カテゴリー「124滋賀県 」の記事

2007.02.20

〔猿塚(さるづか)〕のお千代

女性経営者ばかりの団体で、近く、『鬼平犯科帳』についてスピーチすることになった。
米国やフランスに女性の大統領が誕生しかねない趨勢だから、女性大臣や女性社長は珍しくもなんともない時代といえる。

そう考えて、職能集団ともいえる盗賊グループにおける女性の首領をチェックしてみたら、[5-3 女賊]の〔猿塚(さるづか)〕のお千代と、[23 炎の色〕の〔荒神(こうじん)〕のお夏しか見当たらない。

2人とも2代目。独力で組織をつくりあげたわけではない。しかも、 〔猿塚〕のお千代は、セックスを道具にして組織を維持している。〔荒神〕のお夏のほうはレスビアン。

つまり、こんどの女性経営者の集まりに、女頭領の話題は不向きと断じざるをえない。

とはいえ、〔猿塚〕のお千代には、魅(ひ)かれるあやしさがある。40歳なのに、小さな白い手は生まれつきとしても、28,9歳の若い女にしか見えない躰つき---のためには、日常、どんな鍛え方をしているのだろう。
かすれ気味のハスキーな声は、ヘビー・スモーキングのせいかな。

ハスキー声がヒントになったのか、吉右衛門丈=鬼平のビデオでは、沢たまきさんが演じて適役と膝をうったが、湯舟の中で自裁しているシーンでは、さすがにデュート(紗)がかかっていた。沢さんの名誉のためにも当然の撮影技法。

配下の浪人たち、年に一度のあてがい扶持---ならぬセックスにつられて、一味を抜けないでいるというのも、なんだかうらさびしい。

そうそう、〔猿塚〕のお千代は、近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)高宮(現・滋賀県彦根市高宮)の出身で、15年前から父親・徳右衛門とともに、牛天神下(赤○)に京菓子舗〔井筒屋〕を構えている。
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近江屋板の切絵図 上水道、牛天神と安藤坂あたり

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屋号の〔井筒屋〕は、上段の店から借用

物語は寛政元年(1789)の初夏の事件だから、15年前といえば、安永3年(1774)前後で、お千代は25歳---まるで嫁ぎたての若嫁に見えたろう。近所の人は、30歳も年の違う父親・徳右衛門を夫と思ったというから、徳右衛門もそこそこに若く見えたのかも。

牛天神といえば、現在は社号を北野神社とあらためているが、神職はたしか春日姓の女性で、誤解をおそれずにいうと、お千代のように若々しく見える魅力的な神主さんだ。
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牛天神の俗称は、絵の左端、寝牛の形の大石による。現在は拝殿左に鎮座(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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2006.03.11

〔犬神(いぬがみ)〕の竹松

『鬼平犯科帳』文庫巻13に載っている[殺しの波紋]で、つい冒した犯罪を隠すためにさらに殺人を重ねた火盗改メ方与力・富田達三郎を強請(ゆす)るのが、〔犬神(いぬがみ)〕の竹松である。
3年前、属していた〔下津川(しもつがわ)〕の万蔵一味が火盗改メに襲われたとき、自分はどうにかのがれたものの、弟を富田与力に斬殺された恨みもあった。
(参照: 〔下津川〕の万蔵の項)
情婦のお吉を使って強請り状を役宅あてとどけさせた。

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年齢・容姿:年齢の記述はないが、お吉とのじゃれあいから察するに、40男であろう。濃い体毛---ということは、鬚の剃り跡も青かろう。
生国:このシリーズには、〔犬神〕という「通り名(呼び名)」の盗賊がすでに登場している。
巻10で[犬神の権三]のタイトルにもなっている権三郎がそれである。
権三郎の生国を、ぼくは近江国犬上郡富尾村(現・滋賀県犬上郡多賀町富之尾)と断じ、現地取材までした。
そのリポートは、
http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2005/05/post_8dac.html

[犬神の権三]は、『オール讀物』1973年4月号に掲載された。[殺しの波紋]は、2年のちの同誌1975年8月号である。いくら売れっ子だった池波さんでも、タイトルにもした主人公の「通り名」は覚えているはず。
それでも竹松に〔犬神〕を冠したのは、犬神伝説が全国にあるとい吉田東伍博士の説を信用したからかもしれない。
〔下津川〕の万蔵が紀伊の出身ということもあり、あえて、権三郎と同郷説をとってみた。

探索の結末:〔平野屋〕の番頭・茂兵衛が浅草・阿倍川町の竹松の隠れ家を突きとめるが、そのことで逮捕の手がのびたとは書かれていない。火盗改メが必死で探索していたとあるにしては、あっさりした扱いといえる。

つぶやき:『完本 池波正太郎大成』(講談社)の[殺しの波紋]も改めてみたが、竹松の〔犬神〕は削除も改変もされていなかった---ということは、池波さんは、あえてこの「通り名」に固執していたと断じてよかろう。

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2006.02.22

仏具屋〔今津屋(いまづや)〕佐太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収められている[おしゃべり源八]でで、畜生ばたらきが専門の〔天神谷(てんじんだに)〕の喜佐松一味の盗人宿として、駿府で仏具店〔今津屋〕の主人としてとり仕切っていたのが佐太郎である。
(参照: 〔天神谷〕の喜佐松の項)
事件の5年ほども前に、京がくだってきたといって、駿府のどこかに店を出して、ふつうの町人を装っていた。

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年齢・容姿:60がらみ。容姿の記述はないが、年齢にふさわしく、灰汁(あく)ぬけのした、人のよさそうな風貌で、じつは〔天神谷〕の軍師格であったろう。
生国:上方から下ってきたというからには、京都弁にも馴れていたろう。
近江(おうみ)国高島郡今津村(滋賀県高島郡今津町今津)。
ほかに候補としては、丹波(たんば)国桑田郡今津町(現・京都府亀岡市今津)がかんがえられるが、池波さんが馴れている地名として滋賀県を採った。

探索の経緯:平塚の旅籠〔米屋〕に滞在して〔天神谷〕一味の探索にあたっていた〔小房〕の粂八あての、同心・久保田源八の文を取り次ぐべく受け取った番頭・梅太郎は、その夜から駿府へ旅立ち、そのまま戻ってこなかったという。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
2年前に、梅太郎を〔米屋〕へ紹介してよこしたのが、〔今津屋〕佐太郎であった。
同心・竹内孫四郎が駿府へ駆けつけてみると、梅太郎がやってきたとおぼしい去年の11月に店をたたんで
いずこともなく消えていた。

結末:〔天神谷〕の喜佐松の本拠である川崎宿の小さな旅籠〔大崎屋〕へ、火盗改メが打ち込んで捕らえた一味7名の中に、佐太郎老人がいたかどうかは書かれていない。

つぶやき:この篇の検証をするために、湯行寺と遊行阪を歩いた。30数年前、三崎半島へ海遊び゜のために車でこの阪を通ったが、歩いてみて、なるほど、小説の舞台としてはうってつけの景色と納得質。池波さんも、時宗の本山・遊行寺へ詣でたにちがいない。

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2006.02.07

浪人剣客(けんかく)・下氏九兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収録されている[追跡]で、雑司ヶ谷の鬼子母神に詣でた鬼平が、火盗改メのかつての目明しで盗賊とぐるになっていた〔藪の内〕の甚五郎を見かけ、宿坂、姿見橋(面影橋)から高田馬場へ出る坂まで尾行(つ)けたところ、堂々たる体躯で髭面の浪人に試合を懇望された。
男は、彦根藩の浪人・下氏九兵衛と名乗った。
(参照: 〔藪の内〕の甚五郎の項)
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姿見橋(面影橋)(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:40歳前後。高い頬骨に髭面。堂々たる体躯。
生国:近江(おうみ)国彦根城下(現・滋賀県彦根市内)。
50石とりの彦根藩士の3男。早くから剣を学ぶが、鬱積しているので乱暴狼藉者としてもてあまされていたが、新しい師・林久米蔵門下となってからは神妙になったが、林師の縁者〔日野屋〕の後妻と通じてしまい、師弟ともに諸国を放浪する破目となった。

