カテゴリー「081岸井左馬之助」の記事

2008.04.10

岸井左馬之助とふさ

「どうした? 左馬さん。食う気がおきないのか?」
手の草餅を、悲しそうな目でじっと眺めている岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)に、食べ終わった銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が不審げに訊いた。

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いつもなら、こういう時、真っ先にかぶりつく左馬之助なのである。
草餅は、ついいましがた、道場の隣家で出村町一帯の名主・田坂家の孫むすめ・ふさ(17歳)が、横川べりで話しこんでいる2人のために、わざわざ、持ってきてくれたものである。
ふさは、草餅を手わたすと、余計な口にはきかないで、さっさと屋敷へもどっていった。

左馬がかすかに首をふる。食い気がないわけでないらしい。
ふさどのの左馬さんに対する好意だ。おれまでご相伴(しようばん)にあずかった」
「ちがう」
「え?」
ふさどのは、花びらを載っけたほうをっあんにわたした」
「花びら?」
「草餅に載せてあった」
「気がつかなかったぞ。胃の腑に入ってしまったものは、たしかめようがないが、ほんとうに花びらがついていたのか?」
「ついていたのではない。載せてあったのだ。それを、ふさどのはっあんに手わたした。ふさどのはっあんが好きなのだ」
「じょ、冗談は、よしてくれ。ふさどのが好意をもっているのは、左馬さんのほうだ」

そういえば、先日、銕三郎が道場の井戸端で、稽古の汗をぬぐっていると、走るようにやってきた左馬が、
ふさどのが髪を洗っている」
一大事でも告げるように言った。
「天女(てんにょ)じゃあるましい、生身のおんなだ、髪ぐらい洗うさ」
「も、双肌(もろはだ)脱いでだぞ」

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(春信『髪すき』部分)

「着物を着たままで髪を洗うおんながどこにいる。ふさどのだって、芋を食えば屁(へ)だってぶっぱなすさ」
そう言ったばっかりに、左馬は口をきいてくれなくなった。
もっとも、4日目には、立会い稽古を催促されたが---。

S_2だいたい、左馬は、17歳の時に下総(しもうさ)・印旛郡(いんばこおり)臼井宿から、同郷の高杉銀平師をたよって上府してき、押上(おしあげ)村・春慶寺の庫裡の離れで独り暮らしをしている。
国許では男兄弟3人で、姉妹はいないまま育ったから、姉妹がはばかりで音を立てていばりをするところなぞにでくわしていない。
いちばん手近な年ごろのむすめというと、田坂家のふさになる。
始末が悪いのは、想像ばかりしているから、ふさを天女ででもあるかのようにあこがれてしまう。
まあ、未体験の若い男性にはありがちなことだが。

「とにかく、花びらのことは、おれは気にもとめていない。ふさどのにしてもそうだとおもう。ここへ運んでくるあいだに、風にのってくっついてしまったに違いない」
「うん」
無理やりに合点したらしく、左馬は草餅を口にした。

「ところで、母上が箱根から帰ってみえた。左馬さんに食事においでとのことだ」
「かたじけない。明日にでも伺う。さいわい、故郷(くにもと)から水蓮の根がとどいている。それを持って行こう」
「わが家に持ってきてくれるのはありがたいが、ふさどのの屋敷へもおすそわけするんだな」
「うん」

っあん。おぬし、ほんとうに、ふさどのに惹(ひ)かれてはいないのだな?」
左馬さん。考えてもみよ。わが家は、400石とはいえ、かりそめにも直参だぞ。しかも、父上は、先手・弓の組頭(役高1500石)を勤めておる。その世嗣(よつぎ)たるおれが、草分(くさわけ)名主とはいえ、幕臣でもない家のむすめを嫁にできるはずがなかろう?」
「理屈はそうだが---」
「武士に二言(にごん)はないッ!」
「このごろの武士は、値打ちが落ちておるからなあ」
「はっ、ははは」
「はっ、ははは」

