カテゴリー「082井関録之助 」の記事

2009.07.18

井関録之助が困った(2)

「〔万(よろずや)屋〕どの。井関録之助(ろくのすけ 23歳)の用心棒料ですがな---」
長谷川さまのお言葉ですが、こんどの大火で、商いが細りましてな。諸事節約をいたしませんと---」
銕三郎(てつさぶろう 27歳)の言葉をさえぎった茶問屋〔万屋〕源右衛門(げんえもん 51歳)は、あぶらぎった顔に、初冬の寒さなのに、額に汗をうかべている。
日本橋・浮世小路の上方うなぎの〔大坂屋〕の2階である。

「しかし、鶴吉(つるきち 11歳)の手習い・そろばんの束脩(そくしゅう 月謝)でケチるわけにはいかぬでしょう」
「それは、仰せられるまでもなく---」
井関は、鶴吉の手習いをみてやっておるのです。鶴吉がご新造の子であれば---」
「〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)元締がお亡くなりになってからというもの、急に重石がとれたように、あれが強気になりましてな」
「やはり、ご新造の差し金でしたか---二代目・今助は、拙や井関の親友です」
「え?」
「ご新造にそうおっしゃってくださってもけっこうです。ご新造の行状は、今助元締につつぬけ---と。今助がご新造をゆすりにきても、井関も拙も仲に立ちいりませぬとな」
「ふむ」

「それから、〔万屋〕どの。いつだったか、盗賊に持たせて返す200両(3200万円)を用意しておると申された。それだけの金があれば、井関や寮のたつき(生計)の金子は5,6年は払えましょう」

ちょうすけ注】池波さんは、『鬼平犯科帳』の最終巻近くでは、1両を気前よく20万円に換算していたが、研究者の分野では、当今16万円前後が妥当としている。
参照】2006年10月21日[1両の換算率

参照】2009年5月31日[銕三郎、先祖がえり] (

井関さんは、盗賊ともお親しいとでも---?」
「ご主人。そんなことは申してはおりませぬ。拙の父は、盗族改メのお頭ですぞ」
「失言いたしました」

「ただ、井関は、四ッ目通りの〔盗人酒屋(ぬすっとざかや)〕という店と親しい」
「なんですって?」
「〔盗人酒屋} 」
「盗賊が出入りしているので ございますか?」
「それはしらぬ。ただ、盗賊改メの与力・同心衆が飲みには行っている」
「分かりました。しばらく、200両をとりくずすことにいたします」
「お分かりいただいて、拙も安堵いたしました。ご新造どのにもよしなにお伝えくだされ。では安心して、うなぎを賞味させていだく」

「ところで、長谷川さま。井関さんは、乳母のお(もと 36歳)といい仲とか---」
「それが、〔万屋〕の商いの差しさわりにでも---?」

【参照】2008年8月26日[若き日の井関録之助] () (

「いえ---」
「〔万屋〕さんがおどのに気がおあり---?」
「めっそうもありません。それほど、不自由はしておりません」

「そうそう。ご老職の田沼(意次 おきつく 54歳)さまに頼みたいことでも生じたら、いつにても取り次ぐ」
「いや、その節は、お世話になりました」
「お仲間に、いい顔になられたのでは---?」
「お蔭さまで---」
「大商人は、顔が大切ですぞ」
「恐れいりました」

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2009.07.17

井関録之助が困った

長谷川先輩。親父は、本気のようなのです」
井関録之助(ろくのすけ 23歳)が、言うと、
(ろく)さん。お父上の不始末より、〔万屋〕からのお手当てが減らされることのほうが先でしょう?」
脇から、お(もと 36歳)が口をはさんだ。

東本所・小梅村の大法寺の隣りの〔万屋〕の寮である。
高杉道場での稽古がすむと、父親のことで相談があると、録之助銕三郎(てつさぶろう 27歳)をいざなった。
茶問屋〔万屋〕源右衛門(げんえもん 51歳)が女中のみわ(19歳=当時)に産ませた鶴吉(つるきち 11歳)が乳母・おとひっそりと暮らしているこの寮に、用心棒という資格で住みつき、13も齢上のおとたちまちできて、5年になる。

