カテゴリー「125京都府 」の記事

2009.01.04

明和6年(1769)の銕三郎(4)

(てつ)さま。〔荒神(こうじん)〕の助太郎の消息がお分かりになったら、どうなさいます?」
寝床の中で、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 30歳)が、銕三郎(てつささぶろう 24歳)の乳首を小指の先ではじくようにもてあそびながら訊いた。
銕三郎が伝授料を払い終わっての、けだるいひとときであった。

「見かけたのか?」
銕三郎が、おもわず身をおこす。
「風が入りますから、伏せったままでお聞きくださいませ。いいえ、見かけたのではありません。ご府中でのお盗(つと)めの手順が、〔荒神〕組のそれのようにおもえるだけですが---」

参照】[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

駿府(静岡)城下・呉服町の小間物の老舗〔五条屋〕が襲われた。
店は、人宿(ひとやど)通りとの角にあり、呉服町通りに面した側では京から仕入れた簪(かんざし)などの装身具のたぐいを、人宿通り側では京扇と袋ものを商っていた。
賊たちは、人宿通りから通じている猫道の台所口の戸締りの落とし桟(さん)のところを、鋭利な刃物で小さく切りとり、桟をあげて侵入した。

戸板を切りひらくときに濡れ手ぬぐいを何枚もかさねてあてて戸板を湿らせ、音を消しているのと、全員の胃の下の急所を棒で突いて気絶させてから、金蔵の鉄の錠前を金鋸で切り破っているところ、竃(へっつい)の上に新しい荒神松を飾って引きあげたところが、それである。

「ややを背負った女賊はいなかった?」
「〔瀬戸川(せとがわ〕の代役からは、そのことは聞いていません」
「〔瀬戸川〕の源七どのは、いま、江戸に?」

参照】[〔瀬戸川〕の源七] (0) (1) (2) (3) (4)

「そのことは、さまでも、あかすわけにはまいりません」
「そうであったな。いや、せんないことを訊いてしまった。許せ」
「いいのです」

いきなり、おがかぶさってきて、耳元で、ささやいた。
(かつ 28歳)ともども、しばらく、江戸を離れます。お頭からのお指しずです。どこへ行くかは、お訊きにならないでください。胸がいたみますから」

「いつ、発(た)つ?」
「明朝---」
「四谷口か。本郷追分か。それとも高輪口か?」
高輪口、を口にしたとき、上に乗っていたおの下腹がかすかに揺れたのを、銕三郎は感知した。

「どのぐらいのあいだ、ご府内を留守にする?」
「多分、あのお方に、ややがおできになったころ」
「そうか。おの軍学を、もっと習(さら)っておきたかった」

翌朝---明け六ッ(午前6時半)すぎ。
永代橋の上で、手をふっている銕三郎に、小舟の上からおとおも手拭いをふって応じていた。

舟が橋をくぐると、銕三郎は、川下側の欄干へ移って、なおも手をふった。
も橋の上の銕三郎の姿が石川島岸にもやっている帆船群と木立にさえぎられるまで、懸命に手拭いをはためかせ、そのまま双眸にあて、しばらく嗚咽していた。
そのことを、銕三郎はしらなかった。
杭上で休んでいた都鳥が怪訝そうなに眺めているだけであった。

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(永代橋 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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2008.03.27

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(10)

長谷川さま。須賀(すが 27歳)の奴が、面白いことをおもいだしやしたんで、お耳へ入れとこうと思いやして---」
風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳 元・箱根山道の雲助の頭格)が、訪ねてきて勝手口へまわされたことにも不服げな顔をしないで、話しかけた。
「お待ちなさい。拙の部屋で聞きましょう。内玄関へまわってください。拙が上がり口でお待ちしています」
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの小説の鬼平)がさえぎった。

武家の屋敷の式台のある表玄関は、めったな者でないと通されない。
銕三郎のような家族でも、公式の出入りのほかは、脇の内玄関をつかう。

部屋へ落ちつくと、
須賀がいいますには、どでかい腹をして箱根の関所抜けをした助太郎じじいの情婦(スケ)---あ、すみません、下じもの言葉づかいで---」
「いつだって、どこでだって、かまいません。権七どの言葉でお話しくださればいいのです。前にも申しましたが、われわれが相手にしているのは、盗賊や博徒です。彼らのしっぽをつかむには、権七どののふだんの言葉でなくてはなりません」

〔五鉄〕から帰った夜の権七---。
店の表の行灯の灯を落としてから、客たちが使ったぐい呑みや皿などを洗い場の水桶にぶちこみ、須賀と向きあって寝酒を飲みながら、京なまりのある助太郎の情婦は、上方から三島辺へ流れてきた女ではないかと、銕三郎が推理したと言うと、
「幾つぐらいの妓(こ)?」
「大年増の、26,7前後とみたが--」
「京言葉も遣(つか)える26,7歳ねえ---あ、あの妓(こ)じゃ、ないかな」
「あの妓(こ)じゃ、通じねえぜ」

権七の情婦(いろ)になる前の須賀が座敷女中をしていた本陣・〔樋口伝左衛門方と向いあって、次の格をもつ本陣・〔世古郷四郎方に、2年ほど前、京そだちというふれこみで女中に雇われた賀茂(かも)という、自称22歳---けれども、どう見ても26,7の大年増としかおもえない、顔はそれなりに整っているのだが、手足に脂肪がついていない妓(こ)がいた。

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(東海道をはさんで、赤○=本陣〔樋口〕 青〇=本陣〔世古〕
三島市観光協会のパンフレットより)

_150同輩の女中たちがいうには、賀茂には本陣の女中にはそぐわない2つの癖があったと。
その一つは、酒好き。本陣は、大名一行の早発(だ)ち(七ッ=4時か七ッ半=5時)にあわせて、女中たちを、夜の四ッ半(9時)には仕事から解く。
賀茂は、それから女中部屋をよく脱けだして、呑み屋で独り酒をする。
酔っぱらった男たちが酒を手に言い寄るが、まったく無視するので、「あれは女男(おんなおとこ)」とのうわさされていた。つまり、女同士で睦みごとをする者というわけ。
じじつ、〔世古〕の女中で、立ち姿のいいのが、賀茂から誘われて、気色(きしょく)悪がられていたという。
「立ち姿がいいっていやあ、須賀もなかなかのものだが、目をつけられなかったのか?」
「趣味が合わなかったんでしょ」
「趣味か。おれなんざぁ、須賀にぞっこんだったが---」
「なに、言ってんの。力ずくでものにしたくせに---。いまは、お前さんの話じゃないでしょ。賀茂さんでしょ」

1年ほど前、賀茂が〔世古〕の女中部屋から、ふぃっと消えた。
その少し前から、男ぎらいでとおっていた呑み屋で、40代半ばかとおもわれる色のあさぐろい、躰がひきしまった、宗匠頭巾の男と、親しげに差しつ差されつしている賀茂が見られている。
こっぴどく肘鉄(ひじてつ)をくらった腹いせもあって、呑み客たちの口は容赦がない。
「女男なんだから、相手がばばあというのなら分かるが、じじいというのは合点がいかねえな」

「あたしたちが三島を離れる1ヶ月ほど前に、三島宿(しゅく)の北、神川(かんがわ)脇の賀茂社の御手洗(みたらし)場で、新造ふうにいいへべを着た賀茂さんが、げえげえ、罰(ばち)あたりな所作をやっているのを見たって聞いたんですよ。その時には、呑みすぎって思ったけど、お前さんの話だと、悪阻(つわり)だったのかもね」

「---というわけでやんして」
権七どの。大手柄です。須賀どのにもご褒美がでるように、本家の大伯父(長谷川太郎兵衛正直 まさなお 57歳 火盗改メ・お頭)に頼みましょう。しかし、これからがむずかしい。賀茂社の近くに、助太郎の盗人宿(ぬすっとやど)があるにちがいないでしょうが、うっかり踏みんで、せっかくの手がかりをつぶしてしまうより、その家を見張っておいて、次の手がかりをたぐるのが良策なのですが---」
仙次の奴にやらせやしょう」
「それでは、張り込みの仕方、尾行(つ)ける時のこころえなどを、今日のうちに書いておきますが、仙次どのは字が読めましたか?」
「仮名ぐらいは、手習所(てならいどころ)でおぼえているとおもいやすが---」
「こうしましょう。本陣・〔樋口伝左衛門方のお芙沙(ふさ 30歳 女主人)どのに読んでもらったり、入用(いりよう)の金も立て替えてもらうように、文をやりましょう」
「ほう。長谷川さまは、〔樋口〕に、ごっつく信用があるんでやすね」
「父上の信用です」
銕三郎は、内心の赤面を隠しながら言った。
しばらく忘れていた、14歳の夜の睦ごとが頭をかすめ、股間に血があつまりはじめた。

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(歌麿『若後家の睦』部分)

(いかぬ。阿記(あき 23歳 於嘉根の母)にすまない)

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(歌麿『歌まくら』 芦ノ湯小町といわれた阿記のイメージ)

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(歌麿『化粧美人』 阿記のイメージ)

権七どの。その盗人宿は、いまごろは、もう、空き家でしょうが、訪ねてくる者を尾行(つ)けることになりそうですから、長丁場になるとみておかねばならないでしょう。仙次どのの日当も、教えておいてください。太郎兵衛大伯父(火盗改メ・お頭)にねだりますから」

参照】〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)

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2008.03.26

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(9)

「ありえやす。小田原への入り女の吟味は手軽でやすが、三島宿(しゅく)の側へ抜ける、出女に対する人見女の吟味は、ちらとでも怪しいと感じたら、それこそ、結(ゆ)い上げている髷(まげ)をばらばにほどいて、1本ずつ調べるそうです」
風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)は、箱根路の荷運びという商売柄、関所の改めには、裏の裏まで通じている。

「その孕み婦(おんな)だが、道中手形には、腹にややが入っていると書かれていたとおもうが、何ヶ月目とまで書くのかな?」
女のことには純情な岸井左馬之助(20歳)らしい疑問である。
「そりぁ、書きやすでしょう。そうか、3月目と書かれているのに、10日もしないうちに、臨月近くにまでふくれていやしたんだと、人見女は、素裸にしてでも吟味しやすな。それを恐れた3人組は、関所の裏道を抜けようと計りおった---」

そういう詮議は2人にまかせて、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの火盗改メ)は別のことの推察にひたっていた。

盗人・〔荒神(こうじん)〕の助太郎(45,6歳)の情婦が、仮に妊婦だったとして、腹に小判を巻いて裏道を抜けた。
金は躰を冷やすというが、腹の中の子に悪いことは及ばなかったであろうか。わずか1日のことでも、海につかったばかりに、子が流れてしまったという話を聞いたような気がする。

つづいて、阿記(あき 23歳)と、自分の子にちがいない1歳3ヶ月の幼児を想像した。

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(歌麿 [針仕事]部分)

(尼寺では、腹のややに障るようなことはなかったであろうか?)
耳に、幼児の「きゃっきゃっ」という笑い声が聞こえたように思えた。

煮えあがったしゃも鍋から、しゃもの身を小鉢にとりながら、左馬之助が言う。
つぁん。何百両巻きつければ、臨月近いでか腹になるかな?」
左馬さんは、純情でけっこうだな」

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「馬鹿いうな。これでも、密偵になった---」
「しー」
「---おぬしたちの手伝いをしておるつもりだ。なにも、刀技(かたなわざ)だけがわしの得手ではない」
「わかったから、しばらく、放っておいてくれ。いま、考えごとをしているのだ」
「考えごととは、どんな?」

