カテゴリー「122愛知県 」の記事

2007.01.29

葵小僧ものの読後感

[江戸怪盗記]は、『鬼平犯科帳』シリーズが始まる4年前の、『週刊新潮』1964年1月6日号に載った。
2編を読み比べ、レイブを受けた夫婦の、その後の対応の微妙を、女性の立場から、鬼平熱愛倶楽部メンバー・一子さんが記す。

[江戸怪盗記]を読んで一番不思議に思ったのは、妻が自分の目の前でレイプされるという大変な事が起こったにもかかわらず、最後は夫婦の何気ない会話で終わっていることです。
その理由としては、
・日野屋久次郎は自害するとまでのぼせて、きぬと結婚
・2人の間には男の子が生まれている
・事件後、もう忘れようと夫婦は互いにいたわり合う
・長谷川平蔵の早い吟味、決着のおかけでレイプ事件は世間にもれなかった
と書かれています。

次に『妖盗葵小僧』を読むと、龍淵堂京屋善太郎、千代が登場しています。葵小僧にレイプされた妻を許すことが出来ずに善太郎は千代を薬殺し、自分も首を吊って自殺しています。
レイプされたときの様子は詳しく小説に書かれておりますが、あまりに生々しい描写は、女性の立場からはあざとく思え、最初は池波先生の読者へのサーピ゛スかとも思えたほどです。
その次に、また、日野屋夫婦が登場シテオリ、レイブ事件がおきます。
「おきぬは他の女のように我を忘れて、燃え上らなかった。葵小僧のゆぴ゛や舌の攻撃をじっと耐え、棒のように横たわっているのみであった」
たった2行のこの文章を読んだとき、日野屋夫婦への疑問が解けた思いでした。
心中してしまった龍淵堂、やり直すことができた日野屋、明暗を分けた夫婦を強調させるにはやはり、あの描写は必要だったのかな? 
(でも、少しリアルすぎるかも)と、思いました。
何故、葵小僧がレイプという卑劣きわまりない行為を犯すようになったのか。
・生い立ちから転落の人生
・つけ鼻に強調される劣等感
・声を盗んで声色を使うというアイデア
などの手法を用いて物語をふくらませ、事件は解決しています。
鬼平の英断で数多くの女性達の秘密が守られていたというひげょう者を読んで、最後に私自身も救われたように思いました。

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2006.11.28

葵小僧の発見

120_1 河出文庫[鳶魚江戸ばなし]シリーズ・その1にあたる『泥坊づくし』(1988.3.4)を、鬼平熱愛倶楽部メンバーのおまささんのご尽力で手に入れることができた。
青蛙房の『三田村鳶魚・江戸ばなし』を底本とした、河出文庫のシリーズその2『江戸の女』(1988.8.4)、その3『女の世の中』(1988.11.4)、その4『徳川の家督争い』(1989.3.4)はすでに所有している。
なんでもかんでも揃える趣味はなく、その5『赤穂義士』は中公文庫でもっているから、あえて買わない。

『泥坊づくし』を捜したのは、中公文庫[鳶魚江戸文庫]その1『捕物の話』 (1996.9.16)、その6『江戸の白浪』(1997.2.18)に、『泥坊づくし』に収録されている「日本左衛門」「五人小僧」「鬼坊主清吉」が載っていなかったから。

『鬼平犯科帳』シリーズほかのネタが、それらにありそうにおもえたので。
案の定だった。
「五人小僧」に[槍を持たせた葵小僧]の項があった。

  寛政三年(1791)の四月十六日から二十ニ日まで、江戸市中は
  普通の警備では不足だとありまして、御先手の三十六組から火
  付盗賊改の本役加役のニ組は平素出て居りますが、この際は残
  り三十四組が総出になりまして、当番十四組が七箇所の番所を
  建て、非番二十組は臨時に市中を巡廻しました。

(ちゅうすけ注) 寛政2年秋から翌3年春へかけての、火盗改メの加役(火災の多い冬場の助役は佐野豊前守政親だったが、3月17日に任を解かれている)。
4月7日から翌年5月11日まで、松平左金吾定寅が異例の発令をされている。
助役というより増役というべき性格の発令である。
勘ぐると、自信家の定寅が松平定信に働きかけて、葵小僧用に増役を買ってでたとも考えられる。]
ついでながら---このときの先手組は、あわせて34組であった。

  それほどに市中が物騒でありまして、押込やら追剥やら、おびた
  だしい盗難でありました。
  武家屋敷でも夜分は家来を外出させない。町々では木戸を締切
  り、一切往来を止めました。
  その中を横行したのが葵小僧で、真に神出鬼没といいますか、一
  夜のうちに何軒ということもなく、押込んで劫奪するのです。

(ちゅうすけ注) ははーん、逢坂 剛さんが、葵小僧と大松は同一人物との説があるが---とメールをくださったのは、松平定信『宇下人言』に、一晩に何箇所も襲った大松という盗賊のことが記録されている。それで、その説が出たものと、いま、わかつた。

  その行装がまた素晴らしいので、自身は駕篭に乗り、若党を連れ
  た上に、槍を立て、鋏箱を持たせ、葵の紋ついた提灯を点じて押
  廻します。
  ちょっと見た目には高取りの旗本衆のようでしたが、こうして供方
  連れて大威張で歩く泥坊が、半月以上も捕えられないのですか
  ら、これだけでも八百八町の人心は落ちつかない筈であります。
  それでも漸く本役の長谷川平蔵の手で、この葵小僧を捕らえまし
  て、五月三日には獄門となりました。

  稀有の大賊でありますのに、葵小僧のことは何も伝わって居りま
  せん。
  処刑と共に一切を抹消してしまったのは、さすがに長谷川平蔵の
  取計らいだと思います。
  この葵小僧というやつは、泥坊に入った家毎に、女房でも娘でも
  居合わせ次第、きっと嬲りものにした。
  捕らえられて葵小僧は得意げに白状したので、引合いに呼び出さ
  れた女房は、長谷川の尋ねについて返答に困りきった。
  そこは機転のいい長谷川平蔵だけに、事件を大概に打切って、急
  いで処分してしまったのです。 

池波さんが短篇[江戸怪盗記]、さらにこれを書き増した[妖盗葵小僧]のヒントは、これだったようだ。

葵小僧のWho's Whoは、
〔葵(あおい)小僧〕芳之助

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2006.11.23

日本左衛門

阿部 猛さん『盗賊の日本史』(同成社)からの引用。

池波さん『男の秘図』のヒーローは、切れ者の幕臣ながら、夜は男女がまぐわう姿態を描いている徳山(とくのやま)五兵衛だが、彼がかかわった盗賊が〔日本左衛門〕こと浜島庄兵衛。

「盗賊浜島庄兵衛は、尾張の足軽友右衛門の子で、幼名を友五郎といった。父友右衛門は尾張の七里(しちり)役所の人夫てであった」と。

〔浜島〕の友五郎? ははーん、池波さんが『鬼平犯科帳』文庫巻6[大川の隠居]で登場させた武蔵・浜崎生まれの船頭も友五郎---無意識のうちに名をかりたかな。

「七里とは、尾張・紀伊・福井・姫路・松枝などの大名が手紙の逓送(ていそう)のために置いたもので、尾張・紀伊のそれがとくに有名であった。東海道では、六郷川・保土ヶ谷・藤沢・大磯・小田原・箱根・三島・元吉原・由比(井)・小吉田・岡部・金谷・掛川・見附・篠原・ニ川・法蔵寺・池鯉附と十八ヶ所」
「四里から七里ごとに役所が設けられ、尾張藩では江戸--名古屋間を最速で五○時間ていどで運んだ」