参照】2008年3月24日~[盟友・岸井左馬之助] () (
2006年9月20日[岸井左馬之助の年譜
2006年9月21日[左馬之助、鬼平と再会す]
2007年4月1日[『堀部安兵衛』と岸井左馬之助
HP(井戸掘り人のリポート) [岸井左馬之助と春慶寺]


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2008.03.25

盟友・岸井左馬之助(その2)

(てつ)っあん。きょうは、稽古をさぼったな」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)が、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)を紹介し終わると、すぐに岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)がなじった。

「うん。旅立ちの母上を永代橋西詰まで見送ったあと、権七どのと、いま話した火盗改メの密偵のことで、番町まで行っていたのでな」
「お母上が旅立ちとは---上総(かずさ 千葉県)へのお里帰りなら、永代橋は方角ちがいだな。して、いず゛こへの旅だ?」
「方角ちがいだということが、左馬さんにしては、よく気がついたな」
「それぐらいのこととは、おれにだって推察がつくさ。で、いずこへ? いや、何日間の旅だ?」
「ははは。権七どの。お聞きのとおりです、左馬が気にしているのは、母上が留守だと、訪ねてきても、ご馳走にありつけないからなのですよ。左馬ときたら、家庭料理に飢えているのです」

「あたりまえだ。この寺で出してくれるのは精進料理ばかりだ。育ちざかりの若い者には、ちと、ものたりぬ。どうだ、精をつけるために、これから、ニッ目之橋詰の〔五鉄〕へ行って、しゃも鍋でも囲まないか?」
「いいな。あそこなら、付けがきく。権七どの。しゃも鍋をやったことがありますか?」
「いえ。鳥鍋なら---」
「たいして変わらないが、まあ、しゃものほうが肉がしまっていて、脂がのっておりますかな。ま、ものは試しです。職就(しょくつ)きの祝いといきましょう」

〔五鉄〕の暖簾をくぐると、出汁(だし)の煮える匂いが鼻をつく。
銕三郎は、亭主・伝兵衛(40歳)へ目で合図をして、入れ込みにあがった。

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(〔五鉄〕1階の見取り図 絵師:建築家・知久秀章)

まるで待っていたように、息子・三次郎(15歳)が、燗酒の入ったちろりとつき出しを左馬之助権七のあいだに、銕三郎の前にはお茶を置いた。
(さぶ)どの。覚えてくれたね。こちらは、〔風速〕の権七どのだ」
「箱根の雲助の権七といいます。こんごとも、よろしゅうに」
三次郎が尊敬のまなざしで権七をみつめる。
「雲助だなんて卑下なさっているが、あのあたりではお頭(かしら)で通っていたお方です」
長谷川さま。売りこみが過ぎまさぁ」

つき出しのしゃもの肝の醤油炒めを口にした権七が、歎声をあげた。
「こいつぁ、たまらなくうめえや。酒がすすみそうだ」
三次郎がうれしそうに、も一つ、酌をして引き下がる。
そのきわに、銕三郎がささやいた。
どの。あとで手がすいたら、話があります」

左馬之助権七へ解説したところによると、両国橋東詰には鶏市場があるため、元町から回向院の門前町へかけて、鳥鍋屋やしゃも鍋屋が多いのだと。中でも〔五鉄〕は、亭主の伝兵衛が出汁にする味噌の配合に工夫を凝らしているので、このあたりではもっとも美味と。
「ところで、権七どの。さきほどお聞きした、関所抜けの3人組のことですが、どういう経緯(ゆくたて)で、話しが持ちこまれたのですか?」
銕三郎が、声をひそめて訊く。
「へえ。仙次の奴が---」
仙次というのは、薬舗〔ういろう〕の猫道を調べてくださった若い衆ですね?」

ちゅうすけ注】仙次のことは、2008年1月30日[与誌を迎えに] (38) 

「あいつでやす。賭場でってのに声をかけられたんだそうで---。それで、話しをつないできて---」
仙次どのが箱根山路の荷運び人だということは、賭場ではみんな知っていたんですね」
「へえ」

