カテゴリー「002長谷川平蔵の妻・久栄」の記事

2007.11.23

妻女・久栄(ひさえ)

大橋与惣兵衛の三女・久栄(小説での名)が、本所三ッ目(現・墨田区菊川3-16)の長谷川家へ嫁いで、銕三郎(てつさぶろう)宣以(のぶため)の妻となったのは、明和6年(1769)と推定できる。
というのは、その前の年、明和5年12月5日に銕三郎が、将軍・家治へのお目見(みえ)をすましていること。
明和7年に嫡男・辰蔵の誕生をみていること---からの類推である。
平蔵24歳、久栄は小説のとおりの年齢差とすると、7歳違いの17歳。匂いたつような初々しい花嫁であったろう。

銕三郎の父・平蔵宣雄(のぶお)は、4年前の明和2年4月11日(この時、47歳)に、先手・弓の8番手の組頭へと大出世していた。大出世と書いたのは、長谷川家は両番(書院番士、小姓番士)の家柄とはいえ、宣雄以前の当主たちは、平(ひら)の書院番士のままで終わっていたからである。家禄400石の収入ままでやりくりしていた。

養子となった宣雄は、そのまじめな性格、心のこもった人使いぶり、公平な判断力が認められて、足高(たしだか)1000石の小十人頭、さらには同1500石の先手組頭へと累進していたのだ。
収入がふえても、宣雄は勤倹貯蓄にはげんでいた。本所三ッ目の1238坪の広い屋敷への移転もその成果といえる。
銕三郎の婚儀も、控えめなものであったろう。

それは、嫁・久栄の実家・大橋与惣兵衛親英(ちかひで)についてもいえる。家禄は廩米200俵(知行200石に相当)。

_360

久栄を嫁にだした時は56歳。西丸の新番与(くみ)頭をしていた。
(久栄は39歳の時の子だから、後妻を迎えたのはその5年前とみると34歳。先妻を逝かせたのは30代の初めかも)>

_360_2
_360_3

久栄は、三女とはいえ、ニ女とともに後妻(井口氏)の子であった。
先妻(万年氏)がもうけた長女(仮の名・伊都 いと)が10歳になったころに逝き、伊都は後妻がくるとともに、黒田左太郎忠恒(ただつね 廩米250俵)の養女となったはず。

それというのも、左太郎忠恒の妻女は、大橋家の本家筋にあたる与惣右衛門親宗(ちかむね)のニ女で、その三男が大橋与惣兵衛親定の養子に入って家督していたという関係にあったからである。つまり、黒田忠恒夫妻は、養子先の息子のむすめ(つまりは、孫)が、継子となることを気づかったともいえる。

_360_4

ま、そのことは、久栄にはあまり関係はない。
久栄は、井口家新助高豊 小納戸 廩米200俵)から後妻にはいった女性の子なんだから。

久栄は、姉の不運をじかに見ていたので、夫・銕三郎(のちの平蔵宣以)によくしたがった。
姉は、亭主運にめぐまれなかった---というか、養女として出て行っていった長女の代理として、武家のむすめ役を演じなければならなかった。すなわち、家系の維持である。

_280

姉の夫として養子に迎えた男たち2人が、ともに子もなさないうちに実家へ帰されたのである。


| | コメント (0)

2007.11.22

堀切菖蒲園(2)

堀切菖蒲園の由来を記した『葛飾区の歴史』(名著出版 1979.1,10)に、

名所として知られるようになったのは江戸中期の寛政三年(1791)堀切村の百姓伊左衛門父子がニ代にわたって花菖蒲に興味をもち、各方面から変わり花の品種を集め、自家の田圃を利用して栽培し、江戸市街へ切り花として売り出したのがはじめである。

そして、珍しい品種を、出入り先の本所割下水に住む旗本、万年録三郎や麻布桜田町の菖翁(しょうおう)こと松平左金吾(さきんご)から譲りうけた、とつづけている。

万年録三郎万年姓に覚えがあった。
長谷川平蔵宣以(のぶため)の妻女---小説では久栄(ひさえ)---の実家の父・大橋与惣兵衛親英(ちかひで 船手組 廩米200俵)の先妻が、万年伊織覚長(あきなが 書院番士)のむすめであった。

_360_2
(大橋与惣兵衛の個譜 上の赤○=先妻 下の赤○=久栄)