それぞれの役所に2,3人いた御状送り人夫は、ど派手な衣装で、「腰に1刀、赤房の十手」までさしていたという。

さて、庄兵衛が勤めていたのは金谷の役所---とあり、あることに合点がいった。
大井川をはさんだ金谷は、いまは対岸の島田市に合併した。

島田市の『鬼平犯科帳』のロケーション調べで宿泊した夜、某氏と面識ができた。島田市の中心部で由緒ある質商をいとなんでいらっしゃるご仁で、「当家には、日本左衛門の鑓の穂先がある。左衛門が情人に預けておいたものが、当家へ質入され、そのまま流れたもの」とのこと。

翌朝、さっそく、拝見に訪れ、赤錆の穂先を拝見したが、鑓師の銘が刻印されており、それは、島田の刀工のものであった。

庄兵衛が金谷の七里役所にいたと知り、島田宿にも存在していた情婦、そして穂先の転変も納得がいった次第。

人相書の一部を写す。

 一、 せい五尺八(1メートル74センチ)程
       (当時の男としてはかなり大柄)
 一、 歳ニ拾九歳、見かけは三拾壱弐歳ニ相見え候
       (当時の人は2,3歳の違いが見分けられたのか)
 一、 色白ク歯並常之通
 一、 鼻筋通り
 一、 目中細
 一、 顔おも長なるほう(以下略)

要するに、日中街道を走っているにもかかわらず色白の「イケメン」の若者だった。
すすんで情婦となる金持ちの後家がいたとしてもあたりまえ。

手入れのときはうまく逃げきり、延享4年(1747---長谷川銕三郎が生まれた翌年)、京都の町奉行永井丹波守の玄関先へ、麻裃に大小をさして自主首。翌年江戸へ送られて死罪。
採決を下したのは、火盗改メの徳山五兵衛ではなく、町奉行能勢肥後守。

火盗改メも裁判権は持っていたが、大方は町奉行所へまかした。

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2006.03.16

〔貸本や〕の亀吉

『鬼平犯科帳』文庫巻2におさめられている[妖盗葵小僧]の主人公は、池ノ端仲町の骨董店〔鶴屋〕佐兵衛に化けている尾張の役者あがりで、桐野谷(きりのや)芳之助こと、葵小僧である。
そのお盗めぶりは、商店の上得意の人間の声色に巧みな、これも名古屋の役者くずれの〔貸本や〕の亀吉が、くぐり戸を開けさせるというもの。

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年齢・容姿:40そこそこ。小男。細面の女のようにやさしい顔立ち。頭はつるつるに剃りあげている。
生国:鬼平は、名古屋か上方の役者あがりと推理したが、葵小僧との地縁をかんがえて、名古屋とみる。その近辺の生まれであろう。

探索の発端:被害者のにあった筋違御門外の料亭〔高砂屋〕の若女将おきさの実家は、亀戸の料理屋〔玉屋〕である。賊が〔高砂屋〕へ押しこむとき、〔玉屋〕の料理人の吉太郎の声色がつかわれた。
吉太郎の父親の畳職・市兵衛は、たまたま〔玉屋〕の畳替えにきていて、役者の声色をあれこれと披露した亀吉に疑いをもち、火盗改メに訴えた。
亀吉の人相書がつくられ、騙られた家々との関係が調べられ、池ノ端仲町の骨店〔鶴屋〕が

結末:神田・佐久間町3丁目の傘問屋〔花沢屋〕を襲うときに、葵小僧とともに逮捕。死罪であろう。

つぶやき:推理の端緒に役者の声色をつかうとは、いかにも演劇畑出身の池波さんらしい。

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2006.02.14

〔坂田(さかた)〕の金助

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収録されている[追跡]で、鬼平が目にとめて追跡した元火盗改メの悪徳目明し---〔藪の内〕の甚五郎が、いま首領として仰いでいるのが、本拠を東海道筋の岡部においている〔坂田(さかた)〕の金助である。
(参照: 〔藪の内〕の甚五郎の項)
3か月前から江戸でのお盗めの先鋒として入府し、早稲田の建勝寺の裏に盗人宿をかまえていた。

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:尾張(おわり)国中島郡(なかじまこおり)坂田村(現・愛知県稲沢市坂田町)。
名古屋と江戸の中間ということで、岡部に本拠をおいたのであろう。もっとも、組織は小さいから、それほど大仕事をするわけではない。

探索の発端:甚五郎たち先発組の3人が、たまたま盗人宿を出たところで、気がふれた剣客・下氏九兵衛に斬りつけられて、2人は即死、甚五郎も傷を負い、鬼平に捕縛された。

結末:甚五郎が吐いたので、筆頭与力・佐嶋忠介以下捕り方11名が岡部へ急行し、金助らを逮捕、江戸へ連行した。死罪であろう。

つぶやき:面白くなければ小説じゃあない---が池波さんの持論で、編集者へ原稿を渡すと、その場でよませて「おもしろいか」と聞くのが常であった。
面白いにもいろいろな段階があるが、この篇のように、筋書きに起伏を持たせるために、下氏のように異常な剣客を登場させ、それに甚五郎をからませる---という、破天荒なこともやってのける。
そうやって投げられた変化球に読み手は幻惑され、思惑をはずされてたあいなく池波さんの手中に落ちる。


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2006.02.06

〔信濃屋(しなのや)〕久兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻9の[狐雨]は、狐憑きになった同心・青木助五郎が主人公の篇だが、この青木同心を伴って谷中・天王寺門前のいろは茶屋〔近江屋〕で遊ぶのが、神田明神下の小間物屋〔信濃弥屋〕久兵衛である。
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神田明神社(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

10年前に盗みの稼業から足を洗い、6年前に現在地で開店。年取った番頭と若い者2人に店をまかせている。浅草・駒形町の眼鏡屋〔信濃屋〕文七は弟だが、じつは〔稲熊(いねくま)〕の音右衛門という現役(いまばたらき)の本格派の盗賊である。
(参照: 〔稲熊)の音右衛門の項)
継父のことで若いころの青木助五郎がぐれていたときに、稲熊兄弟が面倒を見てやったことがある。

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年齢・容姿:60がらみ。穏やかで上品な風貌。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこおり)岡崎在の稲熊(いなぐま)村(現・愛知県岡崎市稲熊町)
現地の鎮守が稲前(いねくま)神社。
三河の出身にもかかわらず、兄弟とも〔信濃屋〕の屋号をつけたのは、生国を誤魔化すためか。池波さんは岡崎近辺に土地勘があるから、間違えるはずはない。
もっとも、『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)の下の広告に影響されたか。
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探索の発端:鬼平の長男・辰蔵が、谷中・天王寺門前のいろは茶屋で遊興していた同心・青木助五郎を見かけた。火盗改メの手当てが別に出るとはいえ、30俵2人扶持の分際でいろは茶屋などで遊べるはずがない。辰蔵が〔近江屋〕で聞きだしたところによると、青木同心は旅籠町の小間物屋〔信濃屋)久兵衛と連れ立って上がったのが最初とのこと。

結末:青木同心に憑いた天日狐が、〔稲熊〕の音右衛門のことを告げ、逮捕に。久兵衛のことは記述がない。

つぶやき: 〔稲熊〕兄弟は、青木助五郎が火盗改メの同心であることを知っていながら付きあっていた。つまり、畜生ばたらきの盗賊たちを火盗改メへ売るとともに、〔稲熊〕一味へ嫌疑の目が向けられないように情報操作をしていたといえる。
盗人側も高度な情報操作が必要なことを、この篇は暗示する。


