
(赤○=平九郎炬満 緑○=歴代の当主で御庭番。家譜は寛政期までだが、職務は幕末までつづいている)

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2006.06.04

裕福なふりをしてはいけない

火盗改メとして、長谷川平蔵の前任者だった堀帯刀(たてわき)秀隆という幕臣の造形には、池波さんもかなり手こずった形跡がある。
1500石の家禄を500石にしたのはご愛嬌としても、連載の最初のころは、

  堀帯刀は、長谷川平蔵の前任者で、なかなかの腕ききであった
  し……〉([密(いぬ)偵])

と持ちあげたり、堀組筆頭与力・佐嶋忠介を

  「……忠介で保(も)つ堀の帯刀」(同)

と書いたりもした。

ところが、連載5年目あたりの「狐雨」では、

  堀帯刀は無能のため……

盗賊改方・長官を解任された人物としている。

評価を変えたのはなんらかの史料が入手できたからではなく、単に平蔵の超人的な活躍を際だたせる目的だったようだ。

4,5年も連載がつづいていれば、編集者をはじめとする各方面から情報が寄せられてくる。

たとえば、天明7年(1787)の米屋の打ちこわし騒動のときの火盗改メは堀組だったが、暴徒が暴走するまえに鎮圧できなかったのは無能のかぎり、ともいえるし、いや、あれほど大規模な大衆の反乱は、わずか与力10人同心30人の堀組だけでの鎮圧はとても無理、げんに幕府は先手組を10組も出動させたではないか、との弁護論もなりたつ。

帯刀がさほどのはたらき手ではなかったという史実が公けになったのは、老中・松平定信派の隠密たちが書き上げた報告書『よしの冊子』が1980年末から81年初頭にかけて中央公論社から「随筆百花苑」の第8,9巻として活字化されたときだ。

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本邦で初めて『よしの冊子』を収録した『随筆百花苑』

『鬼平犯科帳』でいうと、文庫巻21収録の諸篇が執筆されていたころだから、先にあげた[狐雨]などよりうんと後年。

隠密たちの目線が低いきらいはあるし、反定信派には容赦のない『よしの冊子』だが、それでも堀帯刀の具体像があるていどはうかがえるのはうれしい。火盗改メを平蔵と交替して、先手の組頭から持鎗頭(もちやりがしら)へ昇進したときの帯刀を、隠密はこう報告している。

「栄転先が御鎗持だと、先手組頭より席順はすこし上がるが、役料は同じ1500石、しかもわが家は家禄が1500石なので足高(たしだか)は1石もつかない。だからお役ご免で無役でいるよりもかえって物入りで迷惑、といっている。数年間も火盗改メを勤めて極貧になったのに、同じ役料のポストへ仰せつけられるとはむごすぎる。お役しくじりと同様のご処置なのはどういうわけか、と愚痴っているよし」

新しく召しかかえられた用人によると、先手組頭の前にやった目付も持ち出しの多い職とのこと。堀家はよほどに裕福と見られていたらしい。

堀帯刀を調べていて、役人は裕福なふりをしてはいけないとつくづく思った。いや、役人にかぎらない。人からよくおもわれようとおっている仁すべてにあてはまる。

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2006.04.19

堀 帯刀の家系と職歴

家系:
祖:美濃において斎藤道三に仕え、のち、織田信長、つづいて豊臣秀吉、関ヶ原では徳川方として春日山を守った秀治が祖である。
ただし、秀治の嫡孫・忠俊は、仕置よからずと所領45万石を収公、鳥居忠政に預けられ陸奥国へ配流。のち加賀国に蟄居して逝去。享年26。
秀隆の堀家の始祖・成令(なりよし)は、この忠俊の男と。
成令の嫡男が桂昌院(綱吉の母)付として仕え、のち、1500石。妹も桂昌院の侍女となる。