徳川幕府における万年一族は、6家。
『寛政譜』の系譜書きにいう。

先祖は北面の侍にして文治年中(12世紀後期)鳥羽院より万年の称号を賜ふ。のち後堀川院の御宇故ありて遠江国に下り、代々榛原(はいばら)郡川尻に住す。

_360_3
_360_4
万年一門の家譜 上から2段目の左の緑○=頼済 下から2段目の赤○=大橋親英の先妻 最下段の緑○=六三郎頼豊

本家の七郎右衛門高頼(たかより)が東照宮に仕えた。廩米100俵と月俸10口。この家のこととをしるしているのは、10代目・三左衛門頼度(よりのり の息に頼済 よりずみ がいるからである)。

さて、堀切菖蒲園の伊左衛門に菖蒲の珍種を与えたという万年録三郎だが『寛政譜』にあるのは、万年六三郎頼豊。しかし、住まいは本所割下水ではなく、牛込赤城明神下石切橋通横町。廩米200俵 新番士。

_360_5

上の個譜に、

天明4年(1784)4月7日、さき(3月24日)の当番のとき、同僚の士・佐野善左衛門政言(まさこと 新番士 30歳代 500石)俄かに刀を抜きて田沼山城守意知に傷く。頼豊ら政言を止めんとして席を立つといえども、番所を離れん事を憚り、席に帰るのよしを申す。しかれども一列のものの狼藉をみながら制し止めざるの条、越度なりとて小普請に貶し、出仕とどめられ、5月6日ゆるさる。

現場近くにいた幕臣で罷免された士を、藤田 覚『田沼意次』(ミネルバ書房 2007.8.10)は、万年頼豊をふくめて新番士4名、目付7名のうち2名をあげている。

花菖蒲から、平蔵宣以の妻女につながり、ひいては田沼意次・意知へつながってしまった。
『鬼平犯科帳』を深読みすることは、その前後の江戸期のもろもろをうかがうことでもある。

そうだ、本所割下水の旗本・万年録三郎にふれないと。
万年一族で割下水に屋敷があったのは、一門の家譜のところにあげた新三郎頼済だが、時代がすこしさがる。

『江戸名所図会』で、絵師・長谷川雪旦は、葛西の農民たちの花づくりの風景を残してくれている。

626_360

【参考:】この絵[葛西里]を大きく観る。

まことに風雅な時間が流れている。

| | コメント (0)

2007.08.14

大橋家から来た久栄(2)

2007年8月13日[大橋家から来た久栄]に掲げた、久栄(小説で鬼平の妻女に池波さんが与えた名。史実では不詳)の実家・大橋与惣兵衛親英(ちかひで)『寛政譜』を再掲出する。

_360

大橋家系の分家の分家である与惣兵衛親英は、3代目だが、じつは黒田左太郎忠恒(ただつね 廩米200俵)の三男で、養子に入った仁。

分家の大橋与惣右衛門親宗(ちかむね)のニ女が、綱吉の祐筆に召された黒田左太郎忠恒の妻女となってから、大橋家と縁続きになった。
久栄の長姉が黒田家へ養女として貰われているのも、その縁である。
長姉が養女にいったのは、与惣兵衛の先妻が病死したためともおもわれる。

次姉は、養子に迎えた夫の2人ともが、病気を理由に縁組を解消して実家へ戻っている。
本家の近江守親義(ちかよし)の勘定奉行としての不始末---というか、田沼意次によって処罰されたことが離縁のほんとうの理由かもしれない。それぞれの親類が、田沼に睨まれることを危惧したのでは---。

久栄は、次姉の女性としての不運をいたましく感じていたろう。

大橋与惣兵衛親英は、元文2年(1737)の24歳から、西丸の納戸番として出仕した。
5年後の寛保2年(1742)には、西丸の新番組へ転入し、19年間つづけて勤めている。

長谷川平蔵宣雄(のぶお)が西丸・書院番士として出仕したのは寛延元年(1748)だから、顔をあわせた機会は幾度もあったろう。
郡上八幡の農民一揆の始末についての処分がきまった宝暦8年(1758)9月、宣雄が小十人組頭へ栄転したときには、祝辞を贈ったかもしれない。
「ご子息・銕三郎どのは13歳でしたな。うちの久栄は、6歳になりましてな」

小説では、長谷川家は本所入江町、その隣が大橋家となっているが、長谷川家が築地・鉄砲洲から南本所三ッ目通りへ引っ越したのは、銕三郎が19歳の明和元年(1764)。大橋家は、ずっと、下谷和泉橋通りである。