現地訪問リポート

参照の項にあげた〔稲熊〕の音右衛門に掲載。

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2006.01.29

悪女(あくじょ)おのう

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収まっている、伊三次ファンにとっては痛恨の物語[五月闇]
火盗改メのお頭・鬼平の信頼の篤い密偵・伊三次が、急ぎばたらきに落ちた〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵(37,8歳)に刺殺される。
(参照:密偵・伊三次の項)
(参照: 〔強矢〕の伊佐蔵の項)
伊佐蔵が伊三次を刺殺するにいたった因縁は、かれこれ10年前に名古屋で、女房おのうを伊三次寝取られたうえに殺され、さらに伊三次の短刀で胸をきりつけられたことによる。
伊三次とできて駆け落ちしたものの、もともと浮気性だったおのうは、半年もたたないうちに男をつくるような、亭主気どりの男にとっては我慢のならない悪女、おのうの側からいえば、躰の熱気にしたがってちょっとばかり奔放に振るまっただけのことであったろう。

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年齢・容姿:どちらも記述されていないが、男好きのする容貌と細身の躰つきをしていたろうと推察。
生国:これも記述はないが、越後の山村生まれの〔強矢〕の伊佐蔵が忘れかねるほどに床上手だったことを考えると、同郷というより名古屋で知りあったと考えるほうが妥当。その男に対する好奇心の強さから、尾張国のどこかの生まれとしておこう。

探索の発端と結末:すでに10年も前に伊三次に殺されているから、発端も結末も関係ない。ただ、伊佐蔵の怨恨が伊三次の身におよんだ。

つぶやき:考えようによっては、密偵・伊三次は、おのう殺しの殺人犯である。
そのことを告白した伊三次に、鬼平は、
「長谷川平蔵、たしかに、聞きとどけた。なれど忘れるなよ」
「へ----?」
「お前は、わしの子分だということを、な----」

融通無碍とはこのことであろうか。

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2006.01.16

〔蜂須賀(はちすか)〕の為五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻19の巻頭におかれている[霧の朝]は、鬼平になにかと協力する深川・万年町のご用聞・政七の下ッ引き〔桶屋(おけや)〕の富蔵夫婦の貰いッ子・幸太郎(4歳)が誘拐される事件である。
誘拐したのは、〔蜂須賀(はちすか)〕の為五郎の情婦お安。
というのも、この春、親分の用で麻布へ出向いた富蔵が、鳥居坂でばったり出くわして捕らえた殺人強盗犯・〔蜂須賀〕の為五郎は、打ち首になった。お安はそれをそれを逆恨みして、幸太郎を拐わかした。
いまは品川で乞食をしている幸太郎の産みの親・吉造夫婦までからんできて、てんてこ舞いの展開。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:尾張(おわり)国海東郡(かいとうこおり)蜂須賀村(現・愛知県海部郡美和町蜂須賀)。

探索の発端:鬼平が桶富を訪ねていたときに誘拐があったが、手がかりはまったくなし。
乞食の吉造・おきねが、北品川2丁目の裏道の2階の物干しにいた幸太郎ょを見つけた。

結末:幸太郎のいた酒屋〔三河屋〕へのりこんだ夫婦を助けた井関録之助によって、誘拐犯お安と相棒の〔稲沢(いなさわ)〕の倉吉は捕まり、幸太郎は吉造・おきねが返してきた。
(参照: 〔稲沢〕の倉吉の項)

つぶやき:この篇は、『オール讀物』1978年12月号に掲載された。
司馬遼太郎さんの『新史 太閤記』(新潮文庫)は、『小説新潮』1966年2月号から68年3月号まで連載された。池波さんは、親しい司馬さんの作品だからとうぜん読んでいる。
その文庫・上巻p143あたりから、藤吉郎と蜂須賀小六の関係が語られる。池波さんがそのエピソードのせいで〔蜂須賀〕の「通り名(呼び名)」をつかったとはいわないが、否ともいえまい。
吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)は、蜂塚がなまったとの説を否定し、「須賀」つまり沙地がもとであろうと。


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2005.12.17

〔かめや〕利兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に所載[隠居金七百両]で、4年前に病いのためにお盗めがつづけられなくなった〔堀切(ほりきり)〕の次郎助(58歳)は、大盗〔白峰(しらみね)〕の太四郎(72歳)に30年間仕えた労として、雑司ヶ谷の鬼子母神・参道の茶店〔笹や〕を買ってもらい、関宿から呼び寄せたむすめのお順と商売をつづけていた。
(参照: 〔堀切〕の次郎助の項)
(参照: 〔白峰〕の太四郎の項)
お順は15歳になるまで、関宿で饂飩屋〔かめや〕利兵衛夫婦に預けていた。というのも、利兵衛はもとは〔ひとりばたらき〕の盗賊だったが、引退して30も年下の女房をもらい、夫婦で店をきりもりしていた。男の子ももうけていた。
一方の次郎助---40をこえたばかりの頃、上方での大仕事を終えると、いっしょにお盗めをしたことがある利兵衛の店へ隠れた、そのとき、店の小女おきんに手をつけて生ませたのがお順というわけ。
おきんもお順も利兵衛夫婦にあづけっぱなしだったが、おきんは27歳のとき病没、利兵衛老人も1昨年(寛政2年 1790)の夏に85歳で大往生をとげた。
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旧東海道・関宿の亀山側

207

年齢・容姿:没年85歳(寛政2年 1790)。容姿の記述はない。
生国:「通り名(呼び名)」が記されていないので、店名の〔かめや〕から推測する。関宿には「亀」のつく部落はなかったし、盗賊が生国へ引退してはとかくやばい。
金まわりに不自由しないことを妬んで妙な噂を立てられたり、幼馴染に酔ったいきおいでぽろっとお盗めのことを洩らしかねない。
尾張(おわり)国海西郡(かいせいこおり)亀ヶ地新田(現・愛知県海辺郡十四山村亀ヶ地)生まれとしておく。

探索の発端も結末:池波さんは、賛辞・感嘆をこめて書いている。
利兵衛老人は一昨年の夏に、八十五歳の長寿をたもち、
「あれこそ、真の盗人の最期だ」
といわれるほどの大往生を、我家の畳の上でとげたのであった。

つぶやき:利兵衛が引退したのは60歳ごろであろうか。30も年下の女房おしかをもらったというから、この篇のとき、おしかも57歳のいいばあさんになっていた。息子も25,6で、嫁もきていたろう。
そこへ、17歳のお順が戻っていくと、また、ひとつのドラマが発生しそう。

85歳で大往生をとげた利兵衛だが、引退して25年も経てば、盗賊の世界とはほとんど没交渉になっていたはず。だれが「あれこそ、真の盗人の最期だ」と賛嘆したんだろう? 池波さん?