興味津々とぃった感じで耳をそば立てていた左馬が、口をはさむ。
「賭場は、小田原城下かな?」
「おや。左馬さんは、小田原の城下町がわかるの?」
「10日ばかり滞在したことがあってな」

ゆっくりした口調で枝道にそれがちの左馬之助の話を手っとり早くまとめると、彼が高杉道場に入門した2年目---すなわち一昨年の宝暦13年(1963)夏、小田原から修行に来ていた稽古仲間の鳥飼喜十郎の父親が危篤ということで、道場を引きつぐために帰郷するにあたり、高杉先生の見舞金をことずかって、いっしょに旅をし、葬儀までつきあったのだという。

ちゅうすけ注】剣友・鳥飼喜十郎のことは、28年後の物語---『鬼平犯科帳』文庫巻7[雨乞い右衛門]に書かれている。
鳥飼道場は唐人町の近くの宝安寺の脇にあった。

「唐人町という町名が珍しかったので覚えておる」
権七が受けて、
「賭場は、宝安寺から1丁ほど東にあたる観音堂の庫裡だったそうです」
「その観音堂は、知らんな」
左馬さんは知らなくてもいい。それで、権七どのがその3人組を、裏道から関所抜けさせたことが、なぜ、小田原藩に洩れたのですか? まさか、仙次どのが?」
「いえ。投げ文があったそうで---」
「投げ文?」

そのとき、店の小女が火桶としゃも鍋をしつらえにきたので、話しは中断された。

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(「五鉄」のしゃも鍋の材料)

たがいに酌をしあう。
お茶を先に干した銕三郎も、ぐい呑みに受けた。2年前、芦ノ湯の湯治宿〔めうが屋〕の離れでは、唇をしめらす程度だったのにくらべると、これでも手があがったほうである。

「関所抜けの前の数日のあいだに、城下で盗人に入られたという店はありませんでしたか?」
「聞いてはおりやせん---」
「おかしいな」
「なにがです?」
「まさか---?」
「まさか---?」
「2年前の、薬舗〔ういろう〕で盗んだ金を運びだしたとも---」
「いえ。あの連中の荷は、あっしが担ぎましたが、何百両もの金が入っている重さではありやせんでした」
「駿府ご城代からの首尾を待つしかありませんが、どうも、身重の女というのが気になります」
左馬之助が察した。
「そうか。ややと見せかけて、小判で腹をふくらませたか!」
左馬。声が大きすぎる!」

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2008.03.24

盟友・岸井左馬之助

「お引き合わせいたしておきたい人がいます」
火盗改メの役宅にもなっている長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石)の一番町新道の屋敷を出ると、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が言った。
火盗改メの密偵として認可されたばかりの〔風速(かざはや)〕の権七(こんしち 33歳)は、急に格式ばった口調で、
「よろしゅうございますとも」

「権七どのに、その口調は似合いませぬ。これからは、無法者が相手です。これまでどおりの伝法口調でやってください」
「それを聞いて、おおきに安心でさあ。で、そのお人というのは?」
「ちょっと、歩きます。押上(おしあげ)村の春慶寺に止宿しているのです」
「押上のほうには、足をのばしたことはありぁしませんが、深川からどれほどです?」
「両国橋東詰から25丁といったところでしょうか。柳橋から舟をつかいましょう」
「冗談でしょう。あっしは、箱根の雲助でさあ。5里(20km)や6里(24km)は歩いたうちにはいりませんぜ。しかも江戸の東側は、ほとんど埋立地らしくって、平べったい」

銕三郎は、鉄砲洲湊町から南本所ニ之橋通りの今の屋敷へ越してから、学問のほうは五間堀ぞい・北森下町の学而塾、剣は南本所・出村町の高杉銀平道場(現・墨田区太平2丁目)へ転じた。