事件の経緯:剣に自信はあるものの、精神に異常をきたしていた九兵衛は、甚五郎の尾行に気のせいている鬼平に、あっという間に片をつけられる。
逃げこんだのは、4年前からささやかな道場をかまえている旧師・林久米蔵の許であったが、常軌を逸していた九兵衛は、通行人にも斬りかかった末、鬼平に取りおささえられたのち、牢死。

つぶやき:池波さんが書きたかったのは、九兵衛の狂気を呼んだのが、間接的には50石の低俸給の家の3男に生まれた封建社会での閉塞状況と不運---ということではなかったろうか。
それは、百万言をついやしても救いようのない現実であろう。しかしだからこそ、作家がつむぎだした百万言が光り、共感を呼ぶのである。

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2006.01.12

〔井筒屋〕番頭・勝四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に入っている[女賊(おんなぞく)]のヒロイン〔猿塚(さるづか)〕のお千代は、40すぎとはとてもおもえない女躰を餌に男どもをあやつり、盗みを働いている。
(参照: 〔猿塚〕のお千代の項)
ときどき、お千代を抱かせてもらっているのが、店をとりしきっている番頭・勝四郎だ。
お千代は、表向きは牛天神前の菓子舗〔井筒屋〕の女房ということになっており、勝四郎は番頭であるとともに一味の小頭役でもある。
一味がいま目をつけているのは、橘町の乾物問屋〔大坂屋〕で、すでにお千代の女躰のとりこになっている〔大坂屋〕の手代の幸太郎(20歳)が、間取りや雇い人の数などをすっかりもらしてしまっている。

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年齢・容姿:中年。でっぷりと肥えて愛想がいい。
生国:近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)高宮(現・滋賀県彦根市高宮)。
お千代の父親、先代の徳右衛門が丁稚として連れてきたもので、同郷とみた。

探索の発端:東海道は岡部宿の小間物屋〔川口屋〕に、引退して寄宿している〔瀬音(せのと)〕の小兵衛だが、通りがかりの〔福住(ふくずみ)〕の専蔵から、隠し子の幸太郎が〔猿塚〕のお千代のなぐさみものになつているときいて、矢もたてもたまらず、江戸へやってき、出会った密偵おまさに苦悩を訴えたことから、鬼平が乗りだした。
(参照: 〔瀬音〕の小兵衛の項)
(参照: 〔福住〕の千蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)

結末:根岸の〔盗人宿〕からは押しこめられていた幸太郎が救出され、牛天神門前町の〔井筒屋〕では、お千代が自裁していた。記述されてはいないが勝四郎も捕縛されたろう。

つぶやき:40をすぎていて27,8歳に見えたという〔猿塚〕のお千代は、吉右衛門さん=鬼平のビデオでは沢たまきさんが演じていたが、カメラはデュート(紗)をかけていた。
デュートなしでやれたのは、40歳ごろの森光子さんだったろう。
じつは、出たばかりの電気洗濯機の使用説明書の主婦役モデルを、30代の森光子さんにお願いしたことがある。彼女の京都て゜の無名時代である。

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2006.01.09

〔瀬田(せた)〕の万右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻18の[馴馬の三蔵]のタイトルとなってに登場している〔馴馬(なれうま)〕の三蔵(60歳前)に、亡妻の敵(かたき)と狙われて傷つけられたのが、橋場の料亭〔万亀〕の主人〔瀬田(せた)〕の万右衛門である。
(参照: 〔馴馬〕の三蔵の項)
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橋場の渡 手前の大川ぞいに料亭が並ぶ
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50歳前後。すべてに品がよく、恰幅も愛想もいい。
生国:近江(おうみ)国坂田郡(さかたこおり)瀬田町村(現・滋賀県大津市瀬田)。
テリトリーが近江・美濃へかけてとあり、元は万右衛門の女だったおみのという名前もあるから、美濃(みの)国可児郡(かここおり)瀬田村(現・岐阜県可児市瀬田)も有力候補だったが、「上方そだち」から大津の瀬田を採った。

探索の発端:客を舟で万亀へ送った〔小房〕の粂八は、かつて〔野槌(のづち)〕の弥平の配下だった時代に、一味を助(す)けていた〔馴馬〕の三蔵が物置小屋へ忍び入ったを見かけ、居坐り盗めをやるのかとおもった。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
で、夜、ふたたび猪牙舟をあやつって見張りに出かけた。
が、〔瀬戸〕の万右衛門は、十数年前、東海道・岡部宿で小間物屋をしていた三蔵の女房おみのと、粂八が預けた恋人お紋を惨殺していたのだ。粂八は、お紋の旦那の〔鮫津〕の市兵衛の仕業とばかりおもいこんでいたのだが。

結末:亡妻の敵(かたき)をとりに忍びこんだ三蔵は、万右衛門へ傷をおわせたものの、〔万亀〕の用人棒浪人に斬られ、粂八の舟でこと切れる前に、おみのが元は万右衛門の女だったこと、それでお紋が巻きぞえをくったことを、粂八に打ち明けた。
早速に火盗改メが出張って、一味を逮捕。

つぶやき:19歳のときに押し込み先で下女を犯し、〔血頭〕の丹兵衛一味を追放されたほど女好きの〔小房〕の粂八は、その後は自重しているのか、密偵になってからも女っ気がまったくといっていいほどない。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
しかし、24,5歳のときにお紋とも熱い関係があったことが初めて明かされた篇でもあり、粂八にも躰の中を赤い血がたぎることもあるとわかって、安心(笑)。

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2006.01.02

〔木鼠(きねずみ)〕の吉五郎

『雲霧仁左衛門』(文庫 前・後編)の主人公の巨盗・雲霧仁左衛門(43,4歳)の右腕とも左腕ともいわれたのが小頭〔木鼠(きねずみ)〕の吉五郎である。
(参照: 雲霧仁左衛門の項)
もともとは、『大岡政談』の中に[雲切仁左衛門]として記録された物語には〔木鼠〕の吉五郎はいない。
のちに歌舞伎の白浪ものの演題の中での登場人物となり、平凡社『大辞典』(1935.08.10刊 1974.06.10復刻)では、[木鼠]の項を立て「屋根裏伝いに忍びこむ盗賊」と解説している。また、[木鼠吉五郎]の項では「雲切ニ左衛門を頭目とする雲五人男の一人なる盗賊。講釈・芝居などに現はる」と。
池波さんは、歌舞伎の吉五郎を鮮やかに肉づけしている。

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年齢・容姿:40男。小柄だが、きりりっとしまっている。すっきりと灰汁(あく)ぬけてい、物腰がおちついていて、もの静か。
生国:近江(おうみ)国)(現・滋賀県)のどこか。
もっとも、地名に「鼠」のつくところでは、信濃国安曇郡鼠穴村(現・未詳)と同埴科郡鼠宿(ねずみしゅく)村(現・未詳)、遠江国長上郡鼠野村(現・静岡県浜松市鼠野)があり、捨てがたいが、池波さんが江州と名記しているので、滋賀県のどこか---池波さんの足跡がいたるところにおよんでいる甲賀あたりかと推理。