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2005.11.25

引き込み女おみち

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、〔清洲(きよす)〕の甚五郎(50男)が狙いをつけた元飯田町の銘茶問屋〔亀屋〕方へ、4年前から下女として送りこまれていたのが引き込み女おみちである。
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)
あと3日で〔清洲〕一味が押し入るという夜、別の盗賊団が〔亀屋〕を襲い、一家皆殺しにして1,500両前後を奪った
その夜---おみちは、下痢腹で厠へ立ったときに異常を感じ、台所の屋根へ登って難をのがれたばかりか、賊が「茂の市の甞役はたいしたものだ」といったのを聞き、出入りの座頭の茂の市(50男)が一枚かんでいることを知り、〔清洲〕の甚五郎へ報告した。
甚五郎は名古屋、京都、大坂に盗人宿を置き、江戸では湯島天満宮裏門に近い煮売り酒屋〔次郎八〕がそれで、おきよが惨劇のあった〔亀屋〕から逃げて身をかくした先も〔次郎八〕だった。

213

年齢・容姿:32歳。容姿の記述はないが、機転はきく。
生国:甚五郎の信任がきわめて篤いところから察するに、同じ、尾張(おわり)国春日部郡(かすかべこうり)清洲村(現・愛知県西春日井郡清洲町清洲)の出かも。。

探索の発端:この篇の場合の探索は、火盗改メのそれではにい。
、「畜生ばたらき」で先をひされた〔清洲〕一味の、意趣返しの探索である。おみちが耳にした「茂の市」が手がかりとなり、家を見張って、残金をとどけにきた〔野柿(のがき)〕の伊助が尾行(つ)けられ、上州・高崎に本拠を置く〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味の凶行とわかった。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)

結末:〔清洲〕の甚五郎一味9名が、板橋宿の盗人宿を襲い、2を柱にしばってあとは惨殺。その上、〔亀屋〕の凶行のことを火盗改メの役宅へ投げ文した。
茂の市夫婦も、殺して土中に。

つぶやき:本格派の盗賊が見せしめに〔畜生ばたらき〕の盗賊たちを襲うという設定は、西部劇からの援用かもしれない。いわゆるガンマン自警団の亜流。
これにコメディ・リリーフ役の同心・木村忠吾がからむから、毒が薄まり、〔清洲〕方の報復行為が正しいことのようにすり替わる。

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2005.11.08

〔市場(いちば)〕の太兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[盗賊婚礼]で、江戸の盗賊の首領〔傘山(かさやま)〕の弥太郎へ、親同士の約束だからと、自分の情婦を花嫁として押しつけようとした名古屋の盗人〔鳴海(なるみ)〕の繁蔵の側近でも、忠義面をしているのが〔市場(いちば)の太兵衛である。
三三九度の盃ごとがまさにはじまろいとしたとき、あまりのあざとさにたえられなくなった〔長嶋(ながしま)〕の久五郎が「もう、やめて下せえ」と止めたのに、「なにをいうのだ」とくってかかったのが太兵衛だ。
(参照: 〔鳴海〕の繁蔵の項)
(参照: 〔長嶋〕の久五郎の項)

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年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:「市場」という地名は、それこそ、全国に無数にある。生国をぼやかすために〔落合〕〔追分〕〔稲荷〕などとともによく使われる。
それで、地縁ということから、「鳴海」にもっとも近い「市場」を探した。
三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこうり)市場村(現・愛知県岡崎市市場町)。鳴海へ7里7丁(約29キロメートル)。

探索の発端:鬼平が〔瓢箪屋〕の裏手にさしかかったとき、屋内で起きている騒ぎに気づき、岸井左馬之助と2人で打ちこんでみると、〔傘山〕の弥太郎と〔鳴海〕の繁蔵の妹お糸(じつは繁蔵の情婦お梅)との婚礼中、繁蔵の配下の〔長嶋〕の久五郎が、偽の花嫁の正体を暴露したための混乱であった。

結末:〔鳴海〕の繁蔵の側近面よろしく、〔長嶋〕の久五郎に飛びかかった〔市場〕の太兵衛だったが、こぶしをひ腹にうけてひっくりかえった。
素直に縛についた〔傘山〕一味とは逆に、抵抗した〔鳴海〕一味だったが、全員捕縛。死罪だろう。

つぶやき:先記したように、〔落合〕〔追分〕〔市場〕〔稲荷〕などを「通り名(呼び名)」にしている盗賊の生国探しがもっとも骨だ。
こんどのケースでは地縁を最優先して東海道を距離ではかったが、それもできないばあいは、聖典をなんどもなんども読みこんで、些細な手がかりを見つけ、それをたよりに特定していく。膨大な量のコピーをとらなければならない。この篇の「市場」は愛知県、岐阜県にしぼったが、それでも地名辞書からA4で19枚のコピーをとった。

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2005.10.26

〔葵(あおい)小僧〕芳之助

『鬼平犯科帳』文庫巻2におさめられている[妖盗葵小僧]の主人公は、池ノ端仲町の骨董店〔鶴屋〕佐兵衛に化けているが、じつは尾張の役者あがりで、桐野谷(きりのや)紋十郎の一人息子である。
21歳の初夏、体よくあしらわれた茶汲女を殺害して逐電、盗みの世界へ入ったが、女性への不信感から、押し入った商家では、しばりあげた主人が見ている前で女房やむすめたちを冒しつづけるという非道をつづけて、鬼平を激怒させていた。
筋違(すじかい)御門外の料亭〔高砂屋〕も襲われ、若女将・おきさ(27歳)が冒されたが、たまたま、彼女の実家の亀戸天満宮門前の料亭〔玉屋〕の畳替えに来ていた浅草田原町の畳職・市兵衛が、たくみに声色をつかう客に疑いをかけて、火盗改メへ申し出たために、大坂や名古屋の役者くずれに容疑が向けられた。
1111
『江戸買物独案内 飲食之部』(文政7年 1824刊)

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年齢・容姿:38から39歳へかけての事件。鼻筋がなく、小鼻だけがもりあがっている。
生国:尾張(おわり)国名古屋城下(現・愛知県名古屋市)

探索の端緒: 〔玉屋〕で声色をつかってみせた客の人相書が描かれ、貸本やの亀吉(40そこそこ)とわかり、捜査の網がはられた。

結末:神田・佐久間町3丁目の傘問屋〔花沢屋〕を襲うときに逮捕。自供書をとると多数の妻女たちの被害が公けになるので、3日とおかずに死罪。

つぶやき:巻18に所載の[蛇苺]で、鬼平は、これまででもっとも憎い盗賊は、レイプをしまくった〔葵小僧・芳之助〕だったと述懐している。
レイブは、被害者の心に深い傷をのこすだけ、殺人よりも罪が重いといっていいかもしれない。 

[妖盗葵小僧]は、シリーズ第11話として、連載が始まった1968年の『オール讀物』11月号に、寛政4年(179)の初夏に解決した事件として掲載された。原稿枚数135枚。
それより4年前の1964年1月6日号の『週刊新潮』に、独立短篇[江戸怪盗伝]のタイトルで、葵小僧の事件が41枚にまとめられて発表されている。これは長谷川平蔵が池波作品に初めて顔を見せた篇でもある。
[妖盗葵小僧]は、これを3倍半にふくらませた作品である。つけ加えられてふくらんだ主だつた部分は、通4丁目の文具屋〔竜淵堂・京屋〕夫妻にまつわる記述である。亭主の目の前で女将のお千代(21歳)が妖盗の舌技にたまらず腰をうごかしてしまった、というような読者サーヴィスのきわどい描写も入れられ、池波さんがこのシリーズにかけているなみなみならぬ意気込みも感じさせる。

ふつうの雑誌用の短篇3篇分---135枚もの誌面を与えた『オール讀物』の編集部側も、1年足らずの連載中に、たしかな手ごたえを感じていたのであろう。

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2005.10.12

〔西尾(にしお)〕の長兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻8の巻頭におかれ、タイトルにもなっている[雨引の文五郎]の元お頭、〔西尾(にしお)〕の長兵衛は、本格派で伊勢国の桑名に本拠をもっていた。
(参考: 〔雨引〕の文五郎の項)
本拠は桑名だが、盗めのテリトリーは甲信二州(山梨県と長野県)から遠江(静岡県)・三河・尾張(愛知県)・美濃(岐阜県)へかけて。もっとも、テリトリーは広くても、配下は20数名で、小じんまりとした盗めをもっぱらとしていた。
〔舟形(ふながた)〕の宗平の表現を借りると「やることは、なかなかに本筋(ほんすじ)でございましたよ」だった。
(参照: 〔舟形〕の宗平の項)
天明8年(1788)に病死した〔西尾〕の長兵衛には、右腕に〔雨引(あまびき)〕の文五郎(当時26歳)、左腕を自認する〔落針(おちはり)〕の彦蔵(当時30歳前後)がいた。
(参考: 〔落針〕の彦蔵の項)
逝った長兵衛は、なぜか後継ぎを指名をしなかったが、彦蔵をのぞく一味の25名の全員が、文五郎に跡目をついでほしいと懇願した。
しかし文五郎は、「おれは雨引の文五郎で、西尾の長兵衛ではねえ」といって、最後までうんといわなかった。
文五郎が長兵衛に尽くしたのは、「長兵衛の盗賊には珍しい温和な人柄に、こころをひかれ」ていたからだそうな。