権七どの。あの者たちは、荷を権七どのに持たしたと---」
「へえ。山道はつらいから、といいやして、すっかり---」
「それだ」
「えっ?」
「わざとそうして、小判を運んではいないふうを装ったのです」

「なぜ?」
権七どのに証言させるために---」
「するってえと---?」
「そうです。投げ文をしたのも、あの者たちでしょう。権七どのを調べさせるために」
「なんとも、憎い奴らで。しかし、投げ文は、江戸口門の目安箱に---」
「金をつかませれば、やる旅人はいくらでもおりましょう」

権七どの。あの者たちと別れたところは?」
「関所を抜ければというので、三島宿の手前の、けもの道が箱根山道に近づく、馬坂社の境内で別れて、あっしは、お須賀の店へ泊まりやした」

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(懐中「東海道中道しるべ」 三島口 緑○=馬坂社あたり)

「時刻は?」
「孕み婦(おんな)の足が遅えもので、7ッ(午後4時)をまわっておりやした」
「2月の7ッだと、もう、日が落ちかかっていますね」
「へえ」
「その者たちは、三島宿(しゅく)の旅籠(はたご)には入っておりませぬ。身重女が一晩で並み腹になったのでは疑われます。三島宿のどこかに盗人宿(ぬすっとやど)を置いていたのでしょう」
「するってえと、駿州・志太郡(しだこおり)花倉郷というのは?」
「目くらまし、です」
「ぬけぬけと、ようもようも、この権七さんを嵌めやがったな」

「どんなに悪賢い者でも、手ぬかりの一つや二つはあるはずです。悪者との知恵くらべと言ったのは、このことです」
「わしには、手におえぬわ」
左馬之助がはやばやと降りた。
左馬は、純情と剣技がとりえなのです」

「手ぬかり---といいますと?」
責任を感じた権七が、何かの手がかりを思いだそうとして、訊いた。

銕三郎の言ったのは、小判を腹に巻いて、身重婦(みおも おんな)に見せかけるという思いつきは、ふつうには出てこない。
その情婦は、道中手形に書かれていたとおり、じっさいに孕んでいたのであろう。

ちゅうすけ付言】その婦(おんな)の腹のややは、のちに2代目荒神(こうじん)〕のお夏として文庫巻23長編[炎の色]に池波さんが登場させ、未完の長編[誘拐]おまさをかどわかさせた女賊であろう。

腹に子を宿した者が、長く歩いたり駕籠にゆられたりするものではない。
住まいは三島か、その近在。
そこで、ややが安定する、腹帯の時期の道中手形を書いた庄屋なり寺なりを、三島宿の代官所で調べさせれば、容易に女の素性が割れるはず。
京なまりがあったということは、生まれがそうで、なにかのことで下ってきて、三島あたりに住みついていて、助太郎の情婦になったとおもえる。
ねらい目の一番は、旅籠の女中か飯盛り女であろう。

「とりあえず、おもいつくのは、このあたり」
「さすがでやす、長谷川さま」
「いや。助太郎たちは捕まるまい。いまごろは、上方のどこかで、のうのと暮らしていよう」

参照】〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

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2008.03.23

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(8)

母・(たえ 40歳)は、あたふたと旅支度をととのえ、女中・有羽(ゆう 31歳)と下僕・吾平(ごへえ 46歳)をお供に、箱根・芦ノ湯村へ発った。
「拙がお供をせずとも、大丈夫ですか? 母上」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)の問いかけに、
「寺崎への往復の距離です、なんということはない。銕三郎がいては、阿記さんの本音が聞けませぬ」
まるで、夫・宣雄(のぶお 47歳 先手組頭)の及ばないことに解決の手がかりをつかむのが、楽しくてたまらないといった意気込みである。
父の陰に寄り添っているようにしていたこれまでの母の、別の顔を見たようで、銕三郎は、女というものの不思議さを、また発見したのであった。

ちゅうすけ注】上総国武射郡(むしゃこおり)寺崎村には、長谷川家の知行のうち220余石分があり、の実家は同村の村長(むらおさ)の戸村家

永代橋の西詰まで見送り、早すぎるとはおもったが、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)の女がやっている呑み屋〔須賀〕の戸をたたいた。

寝着姿の権七が、
「だれかと思えば、長谷川さま。いったい?」
母を川向うまで見送ったところだと聞いて、
「芦ノ湯村へ?」
「そうなのです。阿記(あき 23歳)どののこころの内を聞くのだ---と」
「お話しになっちまったんですかい?」
「子どものことを、放っておくわけにはまいりません」
「わざわざ、波風を立てることもないとおもいやすがねえ。まあ、ことが始まったんじゃ、しょうがない」

昨夜の片づけができていない客台に腰を落ちつける。
権七どの。昼間は躰が空いていますか?」
「いまのところは、昼間も夜も空いてまさあ」
「空いている躰を、大伯父のために、お借りできますか?」

銕三郎は、火盗改メの本役に任についている、本家の太郎兵衛正直(まさなお 56歳 先手・弓の7番手組頭)の名を出した。
「密偵?」
「怪しいと見た者の素性を調べたり、開かれている賭場をつきとめたり---です。手当ては、とりあえずは少ないでしょうが、手柄を立てれば、褒美もでるとおもいます」

長谷川さまのお言葉ですが、人を売るってのは、どうですかねえ」
「売る---とおもわないで、悪者との知恵くらべだと思えば---」
「なるほど---」
「父上は、先手の組頭に就かれました。この先、いずれは火盗改メを命じられましょう。その時のために、手口を集めておきたいのです」
「わかりました。お手伝いいたします。しかし、命がけの仕事になりますぜ」
「そのつもりです」

午後、2人は一番町新道の屋敷で、太郎兵衛正直に密偵のことを申し出た。
「報酬は少ないが、やってくれると助かる」
そう言った太郎兵衛に、
「お頭(かしら)さまにお願いがございます。、あっしが箱根でやりました法破りを、この密偵仕事で帳消しにしていただきとうございます」

権七の法破りとは、関所抜けだった。まとまった金で、女づれの2人の男たちを、箱根のけもの道を案内して三島へ抜けさせたのが露見したのだという。

「いや、長谷川の若さまもご存じの、関所の小頭・打田内記(ないき)さまや添役(そえやく)・伊谷彦右衛門さまのお顔をつぶしてしまいやした。これを帳消しにお願いいたしとうございます」
そのかわり、3人の名前と潜み場所を密告(さ)すと---。

「金主(きんしゅ)は助太郎といい、年配で細身の、そう、45,6と見ました。女はその情婦らしく、身重のようでやした。もう一人の男は、と呼ばれておりやした」
権七どの。26,7の男のほうは彦次と申しませんでしたか? それなら、女はその彦次の連れ合い---」
「いえ。いつも、とのみ---それから、女は年配の男の若い情婦に間違いございませなんだ。長谷川さま、おこころあたりでも---?」
「その一味ですよ。小田原の薬種屋〔ういろう〕で盗みを働いたのは---。呼び名は〔荒神〕の助太郎---。京都の荒神口で太物屋をやっていた男です」
「そういえば、女には京なまりがありやした」

【参考】〔荒神〕の助太郎のことは、2007年7月14日~[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4)
2007年12月28日[与詩を迎えに] (8)
2008年1月25日~[〔荒神〕の助太郎] (5) (6) (7) 

銕三郎は、2年前、本多采女紀品(のりただ)が火盗改メの時に、〔荒神屋〕の助太郎のことを告げ、京都所司代・阿部伊予守正右(まさすけ 39歳=当時 備後・福山藩主 10万石)に手配を頼んだが、京都東町奉行所が御所の東の荒神口の〔荒神屋〕へ踏み込んでみると、もぬけの空だった1件を、大伯父・太郎兵衛正直に告げた。

「して、その3人の者たちのひそみ場所というのは---あ、待て。与力の高遠(たかとう)弥大夫を呼ぶ」
太郎兵衛正直は、高遠与力(48歳 200石)が現われると、権七をうながした。
「駿州・志太郡(しだこおり)花倉郷と申しておりやした」

ちゅうすけのつぶやき】「駿州・志太郡(しだこおり)花倉郷は、『鬼平犯科帳』文庫巻7[雨乞い庄右衛門]で、心の臓をわずらった庄右衛門が若い妾のおと最初に隠れた下(しも)ノ郷の西隣の集落である。
ついでにいうと、長谷川家の祖先で、黒石川の下流・志太郡小川(こがわ)の豪族・法永長者長谷川正重 まさしげ)が伊勢新九郎(のちの北条早雲)を援けて、その縁者・北川殿の産んだ今川義忠の嫡子・竜王丸を匿ったのが花倉城と。

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(駿州・志太郡 赤○=小川 青丸=花倉)

太郎兵衛正直高遠与力に、駿府城代・花房近江守職朝(もととも 50歳 6220石)への依頼と、小田原藩・箱根関所の長役(おさやく)への、権七の赦免状を命じた。

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2008.01.27

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(7)

長谷川さま。遠国(おんごく)の盗賊というのは、みごとな推しはかりと感心しましたが、ああ、簡単に教えちまって、よろしいんですかい?」
箱根関所の番頭(ばんがしら)の副役(そえやく)・伊谷彦右衛門が引きあげると、権七(ごんしち)が不服げに言う。
「あの調子じゃあ、己れが考えたみてえに、町奉行所へ伝えますぜ」
「それはかまわないのです。だれの発起(ほっき)であれ、盗賊が捕まりさえすれば、それがお上(かみ)へのご奉公だし、城下の人たちも安心できるのですから」
と一応、なだめておいて、銕三郎(てつさぶろう)は、
権七どの。拙は2度、〔ういろう〕店で、〔透頂香(とうちんこう)を買っております。このたびの旅と、4年前、藤枝宿に近い田中城下へ行った帰りと、です」

銕三郎によると、2度とも、売り婦(こ)の応対に上方(かみがた)なまりがあった。もちろん、4年前とこのたびとでは、人は異なっている。それで、〔ういろう〕は、先祖が京・西洞院(にしのとういん)錦小路の出ということを匂わせるために、京言葉を話す売り子を、わざわざ、上方から連れてきているのではないかとおもったのだと。

ちゅうすけ注:】
呉服や小間物、扇(文庫巻11で、引退した〔帯川(おびかわ)〕の源助が神谷町にだした京扇の店〔平野屋〕をみても分かりますね)は、京からの下(くだ)りものが上等なのである。酒は灘や伏見からの下りものが喜ばれた。だから、江戸近郊でできたものは「下(くだ)らない」ものと。
【参考】2005年2月5日〔帯川(おびかわ)〕の源助  [11-3 穴]p96 新p100
2004年12月21日〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛  [11-3 穴]p97 新p102

「そういえば、ほとんどの売り子は、裏で製剤をしている職人と所帯を持たされるとか、聞いたような気もします」
「その、秘伝の薬剤を調合している職人たちも、上方の男ではないのでしょうか?」
「いえ、それはないようにおもいます。あっしが生まれた風早(かざはや)からも、知り合いの若いのが1人、薬草刻み職として働いておりやすから」
「その人は、風早からの通いですか?」
「とんでもねえこって。〔ういろう〕の店の裏の作業場の2階の薬くさい部屋で、独り者の職人たちといっしょに寝泊りしているとか。そのことがなにか?」