参照】2008年8月24日[若き日の井関録之助] (

「わかった。〔万屋〕の手当てからから話そう」
〔万屋〕は、これまで、鶴吉の用心棒寮として月1両2分(24万円)をとどけてきていた。

ちょうすけ注】池波さんは、『鬼平犯科帳』の最終巻近くでは、1両を気前よく20万円に換算していたが、研究者分野では、当今16万円前後が妥当としている。
参照】2006年10月21日[1両の換算率

しかし、この晩春の行人坂の大火で、得意先の3分の1ほどが消失したので、商売もそれだけ目減りしたので、半額にしてほしい、と言ってきたというのである。

もちろん、寮の生活費も3分の2に縮めるようにと、おもいわれている。
商売の目減りを口実に、〔万屋〕の家つき女房・お(さい 47歳)の強談判であろう。

大火のあと、諸色の値段があがっているので、じつは増額を申し出ようとおもっていた矢先の始末であった---おも訴えた。
(訴える先が違う)
銕三郎(てつさぶろう 27歳)はおもったが、黙っていた。

「鬼はばあ、殺してやる」
鶴吉が叫んだとき、銕三郎はほおってはおけないと意を決した。
鶴吉は、そろそろ、母親がおに毒殺されたことをに気がまわりかねない年齢になってきてい。

「掛けあってみるが、さんの手当ての半減は、いたし方がないかも知れない」
長谷川先輩。〔木賊(とくさ)〕〕の2代目元締・今助からも、振り棒師範の中休みを言われたのです」
「〔銀波楼〕も全焼したし、浅草寺境内の床店の多くも焼けたし、ここしばらくは、棒降りでもあるまいからな」
(目黒・行人坂の大火の影響は、さんにまで及んできたか)
銕三郎は、火事の怖さをあらためて実感した。

「それで、さんの父上のほうは、なんだ」
「新吉原が全焼して、廓(なか)があちこちに分散していることは、長谷川先輩もご存じでしょう。この先の小梅瓦町にも、どぶぞいにあった〔壬生屋〕というのが仮屋を建てて客を呼んでいるのですが、そこの妓(こ)に、親父がはまってしまい、金の無心に来はじめたのですよ」
「お父上は、何歳におなりかな?」
「精力の枯れどきの48歳です」
「たそがれ刻(どき)の雨はやまないと言うからなあ」
「そんな---」

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2008.08.26

若き日の井関録之助(5)

長谷川先輩。やりましたねえ」
井関録之助(ろくのすけ 18歳)が、感嘆の声をあげた。

今戸の〔銀波楼〕を出て、今助(いますけ 20がらみ)に送られて今戸橋をわたり、浅草金竜山下瓦町の竹屋の渡し場から対岸の三囲(みめぐり)稲荷社の参道への舟着きへ。
水戸殿の下屋敷の前を通って、源森川に架かる枕橋ぎわの〔さなだや〕で、蚤(のみ)そばが茹であがるのを待っているときである。
さいわい、夕刻前で、ほかに客はいなかった。

ちゅうすけ注】〔さなだや〕は、『鬼平犯科帳』文庫巻2[(くちなわ)の眼]p7 新装版p7、同[妖盗葵小僧]p141 新装版p149 巻12[いろおとこ]p30 新装版p32 に登場。また、短篇[正月四日の客](『にっぽん怪盗伝』角川文庫に収録)にも。

先刻、〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 58歳)が寄こした紙包みを銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)がひらくと、元文1両小判が光っていたのである。

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(元文1両小判 ほぼ原寸 『日本貨幣カタログ 2006』より)

「2分(2分の1両)が、たちまち、倍の1両になって返ってきたのだから、すごいや」
「ばか。いじましいことを言うでない」

ちゅうすけ注】1両は4分。1分は4朱。1朱は250文=ただし、鬼平のころには375文前後。

ちようど、そばがきたので、しばらくは、たぐることに専念した。
「うまかった」
これは、蕎麦湯をすすりながらの銕三郎が歎声。

箸を置いた録之助が、
「先輩。ここは、わたしが払わせていただきます」
「16文で、大きくでたな。その腹に巻いた銭箱から払うのだったら、ついでにこの小判をくずして、借りた2分をとってくれないか。利息はつけないぞ。彦十(ひこじゅう 32歳)どのに使い賃をわたしたり、忠助(ちゅうすけ 45歳前後)どののところも払いもたまっているのでな」
「〔盗人酒場〕の呑み代は、おまさ(11歳)さんの手習い師範料で棒引きではなかったんですか?」