209

年齢・容姿:どちらも記述されていないが、推察するに、没年は55歳前後、おだやかな風韻だったろう。
生国:三河(みかわ)国幡豆郡(はずこうり)西尾城下(現・愛知県西尾市鶴ヶ崎町)。
『旧高旧領』には、ほかに越前国今立郡(現・福井県武生市)、備中国都宇郡(岡山県倉敷市)の西尾村があるが、本拠地とテリトリーから見て、西尾市を採るべきであろう。

探索の発端と結末:畳の上で大往生をとげているので、どちらも縁がない。

つぶやき:直接のヒーローではなく、〔雨引〕の文五郎と〔落針〕の彦蔵のつなぎ手として描かれているにすぎないが、その人柄には親しみがもてる。
当ブログの300人目の盗賊に選んだのは、まったくの私勝手だが、お許しいただきたい。

ついでながら。西尾市の命名の基になったのは、矢作(やはぎ)川下流の左岸にあるこの町は、吉良山(雲母山・八ッ面山)からみて西に尾をひいたように丘がつづいているからとか、かつて製塩をしていた煮塩が転化したとかいわれている。
ヨーロッパへ行くと、西の端---west end 直訳すると西尾という地名がいくつもある。ロンドンにもストックホルムにもあった。地の果って感じ。

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2005.07.11

〔稲沢(いなさわ)〕の倉吉

『鬼平犯科帳』文庫巻19の巻頭におかれている[霧の朝]で、深川・万年町の〔桶富〕の一人息子の幸太郎(4歳)を拐わかした女・お安の相棒。お安は死罪になった凶悪強盗犯・〔蜂須賀(はちすが)〕の為五郎の品川女郎あがりの情婦で、為五郎をお縄にかけた〔桶富〕の富蔵を恨んでいた。
〔稲沢(いなさわ)〕の倉吉は、〔蜂須賀〕の為五郎の弟分だった。

219

年齢・容姿:このような出番をつくってもらった悪にしては、珍しくどちらも記述がない。
生国:尾張(おわり)国中島郡(なかじまごうり)稲葉村(現・愛知県稲沢市稲沢町)。
〔蜂須賀(はちすが)〕の為五郎の弟分というので、地縁をたどって稲沢市稲沢町とした。ただし江戸時代には存在しなかった地名で、明治20~22年に稲葉(いなば)村と小沢(おざわ)村が合併して稲沢(いなざわ)村に。明治22年に稲沢町の大字に。市制は昭和33年。
池波さんは(いなさわ)と濁らないルビをふっているが、岩代国安達郡、武蔵国児玉郡、下野国那須郡、いずれの「稲沢村」も(いなざわ)と濁る。

探索の発端:たまたま、鬼平が〔桶富〕に来合わせていたとは、幸太郎の誘拐が知れた。幸太郎はもらい子で、元の親の瓦焼職人夫婦が引きとりたいといってきていた。

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本所・中ノ郷の瓦師(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

瓦焼職人は乞食(おこも)になって井関録之助の以前の小屋へ住みこんでいた。品川宿の天妙国寺の門前に座って喜捨をうけている女房が、幸太郎をみかけた。

結末:元瓦焼職人の乞食夫婦が幸太郎をと取りもどしに行ったところ、〔稲沢(いやさわ)〕の倉吉とお安が乱暴をはたらきかけたとき、井関録之助が居合わせて、2人を捕らえた。
その隙に、乞食夫婦が幸太郎をつれて逃げてしまったが、ある霧の朝、返してよこす。

つぶやき:このような人情劇に、偶然が重なりすぎる、などといいたててみてもしかたがない。感情が先にたっているから、読み手は見逃す。それよりも、涙を誘うテクニックのほうを見てあげよう。

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2005.07.10

〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[泥亀(すっぽん)]の主人公は、いまは足を洗って、芝・三田寺町の魚籃観音堂・境内で茶店をやつている七蔵である。店はお頭だった〔牛尾(うしお)〕の太兵衛に、3年前に買い与えられた。
(参照: 〔泥亀〕の七蔵の項 )
(参照: 〔牛尾〕の太兵衛の項)
その〔牛尾〕一味には2人の小頭がいた。〔梶ヶ谷(かじがや)〕の三之助と、この項の当人〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛である。2人は、首領の太兵衛が中風で倒れると、残り金をかっさらい、一味を引きつれて去っていったのである。
落ちぶれたお頭の寡婦と目の見えない娘を助けるぺく、七蔵の痔疾をかかえての奮闘がはじまる。

209

年齢・容姿:どちらも記述されていない。推定だと40男。
生国:三河(みかわ)国宝飯郡(ほいごうり)牛久保村(現・愛知県豊川市牛久保町)
〔牛尾(うしお)〕の太兵衛の生国を、大井川の西岸、遠江(とおとうみ)国山名郡(やまなこおり)金谷宿牛尾郷(現・静岡県島田市牛尾)とみた。その地縁で、三河の牛久保村とした。
武蔵国都筑郡(現・横浜市港北区)の牛久保を外した。
長野県下伊那郡阿南町で「帯川」「門原」を現地取材したとき、遠州街道ぞいに「牛久保」をみかけたが、『旧高旧領』には載っていないから、外した。このほかに「牛久保」があっても、やはり、『旧高旧領』には記載されていないから、除外することになる。

池波さんとの関連でいうと、武田信玄に仕えて川中島の合戦で戦死した軍師・山本勘助が当地の出身である。(参照: 『夜の戦士 上』角川文庫)
当地の浄土宗鎮西派の長谷寺(ちょうこくじ)が勘助の墓所といわれている。


補記すると、江戸期の牛久保村は石高1,567石、寛政期の戸数258と、かなり大きな村で、「周辺の村々が農業を主体とする村であったのに対して、当村は生活必需品を調達する在郷町としての性格を見せていった」(角川『地名大辞典』)と。
上記のような環境で育った〔牛久保〕の幸兵衛は、商才というか、経済的な経営感覚がすぐれていて、その面で〔牛尾〕の太兵衛のよき左腕だったろうが、金銭面を重視するあまりに裏切ったのであろう。

江戸期前から馬市で栄えたという。それでも村名が「牛久保」なのは、もっと前に、金色の清水の湧く窪溜りに牛が臥居していたためと。

探索の発端:〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵へ、〔牛尾〕の妻娘の窮状をきかせた〔関沢(せきざわ)〕の乙吉から、ことの次第を聞きとった密偵・伊三次が、鬼平へ報告。

結末:捕縛した〔関沢(せきざわ)〕の乙吉が持っていた50両を、〔泥亀〕の七蔵へ持たせて御油まで届けさせたが、〔梶ヶ谷(かじがや)〕の三之助と〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛たちの行方は、けっきょく、わからずじまい。