家禄:
下野国において1500石。

家紋:
0914
三亀甲

屋敷:
小川町裏猿楽町。1400余坪。

0916
尾張屋板

0915
部分拡大。八郎右衛門は嫡孫。

生年と歿年:
元文2年(1737)生
寛政5年(1793)3月9日(57歳)卒

御目見:
宝暦10年(1760)11月25日(24歳)、家治に御目見。

職歴:
宝暦12年(1762)4月19日、小姓組として出仕。
安永3年(1774)6月15日、徒頭(38歳)。
天明1年(1781)8月20日、先手筒組頭(45歳)。3回組替え。
天明8年(1788)9月28日、持筒頭。

先手組頭のとき、火盗改メ助役1回、本役を足かけ4年勤める。

(年齢は当時の習慣にしたがつて、すべて数え齢)。

つぶやき:
長谷川平蔵宣以は、前任者の堀帯刀を敬して、その娘を、自分の細君の姻戚である万年家へ嫁がせるべく骨折ったが、これが裏目にで、帯刀から愚痴られて辟易した。
というのは、万年家の舅が、50を過ぎてから芸者ぐるいをはじめ、「4つ(午後4時)すぎの雨は上がらない。40すぎての色恋はとまらない」のたとえを地で行ったからである。


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2006.04.18

堀 帯刀の本役発令

池波さんが、『鬼平犯科帳』で、長谷川平蔵宣以の火盗改メの前任者に、堀 帯刀秀隆を据えたのは、史実として正しい。

推察するに池波さんは、『徳川実紀』の下に掲げた天明5年11月15日の記述を見て、そうしたのであろう。

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「また先手頭掘帯刀秀隆盗賊考察の事奉る。」とある。
堀 帯刀は、このとき49歳。それから足かけ4年---天明8年(1788)9月28日に持筒頭を拝命するまで、火盗改メの本役を勤めたことは、すでに記した。

しかし、池波さんは、『続徳川実紀』の天明7年(1787)9月19日の項---「先手筒(弓の誤記)頭長谷川平蔵宣以捕盗の事命ぜらる。」を目にしたとき、長谷川平蔵が後任に選ばれたとおもった。 

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まあそれまで、平蔵についての研究がまったくといっていいほど開拓されていなかったのだから、いたし方がなかったともいえる。

ところで、堀 帯刀だが、天明5年11月15日の発令時は、先手筒の第16組の組頭であった。
ところが、火盗改メ発令と同時に、先手弓の第7組へ組替えをしている。
うわさによると、組頭が火盗改メに任じられると、組の与力・同心にも別手当がつくので、それを狙って弓の第7組の与力・同心たちが合計80両を出しあって、堀の用人へとどけて組替えを策したのだという。

そのことを知った弓の第1組も、ほぼ1年後に100両の金を出しあって用人へ渡し、組替えをしてもらつたという。与力1人が7両ずつ拠出しても、3カ月ほどの役手当でもとはとれたらしい。

弓の第1組は、別称「駿河組第1組」ともよばれているほど伝統のある組なのに、組下がそのような利に走る時代になっていたのであろうか。

また、組替えそんなに簡単にできるものかどうか、不明にして知らないが、堀 帯刀その人は、任期中に組を3回も変わった風変わりな仁ということで、評判になったことは事実である。

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2006.04.17

堀 帯刀の任期

『鬼平犯科帳』では、第1話[唖の十Z蔵]で、長谷川平蔵は、天明7年(1787)10月に、前任の堀 帯刀の後任として火盗改メの任についたようになっている。

史実は、このときも、堀 帯刀は、まだ、本役を勤めており、平蔵は火事の多い冬場の助役(すけやく)として発令され、春には、きまりどおり解任されたのである。

池波さんは、どうして、平蔵を本役のように書いたか。
解釈は2通りできる。

本役・助役などといっては、読み手が混乱すとる判断したというのが、まず第一。

も一つの見方は、図版を掲げた『続徳川実紀』の記録を読み損なったという見方。
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掲げたのは、徳川幕府の正史ともいえる、『続徳川実紀』寛政8年9月から10月へかけてのページである。
上の段、9月28日の項に、「先手弓組堀帯刀秀隆は持筒頭」とあるものの、「火盗改メを解く」が省略されている。
(持筒頭は、先手組頭から選抜される、終着駅的な名誉職であるが、格は先手組頭と同じ1500石格)。