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(池波さんが愛用していた近江屋板・本所、猿江、亀戸村辺絵図。
赤○南出村町=高杉道場、緑○春慶寺、青〇法性寺妙見堂)

高杉道場にしたのは、父・宣雄(のぶお 47歳 先手・弓の8番手組頭)のすすめによる。
前の住まいの時には、南八丁堀の一刀流・横田多次郎道場だったので、同じ一刀流ということで、宣雄が面識のある小姓組番士・小野次郎右衛門忠喜(ただよし 31歳 800石)に訊いて、高杉銀平(ぎんぺい 52歳)の名が出た。
「無名に近い剣士ですが、それがしと試合ったとして、3本に2本は高杉うじにとられましょう。それよりなにより、人品が高潔なのがよろしいかと」
小野次郎右衛門忠喜は、それから11年後に、銕三郎(その時は家督していて平蔵宣以 のぶため)が先手・弓の2番手の組頭に栄進すると、鉄砲(つつ)の17番手の組頭に先任していたという因縁もある。
小野派一刀流の家元であることはいうまでもない。

もっとも、小野次郎右衛門が「3本の2本は高杉うじにとられる」と言っていたと銕三郎が伝えると、高杉師は苦笑して、
「小野どのは、私に花をお持たせになっても、将軍家の前での剣技ご披露の晴れの行事が沙汰止みになるわけでもなし---」と取り合わなかった。

そういう経緯(ゆくたて)で、銕三郎が入門してみると、同年齢の左馬之助がいた。
左馬之助は、下総国印旛郡(いんばこおり)臼井村の郷士の息子で、高杉師が同郷の出生なので、17歳の時から春慶寺に止宿しながら、道場に通っていた。
岸井家は郷士であるとともに、臼井宿の庄屋でもあり、印旛沼から諸川に通じた積荷船問屋も兼ね、格式も高かった。
左馬が、金銭的に不自由なく日蓮宗の春慶寺(墨田区業平2の14)に寄宿し、剣の道に専念できたのは、裕福な実家からの送金が十分だったからである。

ちゅうすけ注】岸井左馬之助につていは (1) (2)

背丈は左馬のほうが3寸(9cm)ほど高かったが、剣の腕がどっこいどっこいにできたのと、同年ということもあって、「」「左馬」と呼び合うほど気があい、たちまち、盟友となった。
盟友というのは、遊び仲間という意味である。

とりわけ、道場の隣の桜屋敷・田坂家の孫むすめのふさ(18歳=当時)のことで、銕三郎はいつも左馬をひやかしていた。

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(『江戸名所図会』 押上・法恩寺 高杉道場の出村町=左端)
上の切絵図の青〇 塗り絵師=ちゅうすけ)

_220『鬼平犯科帳』文庫巻1[本所桜屋敷]に書かれているように、なにかの用で「まるでむきたての茹玉子のようや---」ふさが道場を訪れててくると、左馬は緊張してこちこちになってしまうのである。

その点、銕三郎のほうは、14歳の時に、三島宿(みしましゅく)で若後家の芙沙(ふさ 25歳=当時 歌麿の絵は芙沙の入浴図)によって、はやばやと、初体験をすませた。
さらに2年前には、まだ人妻だった阿記(あき 21歳=当時)とまるで蜜月の旅のような旬日をすごした。
だから、女を見る目もすこしは肥えて、ものほしげなところは卒業し、ふさの若い躰にも、まだ目をさましていない女性(にょしょう)が潜んでいることを察していた。

ちゅうすけ注】桜屋敷の孫むすめのふさと、三島宿の本陣・〔樋口伝左衛門の隠し子の名が芙沙というのとは、まったくの偶然である。
いま、こうして並べて書いて、同じ名前の女はいくらもいるとはいい条、筆者・ちゅうすけ自身が呆然としている。
正直言って、いまのいままで気づかなかった。
そういえば、臼井は佐倉(さくら)藩領。道場の隣が〔桜(さくら)屋敷〕---これも偶然にしてはできすぎているような。
いや、こちらは単なる偶然であろう。
しかし、岸井左馬之助高杉銀平師がともに臼井の出というばかりか、おまさの父親・〔(たずがね)〕の忠助までもが佐倉在の生まれというからには、池波さんと佐倉には、何か、因縁がありそうだ。