探索の発端:雲霧一味が狙いをつけていた下谷・菊屋橋西詰の行安寺(現在はない。行く先未詳)横の呉服商〔越後屋〕を見張っていた火盗改メの同心・高瀬俵太郎らが、座頭・富の市からたぐって〔木鼠〕の吉五郎までたどりつく。

結末:一味が〔越後屋〕へ押し入ろうとしたとき、待ち構えていた火盗改メが一斉に捕縛にかかり、観念した吉五郎は無抵抗で捕まった。雲霧仁左衛門を自称して裁きを受けたのは、得体不詳の老人であった。

つぶやき:池波さんは、雲霧仁左衛門に熟慮細心で果断の小頭〔木鼠〕の吉五郎を配したとおなじく、ときの火盗改メ長官・安部式部信旨(1000石)には、心きいた与力・山田藤兵衛(40歳)をあてている。
この物語は、両参謀役の差す手引く手の力量比べとみて話むと、中間管理職の心得にもなろう。

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2005.12.26

浪人盗賊・滝口金五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻17、長編[鬼火]の終末に名前があかされるだけだが、近江国・膳所生まれの浪人くずれ・滝口金次郎は、いまは隠退している元表御番医・吉野道伯(70歳近く)ぐるみの盗賊団の首領にかつがれている。
(参照: 表御番医・吉野道伯の項)
それというのも、3カ条を守りぬく本格派のお頭だった〔名越(なごし)〕の松右衛門が、一味が小網町の線香問屋へ押し入り、3000余両を奪ったとき、手代と小僧に重傷をおわせてしまったkことで落胆、盗金をすべて配下へ分配、独りで故郷の伊勢へ消えたあと、のこされた一味が滝口金五郎を首領にあおいだからである。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)

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年齢・容姿:43歳。大男。
生国:近江(おうみ)国滋賀郡(しがこおり)膳所(ぜぜ)]村。(現・滋賀県大津市膳所)。

駒込に〔権兵衛酒屋〕へ賊が押し入り、弥市夫婦を惨殺しようとするところを、鬼平が助け、弥市が逃げうせたことから、探索が始まった。謎は謎を呼び、600石の引退中の旗本・清水三斎までたどりついて、ようやく事件の真相が見えてくる。
(参照: 元旗本・永井弥一郎の項)
一方では、牛込の通寺町の薬種舗〔中屋〕へ賊が入り、家族・奉公人の全員23名を殺害し、大金のほかに秘伝の高貴薬〔順気剤〕まで奪った。ここにいたって、火盗改メの探索がはじまった。

結末:妖しい浪人たちを尾行しているうちに、関屋村の吉野道伯の寮がつきとめられ、次の狙い先が京橋・新両替町の菓子舗〔加賀屋〕であることが判明。待ち伏せていた鬼平の組に斬り殺されたり逮捕された。
滝口金五郎には一作年、麹町7丁目の呉服・太物問屋〔平松屋〕で一家皆殺しにした犯行もある。磔刑が至当。

つぶやき:〔権兵衛酒屋〕の襲撃と、清水老人、そして旗本・永井家、さらには大身・渡辺丹波守との結びつき、そして浪人盗賊・滝口金五郎の出番---どう糸がたぐられるのか。池波さんは、成り行きで書いてゆくというが、これだけの長篇となると、出たとこ勝負というわけにもいくまいに。
あえていうと、〔名越〕の松右衛門にしても滝口金五郎にしても、とってつけた感じがないでもない。つまり、ミステリー作法でいうところの「伏せ」が打たれていないのである。

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2005.12.05

〔薬師(やくし)〕の半平

『鬼平犯科帳』文庫巻7に所載[隠居金七百両]で、大盗賊の首領〔白峰(しらみね)〕の太四郎(72歳)は、体調をくずした配下の〔堀切(ほりきり)〕の次郎助(58歳)の引退願いを許すとともに、30年もよく勤めてくれた退職金代わりに雑司ケ谷の鬼子母神・参道の茶店〔笹や〕の権利を買ってやり、その見返りに自分の隠居金700両を秘匿するように命じた。4年前のことだった。
(参照: 〔白峰〕の太四郎の項 )
(参照: 〔堀切〕の次郎助の項)
そして去年、700両を京都から無事に持ちくだってきたのが、配下の〔薬師(やくし)〕の半平であった。そのとき半平はこういった。
「次郎助どん。お頭は、来年の夏ごろに最後のお盗めをなすって、足を洗い、江戸へ来なさるつもりだ。そのつもりで、お頭の住家のことも、気にかけていてくれ。おれも、そのときは、お頭といっしょに足を洗うつもりでいるがね」

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年齢・容姿:中年としか書かれていない。足を洗うにはいささか早すぎる気もしないではないが、44,5歳か。
生国:「薬師」という地名は、それこそ全国にちらばっている。しかし、上方がテリトリーの〔白峰〕の太四郎との地縁、池波さんの取材の足跡をかんがえると、もっとも近いのが近江(おうみ)国蒲生郡(がもうこおり)薬師村(現・滋賀県蒲生郡竜王町薬師)であろう。
ほかに、越前国大野郡薬師神谷村(現・福井県吉田郡松岡町薬師)や、遠江(とおとうみ)国長上郡(ながかみこおり)薬師村(現・静岡県浜松市薬師)もすてがたいが。

探索の発端:〔薬師〕の半平は探索のまったく埒外である。
鬼平の嫡男・辰蔵が、昨秋のお会式(日蓮上人の命日を記念した儀式)に行き、次郎助のむすめ・お順に岡惚れしてしまった。
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雑司が谷御会式(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

が、たまたま、隠居金目あての〔奈良山〕の与市が彼女をかどわかした現場を目撃し、鬼平とともに捕縛したために、〔白峰〕一味のことが知れた。
(参照:〔奈良山〕の与市の項)

結末:火盗改メから京都の町奉行へ連絡が行ったときには、京・下寺町に潜んでいた〔白峰〕の太四郎も妾おせいも逃亡したあとだった。むろん、〔薬師〕の半平も逃げおうせていたろう。

つぶやき:隠居金が次郎助のもとへ運ばれたことを〔奈良山〕の与市へ洩らしたのは、太四郎の妾おせいである。与市はおせいの実兄だった。
72歳にもなって27,8歳の妾をもてば、欲求不満で裏切ることぐらい、経験豊富な太四郎ならわかっていそうなもの。
いや、池波さんは、年齢不相応な女性との関係をいましめたのかもしれない。あるいは、女性の縁者には気をつけろ、といいたかったか。 与市が性質(たち)の悪い男であることはわかっていても、おせいを手離せなかった太四郎の優柔不断ぶりをたしなめたかったか。

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2005.10.01

〔上蚊野(かみがの)〕の乙五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収録の、寛政3年(1791)初夏の事件である[蛇の眼]に、「去年(注・寛政2年)の暮れから今年の春にかけ、凶賊・上蚊野(かみがの)の乙五郎をはじめ、かなり大きな組織をもつ盗賊団が三つほど、平蔵の手によって捕縛されたし、小さな泥棒の逮捕に至っては数えきれたものではない」とある。

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年齢・容姿:どちらも、記述されていない。
生国:近江(おうみ)国愛知郡(えちこうり)上蚊野(かみかの)村(現・滋賀県愛知郡秦荘(はたしょう)町上蚊野(かみかの))
池波さんは(かみがの)と濁ってルビをふっているが、地元では(かみかの)と濁らないようである。ほかに「蚊野(かの)」「蚊野外(かのと)」という地名も同地区にある。