「いや、そのことではなく、盗人側のことを考えているのです。侵入してきた盗賊たちは、ひと言も声をださなかったということでしたね」
「そのことで、江戸の火盗改メに記録を問い合わせてみろ---とおっしゃいましたが---」
「それもありますが---戦(いくさ)の場では、軍団のかかり・進退・展開は、太鼓やほら貝で知らせます。その盗賊一味は、なんの合図で動いたのでしょうね?」
「はあ---」
「持ち場持ち場へつき、割り当てられた仕事にとりかかる---といった合図が、きっと、きまっていたはずです。ということは、よほどに場数をふんで手なれた連中だったということです」
「12,3人ですからねえ」
「侵入した者たちのほかにも、見張り役が3,4人はいたはず」
「なるほど。冗談を言わせていただきますと、長谷川さまは、まるで、盗みの軍師をなさっていたみたいですな。ははは」

女中頭が預けておいた与詩(よし 6歳)を連れてきて、食事のことを告げた。
「申しわけないが、1人分、追加です。まず、酒を呑(や)っていますから、そのあいだにでも、みつくろって運んでください。この子の分は、酒といっしょにお願いします」
すばやく、紙に包んだこころ付けをたもとへ入れる。
「まあまあ。ありがとうございます」

盃を満たしてやりながら、
権七どの。この子の前では、〔ういろう〕の話はおひかえください」
「合点です」
「あにうえ。わたし、しっています。おばさんたち、はな(話)しておりました。おとし(落し)、あげたもの(者)が、いるって」
「ほう。与詩も、そうおもいますか?」
「おとし、わかりましぇん---せん」

「戸締まりのことです。でも、与詩は、そのことよりも、ご飯をこぼさないで食べることです」
「おふさ(芙沙)ははうえ(母上)からいただいた、さじ(匙)がありまちゅ---ます」
権七が、なにか言おうとして、やめた。
(三島宿の本陣〔川田〕のお芙沙のことだな)
察したが、銕三郎も見て見ぬふりをした。

権七の盃を満たしながら、
権七どの。今夜は、どこへお泊まりになりますか?」
「荷運び雲助たちの定宿が、三島町にあるんでさあ」
「この夜道を三島までお帰りですか?それじゃあ---」
「いえ。箱根宿の三島町です。ここからほんの半丁です。三島町の東側が小田原町。小田原町の旅籠は小田原藩の支配で、三島町の旅籠は伊豆代官所の所轄というきまりになっていおりますんで。そうそう、ゆっくりはしておれません。では、明朝五ッ(8時)に、馬でお迎えに。ご馳走さまでした」

関所の大門は暮れ六ッ(午後6時)には閉めるが、宿場は関所の西側にあるので、権七が定宿へ行くには、通用門に声をかけてを開けてもらうまでもない。ついでにいうと、通用門は、権七のような顔見知りの者なら五ッ半(9時)までは通してくれる。

〔めうが屋〕の女中頭・都茂(とも)と別の旅籠に今夜の部屋をとり、食事をすませた藤六(とうろく)が、あがってきた。
銕三郎は、酒をもう1本、追加した。

_200_2「骨を折らせて、すまぬ」
「いえ。しかし、食傷していないわけではありませぬ」
2人は、すでに寝息をもらしている与詩のほうを見やりながら、声をころして笑った。
(都茂とすれば、今宵が藤六との最後の夜となると、おちおち眠ってはいられまい)

_300_3
(国芳『葉奈伊嘉多』部分)

銕三郎は、45歳の藤六の躰をいたわったが、どうなるものでもない。
「ま、明日は、五ッ発(だ)ちだ。そのことをいいきかせてやるんだな」
「はい」

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2008.01.26

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(6)

「お関所の、副役(そえやく)さまが、お見えになりました」
本陣・〔川田角左衛門方の番頭が、案内してきた。

【参照】よみがえる箱根関所

銕三郎(てつさぶろう)は下座へさがって迎える。
(腹の中では、何用?)と案じている。
従ってきたのは、足軽小頭(こがしら)・打田内記であった。
「おくつろぎのところ、突然に参上し、申しわけござらんが、藩の正木ご用人さまから、お困りのことはないか、お尋ねするようにとのことでありましてな」
箱根関所の総責任者・番頭(ばんがしら 伴頭とも書く)の副役・伊谷彦右衛門と名乗った。小田原藩には、伊谷某という用人がいるから、その一族の末流であろう。しかし、銕三郎はそのことは知らない。

風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)が、恐縮して、失礼するというのを、銕三郎打田小頭と目を見合わせ、
「いや、そのまま同席していてください。権七どのも耳に入れておいたほうがよろしいお話もでるやもしれませんゆえ」
と制して、
「申し分なく、くつろがせていただいております。それに、打田小頭さまに、ひとかたならぬお世話をいただきまして、ありがたく存じおります」
「それなら、けっこう---」
伊谷さま。ちょっと失礼して、この娘(こ)を、帳場に預けて参ります」

与詩(よし)を女中頭に渡して部屋へ戻り、
田沼(意次 おきつぐ)侯には、父が入魂(じっこん)にしていただいております。拙は、一度だけ、田中藩のご老公・本多正珍(まさよし)侯のところでお目にかかったことがございます。器量の大きな、法にきびしいお方と拝察いたしました」
「じつは身どもなども、田沼侯が相良領に封された4年前(1759)のちょうどいまごろ、領内ご検分のために箱根をお通りになり、その時にお顔を拝したきりでござる。
お帰りは、相良湊から船だったために、拝顔できませぬでな。ははは。
いや。ご用人・三浦庄ニさまは、ご領内へちょくよちょくお出でになるので、親しくお言葉をいただいており申す。
じつは、そのことでござる。番頭が、この箱根細工を、三浦さまへお届けいただきたいと申しておりましての」
「お預かりいたします」

【参考】
2007年7月20日[田沼主殿頭意次(おきつぐ)] (続) 
2007年11月24日[田沼意次の虚実] (1) (2) (3) (4)
2007年8月12日[徳川将軍政治権力の研究] (1) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) 

「ところで、3日前に、城下の薬舗〔ほうらい〕に賊が入ったことはご存じかな?」
「はい、これなる権七どのから、聞きましたが---」
「賊が、関所を通るやも知れぬから、警戒を厳重に---との町奉行からの指示ですが、顔に盗賊と書いて通るのであればともかく、ふつうの顔で通られては、関所としても、手のつけようがござらぬ」
「西へ上るとの見込みがございますのですか?」
「いやいや、皆目、見当もついていないようなありさまでして---」
「お役目、ご苦労さまでございます。江戸の火盗改メ・助役(すけやく)をしておられる本多采女紀品(のりただ)さまとは面識がありますから、なにか、お伝えすることでもありますれば、お伝えいたしますが---。もっとも、帰りに江ノ島詣でをいたしますので、ふつうよりも、3,4日、遅くに江戸へ戻ることになりますが---」

「ひとつ、お訊きしてよろしいでしょうか?」
「なんでござる?」
「この半年のあいだに、大きな前金を払ってご城下に借家をした者を、お調べになったのでしょうか」
「そのようなこと---どうだ、打田、耳にしているか?」
「いえ。いっこうに---」
長谷川どの。借家の件と、賊とのあいだに、なにかかかわりでもあるのでござるかな?」
「賊は、言葉をひとことも発しなかったと聞きました。ということは、なまりの強い連中とおもわれます」
「まさに---」
「とすれば、土地(ところ)の者ではなく、遠国(おんごく)から来た者たちやもしれませぬ」
「ふむふむ。ありえますな」
「揃いの黒装束だったとも---」
「さよう、さよう」
「旅籠で着替えて出たのでは、宿の者が気がつくはず。としますと、一軒家を借りていたのではないかと---」
「うーむ。理が通っておりますな。明朝にでもさっそく、奉行所へ早便を立てて、知らせてやりましょう」
伊谷さま。その時は、くれぐれも、拙の名は秘してくださいますよう。明夜は大磯泊まりにな.るため、小田原での足留めは困るのです」
「あい、わかり申した。関所の意見として申しおくりますですよ」


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2008.01.25

〔荒神〕の助太郎(5)

「芦の湯へ、なにごともなく、お送り申してめえりました」
さすが、箱根の荷運び雲助の主のような〔風(かざはや)〕の権七(ごんしち 31歳)である。1刻(いっとき 2時間)もかけないで戻ってきた。
箱根宿(はこねしゅく)から芦の湯村落まではほぼ1里(4km)---往路は阿記(あき 21歳)づれだから、半刻(1時間)以上を要したろう。帰路は小半刻(30分少々)でこなしている。

「駕籠衆や尾行(つけ)の若い衆への酒手は、十分に渡りましたか?」
銕三郎(てつさぶろう 18歳)が確かめた。
「多すぎるほどの、心づけでごぜえました」
「では、権七どの。もし、あとの仕事にさしつかえがなければ、ちょっと、呑(や)って行きませんか? 小田原宿の薬舗〔ういろう〕に入った賊のことも、もう少しお聞きいたしたいのですが---」

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(小田原・薬舗〔ういろう〕 『東海道名所図会』)

城下町・小田原宿を東西に貫通している東海道に面して繁盛している薬舗〔ういろう〕を、『東海道名所図会(ずえ)』は、以下のごとくに紹介している。

小田原・北条氏綱(うじつな)の時、京都西洞院(にしのとういん)錦小路外良(ういろう)という者この地に下り、家方透頂香(とうちんこう)を製して氏綱に献ず。その由緒は、鎌倉・建長寺の開山・大覚禅師、来朝の時供奉(ぐぶ)し、日本へ渡り、家方を弘(ひろ)む。氏綱はこれを霊薬とし、小田原に八棟(やつむね)の居宅を賜り、名物として世に聞ゆ。

その〔ういろう〕に、3日前に盗賊が入り、当主・藤右衛門を抜き身でおどして金蔵を開けさせ、800両余の金を持ち去ったという。(このころの1両は、当今の10万円にあたろう)。

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宝永(1704~10)小判

【ちゅうきゅう注:】 池波さんは、『鬼平犯科帳』の連載をはじめた1968年ごろ、1両を4万円ほどと換算していたが、連載が終わる1990年前後には20万に引き上げていた。バブルのものすごさも類推できるが、大家となった池波さんの金銭感覚もこれでうかがえる)。

とにかく、8000万円から1億円近い盗難である。
小田原藩の町奉行所は、あげて探索にあたったが、なんの手がかりもつかめていないという。というのも、すべての戸締りはしっかり錠がかかったままで、どれも開けられた気配がないので、12~3人もの者が、どこから、どうやって侵入したかもわかない。
また、黒装束の上に覆面した賊たちは、ひとことも口をきかず、当主への指示はすべて、あらかじめ紙に書いて用意していたもので伝えたという。

権七の説明を聞いて、銕三郎は、
「無言のわけは、言葉ぐせから出生地を割らさないためでしょう。しかし、そのことも有力な手がかりですね。それほど用心深い盗賊の前例が報告されているかどうか、江戸の火盗改メに速便(はやびん)で問い合わせたのでしょうね」
「さあ。そこまでは聞いていませんがね。うっかり聞き耳を立てると、こっちが疑われかねませんからね。雲助稼業はつらい立場です」
「しかし、権六どのには証(あか)しあるのでしょう?」
「もちろんでさぁ。あの晩は、たまたま、三島のお須賀の店にいて、何人もの常連客が見ていてくれていますから---」
「それは重畳でした。錠前の謎は、今晩じっくりと考えてみますが、〔ういろう〕では、店や奥の使用人は、いまでもやはり、京都から採っているのでしょうか」
「さあ、どうなんでしょう」
銕三郎の頭からは、京の荒神口で太物商いをやっているという〔荒神屋〕助太郎の姿が浮かんでは消えている。