参照】おまさの手習い師範料 2008年5月3日[おまさ・少女時代] (3)

「師範料といえば、〔木賊〕の若い衆への師範料も、半分貰うぞ、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)どのところの支払いもとどこおっておるのでな」
「先輩。あれは、半分と言わないで、全部、おとりください。わたしには、用心棒料があります」

銕三郎は、背をただして録之助に、
「そうではないぞ、。〔木賊〕の林造どのとの話はついたが、われわれが振り棒で殴った者たちの怨みはそう簡単に消えるものではない。の代稽古料のほとんどは、あの者たちとの飲み食いに消えるとおもっておいたほうがいい」
「励みます」

「それからな、言いにくいことだが---お(もと 31歳)どのとの、なにのこと、鶴吉坊に気づかれてはおるまいな」
「ないとおもいます」
「まさか、裸で睦みあっているのではなかろう?」

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(北斎『ついの雛形』部分 イメージ)

「------」
「やっぱり---そんな姿態でやっていては、たちまち、気づかれる。6,7歳の子といえども、町方の子はそういうことには鋭いものだ。幼いころに大人の色事を見てしまった子は、ぐれやすい。くれぐれも隠して行うんだな」
「気をつけます」

「別々の部屋に寝ているんだろうな?」
「お鶴吉坊がひとつ部屋に、わたしはその隣の部屋に---」
「部屋は2つしかないのか?」
「いえ、全部で4つ---」
「それでは、3人とも別々の部屋にすることだ。そして、睦むのは、鶴吉坊からいちばん離れた部屋にしろ」

録之助の父親が、吉原の河岸女郎と心中して30俵2人扶持の小禄の家をつぶしたのは、このときから6年後のことである。

ちゅうすけ注】池波さんは、『江戸切絵図』は主として、最初に手に入れた〔近江屋板〕を愛用していた。で、くだんの〔さなだや〕を〔近江屋板〕で確認したら、なんと、源森川(北十間堀ともいう)の河口には、中堤をはさんで、源森橋と枕橋がかけられている。
〔尾張屋板〕は源森橋・枕橋ともいう---として1橋だけ。現在は枕橋の1橋。
このあたりは、時間をかけてさらに文献をあたってみたい。

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(赤○=〔さなだや〕)

[若き日の井関禄之助] (1) (2) (3) (4)

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2008.08.25

若き日の井関録之助(4)

長谷川先輩。今夜、お付きあいください」
「なんだい? が奢ってくれるのかい?」
銕三郎(てつさぶろう 22歳)が大仰に驚いてみせたので、齢下の井関録之助(ろくのすけ 18歳)が照れた。
高杉道場の井戸端である。

30俵2人扶持のご家人の脇腹に生まれた録之助の懐は、いつもピーピーであった。
剣術の筋のよさを認めた高杉銀平先生も、録之助の家庭の事情を汲んで、束脩(そくしゅう 月謝)は大目に見てくれている。

_100「〔万屋〕が、小梅村の寮へ生活費をとどけてきたついでに、わたしの用心棒料を2ヶ月分、前払いしてくれたのです」
「1ヶ月1両2分の約定だったから、3両!」
「生まれて初めて、3両という大金を手にしました。もっとも、小判は1枚だけで、あとは元文1分金6枚と明和5匁銀がごっそりでしたが---」
「ばか。〔万屋〕が気をきかせたのだ。が大きい金で支払ったら、相手方が出所を疑うよ」
「あ。なるほど---。これも、長谷川先輩が交渉してくださった賜物です。奢らせてください」
(右の写真:1分金 『日本貨幣カタログ 2006』より ほぼ原寸)

参照】用心棒のことは、2008年8月15日[井関録之助] (3)