探索の発端:記述がない。冒頭の文章だけである。

結末:こちらも記述がないが、わざわざ「凶賊」とふってあるから、死罪はまちがいないところ。
「兇賊」と「凶賊」を、池波さんばどう区別していたのかも不明。

つぶやき:『鬼平犯科帳』全24巻には、捜査の経緯や結末が書かれていない逮捕事件が、〔上蚊野〕一味のほかにも、

文庫 篇名      事件
[1-4 浅草・御厩河岸] 〔真泥〕の伊之助を堀帯刀が逮捕。
(参照: 〔真泥〕の伊之助の項)
[1-7 座頭と猿]     〔五十海〕の権平を逮捕。
(参照: 〔五十海〕の権平の項)
[2-4 妖盗葵小僧]   〔赤観音〕の久兵衛を高崎へ出張って逮捕。
(参照: 〔赤観音〕の久兵衛の項)
[4-5 あばたの新助]  〔神崎〕の弥兵衛一味を越ヶ谷へ出張って。
(参照: 〔神崎〕の弥兵衛の項)
[8-2 あきれた奴]    〔日影〕の長右衛門一味の逮捕。
(参照: 日影の長右衛門の項)
[8-5 白と黒]      高輪台で">〔門原〕の重兵衛一味を逮捕。
(参照:〔門原〕の重兵衛の項)
[10-3 追跡]       岡部へ急行、坂田一味11名を捕縛。
[10-6消えた男]     高松元同心の働きで5組の盗賊を逮捕。
[12-1いろおとこ]    〔舟見〕の長兵衛一味、
(参照: 〔舟見〕の長兵衛一味)
              〔鹿熊〕の音蔵一味の逮捕。
(参照: 〔鹿熊〕の音蔵の項)
[13-2 殺しの波紋]   〔高窓〕の久兵衛の後釜の浪人逮捕。
(参照: 〔高窓〕の久兵衛の項)
 〃          3年前、〔下津川〕の万蔵一味6名を逮捕。
(参照: 〔下津川〕の万蔵の項)
[14-4 浮世の顔] 〔神取〕の為右衛門に何度か臍を噛だ。
(参照: 〔神取〕の為右衛門の項)。
[14-5 五月闇]      〔四ッ屋〕の島五郎を逮捕。
(参照: 〔四ッ屋〕の島五郎の項 )
[16-6 霜夜]       〔須の浦〕の徳松一味を池田又四郎が襲う。
(参照: 〔須の浦〕の徳松の項 )
[18-4 一寸の虫]     〔不動〕の勘右衛門一味の逮捕。
[20-1 おしま金三郎]  牛尾一味の逮捕。
(参照: 〔牛尾〕の又平の項)
[21-4 討ち入り市兵衛]〔蓮沼〕の市兵衛。
(参照: 〔蓮沼〕の市兵衛の項)
[21-5 春の淡雪]    〔雪崩〕の清松の密告により3件の事件が解決。
[24-1 女密偵女賊]   浪人:大野甚五郎を逮捕。

などがあり、自分で勝手に、探索の発端や見張りの手配、結末などが空想できる。

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2005.09.30

〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻3におさめられている[艶婦の毒]で、27歳の銕三郎(鬼平の家督前の名前)が、京都で親しんだ女性・お豊(24,5歳)がやっていた茶店〔千歳〕の老爺が、じつは〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門と名乗る盗っ人だった。
(参照: 女賊お豊の項)
お豊のはげしい情欲におぼれていた銕三郎の目をさまさせたのは、京都西町奉行所の実直な与力・浦部源六郎(中年)であった。
伏見稲荷前で捉えられた老爺が〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門とわかり、お豊も、上方から近江をテリトリーとしている盗賊〔虫栗(むしくり)〕の権十郎(先代)一味と知れた。

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年齢・容姿:60をこえた、とのみでほかは記述されていない。
生国:近江(おうみ)国坂田郡(さかたこうり)男鬼(おおり)村(現・滋賀県彦根市男鬼町)。

逮捕の経緯:大坂を根拠にしていた〔千里(せんり)〕の草平が獄門になったので、その手下だった駒右衛門は、しばらく小泥棒をしてしのいでいたが、10年前、大坂町奉行所の盗賊方の同心・平山亀蔵につかまったものの、縄ぬけしてうまく逃げおうした。
それが、公用で京都へ出張してきた平山同心に、伏見稲荷の人ごみの中にいた亀蔵が見かけられ捕まった。
浦部与力の情けあつい尋問に、亀蔵は茶店〔千歳〕のお豊のことを白状におよんだ。

つぶやき:「男鬼(おおり、または、おうり)」という名の村が現実に存在していたことを知ったときの驚きといったらなかった。しかし、それが近江国とわかったときには、納得した。池波さんが綿密に取材した県の一つが滋賀県であることを知っていたからである。
とくに彦根市には愛着をおぼえていた、とエッセイに記している。
聖典には(おおに)とルビがふられているが、地元では(おおり)と呼んでいる。村名の由来は、霊山寺7別院の1つ、男鬼寺にちなむと。

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2005.09.27

〔五条(ごじょう)〕の増蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録の[殿さま栄五郎]で、急ぎばたらきが専門の〔火間虫(ひまむし)〕の虎次郎は、配下の〔長沼(ながぬま)〕房吉を使いにだし、谷中・三崎坂下の法住(受)寺(震災後、足立区伊興狭間へ移転)門前で花屋をやりながら裏で口合人稼業をしている〔鷹田(たかんだ)〕の平十に、血をみてもいいという腕利きを依頼させた。
(参照: 〔長沼〕の房吉の項 )
(参照: 〔鷹田〕の平十の項)
平十が紹介したのは、かつて大盗〔蓑火(みのひ)〕の喜之助のもとにいた、備前・岡山の浪人あがりで顔立ちも立派なら、目つきもやさしいが腕は滅法たつので〔殿さま〕栄五郎と呼ばれている助っ人だつた。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項
(参照: 〔殿さま〕栄五郎の項)
その〔殿さま〕栄五郎をかいま見て、「あれは真っ赤な偽者」と喝破したのが〔五条(ごじょう)〕の増蔵である。
増蔵は、どういう理由があったのか、故〔狐火(きつねび)〕の勇五郎のもとから追放されたのだが、まだ〔狐火〕一味にいた時分、〔蓑火〕の喜之助のところへ貸しだされたこともあった。それで、〔殿さま〕栄五郎を見知っていしたのである。

214

年齢・容姿:50がらみ。血色がよくない、頬骨が張り出した顔。痩せている。
生国:近江(おうみ)国野州郡(やすこうり)五条村(現・滋賀県野州郡中主(ちゅうず)町五条)。
京都を本拠としていた〔狐火〕一味にいたというから、近畿をまず選んだ。近江のここと、河内国河内郡五条村、大和国添下郡五条村、山城国愛宕町五条河原---なかでもっとも池波さんに縁が深いとおもったのが、野州の五条である。甲賀忍者ものの取材でしばしば訪れている。

探索の発端:じつは、〔鷹田〕の平十から事情をきいた密偵〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治が鬼平へ報告。と、鬼平は〔殿さま〕栄五郎になりすまそう、といい出したした。
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
ところが偽者がばれ、〔鷹田〕の平十が〔火間虫〕一味に吊れだされたことから、事態が急にあわただしく展開しはじめた。

結末:芝・方丈河岸の盗人宿は火盗改メに踏みこまれて、〔火間虫〕一味は、増蔵も含めて8名が逮捕され、浪人くずれを含めて抵抗した5名が斬りすてられた。

つぶやき:テレビの〔五条〕の増蔵は、ざんぎり頭の法衣姿である。そのほうがちょん髷に着物姿の盗賊たちのなかでくっきりと際立つと考えられたのであろう。
類推すると、「京の五条の橋の上---」の小学唱歌がで、弁慶がひらめいての、脚本家か衣装係の知恵だったみたいにもおもえる。