つぶやき:江戸時代前期、裁きは一事両様---すなわち、仕置きする側の情状酌量で裁決は、きびしくも、やさしくもなしえた。
それが、吉宗のときに、「公事方御定書(くじがたおさだめがき)百箇条」が制定され、裁きは一事一様になり、情状酌量の余地はほとんどなくなった。
鬼平の温情は、一事一様を逸脱しがちである。上からの勤務評定はかなりきびしものであったろう。
ついでにいうと、一事一様の対極にあるのが一事両様。綱吉のころの人情味を生かした裁きがこれだった。

2005年12月5日の取材リポート

豊川から豊橋へいたる飯田線は、昼時は30分間隔というので、名鉄豊川線で豊川稲荷駅に着いたとき、時間節約のために駅前からタクシーで次駅・牛久保へとんだ。したがって、長谷寺への参詣は省略。
駅の周辺は、新興住宅地然としており、単身者用の1DKアパートが3棟建っている。タクシードライヴァー氏の言では、昼間は乗降客がきわめて少ないから、本数も間遠いのだと。
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たしかに、電車は1両だけ。これで豊橋へむかった。

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2005.06.18

〔男川(おとがわ)〕の久六

『鬼平犯科帳』文庫巻24に所載、池波作品としては永遠に未完の長篇[誘拐]に登場する、〔三河(そうご)〕の定右衛門(2代目)の配下。3年前に病没した初代の定右衛門の時代からのその下にいた。
(参照: 〔三河〕の定右衛門の項 )
おまさの監禁場所である、品川宿はずれの旅籠〔日野屋〕に姿を見せたところを、彦十が認めた。
(参照: 女密偵おまさの項)

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年齢・容姿:40男。身のこなしに隙がない。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたごおり)男川(おとがわ)村(現・愛知県岡崎市大平町)
池波さんは(おとこがわ)とルビをふっているが、地元では(おとがわ)と呼んでいる。
明治22年(1889)から昭和3年(1928)まで額田郡、男川(おとがわ)・乙川(おとがわ)ぞいの、欠(かけ)、小美(おい)、高隆寺、丸山、大平、洞(ほら)の6カ村が合併しての自治体名。小美をのぞく5カ村名が町名として残っている。「大平町」としたのは、合併村の役場がおかれたところというにすぎない。
青森県下北半島にも「男川」があるが、京都には遠すぎる。

探索の発端:〔相川(あいかわ)〕の虎次郎が、お熊婆さんの茶店〔笹や〕へ、おまさの所在を聞きにきて以来、おまさは〔荒神〕のお夏からさしむけるし暗殺者を覚悟していた。
その矢先、密偵たちが見張る中、おまさが両国橋の上で、〔相川〕の虎次郎と面識のある浪人・神谷勝平ほかに誘拐された。

結末:全鬼平ファンが気にしているが、いまのところ、不明。別人の手で、その後の経緯と解決策が示されるかも。

つぶやき:読み返してみて、池波さんの構想が、いくぶん、読みとれそうな気がしてきた。
以前にも、何度も読んでいたのだが、そのころは五里霧中だったのに。
たとえば、p147の5行目 新装版p140の4行目の「大川橋」は「両国橋」でないと辻褄があわない、というところも見えてきた。

2005年12月6日(月) 取材リポート

宿泊した岡崎ニュー・グランド・ホテルの前を流れている大きな川が乙川(おとかわ)だと、タクシードライヴァー氏から教わった。
この乙川と同じ読みをするが、こちらは「男川」と書く。どちらも矢作川(やはぎかわ)の支流である。
名鉄名古屋本線の「東岡崎」駅から1駅東の、普通しか停車しない小駅。
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名鉄「男川」駅

昼間の普通電車は30分に1本の運行なので、時間を節約して、車窓から駅名標識板を撮影しただけで、下車取材はしなかった。

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2005.06.12

〔清洲(きよす)〕の甚五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]の主人公。「濃い眉と眉の間にも、もじゃもじゃと毛が生えているのだ。つまり、眉毛と眉毛つながっている。二つの眉毛が一すじになって見える」
名古屋、京都、大坂に盗人宿を置き、江戸では湯島天満宮裏門に近い煮売り酒屋〔次郎八〕がそれ。

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湯島天満宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50男。中肉中背。尋常な目鼻立ちだが、眉毛だけが上記のとおり。
生国:尾張(おわり)国春日部郡(かすかべこうり)清洲村(現・愛知県西春日井郡清洲町清洲)。
『日本歴史地名大系』(平凡社)は「清洲村の区域は清洲の城下が慶長末年に名古屋へ移り、そのあとに開墾された地域」と記す。

探索の発端:元飯田町中坂上の銘茶問屋〔栄寿軒・亀屋〕が賊に襲われ、主人夫婦と使用人のほとんどが惨殺された。
かねて〔清洲(きよす)〕一味が狙いをつけていた店だが、賊は〔清洲〕一味ではなかった。甚五郎の下命で下女となって引き込みに入っていたおみち(32歳)が、座頭〔茂の市〕の名を賊が口にしたのを聞いた。
(参照: 引き込み女おみちの項)
(参照: 座頭・茂の市の項)
〔清洲〕一味は〔茂の市〕を見張り、やってきた〔野柿(のがき)〕の伊助を尾行、板橋宿の〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味の盗人宿---料理・貸し座敷〔岸屋〕の所在を割りだした。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)

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板橋の駅(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

〔岸屋〕へ夜襲をかけた〔清洲〕一味は、〔倉渕〕の佐喜蔵をはじめとして一味のほとんどを殺し、2名と女5人を柱へ縛りつけて引きあげた。
翌日、火盗改メの役宅へ、「名無しの権兵衛」よりとして、板橋の〔岸屋〕の次第が記された投書が投げこまれて、〔栄寿軒・亀屋〕の犯人たちがあきらかになった。

結末:〔清洲(きよす)〕の甚五郎は、江戸での盗めをいっときあきらめて、引き込みのおみちを伴い、上方へ。

つぶやき:正統派の盗賊が、畜生ばたらきの盗賊を懲らしめるという、ちょっと趣向の変わった物語。
池波さんによる忍者ものの2作目『忍者丹波大介』(新潮文庫)p155に、〔一本眉〕と呼ばれる下忍が出ている。
『忍者丹波大介』は、『鬼平犯科帳』の[一本眉](『オール讀物』1975年12月号)に先立つこと11年、昭和39年(1964)『週刊新潮』5月11日号から8月17日号まで14回連載され、のち、650枚が書き加えられて長篇となった。

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2005.06.07

〔磯部(いそべ)〕の万吉

『鬼平犯科帳』文庫巻19に納められている[引き込み女]は、お元という女賊の物語だが、密偵のおまさがお元を見かけるとっかかりとして、〔磯部(いそべ)〕の万吉が配置される。
(参照: 女密偵おまさの項)
鉄砲洲あたりで〔磯部〕の万吉を見かけたという情報を〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵へもたらしたのは、南八丁堀で煮売り屋〔信濃屋〕をやっている元盗賊〔桑原(くわはら)〕の喜十である。五郎蔵は、喜十の存在を鬼平にもらしていない。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔桑原〕の喜十の項)

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鉄砲洲から前方右に石川島(人足寄場)を望む
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

ところで、〔磯部〕の万吉だが、おまさは〔乙畑(おつばた)〕の源八一味にいたときに手伝いにきていた万吉を見知っていた。
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)
もと、自分の一味を束ねていた〔大滝〕の五郎蔵は、盗めの経験も豊富な万吉に、二度ほど助(す)けてもらったことがあった。
〔小房(こぶさ)〕の粂八は粂八で、〔野槌(のづち)〕の弥平のところにいた現役時代に、万吉を知っていた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
〔磯部〕の万吉は、それほどに盗みの世界では顔が広く、諸方のお頭からたしかな腕を買われていた。
とにかく、そのとき、密偵のキー・メンバー3人が万吉を追っていたのである。