「奢りは、この次でいい。まず、高杉先生への束脩をお納めしろ。それから、1分金を2枚、貸してくれ」
「先生には、これまでの分として、2分(2分の1両)包むつもりです。長谷川先輩の2分は、はい、いま---」
録之助が汚れた袴の紐をほどき、帯を解いて腹に巻いたさらしの中から1分金を2枚とりだして銕三郎へわたし、また、着なおす。

「なんだか、暖まっちまっているぜ、この1分金---」
「あったかだろうと、冷たかろうと、1分金は1分金として通用しますから---」
「あたりまえだ。明後日、稽古がおわったら、顔を貸してくれ」

今戸の香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)のところへの使いは、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 32歳)に頼んだ。
林造は、今戸橋北詰で、女房のお(ちょう 50歳)に、料亭〔銀波楼〕という店をやらせている。
ならびの名亭〔金波楼〕とともに、けっこう繁盛しているのは、おの人なつっこい人柄による。

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(〔嶋や〕のモデル〔金波楼〕 『江戸買物独案内』)

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻4[五年目の客]p47 新装版p49 「気のきいた板前がいて、ちょいとうまいものを食べさせてくれるので」平蔵がひいきにしている〔嶋や〕のモデルが〔金波楼〕である。
〔嶋や〕は、巻4[血闘]p141 新装版p150 、巻6〔大川の隠居]p210 新装版p221 にも登場。
巻22[迷路]p46 新装版p43 では店主・亀次郎、女将・おと明かされる。
〔金波楼〕のたたずまいは、ブログ[大人の塗り絵 わたし彩の江戸名所図会]の小林清親画[浅草・神田あたり]でうかがえる。

世間で怖れられている仁とはとてもおもえないほど、温和で痩身の林造に、銕三郎は意外なおももちがした。
長谷川銕三郎と申す若輩です。お初にお目にかかります」
「〔銀波楼〕の亭主・林造です。わざのお越し、ご苦労さま」
「こちらは、道場で同門の、井関録之助うじです。日本橋・室町〔万屋〕方の頼みで、小梅の寮の用心棒となられました」
「ほう。それはそれは---で、ご用の筋は?」

銕三郎は、懐から紙包みをだし、林造の前へ押しやり、
「先日、小梅村で、小さな子どもと戯れていた、こちらのお若い衆たちを、いたずらをしていると見誤り、ちょっとした出入りをしてしまいました。普段、道場で使っている振り棒がお若い衆にあたったようにもおもわれます。つきましては、お詫びかたがた、お見舞いといいますか、医者代を持参いたしました。いまだ、部屋住みの身であり、金策に手間どり、今日になってしまいました。ご寛恕のうえ、お納めいただれば、かたじけのう---」
2人して、頭をさげる。

そのさまをじっと見ていた林造は、
「医者代と申されましたか? なんの、なんの。うちの若い者どもは怪我などしておりません。これはお引きとりくだされ」
紙包みを押し返してきた。
柔和な表情だが、目は冷たく光っている。

「それでは、お頭(かしら)からお許しをいただけたと、安堵してよろしゅうございますか?」
「もちろん」
「では、改めて、お若い衆たちの酒代というには少額ですが、お納めくださいますよう---」
「そういう名目なら---」
ぽんぽんと手を打つと、先日の今助(20がらみ)が脛(すね)と右手首にさらしを巻いてあらわれた。さらしの下は湿布薬らしい。

林造今助の耳になにごとかささやき、ふたたびあらわれた今助は、手に紙包みをもっていた。
長谷川さんとやら。これは、うちの若い者とお近づきになったしるしに、一杯おやりいただく酒代です。ただ、うちの若い者たちは、いま、手いっぱいの仕事をかかえており、ごいっしょできないのが無念です」
「ありがたく、頂戴いたします」
銕三郎は、ごく自然な手つきで紙包みを懐へしまった。

「ところで、長谷川さんとやら。お使いになった振り棒というのは、どういう武器ですかな?」

「武器ではありませぬ。剣術のための素振りの棒です。早く申せば、樫(かし)の太めの棒に鉄条を添えて重くしたものです。これを毎朝、300回、500回と振ることによって、腕の筋が鍛えられます」