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2005.09.25

〔栗原(くりはら)〕の重吉

『鬼平犯科帳』文庫巻16に入っている[霜夜]で、、鬼平のかつての同門の池田又四郎が属しているのは、〔須の浦(すのうら)〕の徳松という盗賊一味。又四郎の義妹お吉に、鉄砲洲の薬種問屋〔大和屋〕の引きこみをするように、僧形を装っている配下の〔常念寺(じょうねんじ)〕の久兵衛、〔栗原(くりはら)}の重吉を介して強制している。
(参照: 〔須の浦〕の徳松の項)
(参照: 〔常念寺〕の久兵衛の項)

216

年齢・容姿:40がらみ。でっぷり肥えた町人すがた。
生国:近江(おうみ)国滋賀郡(しがこうり)和邇(わに)(滋賀県滋賀郡志賀町栗原)。
「栗原」という地名は、近畿・中京圏にかぎっても、兵庫県赤穂郡上郡町、奈良県高市郡明日香村、三重県度会郡度会町、岐阜県不破郡垂井町、同・武儀郡洞戸村、静岡市などにある。
〔須の浦(すのうら)〕の徳松一味のテリトリーは、上方から北陸道とあるので、もっとも近い志賀町を採った。

探索の発端:京橋・大根河岸の兎料理が名代の〔万七〕で、高杉道場でのかつての弟弟子・池田又四郎を見かけた鬼平は、南飯田町の船宿〔なだや〕まで後をつけた。
又四郎は、この船宿で、〔常念寺(じょうねんじ)〕の久兵衛と〔栗原(くりはら)〕の重吉から、義妹のお吉に引きこみをさせるようにせかされた。お吉は〔須の浦〕一味を勝手に抜け、本湊町の薬種問屋〔大和屋〕で女中をとして信頼を得ていたのである。又四郎の妻お米は、夫が妹のお吉とも通じていることを気に病みながら女賊として病死していた。
同じ夜、池田又四郎が役宅へ、「明日の午後2時に、砂村の元八幡の境内へ、一人で来てほしい」と置手紙していた(〔常念寺〕の久兵衛と同文)。

結末:池田又四郎は、きのうまで同類だった〔須の浦〕一味の者8名を斬り殺したが、自分も瀕死の重傷を負い、鬼平の手の中でこときれた。
江戸での盗めのために設けられた〔須の浦〕一味の盗人宿は、又四郎が打ち明けたので、残っていた者はことごとく逮捕。死罪であろう(同上)。

つぶやき:〔桑原〕の重吉には、いささか短気の気味がある。40をすぎていて、後先への配慮もなくいきりたつのは、思慮がたりない。お頭〔須の浦〕の徳松としてもそのあたりをおもんぱかって、〔常念寺〕の久兵衛を介添えにつけたのかもしれない。
重吉の短気は、けっきょく、池田又四郎の決意をさそいだしてしまい、文字どおりの命とりとなる。。

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2005.09.09

〔万馬(まんば)〕の八兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻6に載っている[むかしなじみ]で、〔相模(さがみ)の彦十爺つぁんは、20年ほど前に小さな盗みをいっしょにやった〔網虫(あみむし)〕の久六(53,4歳)のつくり話にころりとだまされて、危うく盗めの世界へ逆もどりしかける。
(参照: 〔網虫〕の久六の項)
いち早く事情を悟った鬼平のはからいで、そうはならなくてすむが。
久六のつくり話は、大坂で女に子を産ませたが、仕事の邪魔になるので、人に金5両をつけてゆずったが、再会してみると、子どもともども労にかかってみじめな生活をしているために、金が必要なので盗めをするから助(す)けないかというのである。
彦十爺つぁんにも似たような過去があった。
豆腐屋の出もどり女と本所・中ノ郷のあばら家で2年ほどいっしょに暮らしていたが、名古屋の〔万馬(まんば)〕の八兵衛から助(す)け話がくると、盗みの血がさわぎはじめてどうしょうもなく、女を千住の煮売り屋の男に金5両つけて押しつけ、消えたのであった。

210

年齢・容姿:どちらも書かれていない。
生国:尾張(おわり)国海東郡(かいとうこうり)万馬(まんば)村(現・愛知県名古屋市中川区富田町万場)
学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラスの堀眞治郎さんが、2003年1月10日の[週刊掲示板]に、「〔万馬〕は『大日本地名辞書』では〔万場〕と記載されているのを、池波さんが〔万馬〕と使ったのは、おそらく岸井良衛『五街道細見』(青蛙房)p153 にある佐屋街道の宿場である万馬を見られたからだと思います。現在は名古屋市中川区富田町万場となっています」と寄せられているのにしたがった
八兵衛のテリトリーは名古屋を中心にした地域と記されている。堀さんのリサーチに感謝。

探索と結末:なにしろ20年近く前のことだし、彦十爺つぁんが無事に鬼平のむかしなじみ兼密偵としてつかえているのだから、逮捕はなかったと推定せざるをえまい。

つぶやき:彦十爺つぁんが〔網虫(あみむし)〕の久六のつくり話にころりとはまったのは、鬼平がいうとおり「人のこころの奥底には、おのれでさえわからぬ魔物が棲んでいる」からである。
久六の誘いに、忘れていたはずの彦十爺つぁんの盗みの血が、われにもなく沸きたった。

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2005.09.07

〔網虫(あみむし)〕の久六

『鬼平犯科帳』文庫巻6に載っている[むかしなじみ]は、鬼平の莫逆の友(?)を自称する古参密偵〔相模(さがみ)〕の彦十爺つぁん(60に近い)が、こともあろうにお盗めに加担しかける物語である。
爺つぁんに誘いをかけたのは、〔網虫(あみむし)〕---つまり、蜘蛛(くも)の異称をもつ久六で、20年ぶりの出会いであった。

年齢・容姿:53,4歳。矮躯(わいく)。うしろから見たら、まるで子ども。煤竹色の顔でどこに目鼻がついているかわからない。目だけがぎょろりとしている。
生国:近江(滋賀県)のどこか。p178 新装版p187  百姓の両親が、5歳の久六を見世物へ売ってしまったので、生国の記憶は「海のようにひろい水の上に舟が浮かんでいる景色だけよ」である。

210

探索の発端:本所二ッ目橋を林町の方へわたったところで、〔網虫(あみむし)〕の久六に声をかけられ、盗みの相談をうけたことまでは鬼平へ打ち明けた彦十であったが---。
592
亀戸天満宮の御輿がわたっているのが二ッ目の橋。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

久六のつくり話に、かつての自分の所業をおもいだした彦十の胸の底で、盗みの血が目をさました。それからは、鬼平への報告がぴたりととまった。
不審におもった鬼平が、おまさと夫・〔大滝〕の五郎蔵に探索を命じた。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項目)
〔網虫〕の久六は、かつての盗め仲間の〔水越(みずこし)〕の又平(50男)と甥の房治(30男)も引き込んでいた。
(参照: 〔水越〕の又平の項)

結末:日本橋橘町3丁目の町医・人見道春の家へ、いよいよ、今夜は押しこもうというとき、〔水越〕の又平の家へいそぐ彦十爺つぁんは、南本所の五間堀に架かる弥勒寺橋ですれちがった虚無僧に、尺八で首筋を強打されて失神、どこかへ運ばれていった。虚無僧は五郎蔵の変装であった。
580
二ッ目通りとその先に弥勒寺橋
(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