【参考】2007年7月14日~[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4)
2007年12月28日[与詩(よし)を迎えに](8)

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2007.07.18

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(4)

銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)とお供の太作は、道中記が目的ではない。
しかし、銕三郎にとっては、生まれて初めての遠旅である。土地々々の風物人情を、写真に撮るように記憶にとどめてきた。

ところが、今朝からは、電池が切れたカメラみたいに、風景は目に入っても残らない。
昨夜のお芙沙の、張りのある白い姿態の一つひとつが、頭の中というより、14歳の銕三郎の躰のすみずみをかけ巡(めぐ)っている。
あちこちを不意打ちでもするように這いずりまわった形のいい唇。
首にからんだ双腕のつけ根の茂みが発する気をそそる香り。
押し上げてくる腰。
胴をしめつけていながら、その瞬間に突きあげて痙攣した太腿。
躰をいれかえたときに胸をくすぐってきた乳頭。
余韻に、目じりから涙滴が一筋ながれた落ちた横顔。
着物をまとうときの、だるそうな動きと、満ちたりた笑みをうかべている浅いえくぽ。
空想していた秘画よりはるかに艶っぽく、謎めいていて、この世のものとはおもえない甘美さであった。
無理もない。男が人生でいくつがとおる関門の一つ---それも、もっとも男の本能にしたがった関門を通過したのである。
さまざまにおもいめぐらして当たり前であろう。それでこそ、相手へ儀礼を十分につくしたことになるというものだ。

が、その分、太助への言葉も少なくなってしまうし、千本松原もうわの空だった。

原に近づくにつれて、さすがの今朝の銕三郎も正気にもどった。正気にもどしたのは、愛鷹山(あしたかやま)の陰から、ぬっと全容をあらわし、見る者にのしかかるように迫ってくる富士だった。

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(広重 朝の富士 『東海道五十三次』)

4月初旬だから、5分ほども残っている雪が、白衣装をまとっているかのように気高い。

原の茶店で一休みして、よもぎ団子をとった。
太作。沼津宿で別れた、あの助太郎という男、何者とおもう?」
「若さまは、どうおおもいでございます?」
「商店の絵をくれたから、大工かなにか。そんなふうには見えなかった---」
「人は、見かけどうりとはかぎらないことが多うございますれば---」
「なぜ、大店(おおだな)の姿を写しているのであろう?」
「絵図面師かも」
「絵図面師?」
「いろんな家の絵を写してきて、大工の棟梁に売る商売があるときいています。棟梁が示して、施主の考えを導くためのものだそうでございます」
「しかし、京の荒神口では、女房と太物の店をだしているとかいっていた。屋号も〔荒神屋〕とかで、変わっていた」
「どこか、変わってはいましたが、あれは、大勢の人を束ねている仁でございますね。並みの太物屋の亭主ではありますまい。気くばりが尋常ではございませなんだ」
「どうして、絵図などを呉れたのであろう?」
「若さまに、謎を置いていったのではございませんか」
「なんの謎を?」
「ま、もう二度と会わない人のことです。忘れましょう。覚えておくことは、ほかにありすぎますゆえ」
「そうだな」
「それより、若さま。お話しになりたかったのは、助太郎どんのことではございますまい」

「いいそびれていた。太助。ありがとう」
「なんでございますか、水くさい」
銕三郎に、3人目の母者ができた---江戸の家で待っているくれている実の母者、父上の形ばかりの奥方で9年前に亡くなった義理の母者、そして、ゆうべ、縁(えにし)を結んだ仮(かりそめ)の母者」
「若さま。もう、おっしゃってはなりませぬ。さようなことは、一切、若さまの胸の中であたためておおきなさいませ」
太作。戻りにも、3人目の母者に会いたい。いや、会わせてほしい」
「万事、太作めに、おまかせおきを。それより、お役目を早くはたさねば---」

【ひとりごと】
もちろん、荒神の助太郎とは、この後、銕三郎は会うことはないかもしれない。
しかし、長谷川平蔵宣以となり、火盗改メの長官となって、おまさを通して、〔荒神〕のお夏という女賊を知った。
は、助太郎が妾に産ませた娘だった。
が12歳の時、助太郎は病死した。平蔵が火盗改メの長官となる6年前のことだ。
助太郎が束ねていた〔荒神〕一派は、おを頭にいただいて上方で盗(おつと)めを働いていたという。
もちろん、12,3歳の娘に盗賊一味の実際の首領として采配がふるえるわけはない。しかるぺき副将がいたのだろう。

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2007.07.17

〔荒神(こうじん)の助太郎(3)

爽快な目覚めだった。
頭の中に靄(もや)っていたものが吹き飛んだといおうか、ほどけない糸のもつれがするすると解けたといおうか、
(そうだったのだ)
ひとりごちるほどに、銕三郎(てつさぶろう)は爽快、そのものだった。

朝飯のときも、太作はいつもと変わらない表情で、銕三郎の2膳目の飯をよそってくれた。

ゆうべ、お芙沙のところから帰ってくると、〔樋口屋〕の大戸はおりていたが、潜り戸をたたくと、伝左衛門にいわれて待っていてくれたのだろう、昼間の着物のままの年配の女中が開けてくれ、提灯をうけとった。

隣部屋の太作の軽いいびきも気にならず、銕三郎は、芙沙の躰の、精緻で、鋭敏で、甘美で、多様で、奥深い反応を思いだし、このまま眠ってしまうのがもったいない思いにひたっていたのに、すとんと熟睡していたのだ。

旅籠をでるときも、伝左衛門は顔を見せなかった。

「戻りは、一日早まるかもしれない」
と番頭に告げ、伝左衛門どのにそのように伝えておいてくれるよう、頼んだ。
いいながら、顔は赤らまなかった。
(大人の領分に、一歩、入ったのだ)
そう納得した。

〔樋口屋〕を発(た)ち、1丁半ほど箱根川へ引き返して、三島神社の前で、太作とならんで、参道の奥にむかって礼拝をした。

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(三島神社 『東海道名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

もっとも、銕三郎は、本殿のその先の、お芙沙の家へ挨拶を送ったつもりだった。
耳元で、お芙沙の、
(あっ、あっ、てつ---さ )
悲鳴にも似たうめきがしたような気がした。

と、参道から、京の荒神口に住んでいるといった助太郎があらわれた。
「おや。長谷川さまの若さま。またお会いいたしましたな。それでは、次の宿(しゅく)まで、お供をさせていただきましょう」
太助が、丁寧に応じている。

助太郎は、道中の川や山の解説をこまめにしてくれたが、昨夜の銕三郎の寝るまでの時間をどうしたかは、訊かなかった。訊かれたら、どう答えようと、あれこれ、こしらえごとを考えていたのだが。

沼津宿につくと、助太郎は、
「三枚橋から、舟で江尻へ渡らせていただきます。なにしろ、この街道は何回となく往来しておりますため、景色に変わり映えを感じられません。どうぞ、この先、お気をつけておつづけくださいませ」
銕三郎をはずれに招いて、一枚の紙をわたした。
どこやらの大店らしい構えの家が描かれていた。
「若さま。変哲もない絵で申しわけございません。手前の画帳は、景色のほかは、こんな絵ばかりが描かれております。ご想像になった、秘図絵があればよろしいのですが、こんなものでも、お近づきのしるしにお受けくださいまし」
(なんという、勘の鋭さ)
「どうして、わたしが、秘画を想像したと考えたのですか?」

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(三島宿 女郎宿 『東海道名所図会』部分)

「三島の女郎たちが客寄せの支度をしているのをごらんになったときの、若の目の色です。でも、きょうの目は、涼やかに澄んでおいでです。ゆうべ、精進落しをなさったかのように---」
助太郎は、いいおいて、さっと船着きのほうへ去っていった。

(あの男に見抜かれるようでは、修行がまだまだだ。江戸へ戻ったら、峰山道場でもっと稽古をつまねば、な)

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2007.07.15

〔荒神(こうじん)の助太郎(2)

「田中へは、ある調べごとがあって---」
といってしまってから、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)は、父・宣雄(のぶお)に念をおされた注意を思い出した。
本多伯耆守正珍(まさよし)侯に迷惑がかかってはいけないから、田中城しのぶ集いのことは、口外してはならない---ということであった。
しかし、旅の絵師というふれこみの助太郎は、それ以上、銕三郎の田中城下行きの目的を聞こうとはしなかった。

照れかくしに、銕三郎は、画帳を拝見できないか、と持ちかけた。
助太郎の関心を、田中城からそらせられると思ったのだ。
ところが、助太郎は、あさぐろい顔にやさしげな微笑をうかべて、しごく念入りに断ったではないか。
「いえ。人さまにお目にかけられるような腕でも代物でもございませんので。ほんの心覚えでこございますゆえ、どうぞ、ご勘弁くださいませ」
「さようなれば---」
といいながら、銕三郎は、
(妙な仁だな)
ふつう、自分の腕のほどをみせたがるのが人情であろう。
(なにか、見られては困るものが描かれているのやも知れない。男と女の咬合の秘画とか---)
銕三郎は次の言葉をうしなった。

茶店への心づけをすましたところで、助太郎が聞いてきた。
「今夕は、三島宿(しゅく)でございますか?」
「そのつもりでございます」
太作が応じた。
「ここから1刻(とき 2時間)も下れば宿場(しゅくば)ですが、お宿は、もう、おきまりでございますかすか?」
「はい」
「ご迷惑でなければ、宿(しゅく)まで、ご一緒いたしましょう」

下りながら、あれがはつね(はつね)の御座松だと銕三郎たちに解説しながら、
「松にうぐいすというのは、どんなものでしょう」
とか茶化して、自分から笑った。
(やっぱり、さっきの画帳のことにこだわっているのだ。いよいよ秘画にまちがいなし)

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(磯田湖龍斎)

14歳の銕三郎は、描かれているとおもえる姿態を空想して、体をほてらせた。
父母には打ち明けていないが、このごろ、夜、寝床へ入ると、このような妄想がしばらくやまない。
儒塾へ誰かが持ち込んだのを回覧して以来なのだ。

三島では、三島神宮に近い本陣・樋口伝右衛門方の前で、別の宿へ行く助太郎と別れたが、遊女たちが支度をしている家の前を過ぎたとき、助太郎がちらりと銕三郎を盗み見た。

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(『東海道名所図会』 三島宿・遊女 塗り絵師:ちゅうすけ)

気づかぬふりをしていたが、銕三郎の顔がすこしほてったのを、見破られたかもしれない。

食事がおわって、
太作。遊女屋でもひやかしてこないか」
「とんでもないことでございます。若さま。太作をいくつだとお考えですか。そういう年齢はとっくにすぎましてございますよ」
「そうか」
「あ。若さまがいらっしゃるのでしたら、殿さまからそのためのお宝(たから)をお預かりしております。奥方さまには内緒とおっしゃいました。どうぞ、これを」

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2007.07.14

〔荒神(こうじん)〕の助太郎

さて。こちらは東海道を上っている長谷川銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)と太作である。

箱根の山道を登っている。
昨夜は、小田原城下の宮の前、本陣・保田利左衛門方へ宿泊した。
案内された部屋からは、北西のほうに樹々の間から小田原城の天守閣が望めた。
手前の松の巨樹は総鎮守・松原神社のものだ。