「なるほど。その振り棒のあつかい方を、うちの若い者たちに、師範していただくわけにはまいりませんかな」
「こちらの、井関どのなら、それだけの余裕もあるかと---」

「では、井関さんを、長谷川さんの代稽古ということで来ていだきましょう。振り棒は、井関先生のほうで5本ほどあつらえてください。代金は、お持ちくださったときに---。師範料は、長谷川大先生ともで、月2両ということでよろしいかな?」

[若き日の井関禄之助] (1) (2) (3) (5)

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2008.08.24

若き日の井関録之助(3)

「〔万(よろず)屋〕どの。いかがでしょう、そういうわけだから、この井関うじを、鶴吉坊の用心棒ということで、寮につめさせては?」
銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)が、横の井関録之助(ろくのすけ 18歳)を目でしめして言った。
相手は、日本橋室町の茶問屋〔万屋〕の主人・源右衛門(げんえもん 46歳)と、内儀・お(さい 41歳)である。

源右衛門夫婦が、誘拐(かどわか)されかかった鶴吉を救ってもらったお礼にことよせて、2人を店に近い浮世小路の蒲焼屋・〔大坂屋〕へ招いたのである。

〔大坂屋〕の亭主・金蔵は、うなぎを腹開きにして串を打ち、タレをつけて焼きあげる上方風の蒲焼調理法を江戸へ持ちこんで、好き者たちのあいだで人気を高めている。
それまで、武家の多い江戸では、切腹を連想する腹開きを嫌っていた。

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(左の〔春木屋〕に、「丑の日元祖」とある。この丑の日は、年に4回ある11月の土用のことと。ただ、『万葉集』に大伴家持(やかもち)の歌で「石麻呂(いしまろ)に吾(われ)物申す夏痩せに吉(よ)しというものぞ武奈伎(むなぎ)とり食(め)せ」という歌があるので、夏痩せ回復説も捨てがたい)

内儀・おが同席したのは、浅草・今戸一帯を地盤にしている香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 58歳)に鶴吉の誘拐しを依頼したことがバレ、林造から、銕三郎が火盗改メに報らせるせる前に、口止めしておいたほうがいい---とすすめられたからである。

「用心棒のお手当ては、いかほどで---?」
「そうさな。食い扶持はそちら持ちということで、月1両2分、年18両、3年ぎめ---ということでは、いかがかな、内儀どの?」
「よろしゅうございましょう」
は、誘拐しの罪で入牢か遠島になるよりは---と、承諾した。
1両2分は、いまの貨幣価値に換算すると、22万円ほどになる。税や社会補償費を引かれない、まるまる手に入る金高である。
録之助は、夢かとばかりに、頬がゆるみっぱなしになった。
30俵2人扶持の下層ご家人の、しかも脇腹に生まれた録之助にとっては、宝の山へ入ったほどの待遇・手当てであった。

井関うじの用心棒の件と、誘拐しの罪は別です」
その言葉にうなずいた源右衛門が、用意しておいた金包みを、銕三郎の膝もとへすべらせた。
「〔万屋〕どの。とり違えていただいては迷惑千万」
金包みを押し返し、
「これからも、もし、鶴吉に危害を加えるようなことが企まれたら、ただちに火盗改メへ報らせるということです。さように、お心得おきいただきたい。いや、本日は、ご馳走にあいなりました。蒲焼は上方風もなかなかの風味ですな」
ついと、立ち上がった。

けっきょく、おには、執行猶予がつけられただけだったのである。
心労はかかえたままである。
これの心労が、おの寿命をちぢめたのかもしれない。

帰り道、井関録之助が、銕三郎に深ぶかと礼を言った。
長谷川先輩。なんとも、はや、かたじけのうござりました。命が救われたおもいです」
「武士たるものが、大げさに言うでない。それだけのことをしてのけたのだから、とうぜんの報酬だ」
「それだけのことをなさったのは、長谷川先輩のほうです。それなのに、金包みを、なぜ、押し返されたのですか?」
銕三郎は、にやりとへ、
「あれを受けとると、あとの仕事がやりにくくなる」
「あとの仕事といいますと---?」
「〔木賊〕の林造とのかけひきだよ」
「はあ---?」
「いまに、わかるさ。それより、よ。おどのを可愛がってやるんだよ。自分だけ愉しんでないで---」
「------?」