2人を結びつけたのが、父同士の縁なのか、ほかに結びの神がいたのか、まだ、憶測がついていない。

さて、宝暦8年9月13日の『御僉議御用掛留(ごせんぎごようがかりとどめ)に戻る。
この記録は、寺社奉行・阿部伊予守正右(まさすけ 備後・福山藩主 36歳 10万石)が書き留めていたものである。
深井雅海さん『徳川将軍政治権力の研究』(吉川弘文館)の第1編・第4章 [御用取次田沼意次の勢力伸長]から、引用させていただいている。

一 泉州(依田和泉守政次 町奉行 57歳 800石)、我等(阿部伊予守正右)・野州(菅沼下野守定秀 勘定奉行 60歳 1220石)へ内々被申候者、昨日(9月12日)主殿殿被仰候者、御僉議(せんぎ)方の儀何とぞ御役人之分早く片附候様可致迚、石徹白其外ハ手間取可申候得共、何とぞ御役人之方片附候様可然、品ニ寄兵部(金森頼錦)者残り候而も外御役人之分早く済候様ニと被仰候由被申聞

氏が添えてくださった<読み下し>文---。

一 泉州(依田和泉守政次)、我等(阿部伊予守正右)・野州(菅沼下野守定秀)へ内々申され候は、昨日主殿どの仰せられ候は、ご僉議(せんぎ)方の儀何とぞお役人の片付け候様いたすべしとて、石徹白そのほかは手間取り申すべく候えども、何とぞお役人の方片付け候様然るべく、品により兵部(金森頼錦)は残り候ても外のお役人の分早くすみ候様にと(将軍が)仰せられ候由(田沼が)申し聞けられ候。

誤読をおそれず、現代文に置き換えてみる。

一 北町奉行・依田和泉守政次(まさつぐ)どのが、手前、阿部伊予守正右(まさすけ)と勘定奉行(公事方の)菅沼下野守定秀)(さだひで)どのに耳打ちされるには、昨日(9月12日)、城内で御側御用の田沼主殿頭意次(おきつぐ)どのが、かようなことを申された。
「いま再僉議(せんぎ)している件だが、なんとしても、幕閣の分を早く片付けられたい。白山神社がらみの石徹白や農民がらみのことはゆっくりと手間をかけてもいいが、幕閣の処分は早々に裁決までもっていくようにとお上(将軍家)も望んでおられる。取調べで、事件の当の郡上藩主・金森兵部少輔頼錦(よりかね)にかかわることが残っても、それはおいてあとまわしでいいから、幕閣たちの分をとにかく急ぐようにとの、お上の仰せである」

田沼主殿頭意次はすでにリポートしたように、9月3日に、お側用人の身分で、幕府の最高裁判所ともいうべき評定所へ出座して審議に加わるように発令されている。
着座は3奉行の筆頭である寺社奉行の次、町奉行の上、発言も寺社奉行同等の資格となっていた。
あとにも先にも、このような権力を与えられた側衆はいない。

| | コメント (3)

2007.08.13

大橋家から来た久栄

深井雅海さん『徳川将軍政治権力の研究』(吉川弘文館)の第1編・第4章 [御用取次田沼意次の勢力伸長]から、評定所での郡上八幡の農民一揆の再吟味・幕閣処分に、御側でしかない田沼主殿頭意次(おきつぐ)が列座してくる経緯を、『御僉議御用掛留(ごせんぎごようがかりとどめ)を引用しながら、推測している。

『御僉議御用掛留』の記録者は、寺社奉行・阿部伊予守正右(まさすけ 備後・福山藩主 36歳 10万石)。

宝暦(ほうりゃく)8年(1758)8月10日の項---。

一 今日、口奥良筑ヲ以田沼主殿殿申込候而御退出後暫〆御出、羽目之間ニ而掛御目候、此度之御僉議之義共段々申上、追而百性方尋之義心得等之義伺、とかく真直ニ相分り候様第一ニ候、領主御咎附候者百性重ク成候義ニも有之間鋪、又先達而之通ニ軽く突留候と申儀ニも有之間鋪、とかく中分之処残り不申相当ニ有之様然、猶又趣茂候ハハ可被申聞候、替り候儀も有之候ハハ被仲聞鋪候、左候ハハ右被仰候通ニ可心得候、惣体吟味事品ニ寄軽く突留り候事も可有之候へ共、此度之義者甚御疑も有之事ニ候間、残り不申様可然候、品ニより是ハと存候儀茂出申候而も差略有之間鋪事候由被仰聞、何分ニも正道に相分り候様可申合被申候