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(宮の前の町名になっている総鎮守=松原神社)

太作に断っておいて、参詣に行ってみた。
東向している拝殿までの参道を、松の巨樹が囲んでいる。
拝殿の前にかがみこんで、いっしんに祈念している男がいた。
並んで鈴綱を振りながら横目でうかがうと、痩身、40歳を出たばかりと見えた。
宗匠頭巾(そうしょうずきん)の下の顔はあさぐろい。旅が長いらしい。

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(小田原名物=ういろう 『東海道名所図会』 塗り絵師・松下 享)

名物の薬〔ういろう〕は、帰路に求めることにして宿へ帰ると、一番番頭の嘉兵衛が宿帳をもってうかがいにきた。
一番番頭がやってくるぐらいだから、いまは、それほど忙しい時期ではないらしい。ほかの部屋も静まりかえっている。
「わざわざにご予約金をいただきまして、恐縮でございます。残りましたら、お帰りの分におあてするようにうかがっておりますが---」
本陣なので、公用の宿泊客がほとんどだが、予約金などを先払いする客は、まず、ないらしい。ここにも父・宣雄(のぶお)の配慮が効いている。

「帰路もお世話になれますか?」
「いつごろになりましょう?」
「駿府まであと3宿泊まりとして、先方で2泊。帰りにこちらまでまた3宿。8日先かと」
嘉兵衛は暗算でもするように考えていたが、
「ことしの3月は、尾州さまのご帰国と、紀州さまのご参府の年に当たっております。ほかのお大名さまのご参勤交替は、4月と6月が多うございます。8日先でございますと、幸い、尾・紀さまともあたっておりません。
ただ、もう2日先ということになりますと、尾州さまと重なりますので、一つ先の大磯あたりの旅籠をご紹介させていただくことになるかと---」
「いや、なるべく8日先に、また、お世話になるように心がけましょう」
「大磯泊まりとなりましたら、お預かりしておりますご予約金は、あちらの旅籠へ申しおくることもできます。また、お立ち寄りいただければ、間違いなくお返しいたします」
「お手数をおかけして、かたじけない」

夕飯には、これまでどおりに、太作のために1本、注文することを忘れなかった。
銕三郎は、幼いころに背負われた、太作の背中の感触を、いまでも覚えている。

あくる日。
箱根の峰々を越えて、芦ノ湖畔に出たのは、昼をだいぶんにまわっていた。強がりをいってはいるが、箱根越えは、50歳を出た太作には、やはり、きつかったらしい。
茶店で、〔保田屋〕が持たせてくれた弁当をつかっていて銕三郎は、湖畔で絵筆を動かしている男に気づいた。

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(芦ノ湖 『東海道分間延絵図』より)

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(広重[箱根・湖水図])

寄っていって、描いている絵を眺めていると、男は顔を水面にむけたままで、
「若いお武家さま。絵はお好きでございますか」
「うむ。いささか修行したが、そなたのようには、とても描けません」
「ほう。どのご流儀を?」
男は、銕三郎を見た。
やはり、きのう、松原神社の社前で念じていた絵描きふうの男だった。
よほど早発(はやだ)ちしたか、細い躰に似合わず脚が速いか。
「いや、流儀というのではく、父上におそわりました。一瞬に見たものをできるかぎり正確に写しとるという画法です」
「いかにも実戦に役立ちそうな---して、どちらまで?」
「駿州・田中です」

男は、絵筆をしまいながら、京の東はずれ、近衛河原の荒神口に住む助太郎といい、暇と金ができると、貧乏旅をしながら、各地の景色を描くのを趣味にしているのだといった。
(ずいぶんとおしゃべりな男だな)
と思ったが、町人なんだし、銕三郎は気にしないことにした。
太作も、2人の話しぶりをこのましげに目を細めてながめている。

「駿州・田中がお住まいでございますか?」
「そうではなく、住まいはご府内の築地です。田中へは、ある調べごとがあって---」

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2006.03.07

〔橋本(はしもと)屋〕助蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収まっている[殺しの波紋]の冒頭、橋場の先の洲の枯れ葦の舟の中で、火盗改メ方の与力・富田達五郎に斬殺されるのが、萱場町の薬種商〔橋本(はしもと)屋〕助蔵である。
いや、薬種商は表の顔で、裏へまわると、20余名の配下をもつ盗賊の首領であった。その助蔵が1年前に、富田与力が金杉上町あたりの百姓地で2000石の旗本の次男を口論の末に斬って殪し、口をぬぐっていたのに、助蔵が強請(ゆす)りをかけてきたのである。

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年齢・容姿:中年とのみ。薬種店の主人にふさわしい柔和な態度。
生国:山城(やましろ)国綴喜郡(つづきこおり)橋本(京都府八幡市橋本)。
薬種商のように利幅の大きい店を江戸で開くとなると、それなりのコネと資本が人用である。いずれ、京都の老舗のコネをつかったろう。

事件の経緯:)〔橋本屋〕助蔵が富田同心に強要したのは、麻布・飯倉4丁目の蝋問屋〔駿河屋〕へ押し込むときの見張りで、その手間賃に100両寄こしたが、それきりでは終わらなかった。つぎの押し込みの見張りもいってきたので、富田与力は助蔵と船頭の・留吉を斬って川へ流したのである。
それを目撃していたのが、別の盗賊〔犬神〕の竹松で、強請り状を寄こしてきた。その手紙を読んでいるところを、鬼平に見られ、不審を抱かせてしまった。

つぶやき:聖典の中でも、とりわけ後味がよくない篇である。というのも、人は一度侵した悪事をかばうために、つぎつぎと悪事をかさねるという、だれでも落ちる地獄が描かれているからである。人の個々ろの深淵をのぞいたような後味がのこるのである。

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2006.02.25

研師(とぎし)〔笹屋〕弥右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収められている篇の中では中篇に近い[流星]で、大坂の巨盗〔生駒(いこま)〕の仙右衛門(62歳)の息のかかっている浪人剣客・沖源蔵を止宿させていた、京都の油小路二条下ルで弟子1人をつかって刀剣の研師(とぎし)をしているのが、〔笹屋〕弥右衛門。
(参照: 浪人刺客・沖源蔵の項)
(参照: 〔生駒〕の仙右衛門の項)
沖浪人は、仙右衛門から呼び出しがきて、大坂へ旅立っていく。
いずれ、ここも、仙右衛門の盗人などのひとつであろう。

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年齢・容姿:老人とのみ。黙々と仕事をこなしている。近所の人ともほとんど口を利かない。研師のような職種にはよくいる変人。
生国:長い修行の末の開業であろう。地元の京都の生まれと推察。

登場の経緯:それにしても、沖浪人を京都からわざわざ大坂へ呼び出し、その足で江戸へ発たした。ふつうなら、京都から発たしちほうが、無駄がない。
池波さんは、〔生駒〕の仙右衛門が沖源蔵を京都での用心棒として配置していた周到さを示したかったのであろうか。

つぶやき:それとも、研師という職業に執心していたか。司馬遼太郎さんの直木賞受賞作『梟の城』だったかにも研師がでてーいたような。司馬さんと仲のよかった池波さんのこと、生来の負けずぎらい気から、研師を登場させてみたくなったのかも。

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2006.01.14

〔白狐(びゃっこ)〕の谷松

『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[艶婦の毒]で、〔高津(こうづ)〕の玄丹の素顔を見てしまった女中およねの口を封ずるために追跡をいいつかっているのが、〔猫鳥(ねこどり)〕の伝五郎と〔白狐(びゃっこ)〕の谷松である。
(参照: 〔高津〕の玄丹の項)
2人は、奈良へ旅立った鬼平、木村忠吾、教徒西町奉行所の与力・浦部彦太郎、およねの後を、見えがくれに尾行(つ)けていく。

203

年齢・容姿:若いのか年をとっているのか判別が困難な、白なまずにかかった白斑の面妖な風貌。ひょろりと細長い躰つき。
生国:山城(やましろ)国紀伊郡(きいこおり)深草村(現・京都府伏見区深草稲荷榎木橋町)。
池波さんは、『忍者丹波大介』ほかの取材で、幾度も伏見を探索している。伏見稲荷社の白狐にかけての「通り名(呼び名)」とした。
現在は、福島県河沼軍会津坂下町に白狐って地名があるけれど、みれは『旧高旧領』に載ってないから採れない。

探索の発端:京都から奈良への歌姫街道は平安朝から通じていた。その雛びた風景を楽しんでいる鬼平たちの後を、2人がつけていることは、鬼平と浦部はとっくに気づいていた。

結末:祝園(ほうその)村あたりで、谷松は鬼平に捕まり、常念寺の物置小屋へ放り込まれたが、舌を噛み切って自裁。
その谷松を見たおよねは、玄丹の素の顔を見てしまった夜、谷松に陵辱されたことを鬼平に告白。
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祝園 春日社 若王子(『都名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:歌姫街道の祝園村あたりのたたずまいについて、司馬遼太郎さんは『空海の風景』で現地を取材、ところの老婆から、道が舗装されて明るくなってしまったと嘆かれたと。昭和の中期までは薄暗く樹木がしげった玄幽な雰囲気だったのであろう。

祝園は、大和朝廷軍と戦って、このあたりで全滅した長脛の兵たちの鎮魂のために名づけられた地名という。

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2006.01.03

〔七化(ななば)け〕お千代

『雲霧仁左衛門』(文庫 前・後編)の主人公の巨盗・雲霧仁左衛門の愛人とも引き込み女ともいえるのが、この〔七化(ななば)け〕お千代である。
(参照: 雲霧仁左衛門の項)
どんな女性(にょしょう)にも扮することができ、それで引き込みを成功させるので冠された〔七化け〕の「通り名(呼び名)」である。池波さんの頭脳に、長谷川一夫さんが演じた映画『雪之丞七変化』の題名が閃いたかどうか。
この篇の前半では、さるやんごとなきお方の落としタネで、尼僧すがたをしているが、熟しきった女躰が男を求めるという設定で、仁左衛門が狙っている名古屋の薬種問屋〔松屋〕吉兵衛をたらしこむ。その手際は、読んでいて、ぞくぞくしてくくるほど艶っぽい。

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年齢・容姿:26,7歳。美人。熟しきって蒼みがかった柔肌。臀部はおどろくほどの豊満さ。
生国:京都生まれと推察。

探索の発端:名古屋・上本町の薬種問屋〔好蘭堂 松屋〕の当主・吉兵衛(52歳)とお千代の寝室へ押し込んできた雲霧仁左衛門一味は、金5000余両とともに、お千代を連れ去った。
雲霧仁左衛門の探索に名古屋へきていた火盗改メ方同心・高瀬俵太郎が、不審の念にとらわれる。

結末:雲霧仁左衛門一味の盗人宿の、王子稲荷社門前の茶店へ踏み込んだ火盗改メが目にしたのは、もぬけの殻の家屋だった。仁左衛門はお千代に、京都で2人きりで暮らすと約していたが---。

つぶやき:池波さんの小説にあらわれる女性のうちで、もっとも池波さんの好みに合っているのは、この〔七化け〕のお千代のような気がする。
体形は着痩せして見えるが、脱ぐと豊満というに近い。肌は白いのをとおりこして蒼くすら感じられる。どんな境遇の女性にもなりきれるだけの演技力がある。それでいて、男にすがっているように見せて、男を立てることのできる---女性である。