春慶寺は、本所の切絵図には寺号が記されているいるが、『江戸名所図会』には説明がない。
親寺は、『名所図会』に挿絵まで描かれた柳島の星降(ほしくだりの)松で知られる法性寺(妙見堂)。

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(柳島・法性寺妙見堂 左手が星降(ほしくだり)松
『江戸名所図会』 塗り絵師=ちゅうすけ)

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻1[唖の十蔵]で〔小川や梅吉と〔小房〕の粂八の捕り物が行わるのは、上の近江屋板切絵図の青〇法性寺(妙見堂)門前。
小房(こぶさ)〕の粂八

その支配を受け、身の丈6寸(18cm)ほどの普賢(ふけん)菩薩像が江戸期から有名であった。境内も数1000坪前後あったらしい。

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(春慶寺の秘仏=普賢菩薩像)

以上のようなくさぐさを、道中、銕三郎は、権七に語って聞かせた。
「2人は盟友ですから、拙がいない時の刀技(かたなわざ)は、左馬に頼めばよろしいのです」

銕三郎は、権七をうながして、どんどん山門をくぐり、裏の庫裡(こり)の離れへ声をかける。
左馬。いるか!」


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2007.04.01

『堀部安兵衛』と岸井左馬之助

小谷正一さん---と書いても、知らない人のほうが多かろう。
ぼくにとっては、恩ばかり受け、恩返しもできなかった、あまりにも大きすぎた先達である。

井上靖さんに[闘牛]という佳品がある。たしか、芥川賞受賞作ではなかったかな。
井上靖さんがまだ毎日新聞社に在籍なさっていたときの同僚で、小説[闘牛]の主人公が小谷正一さん。企画の天才。
のちに、夕刊紙を発刊。まだ大丸の宣伝部員だったサトウサンペイさんを起用された目ききでもある。

100_31その夕刊紙に、1966年(昭和41)連載されたのが『堀部安兵衛』である。
そのご縁からか、角川文庫『堀部安兵衛』(1973.3.10)に巻末解説を寄せていらっしゃる。

二部上場の銘柄と見做(みな)されていたものが、みるみるうちに一部上場の花形株となり、今や高配当、堅調をはやされているものに、池波正太郎株がある。

『鬼平犯科帳』の連載と池波株の大ブレイクは、『堀部安兵衛』の2年後で、これをうけての小谷さんの評言は、じつにあざやか。

100_32池波さんのエッセイ集『小説の散歩みち』(朝日文庫 1987.4.20)に収録されている[堀部安兵衛]に、高田馬場の血闘のあとの安兵衛を解説した、こんな文章がある。

安兵衛は、江戸の東郊・柳島村へかくれて、事件後の成りゆきを見まもっていたというが、このときのシーンで、決闘の翌日、安兵衛が手鏡に自分の顔をうつし、酒で洗ったぬい針で、わが顔面へめりこんだ刃の破片をほじくり出すところを私は書いた。
これは---むかし、私が剣道をやっていたとき、師匠から聞いた〔はなし〕の中で、真剣の型を演じたときたがいに打ち合う刃と刃が、その刃の細片を飛び散らせ、これがひたいへのめりこんだことがある---というのをおぼえていて、小説につかったのだ。

池波さんが『鬼平犯科帳』で大ブレイクしたことは、先に書いた。
その第72話目---[11-2 土蜘蛛の金五郎]『オール讀物』 1973年12月号)で、長谷川平蔵に成りかわった岸井左馬之助と鬼平が、汐留川のほとりで、組太刀による偽りの決闘を演じて、盗賊の金五郎をだます。