深川・木馬の西側---島田町で灯油や蝋燭、こまごました台所道具を商っている又平の〔いなばや〕へは、鬼平のほか佐嶋忠介、酒井祐助、五郎蔵、〔小房〕の粂八が打ち込んで、全員6名を逮捕した。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
576
木場(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:翌日、〔五鉄〕でふとんを頭からかぶって寝ている彦十へ、鬼平がいう。
「これ彦十、昨夜な、佐嶋忠介が、網虫の久六を詮議したところ、すっかり吐いたぞ。久六め、彦十に裏切られたと、歯ぎしりをして、くやしがっていたそうな」

鬼平にとって、彦十は青春時代をおもいださせてくれる「宝物」なのである。

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2005.08.29

〔鳥羽(とば)〕の彦蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻18に所載の[草雲雀]は、同心・細川峯太郎が、かつてなじんだことのある寡婦お長の熟(う)れた躰を忘れかね、墓参にことよせて権之助坂のあたりへ近寄った。そこで、人相書で見おぼえていた盗賊〔鳥羽(とば)〕の彦蔵に出会う。
彦蔵は、お長の茶店の北隣の雑貨を並べている〔かぎや〕の女主人おきぬと密通するために権之助坂へ現れたのである。

218

年齢・容姿:37,8歳。身の丈、5尺3寸ほど(約160センチ)、中肉中背。色白く目の中細く、片方の耳たぶがない。
生国:近江(おうみ)国坂田郡(さかたこうり)鳥羽上(とばがみ)村(現・滋賀県長浜市上鳥羽町)
まっ先に三重県鳥羽市を想定するのがふつうだが、『旧高旧領』にはひっかからない。すなわち、鳥羽市に合併された「鳥羽」という村はなかったとみていい。
山城国紀伊郡上、下鳥羽村だが、「鳥羽・伏見」などといわれているように、いささか広範囲にすぎる。
信濃国安曇郡上、下鳥羽村だと、出雲国江島出身の由五郎とのつながりが判然としない。1昨秋、〔江嶋〕の由五郎とその一味が浅草・馬道の乾物問屋〔伊勢屋半兵衛〕方へ押しこんだところを火盗改メが捕縛にしたが、〔鳥羽〕の彦蔵のみ、巧みに逃げおうした。人相書が捕らえられた一味の口述からつくられていた。
(参照: 〔江嶋〕の由五郎の項)
しかも、次のお盗めは伊勢の桑名にゆかりのあるところというから、上方の出でと推量、長浜市の「鳥羽上」を採った。長浜あたりは、忍者ものや木下藤吉郎の取材で、池波さんは土地勘がある。

探索の発端:白金10丁目で、細川同心が彦蔵を見かけて尾行、〔かぎや〕へ入ったことから
火盗改メの出役となった。

結末:〔かぎや〕のおおきぬの亭主、〔瀬川(せがわ)〕の友次郎が、彦蔵に撲殺されたのをきっかけに、包囲してしていた火盗改メが踏みこみ、逮捕。
(参照: 〔瀬川〕の友次郎の項)

つぶやき:コメディ・リリーフの木村忠吾が齢をへるにつれてそれなりに成長してききたので、彼の代わりをつとめるキャラが必要となった。
それが細川峯太郎なのだろうが、忠吾の生得のものともいえる明るさが、峯太郎にはない。コメディ・リリーフ役はかなり無理。

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2005.08.11

〔湯屋谷(ゆやだに)〕の富右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻14に所載の[さむらい松五郎]で、同心・木村忠吾が盗人の〔網掛(あみかけ)〕の松五郎に間違えられて、〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七一味の逮捕につなげた。
(参照: 〔網掛〕の松五郎の項)
見間違えたのは〔須坂(すざか)〕の峰蔵で、荒っぽいお盗めをする〔轆轤首〕へ口合いをしたのは、高崎の口合人〔赤尾〕の清兵衛だった。
(参照: 〔須坂〕の峰蔵の項)
(参照: 〔赤尾〕の清兵衛の項)
〔さむらい〕松五郎こと〔網掛〕の松五郎は、上方から中国すじを荒らしていた〔湯屋谷(ゆやだに)〕の富右衛門の右腕とか左腕とかいわれていた。

214

年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:近江(おうみ)国甲賀郡(こうかこうり)信楽村湯屋谷(現・滋賀県甲賀市下朝宮)
三重県上野市にも、京都府綴喜郡宇治田原町にも湯屋谷があり、上方と中国筋がテリトリーという〔湯屋谷〕の富右衛門の出生地としてはすてがたいが、甲賀忍者の取材で数多く訪れたという観点から、かつての信楽村の下朝宮にある谷---湯屋谷を採った。

探索の発端:密偵・伊三次を目黒の威徳寺の木村家の墓域へ葬った同心・忠吾は、墓参の帰り道、門前の〔桐屋〕で名物の目黒飴を買っていて、〔須坂(すざか)〕の峰蔵に肩をたたかれた。
(参照: 伊三次の項)
峰蔵の人違いに乗じてさくりをいれると、いま助(す)けている〔轆轤首〕のところから抜けたいのという。それから〔轆轤首〕一味の盗人宿---目黒の権之助坂・上覚寺の前の茶店〔日吉屋〕の見張りがはじまった。

結末:本物の〔網掛(あみかけ)〕の松五郎は小柳安五郎の手で捕まった。〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七は〔日吉屋〕で捕まった。〔須坂(すざか)〕の峰蔵は鬼平が捕まえた。

つぶやき:ホームページ[『鬼平犯科帳』の彩色『江戸名所図会』]の2005年8月の項、
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/board/index35.html
に学習院〔鬼平〕クラスの新兵衛さんが指摘されているが、目黒の権之助坂の中ほどの寺を、「上覚寺」としている切絵図は尾張屋板、池波さんがいつもかたわらに置いていた近江屋板は「浄覚寺」で、こっちのほうが正しい(もっとも、浄覚寺は、明治期に白金台3丁目の瑞聖寺へ合祀された。ついでにいうと、木村忠吾の菩提寺・威徳寺が合祀されたのも瑞聖寺である)。

池波さんは、なぜ、このときにかぎって執筆時に尾張屋板のほうをひろげたか。近江屋板の目黒地区の絵図が粗略だったからと推察する。寺号を参照する時間もないほど忙しかったのだろうが、気のきいた秘書がいれば防げはず。


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2005.07.29

〔猿塚(さるづか)〕のお千代

『鬼平犯科帳』文庫巻5で、初めてつかわれた[女賊(おんなぞく)]という呼称がびたりとはまる、〔猿塚(さるづか)〕のお千代が登場。
牛天神前の菓子舗〔井筒屋〕のおかみにおさまって、女躰をもとに、20数人の配下を束ねている。
東海道は岡部宿の小間物屋〔川口屋〕に、引退して寄宿している〔瀬音(せのと)〕の小兵衛だが、通りがかりの〔福住(ふくずみ)〕の専蔵から、隠し子の幸太郎が〔猿塚〕のお千代のなぐさみものになつているときいて、矢もたてもたまらず、江戸へやってきた。
(参照: 〔瀬音〕の小兵衛の項)
(参照:〔福住〕の専蔵の項)
205

年齢・容姿:40歳すぎ。見たところ28,9の若い女のような躰つき。小さな愛らしい白い手。かすれ気味の声。
生国:近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)高宮(現・滋賀県彦根市高宮)。
10年前に逝ったとき、年齢が30歳近くも開いていたにもかかわらず夫といわれた男は、じつは〔猿塚(さるづか)の徳右衛門で、お千代の実父。お千代は2代目。
徳右衛門が牛天神前に菓子舗をかまえたのは15年前のことというから、お千代は近江の出生とみてもいいのではなかろうか。
ただし、猿塚の一つは、京都市伏見区竹田三ッ杭町の小学校のキャンパス内に建てられている。