219

年齢・容姿:50がらみ。細身で小柄(文庫巻20 [怨恨])。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこうり)磯部村(現・愛知県岡崎市磯部)
『旧高旧領』にはほかに、相模(さがみ)国高座郡、下総(しもうさ)国葛飾郡、常陸(ひたち)国久慈郡、磐城(いわき)国宇多郡、越前(越前)国今立郡に、「磯部」があげられている。
このうちのどこでも該当しそうだが、助(す)けられたお頭の顔ぶれから東海道筋にくわしそうなので、愛知県を採った。

探索の発端:前記したように、〔信濃屋〕の喜十が鉄砲洲あたりで見かけたことから、密偵たちの探索が始まった。
そして副産物のように、おまさが、〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎一味として、お元が南鍋町2丁目の袋物問屋〔菱屋〕彦兵衛方へ、引き込みに入っていることをつきとめた。

結末:お元は、いまは〔駒止〕一味は逮捕されたが、、〔駒止〕一味を助(す)けた〔磯部(いそべ)の万吉だけは、網をまくぐりぬけて逃げおうした。
その万吉は、押し込みの前に役目を放棄して逐電したお元を許さず、刺殺し、三十間堀に捨てた。

つぶやき:〔磯部〕と名乗るからには、海岸ぞいか、大きい河川ぞいの村であろう。
「生国」の項で、候補にあげたそれぞれの郡にある「磯部村」が、海岸ぞいなのか、河川ぞいなのかを、それぞれの土地にお住まいの鬼平ファンの方々にコメントしていただけると、うれしい。

コメントの仕方は、この記事の下のほうに、赤っぽいオレンジ色で、

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2005.05.31

〔亀穴(かめあな)〕の政五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻1に収録されている[暗剣白梅香]の、本筋とは関係がないようなかたちで登場する人物。この篇の本筋は、敵持ちでいまは仕掛人となっている浪人・金子半四郎が、長谷川平蔵の暗殺を引き受けてさまざまに工夫を凝らすところにある。
(参照: 浪人・金子半四郎の項)
しかし、この篇から2話おいた、文庫巻2の巻頭[蛇(くちなわ)の眼]の主役は〔蛇(くちなわ)〕の平十郎だが、それを予告するように、平十郎の軍師役としてチラッと語られる。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項 )

201

年齢・容姿:どちらも記述がない。それだけに不気味な予感を読み手に与える。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこうり)亀穴村(現・愛知県額田郡額田町宮崎)。
池波さんがつねに座右に置いていた『大日本知名辞書』は、「宮崎 今宮崎と云ふ、大平川の源にあり、本宮山を以て宝飯郡に堺し、雨山、亀穴などの大字あり」。
また『甲陽軍鑑』から「天正元年、信玄公三州宝来寺表へ御馬を移され、岡崎筋へ向かひ、上道四里こなた、宮崎に取出を被仰付」を引いている。
『角川地名大辞典』は、万足平に北辰妙見尊が亀に乗って降臨し、のち亀のみ留って石に化したという亀石伝説」による地名の由来を紹介している。

探索の発端:いまは密偵となって、鎌倉河岸に屋台店を出して噂を集めている〔小房(こぶさ)〕の粂八の耳に、「亀穴(かめあな)の人が、江戸へ入(へえ)ったそうな」との会話が流れこんだ。
粂八は、〔亀穴〕の政五郎が〔蛇〕一味の軍師であること、一味の江戸での盗めにが近いことを鬼平へ告げた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

結末:どうしたことか、文庫巻2[蛇(くちなわ)の眼]には、〔亀穴〕の政五郎は軍師役としては登場しない。

つぶやき:[蛇の眼]は、シリーズが始まってまだ8話目なのに、一味の軍師役が消えるというような手ぬかりが起きていることに、編集担当者は気づかなかったのだろうか。


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2005.05.23

〔草間(くさま)〕の貫蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻12に所載の好篇[密偵たちの宴(うたげ)]に登場して、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵に見破られる、流れづとめの荒っぽい盗賊。
(参照: 〔大滝)〕の五郎蔵の項)
かつて〔大滝〕一味が駿府(静岡市)で盗めをしたとき、手が足りなくて、当時は配下になっていた〔岡ノ井(おかのい)〕の弁五郎の紹介で貫蔵がやってきたが、畜生ばたらき専門の男と見た五郎蔵は、ただちに断った。
(参照: 〔岡ノ井〕の弁五郎の項)

212

年齢・容姿:50近く。低い背丈、ほっそりした躰つき。右足首が歩くとき不自由。
生国:三河(みかわ)国渥美郡(あつみごうり)草間村(現・愛知県豊橋市草間町)。
『旧高旧領』はほかに、信濃(しなの)国高井郡草間村(現・長野県中野市草間)と備中(びっちゅう)国阿賀郡草間村東組・西組(現・岡山県新見市草間)をあげている。
『大日本地名辞書』(冨山房)もこの2村。
駿府での盗めでの助(す)けばたらきということで、同じ東海道筋生まれなら土地勘があるだろうと推測し、豊橋市の草間を採った。

探索の発端:畜生ばたらきの盗めばかりが横行するご時世に、憤(いきどう)りを覚えていた密偵の中核メンバーたち---〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵、〔小房(こぶさ)〕の粂八、伊三次、〔相模(さがみ)〕の彦十、〔舟形(ふながた)〕の宗平らが、本格の盗みの手本を示してやろうと、浅草・橋場(はしば)の町医者・竹村玄洞(げんどう)宅へ目ぼしをつけた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 伊三次の項)

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橋場の渡し・思い川(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

で、〔大滝〕の五郎蔵が竹村宅の下見に、浅草・山谷(さんや)の浅茅ヶ原(あさじがはら)を歩いていて、35,6の女とつなぎをつけている貫蔵をみかけた。
女は、竹村家に住みこんで引き込みをしている。竹村宅と貫蔵には火盗改メの見張りがついた。

結末:竹村宅を襲ったのは〔鏡(かがみ)〕の仙十郎一味15名で、うち2名が雇われ用心棒の浪人に斬られ、5名が火盗改メに斬り殺され、8名はすべて捕縛。
(参照: 〔鏡〕の仙十郎の項)
〔鏡〕の仙十郎は、市中引き回しの上、磔刑。ほかは死罪。

つぶやき:密偵の中核として鬼平の信任のあつい五郎蔵や粂八たちが、世の盗賊たちに手本を示してやろうと盛り上がったとき、たしなめ役にまわったのがおまさだった。
(参照: 女密偵おまさの項)
さて、中核密偵たちの半分いたずら気分、半分は本気の模範演技は、〔鏡〕一味の逮捕劇のあと、警戒の薄くなった竹村宅で実行され、その盗め金はきちんと返却された。

この篇の読みどころは、模範演技を見破った鬼平が、おまさに五郎蔵へ伝えておけと、
「もしも万一のことあって、わがわがふところに抱きぬくめている者の失敗(しくじり)があるときは、主人(あるじ)たる者が腹を切って申しわけをせねばならぬ、と----」
さあ、それを告げたあとのおまさのセリフが見もの、いや、聞きものである。

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2005.04.24

〔鴨田(かもだ)〕の善吉

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収められている[お雪の乳房]で、浅草・田原町1丁目で足袋屋〔つちや善四郎〕の主人としておさまっているが、盗人時代は〔鴨田(かもだ)〕の善吉といい、かつて70余名の配下を束ねていた巨盗〔鈴鹿(すずか)〕の又兵衛の義弟。
(参照: 〔鈴鹿〕の又兵衛の項)