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(歌麿『小松引』部分 イメージ)

の師範をうけてから、急にいっぱしの性戯を体得したような気分になり、先輩面(ずら)してみたい銕三郎であった。
若い男は、性のことについては、師範しだいということらしい。
にいわせると、
「単純なところが、可愛いのです」

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(清長 柱絵 『梅色香』部分 イメージ)

[若き日の井関禄之助] (1) (2) (4) (5)


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2008.08.22

若き日の井関録之助

長谷川先輩。お願いがあります」
防具をつけた井関録之助(ろくのすけ 18歳)が、竹刀(しない)の柄革(つかがわ)をたしかめていた銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)へ、頭を下げた。

録之助は、高杉道場では、銕三郎の1年後輩である。
家は、30俵2人扶持の貧乏ご家人の、しかも、妾腹の子なので、長男ではあるが、嫡子とはいえない。
それだけに、剣で身をたてる決意をしていて、入門して2年たらずなのに、腕はめきめきとあがっていた。
背丈も、4歳上の銕三郎とどっこいどっこいのところまで伸びている。

「なにかな?」
「立会いを、最初の一番だけ、勝たせてください」
「つまり、負けてくれと---」
「ぜひに---」

銕三郎は、道場のあちこちに目を走らせた。
他の門弟たちは、いつもどおりに稽古にはげんでいる。

横川に面した通りの格子窓に、6歳ぐらいの男の子がかじりついて覗いていた。
そのうしろに30歳を出たばかりの地味な顔立ちのおんながいた。

(ははーん。左馬(さま 22歳)さんがいっていた、めのいいおんなというのは、あのおんななのだな)


道場では、先輩、後輩の序列がきびしいから、銕三郎も、あえて敬称をつけない。
1年でも、1ヶ月でも、入門が早ければ 、先輩なのである。
もっとも、年齢が大きく差があるときは、敬称をつける。

「わざと負けるわけにはいかぬ。そんな稽古をしたら、高杉先生(55歳)にお目玉をくらう。しかし、おれが勝たないことはできる。そのつもりでかかってくることだ」

このところ、銕三郎は、5の日の夜を、家の所要で、雑司ヶ谷の〔橘屋〕を行くのを一夜欠いたので、気分がいらついている。

蹲踞(そんきょ)の姿勢から、2人は稽古試合に入った。
数組が竹刀をおさめて板壁にそって正座し、2人の戦いぶりを見学しはじめた。
銕三郎の剣技は、門人たちのあいだでも、それだけ暗黙のうちに認められている。

面の鉄桟の奥の録之助の目は、怒りに燃えて光っていた。
め、必死だな。それほど、格好のいいところを、大年増に見せたいのか)

銕三郎は、自分と大年増のお(なか 33歳)との情事のことは、念頭から消している。
ふと、そのことに気づいて苦笑した瞬間、録之助の竹刀が小手に飛んできた。
受け損なった。

「それまで!」
判定したのは、岸井左馬之助であった。
いつのまにか、審判役を買ってでていたらしい。

(ま、ここは、録めに華をもたせておいてやろう)

試合をつづける気の失せた銕三郎は、竹刀を引き、礼を返し、面をとった。
録之助の満面に喜びが浮かんでいる。

格子窓の少年も、手を打って、録之助をたたえていた。
その後ろで、大年増が録之助にうっとりした視線を向けている。

井戸端で汗を拭いていると、少年と手をつないだ大年増が業平橋のほうへ行くのが見えた。楽しげに話しあっているようであった。

っつぁん。好きそうな顔で、なにを眺めている?」
左馬之助が並んでいた。
「いつからだ、めが、あの母子と知りあったのは?」
「母子ではない。乳母のお(もと)さんと、育てている鶴吉だ」

法恩寺前の蕎麦屋〔ひしや〕で、銕三郎左馬之助が、蕎麦をたぐりながらの会話である。

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻1[本所・桜屋敷]で、15年ぶりに再会した平蔵宣以(のぶため)と左馬之助が、湯豆腐で熱い酒を飲み交わして懐古談とおふさの近況を話しあった、あの〔ひしや〕p60 新装版p64 である。