氏が添えてくださった<読み下し>文---。

今日、口奥良筑をもって田沼主殿どのへ申し込み候て、御退出後暫くしてお出で、羽目之間にてお目にかかり候、この度のご僉議の義ども段々申しあげ、追って百姓方お尋ねの義心得などの義伺ひ、とかく真直ぐに相わかり候様第一に候、領主お咎め付き候は百姓重くなり候儀にもこれあるまじく、又先達ての通りに軽く突き留め候と申す儀にもこれあるまじく、とかく中分の処残り申さず相当にこれある様然るべく、なお又趣も候はば申し聞けらるべく候。替わり候儀もこれあり候はば仰せ聞けられまじく候、左候はば、右仰せられ候通りに心得べく候、惣体(そうたい→そうじて)吟味は事品により軽く突き留り候こともこれあるべく候えども、この度の儀は甚だお疑い(将軍の疑い)もこれあることに候間、残り申さざる様然るべく候、品によりこれはと存じ候儀も出で申し候ても、差略これあるまじきことに候由仰せ聞けられ、何分にも正道に相わかり候様申し合わすべく申され候(田沼がいった)。

誤読をおそれず、現代文に意訳。

今日、手前、阿部伊予守正右が、確認しておきたいことがあったので、口奥(たぶん同朋の)良筑を通じて田沼主殿頭どのへ面談を申し入れたところ、ご退出後しばらくして、城内の羽目の間でお目にかかることができた。
そのとき、このたびのご僉議(せんぎ)の経緯についていろいろご説明を申しあげた。
さらに、農民側の吟味についても、お尋ねがあり、僉議にあたっての心得などもお伺いした。
田沼どのがおっしゃるには、とにかく、だれもが納得がいくよう、まっとうであることが第一である。領主へのお咎めに対する気遣いから、百姓たちへの処罰が重くなってはいけない、また、先だっての裁決のように適当なところで打ち止めにしてはいけない、再吟味して、事実をすべて申しのべるように調べつくすことが肝心。
お上(将軍・家重)は、先の結果を承認なされてはいない。
まあ、吟味というものは、事と次第によっては軽めに打ち切ることもあろうが、この件の僉議については、お上もご疑念をお漏らしになっているのであるから、手抜きや妥協、えこひいきなどがあってはならない。だれが見ても正道---という取調べを申し合わせてやってほしいと申された。

その結果の一つが、勘定奉行(公事方)の大橋近江守親義(ちかよし)の処分であろう。
宝暦4年(754)4月9日に、顕職である長崎奉行から上記へ栄進。
この〔大橋〕の姓に見覚えがあった。そう、鬼平こと、長谷川平蔵宣以(のぶため)の妻女(小説では久栄)の実家の姓である。
彼女が長谷川家へ婚じたのは、宝暦8年のこの再僉議から、15,6年ほどのちだが。

それで、『寛政譜』をあたってみた。やはり---であった。大橋近江守は本家。

_360
(青=近江守親義 緑=久栄の父親・与惣右衛門親英 赤=久栄)

肥後国山本郡大橋の出自とある。
早くから家康に仕え、大坂の陣とか関ヶ原の戦いにも参陣している。家禄2120石。
3代目の次男が分家(400石・廩米200俵)。その分家から廩米200俵を分けてもらって家を立てたのが久栄の実家の大橋家
男子運が悪くて、戸主は全部養子だが、そのことはのちほど。

『寛政譜』は、近江守親義が家禄を召し上げられた理由をこう記している。

_360_3

(宝暦)8年10月29日、金森兵部少輔頼錦(よりかね)が所領の農民等騒動せしとき、(寺社奉行の)本多長門守忠央(ただなか)が申旨あるにまかせ、頼錦がたのみうけがい、配下に属する美濃郡代青木次郎九郎安清に書をあたへ、安清をのれが所存を記して其処置をこふのときも、頼錦が内存の趣を以てよろしくはからふべき旨、返書に及びしかば、安清彼の農民等を糺問するにいたる。これによりて農民等不平を抱き、公に訴へ、そのこと評議あるのときも、安清に示せし事はつつみて申述ず。再応糺明せらるるに及びてもなをこれを陳じ、只におのれが非をおほはんとせし条、重職のものの所為にあらずとて、相馬弾正少弼尊胤にながくめし預けらる。

この処罰は、3人の息子たちにもおよび、当然、断家。

ということは、世間の白い目は、久栄の実家・大橋与惣右衛門親英(ちかひで)にも向けられたろう。
久栄、この年には6歳。

_360_2

| | コメント (0)