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2005.12.09

浪人刺客(しかく)・沖源蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収められている篇の中では中篇に近い[流星]で、浪人剣客・沖源蔵は、江戸への足がかりを意図している大坂の巨盗〔生駒(いこま)〕の仙右衛門(62歳)の命を受け、隠れ家にしていた京都の油小路二条下ルの研師〔笹屋〕から、江戸へ向う。
(参照: 〔生駒〕の仙右衛門の項)
同僚は、やはり浪人剣客の杉浦要次郎(やや年少)。25両ずつの仕掛け金を〔生駒〕の仙右衛門からもらっている。
(参照: 浪人刺客・杉浦要次郎の項)
江戸での隠れ家は、豊島郡染井村の植木屋〔植半〕の小屋。

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年齢・容姿:40をこえている。ひろい肩幅、がっしりとして体躯。
生国:山城(やましろ)国(現・京都府)のどこかと判ずる。研師〔笹屋〕弥右衛門の縁者とおもえるからである。研師のような職業は、大きな都会か大藩の城下町でなくてはやっていけまい。

探索の発端:刺客の沖源蔵が惨殺した長谷川組の同心・原田一之助の妻女・きよ、先手の山本伊予守組の木下同心などにより、火盗改メの必死の探索が始まった。
一方、同僚の杉浦要次郎のたっての希望で、2人は登城途中の鬼平の姿を、3か月前に先発し、江戸の盗賊の頭領〔鹿山(しかやま)〕の市之助(年齢不詳)との連絡役をつとめている〔津村(つむら)〕の喜平から指さされた。
(参照: 〔鹿山の市之助の項)
(参照: 〔津村〕喜平の項)

結末:巣鴨の庚申塚の立場で鬼平を見かけた2人は、板橋宿の裏道で乗馬している鬼平へ斬りかかったが、逆に2人とも深傷をおい、捕縛された。磔刑であろう。
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巣鴨 庚申塚立場(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:沖源蔵や杉浦要次郎のよう浪人剣客は、いってみれば、置き換えのきく点景的な登場人物である。
それを、沖の場合は、「京都の油小路二条下ルの研師〔笹屋]弥右衛門」の家に寄宿、杉浦要次郎は「河内(かわち)国茨田郡(まんだこおり)・枚方(ひらかた)の町外れの船頭・村五郎」のところに寄宿---と微にいった説明をつけ加えているのは、物語にリアリティをもたせたいとかんがえている池波さん得意の手法である。

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2005.09.05

〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻16にはいっている [見張りの糸] には、相互にまったく関係のない2組の盗賊グループが登場する。
最初の組は、かつて〔相模(さがみ)〕の彦十が3年ほど加わっていたことがある〔狢(むじな)〕の豊蔵の弟の〔稲荷(いなり)〕の金太郎(50がらみ)一味。盗人宿を彦十がつきとめた。
(参照: 〔稲荷〕の金太郎の項)
2つ目の組は、〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛親子と配下の太助(45,6歳)。17,8年ほど前に盗めをやめ、本拠の京都を引き払い、これまで一度も盗めたことのない江戸へくだってきて、芝の三田八幡宮(御田八幡神社 港区三田3丁目)の向いに仏具の店〔和泉屋〕を構えている。

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三田八幡宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

ついでのようなもう一つの組は、兄を目の前で〔堂ヶ原〕の忠兵衛に殺され、いまは浪人となって忠兵衛の命と金を狙っている戸田銀次郎(35,6歳)一味である。
八幡宮の門前の茶店〔大黒や〕が、〔狢(むじな)〕の豊蔵一味の盗人宿と見込みをつけた火盗改メが、〔和泉屋〕の2階の表に面した部屋を見張り所に借り受けたことから、忠兵衛たちに不安がきざした。

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年齢・容姿:70に近い。おだやかげな人品。
生国:山城(やましろ)国綴喜郡(つづきこうり)八幡(やはた)村堂ヶ原(現・京都府八幡市橋本堂ヶ原)
山口県と佐賀県にも「堂ヶ原」があるが、京都から江戸へくだってきたというから、八幡市を採った。

探索の発端:京都西町奉行所の与力・浦部彦四郎が下府してき、鬼平を訪ねて、探索の実地見学を希望。そこで、かつて幾たびも煮え湯を飲まされた、〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛親子を認めて、鬼平へそっと耳打ちして帰京していった。

結末:鬼平がひそかに『〔和泉や〕忠兵衛を監視していたとろころへ、戸田銀次郎たちが忍びこんできたものである。たちまち逮捕。しかも、忠兵衛親子もかつての呼び名を告げて逮捕。
もちろん、赤坂・表伝馬町の〔丸屋〕へ押し入ろうとしていた〔稲荷〕の金太郎一味17名も一網打尽。

つぶやき:戸田銀次郎の実兄を、なぜ、〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛が殺害したかは、書かれていないし、戸田浪人も口を濁す。
ということは、非は戸田の兄のほうにあったとみる。分け前のことで理不尽ないいがかりをつけたか、忠兵衛の女に手をつけたか。
このあたりを読み手の想像にまかすところも、『鬼平犯科帳』の連載も佳境に入り、池波さんも老練になってきた証拠か。

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2005.08.25

〔淀(よど)〕の勘兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収まっている[埋蔵金七百両]のサイド・ストーリーに登場するのがこの〔淀(よど)〕の勘兵衛である。上方から中国すじへかけてがテリトリーのために江戸の火盗改メにはデータがないはず。
ところが長谷川平蔵の父・宣雄が京都西町奉行時代からお盗めをしていた賊だから、父の日記に記録されていることを記憶していたのである。
日記を確かめに目白台の自邸へ帰り、ついでに雑司ヶ谷から戸塚へ出る夜道を歩いていて、事件に遭遇した。
息・辰蔵が岡惚れしている、雑司ヶ谷の鬼子母神の境内の茶店〔笹や〕のむすめ・お順が誘拐されたのである。お順の父親の次郎助(58歳)は、じつは長年、上方の盗賊〔白峰(しらみね)〕の太四郎(72歳)の配下だった男で、〔堀切(ほりきり)〕の通りり名で呼ばれていた。
(参照: 〔堀切〕の次郎助の項)
この篇の本筋は、長年の縁で、次郎助がお頭の隠居金を預かり、それを狙った者たちとの競り合いの物語である。

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年齢・容姿:どちらも記述されていないが、20数年も前から上方で盗みをしていたというから50歳はこえていようか。
生国:山城(やましろ)国久世郡(くぜこうり)淀町下津(現・京都府京都市伏見区下津)

探索の発端:両国の坂の場で、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、〔淀〕の勘兵衛一味の〔井尻(いじり)〕の直七を見かけ、〔淀〕一味が江戸でのお盗みめを企んでいるようだと、鬼平に告げたことで、調査がはじまった。

結末:探索の甲斐もなく、〔井尻〕の直七は、その後、姿を見せなかった。

つぶやき:池波さんにとって、「淀」は、『丹波大介』以来、馴染みの甲斐土地である。それで、つい、気をゆるして、勘兵衛に〔淀〕といった広い範囲の地名を冠してしまったのであろう。
で、出生地を、『丹波大介』で家康が暗殺されかかる淀津に近い、下津と仮定しておいた。

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2005.08.09

〔法妙寺(ほうみょうじ)〕の九十郎

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、長篇[迷路]である。主人公の〔猫間(ねこま)〕の重兵衛(50代半ば)のむすめ・お松(27,8歳)が父親・重兵衛へ話しかける。
上方で〔法妙寺(ほうみょうじ)〕の九十郎の手伝いにいっていたからよかったものの、叔父にあたる〔池尻(いけじり)〕の辰五郎のお盗めを助(す)けていたら「いまのごろは、地獄の針の山をわたっていた」ところだと。〔池尻〕一味は、火盗改メに捕まって処刑されていた。
(参照: 〔猫間〕の重兵衛の項)
(参照: 〔池尻〕の辰五郎の項)
〔法妙寺(ほうみょうじ)〕の出番は、上記きりとおもっていたら、物語の半ば、向島の三囲(みめぐり)稲荷社の境内で、密偵〔玉村(たまむら)〕の弥吉の肩をぽんとたたいた九十郎が、江戸での盗めを助(す)けてくれないかといいだした。
(参照: 〔玉村〕の弥吉の項)

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三囲稲荷社(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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年齢・容姿:50がらみ。とろりと脂が乗った、血色のよい顔。
生国:山城(やましろ)国相楽郡(そうらくこうり)上有市(かみありち)村(現・京都府相楽郡笠置町大字有市)。
「法妙寺」という地名はない。上方で探して、笠置町の西端に法明寺があったので、とりあえず採った。

探索の発端:すでに記したように、三囲稲荷社で〔玉村〕の弥吉の肩をたたいたときから、探索が始まっていたのである。弥吉は、お熊の茶店〔笹や〕に寄宿していることにして、〔法妙寺〕からのつなぎを待った。
鉄砲洲の薬種店〔笹田屋〕を下見に行った弥吉は、座頭・徳の市が〔笹田屋〕から出てきた。甞役をやっているにちがいない。

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湊稲荷社 鉄砲洲(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

〔笹田屋〕に押しこもうとした〔池尻〕一味は、鬼平の手の者に一網打尽にされていた。

結末:芝・田町7丁目の盗人宿の宿屋〔摂津屋〕に泊っていた〔法妙寺〕の九十郎は逮捕された。

つぶやき:原作は『オール讀物』1983年 5月号から11か月にわたって連載された。『鬼平犯科帳』が始まって15年目だから、愛読者は待ってくれるまでに寛容になっていた。それほどに愛読者は鬼平になじんでいた。池波さんのほうも、章ごとに新しい仕かけ---お松の色好みとか、〔玉村〕の弥吉のすご腕などをちりぱめた。
しかし、第2章[夜鴉]にほんの1行だけ触れられた〔法妙寺〕が、2カ月もおいた第5章[法妙寺の九十郎]の章末にふたたび顔をだし、つぎの章で配下30人も従えて江戸へ集まっているなんて、意表外の展開には、きっと驚いたろう。文庫で読むと100ページほどの時間経過なのだが。
それで、ファンにすすめているのは、雑誌連載のインターヴァルとはいわないが、せめて1篇からつぎの1篇へは2日間ほど間隔をあけて読みすすむと、雑誌連載でファンになった先覚者の気分が共有できるのではないかと。

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2005.06.21

〔峰山(みねやま)〕の初蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻23に収録されている長篇[炎の色]で、しっかり者の密偵おまさにしては珍しく、ふらふらと湯島天神の境内に踏み込こんだところで、50男から声をかけられた。盗賊の首領〔峰山(みねやま)〕の初蔵であった。
(参照: 女密偵おまさの項)
おまさは、流れづとめをしていたころに〔峰山〕一味のために、小田原と越後で引き込みを務めたことがあった。

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年齢・容姿:50男。血色がよい。
生国:丹後(たんご)国中郡(なかごうり)峰山町(みねやままち)(現・京都府中郡峰山町)
『鬼平犯科帳』とのつながりでいうと、峰山藩(11,000余石)の藩主で若年寄の京極備前守高久は、鬼平の後ろ盾ということになっている。
ほかに、奈良県山辺郡山添村峰山と、香川県高松市峰山もあるが、両方とも『大日本地名辞書』(冨山房)にも『旧高旧領』にも載っていないから、丹後国のここを採らざるをえなかった。