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年齢・容姿:40男。独り身。商店の主人風が似合う。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこうり)鴨田村(現・愛知県岡崎市鴨田町)。
義兄〔鈴鹿〕の又兵衛の亡妻およしの弟---ということから、〔鈴鹿〕一味のテリトリーを東海道筋が中心とみた。現に、又兵衛の亡妻およしは小田原に住んでいたこさともある。又兵衛が三河の岡崎宿ではたらいていたおよしに手をつけたのだろう。

探索の発端: 〔鈴鹿〕の又兵衛の18歳になるむすめのお雪が、火盗改メの同心・木村忠吾に見初められた。
お雪は、叔父の足袋屋〔つちや善四郎〕方に預けられている。
恋仲の2人のことで、又兵衛に相談にいった帰りの〔つちや善四郎〕こと〔鴨田〕の善吉を、芝浜の通りで〔小房〕の粂八が見かけたことから、火盗改メの見張りがついた。

結末:芝・松本町の明樽問屋〔大黒屋〕へ押し込んだ〔鈴鹿〕の又兵衛一味は、待ち伏せていた鬼平たちに逮捕された。
木村同心との仲を裂くべく、お雪を連れた〔つちや善四郎〕は、つつがなく京へ逃避できたよもう。

つぶやき:木村忠吾同心の、[谷中・いろは茶屋]につづく、はからざる2番手柄、となったが、明るい色恋がらみで火盗改メとしての手柄が立てられるのは、この若者だけであろう。
シリーズの得がたいコメディー・リリーフ・キャラクター。こういうキャラを盗賊側の首領が使いこなすとしたら、どのお頭だろう?

2005年12月5日(月) 三河の取材リポート

岡崎市のゆかりの地の取材は、「鴨田」から始めた。
名鉄バスを乗りまちがえたりしなから、足助(あすけ)への街道をたどって、やっと「大樹寺行」へたどりついた。
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足助への街道
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バス停「大樹寺」

バス停の近くの信号機の上に、「鴨田」の標識板があった。
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標識

土地の人に聞くと、あたり一帯が「鴨田」とのこと。〔鈴鹿〕の又兵衛の亡妻およしと弟の〔鴨田〕の善吉(世間への表向きの名は〔つちや善四郎)は、この土地の生まれだった。
大樹寺への道を西へ入ると、なんとなく古めかしい雰囲気がただよう。と、鴨田天満宮。
およし・善吉姉弟はこの境内でも遊んだろう。
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幼いころのおよし・善吉姉弟が境内で遊んだ鴨田天満宮

そのころは、のちのち、悪の道へ踏みいれるなどとは、ゆめ、おもわなかったろう。

さらに100メートルたらず行くと、安城松平家の菩提寺だった大樹寺の壮大な山門。
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小田原や江戸に住んでいた姉弟は、この山門をおもいだしたろうか。いや、それより、〔鈴鹿〕の又兵衛の娘お雪は、この山門を見たことがあったろうか。母親のおよしは、この山門のことをお雪に話して郷土自慢をしたろうか。
本堂へあげてもらい、ご本尊の阿弥陀如来像を拝しながら、夢想は果てしなくつづく。

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2005.04.20

〔氷室(ひむろ)〕の庄七

『鬼平犯科帳』文庫巻3に入っている[艶婦の毒]で、亡父の墓参のために京都・白川三条の旅亭〔津国屋〕へ鬼平は滞在中。その長官を見張っているところを逮捕され、拷問のすえ、〔虫栗(むしくり)〕の権十郎一味であることを白状におよぷ。

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(参照: 〔虫栗〕の権十郎の項)

年齢・容姿:30男。がっしりした躰つき。
生国:尾張(おわり)国愛知郡(あいちこおり)氷室村(現・愛知県名古屋市南区氷室町)
〔氷室〕という「通り名(呼び名)」からデータベース『旧高旧領』で検索すると、
・下野国芳賀郡氷室村(現・栃木県宇都宮市氷室町)
・尾張国中島郡氷室村(現・愛知県稲沢町氷室町)
・信濃国安曇郡氷室村(現・長野県松本市桂川地区氷室)
・出雲国出雲郡氷室村(現・島根県簸川郡斐川町神氷(かんぴ))

『郵便番号簿』で検索すると、
・栃木県宇都宮市氷室町
・愛知県名古屋市南区氷室町
・愛知県稲沢町氷室町
・大阪府高槻市氷室町
・兵庫県神戸市兵庫区氷室町

頭の、〔虫栗〕の権十郎(2代目)の生国は、尾張国知多郡岩滑(やなべ)村(現・愛知県半田市岩滑地区のどこか)だった。地縁という点では、県の西北部の稲沢町よりも、名古屋市南区のほうがより近い。
江戸期の人たちは「尾張国」というだけで、遠近をとわず、同郷意識をもったものかどうか。国の北、南、あるいは西、東、もしくは分拠している藩ごとに、気質をいいたて、たがいにけなしあうことはなかったか。

探索の発端:木村忠吾と情事を終えた艶婦お豊を尾行、住いを確認して旅籠〔津国屋〕へもどってきた鬼平をうかがっていてところを、捕まった。
拷問の末、一味のことを自白。

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旅籠〔津国屋〕(『商人買物独案内』)
(参照: 女盗おたか(お豊)の項)

結末:庄七の自白で〔虫栗〕一味の盗人宿へ京都西町奉行所の一団が逮捕に向かい、あわせて絵の具屋の女房におさまっていたお豊もお縄になったが、庄七は、自白に免じて死罪をまぬがれ、遠島か。

つぶやき:血縁、地縁を最優先して探索している。出会いが容易に想像つくからである。しかし、庄七の〔氷室〕のように、同国内に同じ村名が2カ所あるときは、なやむ。
『旧高旧領』には記載のなかった愛知郡氷室は、安政年間(1854-59)に、名古屋若宮八幡社の神主・氷室長冬が尾張藩に願いで、赤塚町の商人・嘉兵衛が開発した氷室新田による地名と。道理で『旧高旧領』には載っていなかたわけだ。このことを、池波さんは知っていたろうか。

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2005.04.10

〔滝尻(たきじり)〕の定七

『鬼平犯科帳』文庫巻6に入っている[剣客]に登場。東海道筋・大井川近辺が縄張りの〔野見(のみ)〕の勝平一味で、先発人として、南千住の足袋職人・留吉の甥というふれこみで居ついている。
(参照: 〔野見〕の勝平の項)

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年齢・容姿:30がらみ。容姿の記述はない。
生国:三河(みかわ)国額田郡(ぬかたこおり)滝尻村(現・愛知県額田郡額田町滝尻)
磬城国菊多郡滝尻村もあるが、首領の〔野見〕の勝平が豊田の産で、駿河や遠江が縄張りなので、額田町を採った。

探索の発端:女密偵おまさが、老剣客・松尾喜兵衛の弔いの雑事をすませて万年橋をわたりかたとき、(野見)の勝平を助(す)けたときに見知った〔滝尻(たきじり)〕の定七に気づいた。
(参照:女密偵おまさの項)
定七は、深川・清澄町の藍玉問屋〔大坂屋〕の飯炊き男〔殿貝(とのがい)の市兵衛と連絡(つなぎ)をつけに行っていたのである。
(参照: 〔殿貝〕の市兵衛の項)
帰る定七を尾行した彦十が、南千住の留吉の家をつきとめた。

結末:留吉と定七を捕獲した火盗改メは、同心を南千住の家へ張りこませ、訪れる〔野見〕一味をつぎつぎと捕縛していった。

つぶやき:この〔滝尻(たきじり)〕の定七のように、三河の出か磬城の産かと迷ったときは、首領や右腕の出身地が決め手となることが多い。それゆえ、データのファイリングは、一味ごとにくくっておいたほうがいい。

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