2006.07.07

役宅の庭の花木

Mukuge__1
ムクゲの白い花

梅雨があけるのを待ちかねていたように、マンションの前庭のムクゲが花開く。
もう、まもなくだ。

文庫巻4[おみね徳次郎]では、役宅の庭に咲いているのを鬼平が眺めていたとき、佐嶋忠介が入ってきて、おみねの処置をうかがう。(p234 新装p245)

つぎに掲げた季節の庭木は、鬼平が起居している清水門外の役宅(千代田区九段南一丁目2)の庭に咲いていると『鬼平犯科帳』に書かれた花たちだ。
鬼平夫人・久栄さんの丹精によっている。
なかでも梅擬(もどき)は鬼平が手ずから植えこんだもの。
その姿や実、花のかたちを思い描けるのは、いくつ?

…白梅、桜。

初夏…つつじ、からたち、花ざくろ、南天、山桜桃(ゆすら)うめ。

夏から秋…女郎花(おみなえし)、むくげ。

秋から初冬…菊、梅擬(もどき)の実。

冬から春…藪椿(やぶつばき)。

12のうち6つ以上できたら、あなたの自然を愛する気持ちはかなり強い。
(ほとんどの花の写真を、ガーデニング・スペシャリスト村上孝子さんが、下記サイト[『鬼平犯科帳』の彩色『江戸名所図会(ずえ)][有朋(UFO)]コーナーへあげてくださっている。

火盗改メの長官に就任してからこっち、鬼平は盗賊団の追跡・逮捕、尋問・裁決に寧日なく、庭の花木を賞(め)でることで観花(はなみ)にかえている。

  長谷川平蔵が、亡父遺愛の銀煙管を把って煙草をつめなが
 ら、
 「桜花(はな)は、まだ、残っているかえ?」
 「いいえ、もう……」
 と、おまさの声が落ちつきを取りもどし、
 「もう、散ってしまいました」
 「そうか……今年もまた、ゆっくりと桜花を見なんだわ」
       ( [14―2 尻毛の長右衛門]p88 新装p90)

いまの中間管理職に似たワーカホリック(働きすぎ症候群)の鬼平だが、おいしいものや珍しいものと美酒を口にするほかに、どんな楽しみごとをもっていたろう。

そこで、あのころの江戸人の遊びの情景を『江戸名所図会』から抽出したら観花(はなみ)、紅葉狩り、雪見、潮干狩り、蛍狩り、聴虫、滝見、水車見、観劇、祭礼、行楽、買い物、外食、乗馬、旅行などなんと百景近くもあった。

各文化センターの[鬼平]クラスのメンバーを塗り絵師に仕立て、モノクロのそれらの絵を絵彩色(塗り絵)してもらった。色をつけられた江戸風景は生命を得たかのように現代へよみがえった。

鬼平研究から派生した塗り絵だが、『犯科帳』のそれぞれの話を創作するにあたって池波さんは、就寝前に『名所図会』の長谷川雪旦の絵と江戸切絵図を熟視、物語の舞台をきめていたようなのだ。

翌日、散歩しながらその舞台に鬼平などの人物を配し、あとは彼らが自由に動きまわるのを記録した、とエッセイにある。『犯科帳』を深読みするのに『名所図会』は主要な一手がかり。

| | コメント (0)

2006.06.19

超ロングセラー、一つの条件

ミリオン・セラーという。大ヒットして100万部以上も売れた本やレコードのことだ。ひとくちに100万というが、書籍では3年に1冊でるかどうかだ。

文庫が2000万部以上売れているシリーズを二つ知っている。司馬遼太郎さん『竜馬が行く』全8巻と、池波正太郎さん『鬼平犯科帳』全24巻。

後者は第1巻だけでも累計で150万部以上刷られている。
しかも、池波さんの生前にほぼ50万部、作家が逝ってから100万部、増刷頻度も早くなった。
池波さんの没後も鬼平ファンは着実に広がっているということだ。
朝日カルチャーセンターほかの「鬼平」教室で講じているが、土曜日午後のクラスには年配者にまじって、若い女性の受講者が目立つ。
鬼平ファンは新陳代謝の時期に入っているようだ。

年配の受講者には、『鬼平犯科帳』は雑誌に連載中から愛読していて、鬼平のことならすべてに通じていると自負している人もいる。

そういう人に、『老盗の夢』で簑火の喜之助が京都の一乗寺村で出会った山端(やまはな)の茶汲み大女・おとよの茶屋は、『都名所図会(ずえ)』に絵が載っていて、実際にあった店だね…というと、目をパチクリ。