左馬が、録之助とお鶴吉の出会いの経緯(ゆくたて)を話してくれた。

井関の家は、本所・北割下水と向いあっている。
高杉道場へは、横川の北端に架かる業平橋をわたり、土手を川沿いに南に2丁(200m)ほど歩く。

鶴吉を育てているのは、業平橋東詰の斜(はす)向いの大法寺(現・江戸川区平井1丁目へ移転)裏・小梅村に建っている、〔万屋〕所有の小じんまりとした寮(別荘)である。

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(北本所出村町の高杉道場と小梅村の〔万屋〕の寮 近江屋板)

鶴吉は、日本橋・室町の大きな茶問屋〔万屋〕源右衛門(40歳=当時)が、女中・おみつ(19歳=当時)に産ませた子である。

いうまでもなく、源右衛門は、〔万屋〕の家つきむすめ・お(さい 35歳=当時)の、奉公人あがりの婿養子である。
は、15年ものあいだ子ができなかったくせに、源右衛門とおみつを許さなかった。

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(緑○=池波さんが茶問屋〔万屋〕源右衛門のモデルにした広告
『江戸買物独案内』文政7年 1824刊)

みつと乳飲み子の鶴吉は、小梅村の寮に逼塞、月に1度ほど、内儀・おの目を盗んで通ってくる源右衛門を待って暮らしていた。

そんな生活は、1年ともたなかった。
みつが血を吐いて不審死をしたのである。
が毒殺したとの蔭の声もあったが、噂は金の力でもみ消された。

それからは、乳母のお鶴吉をひっそりと育てることになった。

は、本所・中ノ郷瓦町の瓦焼き職人の、目立たない無口なむすめで、父と同じ職場の職人へ嫁(と)ついだ。

町名をみてもわかるとおり、火を使う瓦小屋は、町家から離れた、大川の上手(かみて)の橋場や向島の川辺や、大川へそそぐ源森川ぞいに多い。

20年ほど前、将軍・吉宗の意をうけた町奉行・大岡越前守忠相(ただすけ 1万石)の触れで、延焼を少なくする瓦屋根が奨励され、瓦の需要がふくらんでいた。

もっとも、瓦屋根は重いので、柱を藁屋根や桧皮(ひはだ)葺きの倍の太柱を使わないともたないから、建築費がかさむといって、しぶる家も多かった。

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(北本所の瓦師 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

世帯をもって3年とたたないうちに、亭主が瓦焼き小屋の火事の消火中に、くずれ落ちた屋根の下敷きになって負った大火傷がもとで死に、その衝撃で流産した。
伝手(つで)があって、鶴吉の乳母として雇われた。

生活費は、〔万屋〕からとどいていた。

ちゅうすけ注】このあたりのことは、『鬼平犯科帳』巻11[雨隠れの鶴吉]にくわしい。

いたずらざかりで怖いものしらずの年ごろの6歳の鶴吉が、野良犬にちょっかいをだし、はげしく吠えられた。
どうすることもできないおが、鶴吉を背にかばって、おろおろしているところへ、高杉道場から帰りの録之助が通りかかり、棒で野良犬の眉間を打って追い払ったことから、つきあいが始まった。

録之助の家は、30俵2人扶持の最下級に近いご家人で、しかも脇腹の子ときているので、家にも居場所がない。
とうぜん、居心地のいい、おのところに入りびたりになる。

おみつの怪死後、足の遠のいた源右衛門に代わってあらわれた強いお兄(にい)ちゃんの録之助---ということで、鶴吉もなつききっている。

しかし、録之助は、考えることの半分はおんなとの性のことという18歳。
も、30をすぎたばかりのおんなざかりである。
ましてや、夏の夜は暑くて寝苦しい。

男とおんながそうなるのに、13という年齢差など、ひとっ飛びで越えてしまう。
鶴吉の寝息を気にしながら、どちらからともなく、触れあい求めた。

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(栄泉『春情指人形』 口絵部分 イメージ)

「いつからだ?」
「1ヶ月ほど前から」
蕎麦をたぐり終わり、蕎麦湯をすすりながら、左馬之助が教えた。
銕三郎が、なにか思案しはじめた。

[若き日の井関禄之助] (2) (3) (4) (5)

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