探索の発端:浅草の浅草寺の境内で偶然に小兵衛と出会った密偵のおまさへ、小兵衛が〔猿塚(さるづか)〕のお千代と幸太郎の顛末を打ち明け、お千代の居所をつきとめてくれと頼んだことから、鬼平が動ききじめた。
(参照: 女密偵おまさの項)
おまさは鬼平の口ききで、お千代と幸太郎が逢引きをする池ノ端の出会茶屋〔ひしや〕に女中として住み込み、2人があらわれるのを待った。
4日後、帰っていくお千代の駕篭を尾行(つ)けたおまさは、お千代の〔ひしや〕を探りあてた。

結末:鬼平とおまさは、閉じこめられていた根岸の寮から幸太郎を救い出した。
火盗改メ19名が〔井筒屋〕へ打ち込んだとき、お千代はいさぎよく喉を突いて自裁していた。

つぶやき:〔猿塚(さるづか)〕のお千代にしても、〔掻掘(かいぼり)〕のおけいにしても、京都の女盗賊おたかにしても、40すぎでハイティーンか20代の男性を迷わせるだけの色香をただよわせている。
(参照: 〔掻掘〕のおけいの項)
(参照: 女盗おたかの項)
池波さんが、若い男性読者の憧憬を察してのことか。もしやして、世の年増女性の心の奥底に秘めたひそやかな願望のほうかも。

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2005.07.28

〔鏡(かがみ)〕の仙十郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に配され、高感度は全篇中でも五指に入る[密偵たちの宴(うたげ)]で、浅草・橋場の町医者で高利貸しもしている竹村玄洞邸に押し入った、浪人あがりの凶悪な盗賊。このたびの盗めには、かつて〔大滝〕の五郎蔵が助(す)けを断った〔草間(くさま)〕の貫蔵(50近い)も加わっていたために、はやばやと目星がついた。
(参照: 〔大滝〕の五郎像の項)
(参照: 〔草間〕の貫蔵の項)

212

年齢・容姿:53歳。容姿の記述はない。奸智にたけた獰猛な奴と。
生国:近江(おうみ)国蒲生郡(がもうこうり)鏡村(現・滋賀県蒲生郡竜王町鏡)。
鏡という町名は、栃木県小山市、新潟県柏崎市、佐賀県唐津市などにもあるが、〔鏡(かがみ)〕の仙十郎について大坂の町奉行所や中国すじの各藩から江戸の町奉行所や盗賊改方へ照会がきているとあるから、本拠を上方とみて、滋賀県の竜王町とした。

探索の発端:〔大滝〕の五郎像が竹村玄洞邸を下見するために浅茅ヶ原から福寿院の横道へやってきたとき、〔草間(くさま)〕の貫蔵を見かけた。
貫蔵は、総泉寺の境内でお長(40女)とつなぎをつけていた。お長を尾行(つ)けると、竹村玄洞邸へ入っていった。
これで、どこかの盗賊一味が竹村邸の金蔵を狙っていることがはっきりした。各所へ見張り所が設けられ、押し入りの日を待った。

結末:竹村宅を襲ったのは〔鏡(かがみ)〕の仙十郎一味15名で、うち2名が雇われ用心棒の浪人に斬られ、5名が火盗改メに斬り殺され、8名はすべて捕縛。
〔鏡〕の仙十郎は、市中引き回しの上、磔刑。ほかは死罪。

つぶやき:この篇の見ものは、末尾のおまさの啖呵である。日ごろは冷静なおまさが、茶碗酒をあふってつねにない啖呵を切るが、女性も抑圧がとれると、一気に爆発するということのサンプルである。
(参照: 女密偵おまさの項)
芝居の打ち上げ会かなにかで、酔った女優さんがすごい啖呵をきった場面に遭遇した体験が、池波さんにあるのかもしれない。

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2005.07.15

〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収められている[見張りの見張り]は、行方知れずになった息子・佐太郎を殺した男に仇討ちをしようと旅をしている〔長久保(ながくぼ)〕の佐助(60すぎ)が、偶然に昔なじみの〔舟形(ふながた)〕の宗平と出あった。
(参照: 〔長久保〕の佐助の項)
(参照: 〔舟形〕の宗平の項)
宗平がここは〔大滝〕の五郎蔵の盗人宿だというと、佐助は、五郎蔵をつけまわしはじめる。かつて五郎蔵の配下だった〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉こそ、佐太郎を殺した敵と、〔橋本(はしもと)〕の万造(32,3歳)にいわれたからである。
(参照: 〔橋本〕の万造の項)

212

年齢・容姿:中年。ずんぐりした躰つき、角ばっていて脂ぎった顔だち、張りだした額の下の大きな眼玉。
生国:近江(おうみ)国甲賀郡(こうかごおり)杉谷村(現・滋賀県甲賀(こうか)市杉谷)
「杉谷」村は、上総国周淮郡、越前国丹生郡、同足羽郡、遠江国佐野郡、大和国吉野郡、伊勢国朝明郡にもあるが、池波さんの頭に浮かんでいたのは、甲賀五十一家のうち、『蝶の戦記』(文春文庫)のヒロイン於蝶のお頭・杉谷与右衛門信正ではなかったか。
杉谷郷について同作品は、京都から鈍行で一時間半、「貴生川から南へ一里。そこが、杉谷の里であった」と記して、池波さんが取材で訪れたことを暗示している。

探索の発端:五郎蔵が南品川で〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉の女房がやっている蝋燭屋を訪れ、密偵の伊三次をみかけた。
(参照: 伊三次の項)
五郎蔵が鬼平に事情を告白すると、蝋燭屋の女房が毎日のように買物をしている近所の八百屋のむすめが下女として奉公をしていたのは本郷4丁目の紙問屋〔伊勢屋〕だが、先日、一家店員ともども惨殺されたため、その聞き込みに伊三次が行っていたのだと聞かされた。

結末:五郎蔵が〔杉谷〕の虎吉を罠にかけて捕縛。死罪を前にして虎吉がいうには、〔長久保〕の息子を殺してはいないと。

つぶやき:池波さんの創作法は、あらかじめ筋書きを考えないで書き出し、あとは成り行きまかせだというのだが、それにしては、この篇などは起承転結がうまくいっている。

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2005.05.08

〔高山(たかやま)〕の治兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻20の巻頭へ置かれている[おしま金三郎]で、〔牛尾(うしお)〕の又平一味が手入れされたとき、逮捕をまぬがれた2人のうちの1人が、この〔高山(たかやま)〕の治兵衛。もう1人は女賊おしま。

220

年齢・容姿:50がらみ。小肥り。両眼は瞳が見えないほどに細い。おだやかな口のききよう。
生国:近江(おうみ)国浅井郡(あさいごうり)高山村(現・滋賀県東浅井郡浅井町高山)。
「高山」といえば、飛騨・高山をはじめ全国に10カ所以上もあるのに、「姉川支源草野川の源」(『大日本地名辞書』)にある谷奥のここを選んだのは、『蝶の戦記』など、姉川の合戦のロケーション取材の予習で、池波さんが同辞書に目をとおしたときに記憶したとは推量したからである。もちろん、〔牛尾〕の又平、〔瀬田〕の虎蔵を近江出身と見ての地縁なのだが。