その3,4日後、清水門外の役宅で岸井左馬之助は、問いかけた酒井祐助同心へ、

「なあに、平蔵さんと久しぶりに、高杉先生直伝の組太刀をつかって斬り合ったとき、双方の刃と刃が噛み合い、細かな破片(かけら)が飛び散って、額へめりこんだのをほじくり出しているのですよ」

『堀部安兵衛』より先に[土蜘蛛の金五郎]のほうを手にとった読み手は、この場面に驚かなかったろうか。

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2006.09.21

左馬、鬼平と再会す

きのうの[岸井左馬之助の年譜]によると、左馬が下総(しも
うさ)の臼井(現・佐倉市)から、同郷の剣客・高杉銀平をた
よってきたのは17歳のときという。

左馬の父は、藩主・堀田家(10万石)から郷士を称することを
許されていた。いや、それは、堀田家の前、大給松平家( 6万
石)が領主だったときもそうだった。

大給松平家は、左馬が生まれた延享3年(1746)に山形へ国替
えとなり、あとにきたのが堀田家というわけ。

左馬は、岸井家の次男か三男であったろう。そうでないと幼年
時代に小百姓のせがれ・鎌太郎などと印旛沼へ泳ぎへ行くはず
がない([3-6 駿州・宇津谷峠])。
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印旛沼岸の臼井=赤○ 佐倉=青○

岸井家は郷士であるとともに、臼井宿の庄屋でもあり、印旛沼
から諸川に通じた積荷船問屋も兼ね、格式も高かった。

Photo_204

左馬が、経済的になに不自由なく本所・押上の日蓮宗の春慶寺に寄宿し、剣の道に専念できたのは、裕福な実家からの送金も十分だったからである(1-2 本所桜屋敷])。

大川べりの築地から、本所・三ッ目菊川へ越してきた長谷川家の嫡男・銕三郎が、高杉道場へ入門したのは明和元年(1764)で19歳、左馬も同年齢だった。

門弟の数がそれほど多くないは高杉道場で銕三郎と同年齢だったのは、左馬だけだったように推測する。そうでなければ、2人がライヴァルにならないで、あたかも同期の者のように、たちまち打とけなかったろう。

いや、それには、年期よりも実力……と考えがちな銕三郎と、
なにごとも善意に解釈する左馬の性質のよさが、うまくかみあ
ったものとおもえる。

19歳の2人の青年が、隣屋敷のむすめ・ふさの初々しさに魅了
され、「手をだしたら、斬る」などと牽制しあったのも、青春
の愚かしくも純な潔癖感がいわせたことであった。

ふさは本町の呉服問屋へ嫁入りし、銕三郎は嫁を迎え、父の赴
任にしたがって京都へ移住、残された左馬は、恩師・銀平を看
取ってその遺骨を生地の臼井へ葬るために帰郷する。
このことは、京都の銕三郎へも知らされた。

やがて、父の逝去で江戸へ帰ってきて平蔵を襲名した銕三郎は
十数年間、左馬が臼井へ引っこんだままとおもいこんでいた。
この間文通をしなかった平蔵も平蔵だが、左馬も呑気すぎた。

平蔵にかぎっていえば、書院番への出仕前のひまな時分、恩師
・高杉銀平の墓参りに臼井へ出かけてもおかしくはないのだが。
それはそれとして、高杉銀平と岸井左馬之助が臼井出身なのが
気になる。池波さんの周辺……たとえば『オール讀物』の編集
部に臼井出身者がいたのだろうか。

左馬が春慶寺に寄宿を決めたわけは↓
[岸井左馬之助と春慶寺]を参照

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2006.09.20

岸井左馬之助年譜

岸井左馬之助の年譜

 小肥りの平蔵とくらべ、背の高い、がっしりとした体躯。
            [1-2 本所・桜屋敷]p60 新p63

延享3年(1746)生 佐倉に近い臼井の郷士の出
            [1-2本所・桜屋敷]p60 新p63
宝暦2年(1752)  印旛沼で溺れかける
 ( 7歳)     [3-5 駿州・宇津谷峠]p223新p233

