失敗した部下--佐々木新助の処置

「文庫巻4に収録の[あばたの新助]は、『鬼平犯科帳』の中では珍しくサクセスストーリーではなく、鬼平が部下のあつかいにミスをおかす物語で、きわめて教訓に富んでいます」
こう前置きして感想をのべはじめたのは、江東区の文化センター・鬼平熱愛倶楽部のメンバーのN氏。
円座になっての意見発表のクラスで。
サラリーマン歴は50年近く、小さかった会社をそこそこの規模にまでのしあげた自負とともに退職……誇り高き上席中間管理職だった仁。
[あばたの新助]のストーリーを簡単に紹介する。
長谷川組の同心・佐々木新助(29歳)は、鬼平の仲人で筆頭与力の姪と結婚して3歳になるむすめもいる。
ところが富岡八幡宮境内(江東区)の甘酒屋でさそいかけてきた茶汲女・お才の色香と大胆な性技にやすやすとおぼれた。
それほどウブだったのだ。
大泥棒〔網切〕の甚五郎の愛人だった彼女の役は、色じかけで新助を籠絡、火盗改メの見まわりスケジュールを聞きだすこと。

正源寺裏の小料理屋〔ふじや〕へ連れこまれた新助は、お才の
大胆な性技に---(近江屋板・深川の部分)
鬼平は偶然に、新助同心と お才が連れだっているところを目にして、
(おかしい……)
と気づいてはいた。
「が、フォローが足りなかった。自分が仲人をした部下なので贔屓目(ひいきめ)に見てしまっていたのです」
物語の結末は小説にまかせて、N氏の主張…。
「中間管理者にとってもっともむずかしいのは、失敗した部下の処置……立ち直らせ方です。
徹底的にいじめるのが上司としての安全策だが、その代わりに人望を失います。
逆にかばうと、マイナス点がつきます。ずるい人はなにもしない。
鬼平ほどのすぐれたリーダーでも、新助を見殺しにするしかありませんでした。
もいちど機会をあたえ、見守っていてやるのがいいのですが、それだって結局のところは運否天賦(うんぷてんぷ)ですからね」
いわれるとたしかに[あばたの新助]はアンハッピー・エンドの物語だ。
が、艶女のワナに陥ちて身を滅ぼしてしまうのは、なにも新助同心にかぎらない。
手練手管(てれんてくだ)にたけたお才のような女性にさそいをかけられたら、ウブな新助でなくてもコロリと参ってしまう。
若いころをふり返ると、似たような危険区域をなんども通過していたことにおもいたる。
修羅場(しゅらば)になるかどうかは、それこそ運否天賦だ。
鬼平自身、放埒な青春時代を送ったことになっているから、若者が恥多い所行を経て一人前になっていくことはとくと承知。
「新助は、なにか大物をねらって探(さぐ)りを入れていたらしい。おれにもそのことを話さなかったのは、よほどに、自信をもっていたのであろう」
組の者へはこう釈明してかばってやった。
が、それは、新助の失敗を未然に防いでやれなかった自分へのいいわけでもあったろう。
つぶやき:
鬼平は、新助がワナに落ちていることに、じつは、うすうす気づいていた。
しかし、適切な手をうたなかった。
N氏が指摘したように、贔屓目にみてしまっていた。
人間だれしも、人に対する好悪の気持ちをもつ。イザというときに、それを、どれだけ制御できるかだ。

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