探索の発端:先記のように、湯島天神の境内で、〔峰山(みねやま)〕の初蔵のほうかに声をかけてき、〔荒神(こうじん)〕の2代目を継いだ女賊お夏一味との合同の盗めを助(す)けてくれるように、頼まれた。
いま、だれに属しているかと訊かれて、おまさは「〔大滝〕の五郎蔵お頭の下で」と答えておき、すぐさま、鬼平の指示をあおいだ。
(参照: 〔荒神〕のお夏の項)

結末:日本橋箱崎町2丁目の醤油酢問屋〔野田屋〕を襲った〔荒神〕と〔峰山〕一味は、待ち構えていた長谷川組に捕縛されたが、〔荒神〕のお夏だけは、どこをどうかいくぐったものか、姿を消した。
捕縛された賊たちは全員死罪。

つぶやき:若年寄・京極備前守の領内から盗賊をだすとは---と、しばらくは信じられなかった。
『よい匂いのする一夜』(講談社文庫)の[丹後峰山 和久伝]を読んで、池波さんが3回、峰山町を訪れていることを知った。

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講談社文庫

1970年ごろ(昭和45 47歳)と、1975年(昭和50 52歳)の文藝春秋主催の文芸講演会、そして雑誌『太陽』連載のための1979年(昭和54 56歳)の旅がそれである。
〔峰山〕の初蔵の『オール讀物』への登場は1986年8月号だから、京極備前守が峰山藩の藩主だったことはとっくに承知していたはずである。
ちなみに、激務の鬼平をいたわる若年寄・京極備前守高久の『鬼平犯科帳』への初登場は、『オール讀物』1972年6月号[流星]で、史実の高久は、このとき65歳であった。

ぼくと峰山町とのつながりは、『町史』をめぐって、きわめて学究肌の2人の郷土史家とつながりができ、相互に教授しあったことである。
最近では、藩主の末裔の京極さんがひょっこり、〔鬼平〕クラスを受講され、知己をうることができた。しかも、すまいが隣組とわかり、えにしの不思議におどろいた。

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2005.06.17

〔三河(そうご)〕の定右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻23は、ページのほとんどが長篇[炎の色]にあてられている。〔荒神(こうじん)〕のお夏(25歳)と密偵おまさの2人がヒロインである。
(参照: 〔荒神〕のお夏の項)
(参照: 女密偵おまさの項)

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その〔荒神〕のお夏は、首領〔荒神〕の助太郎の隠し子で、女ながら2代目を継いでいる。彼女を一人前の盗人に仕込んだのが、上方がテリトリーで、助五郎の盟友の巨盗〔三河(そうご)〕の定右衛門なのである。

年齢・容姿:どちらも記載されていないが、ハイティーンのお夏を父親・助太郎からあずかって盗法を仕込んだとすると、去年没したときは50代そこそこだったろう。
生国:丹後(たんご)国加佐郡(かさこうり)三河(そうご)村(現・京都府加佐郡大江町三河)
舞鶴市の西、三河川流域の谷間。鬼退治の大江山連峰の麓。

探索の発端:〔三河(そうご)〕の定右衛門そのものは、昨年病没しているので、探索のやりようもない。
お夏と密偵おまさの出会いの経緯は、〔荒神〕のお夏の項に記してあるから、省略。
〔三河(そうご)〕の定右衛門のことをお夏がおまさに打ち明けるのは文庫p146 新装版p141。

結末:病没。50代と山家(やまが)育ちにしては若死にすぎる。日本海側の寒い土地育ちのせいで、塩分摂りすぎと心労による心臓発作か。

つぶやき:[炎の色]の続編ともいえる文庫巻24の未完の長篇[誘拐]で、池波さんは〔三河(そうご)〕の定右衛門の仕込み方、そしてお夏が性倒錯者になった経緯もあかす予定だったのではなかろうか。

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2005.06.04

〔荒神(こうじん)〕のお夏

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『鬼平犯科帳』文庫巻23のほとんどを占める長篇[炎の色]で、密偵おまさを気に入ってしまう、女ながらに〔荒神(こうじん)〕を引きついだ2代目。
(参照: 女密偵おまさの項)
仕事を助(す)けたこともある初代の〔荒神〕の助太郎には、流れづとめをしていたおまさが可愛がられた。お夏は助太郎の隠し子である。

年齢・容姿:25歳。黒い、大きな瞳。肌は浅黒い。躰は少女のように細く嫋(しな)やか。洗い髪をうしろへたらし、先端を白縮緬でつつんでいる。
生国:山城(やましろ)国京都・近衛河原(現・京都府京都市上京区荒神町あたり)。
『大日本地名辞書』は「荒神社」について、「京極東、近衛条の護浄院境内に在り、古は此辺近衛河原と云ふ。慶長五年(1600)此に荒神社を立てたるより荒神口荒神町の名起る(後略)」。

探索の発端:湯島天神の境内で、密偵・おまさは、かつて連絡(つなぎ)役をつとめたことのある〔峰山(みねやま)〕の初蔵に声をかけられた。〔峰山〕一味と〔荒神〕の2代目が組んでやる盗めを手伝えというのである。
「飛んで火に入る夏の虫」とばかりに承知したおまさは、〔荒神〕の2代目お夏に引きあわされ、躰の奥がじんと痺れるような、かって感じたことのない奇妙な感覚を覚えたのである。

結末:日本橋・箱崎町2丁目の醤油酢問屋〔野田屋〕を襲った〔峰山〕と〔荒神〕一味は、待ちかまえていた火盗改メに逮捕。全員死罪。お夏だけは一人、巧みに逃亡し、おまさが復讐を恐れている。

つぶやき:池波さん、落合恵子さんらと、読売映画広告賞の審査員を10年以上もつとめた。審査前の雑談時に、池波さんに、
「火盗改メは、その職名のとおり、盗賊ばかりでなく放火犯も捕まえるんですよね。その割りに『鬼平犯科帳』には放火犯を追尾する話が少ないですね」
と、余計なことをいってしまった。
「ぼくは、火事が嫌いでねえ。それに、火事の場面の描写はむずかしいんだよ」
池波さんの答えだった。

それから、ほんの2,3か月後に、この[炎の色]が掲載され、生意気いってしまったぼくへのリベ゜ンジと受け止めた。
そればかりか、未完の[誘拐]はその続編である。
たいへんなご負担をおかけした。

蛇足を加える。台所の守り神と一般におもわれている荒神は、「三宝荒神」の略。仏、法、僧の三宝を守るという神である。盗めの3カ条の掟てにかけているのかも。日蓮宗などで深く信仰。
ついでだが、日蓮宗は女性の信仰を集めるプロモーションが巧みだ。安産・子育ての鬼子母神といい、台所の守護神の荒神さんといい。

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2005.05.30

〔川谷(かわたに)〕の庄吉

『鬼平犯科帳』文庫巻3に収容されている[麻布ねずみ坂]の主人公は、3年前に上方から江戸へ下ってきて麻布・飯倉片町に住みついた、中村宗仙(62歳)という指圧師である。
富裕な患者は、卓越した治療に巨金を惜しまないが、宗仙の住いは質素そのもの。というのも、宗仙は大坂の香具師の元締・〔白子(しらこ)〕の菊右衛門(50男)へ金を送りつづけていたからである。
3年前、宗仙は京都・東寺の境内の茶屋〔丹後や〕の女将・お八重とできてしまったが、26,7歳だった彼女は、なんと、〔白子〕の菊右衛門の妾だった。
菊右衛門は、500両でお八重を買え、といった。期限は寛政4年(1792)いっぱい。宗仙が送りつづていた金は、その500両の内金だった。
〔川谷〕の庄吉は、〔白子〕の手下である。

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年齢・容姿:いずれも記載がないが、30がらみと推察する。
生国:丹波(たんば)国桑田郡(くわだこうり)川谷(かわだに)村(現・京都府北桑田郡美山(みやま)町)
『旧高旧領』は、「川谷」は信濃国水内郡、越後国頚城郡、安房国朝夷郡、上総国望陀郡などにもあると記しているが、〔白子〕の手下ということで、丹波国を採った。

探索の発端:同心・山田市太郎(30代半ば)が、市中見廻りのついでに宗仙の家を眺めていて、訪ねてきた浪人を尾行すると、深川・富吉町の正徳寺裏の一戸建の平屋へ入った。
密偵〔小房(こぶさ)〕の粂八が近所で聞き込みをしたところ、その浪人は石島といい、両国一帯の香具師の元締・〔羽沢〕の嘉兵衛方へ出入りしているという。
(参照: 浪人・石島精之進の項)
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
さらにその〔剣術つかい〕の浪人を見張っていると、高崎で道場をかまえていることがわかった。〔白子〕へ送金する宗仙の金230両をねこババし、菊右衛門へは、宗仙には払う意志がないとウソの報告をしていたのである。

結末:宗仙が約束の500両のうち270両だけしか受け取らなかった〔白子〕の菊右衛門は、お八重を殺害した上で、〔川谷〕の庄吉と暗殺浪人を、宗仙のところへさしむけたが、山田同心によって捕縛。
白州ですべての事情を察した鬼平は、石島浪人の高崎の道場を教えて庄吉を大坂へ帰し、〔白子〕に「無頼浪人を信用し、宗仙ほどの立派な人をに、調べもしないで刺客を送るとは---」と報告させた。

つぶやき:池波さんは『仕掛人・藤枝梅安』でも、香具師の元締を何人となく登場させている---というより、善悪両面を備えたこの種の仁を小説へ採り入れた創始者ともいえる。


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2005.05.29

〔橋本(はしもと)〕の万造

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収められている[見張りの見張り]で、息子・佐太郎の消息を探していた〔長久保(ながくぼ)〕の佐助へ、日光街道・草加宿の旅籠の風呂場でばったり出会ったとき、女出入りから佐太郎を殺したのは〔万福寺(まんふくじ)〕の長右衛門一味にいた〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉だ、と嘘を告げた盗人。
(参照: 〔長久保〕の佐助の項)
(参照: 〔万福寺〕の長右衛門の項 )

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年齢・容姿:明記はされていないが、佐太郎より5つ6つ年長とあるから、32、3ってところか。容姿の記述はない。
生国:一味としていた」〔万福寺〕の長右衛門の生国を宇治、と推定したので、山城(やましろ)国綴喜郡(つづきこうり)橋本村(現・京都府八幡市橋本)。
男山南麓に位置する、淀川ぞいの渡船場。

探索の発端:〔長久保(ながくぼ)〕の佐助が、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の下でいっしょだった〔舟形(ふながた)〕の宗平へ、〔橋本(はしもと)〕の万造から聞いた息子・佐太郎の殺害の顛末を打ち明けたことから、密偵〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵がうごきははじめた。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
[杉谷(すぎたに)〕の虎吉は、かつて〔大滝〕一味にいたことがあり、女房がやっている品川宿の小さな蝋燭屋を五郎蔵が知っていた。

結末:〔大滝〕の五郎蔵に捕縛された〔杉谷〕の虎吉は、火盗改メの白州で[長久保]の佐助と対決し、佐太郎殺しのほんとうの下手人は〔橋本(はしもと)〕の万造、と告げた。
もっとも万造は、シリーズ終焉までに捕まった形跡はない。不得要領といえないこともない扱いである。

つぶやき:武家社会では、親が子の仇を討つことは違法とされている。世間の裏で生きている違法の盗人世界では、違法の違法は正法になるのかな(冗談)。
子の敵討ちであめろうと、敵討ちは人情の根本みたいなものだから、話としてはおもしろい。