722c
山端(やまはな)(『都名所図会』より)

722b
山端の麦飯茶屋(上の絵の部分拡大)

67歳の隠居老盗に勃然(ぼつぜん)たるきざし……つまりバイアグラ並みの効果をもたらした大女の巨乳は思いだしても、池波さんの創作の手の内までは推察していなかった。

鬼平は小説に登場後は、奥方専一主義をつらぬいている。
フランスのメグレ警視が鬼平のその主義のモデルだ。
ひろく女性読者を獲得してミリオン・ロングセラーになるには、細君のほかには目もくれない主人公でないといけなくなってきている。
『愛の流刑地』や『失楽園』はいっときはベストセラーになるかもしれないが……。なんだ、つまらない---などといわない。

史実の長谷川平蔵が奥方専一主義を守ったかどうかは記録にない。
とはいえ、平蔵まで八代におよぶ長谷川家の当主で正妻の腹から生まれたのは一人だけだ。むろん平蔵ではなく、辰蔵である。

鬼平の母親は、行儀見習いにきていた巣鴨村の大百姓・三沢家の次女ということになっており、冷や飯者の宣雄が手をつけた。

ところが、平蔵夫人……久栄(小説での名)さんはえらい。長谷川家の悪習を断ち切り、平蔵にも長男・辰蔵にも脇腹に子を生ませなかった。

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

001長谷川平蔵 | 002長谷川平蔵の妻・久栄 | 003長谷川備中守宣雄 | 004長谷川平蔵の実母と義母 | 005長谷川宣雄の養女と園 | 006長谷川辰蔵 | 007長谷川正以 | 008長谷川宣尹 | 010長谷川家の祖 | 011将軍・家斉 | 012松平定信 | 013京極備前守高久 | 014本多家 | 016三奉行 | 017幕閣 | 018先手組頭 | 019水谷伊勢守勝久 | 020田沼意次 | 021佐嶋忠介 | 032火盗改メ | 041酒井祐助 | 042木村忠吾 | 043小柳安五郎 | 044沢田小平次 | 045竹内孫四郎 | 051佐々木新助 | 081岸井左馬之助 | 088井上立泉 | 090田中城主 | 091堀帯刀秀隆 | 092松平左金吾 | 093森山源五郎 | 094佐野豊前守政親 | 095田中城代 | 096一橋治済 | 098平蔵宣雄の同僚 | 099幕府組織の俗習 | 100盗賊一般 | 103宮城県 | 104秋田県 | 105山形県 | 106福島県 | 107茨城県 | 108栃木県 | 109群馬県 | 110埼玉県 | 111千葉県 | 112東京都 | 113神奈川県 | 114山梨県 | 115長野県 | 116新潟県 | 117冨山県 | 118石川県 | 119福井県 | 120岐阜県 | 121静岡県 | 122愛知県 | 123三重県 | 124滋賀県 | 125京都府 | 126大阪府 | 127兵庫県 | 128奈良県 | 129和歌山県 | 130鳥取県 | 131島根県 | 132岡山県 | 133広島県 | 136香川県 | 137愛媛県 | 139福岡県 | 140佐賀県 | 146不明 | 150盗賊通り名検索あ行 | 151盗賊通り名検索か行 | 152盗賊通り名検索さ行 | 153盗賊通り名索引た・な行 | 154盗賊通り名検索は・ま行 | 155盗賊通り名検索や・ら・わ行 | 160小説まわり・池波造語 | 161小説まわり・ロケーション | 162小説まわりの脇役 | 163『鬼平犯科帳』の名言 | 165『鬼平犯科帳』と池波さん | 169雪旦の江戸・広重の江戸 | 171文庫 第1巻 | 172文庫 第2巻 | 173文庫 第3巻 | 174文庫 第4巻 | 175文庫 第5巻 | 176文庫 第6巻 | 177文庫 第7巻 | 178文庫 第8巻 | 195映画『鬼平犯科帳』 | 200ちゅうすけのひとり言 | 201池波さんの味 | 205池波さんの文学修行 | 208池波さんの周辺の人びと | 209長谷川 伸 | 211御仕置例類集 | 212寛政重修諸家譜 | 213江戸時代制度の研究 | 214武家諸法度 | 215甲子夜話 | 216平賀源内 | 217石谷備後守清昌 | 219参考図書 | 220目の愉悦 | 221よしの冊子