探索の発端:女賊おしま(この篇では27,8歳)が、〔牛尾〕一味の探索にかかわる不祥事で火盗改メの同心をお役追放になり、麻布・田島町の鷺森明神社(氷川神社 港区白金2丁目へ合祀)傍らで〔豆腐酒屋]の亭主になっている松浪金三郎のところへやってきて、〔牛尾〕の又平の実弟〔瀬戸(せと)〕の虎蔵が、又平の逮捕に功績のあった小柳安五郎の命を狙っていると告げた。
じつは、〔牛尾〕の又平の右腕といわれた〔高山〕の治平が、仕掛けを大きくみせるために、おしまに吹き込んだこしらえごとだった。

結末:〔高山〕の治兵衛に金で雇われた浪人者たちは、松浪金三郎を襲った者も、小柳安五郎に切りかかった者たちも、鬼平にあっさり斬られたのみならず、後者の場合には、居合わせた治兵衛も捕縛され、死罪。

つぶやき:事件の現場にかならず来あわせる鬼平の勘ばたらきのみごとさに感嘆すべきか、話がうますぎることに眉をひそめるべきか。ファンとしては躊躇することなく前者を取るだろう。
居酒屋をたたんで上方へ流れた金三郎が、仕入れに京へのぼった南鍋町2丁目の〔玉章堂〕の番頭に、女といっしょにいるところを見かけられる結末は、あざやか。女は、なんとしても金三郎に添いとげたかったおしまである。

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2005.05.01

〔犬神(いぬがみ)〕の権三

『鬼平犯科帳』文庫巻10の巻頭に[犬神の権三]と、タイトルにもなって収まっているひとりばたらきの主人公〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎。

210

年齢・容姿:42,3歳。ぎょろりとした眼だま、大ぶりな口と鼻、濃い眉毛の役者面のいい男。肥えている。
生国:佐渡(さど)国羽茂郡(はもちこうり)犬神平(現・新潟県佐渡郡小木町犬神平)とすれば収まりがいい。
しかし、池波さんが佐渡へ足を踏み入れた記録は目にしていない。
字は違うが音はおなじ、近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)の犬上川ぞいのどこか---たぶん、かつての大滝村、現在の犬上郡多賀町藤瀬の犬上川ぞいとみたい。
池波さんが座右からはなさなかった吉田東伍『大日本地名辞書』(冨山房)は、犬神の社にまつわる伝承---木樵(きこり)を飼い犬が大蛇から救った古伝を、日本中いたるところにある故事としている。
犬神を祀ったとされる多賀町の大滝神社の「大蛇ヶ淵」の銘板を掲げておく。

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[銘板の文章」
旧跡 大蛇ヶ淵
大滝神社境内の御神木杉の辺より見降すあたりの岩瀬は「大蛇ケ淵」と呼ばれる。
上流に犬上ダムが建設されるまでは「大滝」の名に恥じない堂々たる瀑布であった。
滝淵には神代の昔、大蛇が棲んでいたと言われる。近辺の住民に仇なす祟り神であった。
大蛇は、犬上建部君稲依別命と忠犬小石丸によってこの淵に鎮められる。
(詳細は参道上の犬胴松の由緒をご覧ください)
ここより目を対岸に向けると小さな祠が見えるが、この祠が犬上神社の元社稲依別命が小石丸の首を鎮めたと言われるところで眼下の大蛇ヶ淵と時に大奔流と化す川面を見守り鎮めているかのようである。
平成13年(2000年)7月

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大蛇に見えないこともない大滝神社下の犬上川

犬の首奇談は西国のものらしいし、横溝正史『犬神家の一族』も中国地方が舞台だったように記憶する。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』(国書刊行会 複写刊行)から、「犬神・白児(しろちご)」の絵を引いておく。
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探索の発端:密偵となった〔雨引(あまびき)〕の文五郎が、〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎を破牢させた。8年前に、病妻を看取ってもらったことの恩返しのつもりだった。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
しかし、権三郎はそのことを忘れてしまってい、文五郎とともに大坂・心斎橋筋の唐物屋〔加賀屋〕へ押し入り、600余両を奪ったのに、300余両しかなかったといつわり、猫ばばした300両の報復のために破牢させたと誤解していた。

女密偵おまさは、権三郎の情人で女賊おしげと上野広小路で出会い、男のことをのろけられた。おまさすかさず
尾行、おしげの家は見張られることになった。
(参照: 女密偵おまさの項)

結末:南千住の文五郎の隠れ家を襲う権三郎を尾行、事前に捕らえた火盗改メだったが、隠れ家で文五郎は自裁するとまではおもいがおよばなかった。

つぶやき:「恩は着せるものではなく、きるもの」との人生訓を、池波さんは長谷川伸師から受けついでいることは、『完本 池波正太郎大成』(講談社)の別巻に収録の[二十六日会聞書]に銘記のとおりである。
鬼平は権三郎を「唾棄すべき男」と極めつける。
「犬神の権三郎という奴は、恩をほどこしたことも、ほどこされたことも、すぐに忘れてしまう奴よ----」

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2005.04.16

〔大滝〕の五郎蔵が見かけた

◎〔大滝〕の五郎蔵が見かけたのが発端

[7-4 掻堀のおけい]  〔砂井〕の鶴吉  p112 新p117
[12-4密偵たちの宴]  〔草間〕の貫蔵  p179 新p189
[14-4浮世の顔]    〔藪塚〕の権太郎 p154 新p158

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〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(その1)

『鬼平犯科帳』文庫巻4に収められている[敵(かたき)]で初登場した正統派の盗賊団の首魁。のち、鬼平直属の密偵となってかずかずの篇で活躍。巻9の[鯉肝のお里]で、いっしょに見張り役をつとめていた女密偵おまさと結ばれる。

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(参照: 女密偵おまさの項)

年齢・容姿:[敵](寛政元年 1789)のとき50男。6尺(約1.8メートル)ゆたかな巨漢。ひげあとが濃い。
生国:近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこおり)大滝地区(現・滋賀県犬上郡多賀町大滝)
ここが有力候補地として急浮上してきたのは、朝日カルチャーセンター(新宿)の鬼平クラスでともに学んでいる堀之内勝一さんが、『侠客』の中のつぎの一節を見つけたことによる。

近江の国・犬上郡・富之尾は、彦根城下から南へ三里。
琵琶の湖の東岸、二里半のところにある。
このあたりは、近江と伊勢の両国にまたがる山塊の、その山ひだにかこまれた山村で、総称を〔大滝〕とよぶ。
江戸からここまで、中山道を約百二十里。 (新潮文庫 1969.03.26) p215

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明治19年の彦根・富之尾地図

鬼平シリーズに先立つ忍者ものの取材で、織田信長軍と浅井長政勢の戦いの現場や、六角家の観音寺城から甲賀への逃避の経路などふんだり、好きな彦根を幾度も訪ねている池波さんのこと、彦根市のすぐ隣j町の多賀大社や大滝神社へも詣でたか。

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多賀大社拝殿

探索の発端:三国峠を通りかかった剣友・岸井左馬之助が、斬りあいをしている2人の男を見かけ、残ったほうの男(五郎蔵)のあとをつけたことから、その盗人宿、一味の存在が知れた。

結末: 小梅村の盗人宿で、〔小妻(こづま)〕の伝八の姦計で寝返っていた配下たちが、五郎蔵へ斬ってかかったが、鬼平と左馬之助の出現で救われ、密偵となる。
(参照: 〔小妻〕の伝八の項)

つぶやき:多賀町の大滝を、この目で確かめるために、出向いた。彦根からバスで多賀大社へ。参詣後、近江鉄道多賀線[多賀神社前]駅でタクシーを待つ。
犬上川ぞいに遡行して山間(やまあい)に入っていくこと15分(約6キロ)、大滝神社に達した。北の山側が人家が少ない「富之尾」である。

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神社前のバス停