下の段、10月2日の項には、「先手頭長谷川平蔵宣以盗賊捕獲命ぜらる」とある。
これをこのまま読むと、平蔵が再任されたようにもとれる。

ところが、10月6日の項に、「先手弓(筒の誤記)頭松平左金吾定寅火賊捕盗の事。明の3月まで勤めよと命ぜらる」とあり、左金吾がずっと助役というか、副役をしてきており、平蔵が本役になっても続投していることがうかがえる。

松平左金吾は、姓や名からもわかるように、老中筆頭の松平定信の久松松平の一族であり、定信と相計って、長谷川平蔵の看視をする役目を果たしたというふうに睨んでいるが、その経緯はいずれ。

それよりも、解任のことより、昇進のことのほうを優先させる『徳川実紀』の記述のくせを読み取る術を身につけたい。

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2006.04.16

堀 帯刀秀隆

長谷川平蔵の前任の火盗改メは堀 帯刀秀隆( 1,500石 小説は500石)だった。
この仁を『鬼平犯科帳』の後半は、

なにしろ、堀帯刀は、盗賊改方の特別手当として幕府が支給する役料までも、「あわよくば……」おのれのふところへ仕まいこもうという人物であったから…[消えた男]

と悪者扱い。

帯刀が経済的に困窮していたのは事実だが、それも妾までかこって私腹ごやしに精をだした用人のせい。

「堀帯刀は先手の組頭たちの中でも一体に正直者だが、用人が悪いから自然と世評も悪くなっている。解任されても仕方がないのに、お役をつづけていられるのはありがたいことと思わねば、との評判が立っているよし」
「帯刀は人物はいたってよろしく、馬鹿にする者もいるくらい気もいいよし。だから用人や組下の者にもいいように利用されているよし」(老中首座・松平定信派の隠密の報告書)。

同情したくなるほど邪気のない仁(じん)みたいだが、用人がわいろを取りこんでいるのが世間で評判になっているのに気がまわらないのだから管理職としては落第。

火盗改メから持筒頭に昇進してからもこんなことを書かれている。
「堀帯刀は、組下が差しだした願い書なども上へ取りつがない。とにかく世話をやくのが嫌いらしい。与力たちが頭へ願いを差しだしても上へ進達しないので、この三、四年が間、与力たちは帯刀をうらんでいる」(同前)

ただ、家庭事情には同情すべきところがないでもない。
徳川の一門……宮石松平の一族・若狭守正淳(まさあつ。 2,500石)の次女だった最初の夫人は、1女1男を産んで逝った。

後室には、やはり徳川一門の形原松平の権之助氏盛(うじもり。 2,000石)の次女で出戻りを娶ったが間もなく死去。

三番目の夫人もはやばやと死別。

四人目は、離別。持筒頭に栄達した帯刀が組下の者の願い書をにぎりつぶすようになったのは、夫人運に恵まれなくて人生に絶望していたからとも思える。

五人目は、武田系の室賀下総守正普(まさひろ。 5,500石)の四女。初婚。菩提寺の喜運寺(文京区白山 2-10 曹洞宗)の、「秀隆院殿前武衛校尉雄高賢英大居士」と麗々しく刻まれた帯刀の墓石に並んで「円智院殿慧海秀和大姉」とあるのがこの女性。
夫は寛政5年(1793)に57歳で逝ったが、この人は60歳代まで生きて文化8年(1811)に没した。貧窮していた堀家へ嫁いだときには30歳半ばになっていたが、それにはなんらかの事情があったようだ。

0911
堀帯刀と夫人の法号が刻まれた墓石

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