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2005.05.24

〔日野(ひの)〕の銀太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収められている[春の淡雪]で、〔雪崩(なだれ)〕の清松と組んで、盗賊の首領〔池田屋〕五平のひとりむすめ・おうめを拐(わどわか)して強請(ゆす)った、畜生ばたらきの盗人。
(参照: 〔池田屋〕五平の項)

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年齢・容姿:40歳前後。容姿の記載はない。
生国:山城(やましろ)国宇治郡(うじこうり)日野村(現・京都府京都市伏見区日野*)。
『旧高旧領』はほかに、武蔵国秩父郡日野村(現・東京都日野市日野本町)、伊勢国三重郡(東、西)日野村(現・三重県四日市市東日野町)、甲斐国巨摩郡日野村(現・山梨県北巨摩郡長坂町日野)、美濃国厚見郡日野村(現・岐阜県岐阜市日野(北、南、東、西))をあげている。
上のどこでもいいのだが、いまは京扇の〔平野屋〕の店主におさまっているが、京都を本拠にしていた〔帯川(おびかわ)〕の源助のところへ働きたいと売り込んできて断られた経緯があるから、宇治の日野村を採った。
「*(アスタリスク)」は、日野の下にいろんな字(あざ)がつくというというしるし。
(参照: 〔帯川〕の源助の項)

探索の発端:京扇店〔平野屋〕の番頭・茂兵衛は、かつては〔馬伏(jぶせ)〕の茂兵衛といい、〔帯川(おびかわ))の源助の右腕だった。引退後、ひょんなことから火盗改メと関係ができた。
(参照: 〔馬伏〕の茂兵衛の項)
茂兵衛が見かけたのは、〔雪崩(なだれ)〕の清松と〔日野(ひの)〕の銀太郎という流れづとめの盗人たちだった。
2人は、現役のころの〔帯川〕の源助に、使ってほしいといったが、銀太郎に血の匂いをかいだ源助が断った。
茂兵衛が尾行すると、2人は荏原郡・中延にある千束池畔の茶店の裏手の茅ぶきの小屋へ入った。

結末:〔池田屋〕五平の幼娘をかどわかした〔雪崩(なだれ)〕の清松と銀太郎は、1,000両の身代金を要求。引渡しにあらわれたところを鬼平に捕らえられた。その前夜、五平一味16名は捕縛されていたのである。五平にしたがって千両箱を担いでいた小者は、鬼平だった。

つぶやき:史実の長谷川平蔵は、盗みなどの罪を犯した者のうち、半分は更生できるが、あとの半分は根っからの犯罪者で、更生は不可能である、と断じている。
さしずめ、この〔日野(ひの)〕の銀太郎などは、平気で〔池田屋〕五平を裏切りったり、幼女を誘拐したりしているし、〔帯川〕の源助も「畜生ばたらきがすきそうな」残忍な奴と見抜いているところからいっても、平蔵が「更生不可能」とサジを投げている後者の男であろう。

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2005.05.17

〔灰谷(はいだに)〕の菊松

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されていて、篇のタイトルにもなっている巨盗[白根の万左衛門]の配下。
一味の一人・菊之助は、7年前に京から江戸へ下ってき、麹町で筆師として仕事場をかまえながら、数寄屋橋門外・弥左衛門町の文房具舗〔玉栄堂・大和屋〕に製品をおさめることをえ、金蔵そのほかの情報を万左衛門へ送っていた。
それなら---というので、老巧な〔灰谷(はいだに)〕の菊松とむすめ婿〔沼田(ぬまた)〕の鶴吉が下向してきた。
万左衛門も江戸へやってき、引き込みには、女賊お芳が〔玉栄堂・大和屋〕へまんまと入り込んだ。
しかし、江戸で発病した万左衛門の病状は重かった。小頭の〔雨彦(あまびこ)の長兵衛も名古屋から呼ばれた。
(参照: 〔白根〕の万左衛門の項)

216

年齢・容姿:どちらも記述がないが、老巧とあるから、年齢は40歳代か。
生国:山城(やましろ)国乙訓郡(おとくにこおり)灰谷村(現・京都府京都市西京区大原野石作町)。

探索の発端:鬼平が、亡父を引き立ててくれた小出内蔵助を麹町2丁目に見舞い、帰路、平河天神へ詣でようとした。


204
平河天満宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

そこへ、密偵〔馬蕗(うまぶき)の利平治が、大鳥居の前からこっちへやってくる男女の、男は巨盗〔白根(しらね)の万左衛門一味の〔沼田(ぬまた)の鶴吉で、女は万左衛門のむすめ---と告げた。
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
後をつけた同心・木村忠吾と利平治は、2人が麹町6丁目裏の筆師・梅之助の家へ入っていったのを確かめた。
すぐさま、向いの鰻屋〔伊勢屋〕に見張り所が設けられた。

結末:万左衛門が隠匿している1,500余両をめぐって、小頭〔雨彦(あまびこ)〕の長兵衛と〔沼田(ぬまた)〕の鶴吉・おせき夫妻の駆け引きがあり、おせきは夫・鶴吉に絞殺され、鶴吉は〔灰谷〕の菊松も含む長兵衛たちに惨殺された。その現場へ火盗改メが出張ってきていた。

つぶやき:篇中ではまるで役目のない〔灰谷〕の菊松を、なぜ、池波さんは登場させたか。
灰谷村は、近くの現・灰方(はいかた)町、出灰(いずはい)町と同じく、かつて石灰を産したためにつけられた地名という。京都の古い家屋の土間の懐かしい三和土(たたき)の連想から、池波さんは灰谷村をえらんだのかもしれない。

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2005.05.12

〔片波(かたなみ)〕の伊平次

『鬼平犯科帳』文庫巻2の巻頭に据えられている[蛇(くちなわ)の眼]の主役は、道有屋敷の大金を狙う〔蛇〕の平十郎で、配下の6人のうちの1人が、この〔片波(かたなみ)〕の伊平次。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)

202

年齢・容姿:40歳。容姿の記述はない。
生国:丹波(たんば)国桑田郡(くわたこおり)片波村(現・京都府北桑田郡京北町大字片波)。
『角川地名大辞典』が、江戸期後期の戸数は12戸で石高は23石と記しているから、家数も収穫も少なく林業に頼る村洛だったようである。それで、大坂出身の平十郎と結びついたか。

探索の発端:惨劇が行われた。寛政3年(1791)6月20日夜。〔蛇〕一味は予定どおりに、浜町河岸ぞい・橘町に近い道有屋敷を襲ったが、金蔵は空だった。その日の昼間、6,000余両をそっくり幕府へ献上してしまっていたのだ。怒った平十郎は当主・千賀道栄をはじめ家の者を惨殺したが、道栄は虫の息のもとで血で「くちなわ」と書きのこした。
これより前の事件---文庫巻1に所載の[座頭と猿]で逃げ隠れていた座頭・彦の市が女に会いに現われて逮捕され、〔蛇(くちなわ)〕一味の盗人宿が相州・小田原宿の北の山中の部落・上之尾にあることを白状した。

結末:上之尾で全員逮捕。死罪。平十郎だけは引き回しのうえ火刑と。

つぶやき:『鬼平犯科帳』の後半の事件は、鬼平の手配よろしきをえて、ほとんどが未遂におわるようになってしまっている。それでよし、とする読み手もいようが、これは物語なのだからと割りきって、賊側の智謀も見たいとおもっている読み手には、なんとなく物足りない。
それには、この篇の筋立てと筋運びが充分に応えてくれる。

史実をいいたてるのは野暮だが、切絵図でみると、道有屋敷は橘町のもっともっと北西寄り---大和町の西にあった。

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2005.03.26

〔万福寺(まんぷくじ)〕の長右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収められている[見張りの見張り]で、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵と親しかった、上方がテリトリーの首領。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

212

年齢・容姿:まったく記されていない。
生国:山城(やましろ)国宇治の五ヶ荘の万福寺のあたり(現・京都府宇治市五ヶ荘)。

探索の発端:大身旗本・本多寛司(寄合。7,000石)の広大な屋敷(5,590余坪)の南側---本所・相生町4丁目の裏通りに、〔大滝〕の五郎蔵・おまさ夫婦と義理の父〔舟形〕の宗平の煙草屋〔壺屋〕がある。
(参照: 女密偵おまさの項)
その〔壺屋〕へ、たまたま煙草を買いにきて、宗平とばったり顔をあわせた老爺は、はるかむかし、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助のところでいっしょだった〔長久保(ながくぼ)〕の佐助だ。
(参照・〔蓑火〕の喜之助の項)

佐助が江戸へきたのは、息子・佐太郎を殺した〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉を討つためだという。探しているその敵(かたき)が、〔大滝〕の五郎蔵一味になっていると聞いたことは告げなかったが。
〔舟形〕の宗平から、〔壺屋〕が五郎蔵の盗人宿だときかされた佐助は、五郎蔵を尾行して、南品川で寅吉の女房とむすめがやっている蝋燭店までたどりついた。
その2人を、密偵の伊三次が見つけ、鬼平へ報告。
(参照: 伊三次の項)
さて、〔杉谷〕の寅吉はもと、〔万福寺(まんぷくじ)〕の長右衛門一味にいたのだが、長右衛門が病没して一味が解散すると、長右衛門と親しかった〔大滝〕の五郎蔵をたよってきたのである。しかし、腕はたしかだが人物ぶりに表と裏がありすぎ、3年ほどして、一味を離れていった。

結末:京・祇園の茶汲女をめぐって、佐太郎と殺し合いを演じたのは、佐助に寅吉のことを吹き込んだ〔橋本(はしもと)〕の万造だということを、〔大滝〕の五郎蔵に捕らえられた寅吉が、佐助と相対で白州に引きだされて、ぶちまけた。
けっきょく、佐助は仇討ちをしないまま、処刑されることになった。
〔万福寺〕の長右衛門は、さきに書いたとおり、病死。

つぶやき:武州・荏原郡馬込村にある万福寺かとおもった。というのも、『仕掛人・藤枝梅安』のもう一人の仕掛人である楊枝削りの彦次郎が、ここの寺男として住み込み、女房を迎えているから、池波さんの頭の中にこの寺があったと推察した。
武州・都筑郡万福寺村(現・川崎市麻生区万福寺)も考慮に入れてはみた。
しかし、わざわざ、本拠は「上方」とあるので、黄檗(おうばく)派の大本山である宇治市の万福寺を採った。
『忍者丹波大介』(新潮文庫)p10に「京都市中の東面をかこむ東山地塁につらなる台上の伏見城は、眼下に宇治川をのぞみ、山科と京都両盆地を左右に見下す突端にあった」と、実地を取材したとおもえる描写もしている。

盗賊の首領同士の付き合い方---盗みに対する似た考えをしている同士---がうかがえておもしろい。

〔大滝〕の五郎蔵・おまさ夫婦と〔舟形〕の宗平がやっている煙草屋〔壺屋〕は、最初に登場した巻7[隠居金七百両]からずっと本所・相生町5丁目だったが、この篇でとつぜん本多寛司邸の南側---すなわち相生町4丁目(文庫初刷り)となった。
多くの読者から指摘があったのであろう、文庫も何刷り目から「相生町5丁目」へ訂正されたが、
「道をへだてた北側、大身旗本・本多家の広大な屋敷の土塀であった」
の1行がくっついたままなので、切絵図で見ると依然として相生町4丁目となる。
さらに、新装版(第2刷り)では、また、「相生町4丁目」へ戻ってしまっている。

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