宝暦12年(1762)  高杉道場へ入門 春慶寺に寄宿
 (17歳)     [3-5 駿州・宇津谷峠]p218 新p229

安永2年(1773)  師・高杉銀平死去
 (28歳)           [6-3剣客]p80 新p85

天明4年(1784)  再び江戸へ
 (39歳)

天明8年(1788)  桜屋敷で鬼平と再会
 (43歳)       [1-2本所・桜屋敷]p54 新p57
寛政元年(1789)  托鉢坊主に変装
 (44歳)       [1-4浅草・御河岸]p153 新162
     夏から秋 三国峠で五郎蔵に
                [4-7 敵]p241新p253
          亡父は佐倉の郷士
                [4-4敵]p237 新p249
     10月   井関録之助と同門
              [5-2乞食坊主]p57 新p60
     冬   〔鶴や〕で平蔵と
            [1-6暗剣白梅香]p203 新p214
寛政2年(1790)  平蔵がむかし話を
 (45歳)       [1-8むかしの女]p262 新p277
     冬   〔土壇場〕の勘兵衛を平蔵とやっつける
               [5-5兇賊]p205 新p215
寛政3年(1791)  松尾喜兵衛の噂を
(46歳)           [6-3剣客]p80 新装p85
     初夏   平蔵が病気見舞い
                [2-1蛇の眼]p7 新p7
     夏-翌年 托鉢僧となって探索
            [2-4妖盗葵小僧]p153 新p162
     秋    平蔵を見舞う
            [6-5大川の隠居]p180 新p189
     秋    和泉守国貞を所望
           [7-1雨乞い庄右衛門]p24 新p25
寛政4年(1792)秋 〔鶴や〕へ平蔵と呑みに行くと
 (47歳)       [2-6お雪の乳房]p246 新p259
寛政5年(1793)春 辻の札まで見送った後を追って京都へ
(48歳)         [3-2盗法秘伝]p42 新装p44
     晩春   大和平野で助太刀
               [3-4兇剣]p197 新p207
          宇津谷峠で肩を貸す
          [3-5 駿州・宇津谷峠]p214 新p224
     夏    坪井道場を紹介する
              [4-1霧の七郎]p36 新p38
     夏    明神の次郎吉と出会う
           [8-3明神の次郎吉]p95 新p100
     秋    〔嶋や〕へ呼び出し
             [4-2五年目の客]p45 新p47
     秋    府中へ
         [8-6あきらめきれずに]p241 新p254
     12月   平蔵の話し相手
               [9-3泥亀]p122 新p128
寛政6年(1794)正月 かつての遊び仲間
            [9-4本門寺暮雪]p133 新p144
     晩春    新居・金杉町裏の借家 
              [9-6白い粉]p209 新p218
     〃     左馬之助・お鈴の祝言
               [9-7狐雨]p208 新p217
     秋     新居 
           [11-2土蜘蛛の金五郎]p74 新p77
寛政7年(1795)2月 松浦道場で代稽古
           [12-2高杉道場三羽烏]p65 新p69
寛政8年(1796)晩春 渋谷で野崎勘兵衛を
           [14-1あごひげ三十両]p11 新p11
        夏から翌春
           滝野川の現場に
             [14-4浮世の顔]p146 新p156
        夏  手助けで藤代へ
               [15 雲竜剣]p28 新p29
           同門:井関録之助
                [17 鬼火]p96 新p99
           高杉道場で竜虎と
           [19-3おかね新五郎]p112 新p123
           友五郎への評言
             [19-5雪の果て]p206新p212
           同門:井上惣助
                [20-3顔]p97 新p101
           同門:横川甚助
              [20-6助太刀]p222 新p 230

同門の交友といっても、長谷川平蔵と岸井左馬之助のそれと、『剣客商売』の秋山小兵衛と嶋岡礼蔵との微妙な差異、むしろ心友といえる藤枝梅安と彦次郎との関係に近いことなどは、明日、言及する予定。

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