カテゴリー「121静岡県 」の記事

2006.03.14

〔天竜(てんりゅう)〕の岩五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に入っている[二人女房]で、深川の大島町の飛び地におときと妾宅をかまえている首魁が〔彦島(ひこじま)〕の仙右衛門(55,6歳)である。
(参照: 〔彦島〕の仙右衛門の項)
この仙右衛門の片腕だったのが〔天竜(てんりゅう)〕の岩五郎だ。
そう、だった。この夏---寛政7年(1795)に病死していたのである。
生前は、仙右衛門が一ト仕事終えて江戸や京都や温泉で骨休めをするとき、ぴったりとくっついていた。

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年齢・容姿:62歳---というから、当時としては、まあまあ生きたほうかも。容姿についての記述はない。
生国:遠江(とおとうみ)国豊田郡(とよだこおり)天竜村(現・静岡県浜松市天竜・鹿島)

事件の経緯:〔彦島〕の仙右衛門が江戸・深川の大島・飛び地に妾おとき(27歳)を囲っていることを、大坂にいる本妻お増(40過ぎ)に告げたのが、岩五郎だと、小悪党で仙右衛門の嘗役もやっている〔加賀(かが)屋〕佐吉(35,6歳)はいう。もちろん、佐吉のつくりごとである。お増が50両で仙右衛門を殺してくれと頼まれたともでまかせを口にした。
それを本気にした仙右衛門は、50両でお増の始末を、佐吉に頼む。

結末:なんのことはない、佐吉が高木軍兵衛にもちかけた話は、鬼平につつぬけになっていて、仙右衛門、佐吉とも御用。

つぶやき:仙右衛門を刺殺することになった軍兵衛が泊まった夜、地響きのように家がゆれた。大男の仙右衛門と搗きたての臼の中の餅のようなおときの愛の営みが始まったのである。
いや、笑わないではいられない。池波さんの読者サーヴィスもこれほどとは。

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2006.02.20

〔志度呂(しどろ)〕の金助

『鬼平犯科帳』文庫巻2の所載の[蛇(くちなわ)の眼]で、頭の平十郎配下の1人が、この〔志度呂(しどろ)〕の金助。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)
あとの3人が、
〔片波(かたなみ)〕の伊平次(40歳)
 (参照: 〔片波〕の伊平次の項)
〔駒場(こまんば)〕の宗六(30歳)
(参照: 〔駒場〕の宗六の項)
鶉(うずら)の福太郎(25歳)
(参照: 〔鶉〕の福太郎の項)
さらには、蛇の平十郎の軍師役・〔白玉堂(はくぎょくどう)〕紋蔵。
(参照: 〔白玉堂〕紋蔵の項)
このうち、〔志度呂〕の金助は、「小舟を漕いで屋形舟などの間をぬい、真桑瓜西瓜を売る」舟商人となって、浜町堀に面した〔道有屋敷〕を見張りながら、盗んだ金子を向島の盗人宿へ舟で運ぶ役を与えられている。

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年齢・容姿:35歳。容姿の記述はない。
生国:遠江(とおとうみ)国敷知郡(しきちこうり)志度呂(しとろ)村(現・静岡県浜松市志度呂町)。
佐鳴湖の南西、浜名湖にそそぐ新川右岸だから、子どものときから、小舟の扱いにはなれている。

探索の発端:これより前の事件---文庫巻1に所載の[座頭と猿]で逃げ隠れていた座頭・彦の市が女に会いに現われて逮捕され、〔蛇(くちなわ)〕一味の盗人宿が相州・小田原宿の北の部落・上之尾にあることを白状した。
(参照: 座頭・彦の市の項)

結末:上之尾へ馬で急行、待ち構えていた鬼平以下の火盗改メに、全員逮捕、死罪。

つぶやき:志度呂は、志戸呂と書くという。「志戸呂」だと、島田市に合併された大井川ぞいの金谷にも同名の地があるが、舟のあつかいに長ずるには、やはり琵琶湖に水つづきのほうがいい。

ただ、池波さんは「しどろ」とルビをふっているが、「志度呂」も「志戸呂」も読みは「しとろ」。池波さんは、現地を踏んでいなくても、三方ヶ原近辺の地図はしっかり見分したろう、そのときに発見した地名かも。

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2006.01.28

〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録されている[泥鰌の和助始末]で、主人公の〔泥鰌(どじょう)〕の和助がかつて配下だった〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛は、3代つづいた名門で配下も多く、2手3手に分かれて、三河、遠江、駿河から江戸へかけてのお盗めをこなしていたが、それも何年もかけての本格的な仕事ぶりだった。
(参照: 〔泥鰌〕の和助の項)
ところが、3代目が30歳で若死にしてから、後継者がいなかったので、配下はばらばらに散っていった。

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年齢・容姿:30年ほど前に、30歳で病死。容姿の記述はない。
生国:伊豆(いず)国加茂郡(かもこおり)地蔵堂村(静岡県田方郡中伊豆町地蔵堂)。
三河、遠江、駿河から江戸へかけてがテリトリーだったというから、現・岡崎市美合町地蔵も考えたが、江戸期には記録されていない地名なのであきらめた。
近江国犬上郡地蔵村(現・滋賀県彦根市地蔵)の彦根を池波さんはよく訪れているし愛してもいたから捨てがたかったが、テリトリーに遠すぎる。

探索の発端・結末:3代目が30歳で病死、一味を解散しているのでどちらもなし。

つぶやき:〔泥鰌〕の和助は、父親・留次郎の代から〔地蔵〕一味にいたという。なんだか、地方の中小企業に親子2代とも勤めているという、まことに日本的な奉公ぶりをみるおもいがする。

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2006.01.25

〔小鼠(こねずみ)〕の安兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に所載[犬神の権三]で、〔雨引(あまびき)〕の文五郎が、襲ってくるはずの〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎を待ち受けるために、仮の宿を貸したのが、千住大橋の南詰、誓願寺(荒川区南千住6丁目)の脇で小さな桶屋をやっている安兵衛である。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
(参照: 〔犬神〕の権三郎の項)
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千住大橋左詰に誓願寺(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

盗人稼業から10年も前に足を洗っているから、本来ならば〔桶安(おけやす)〕と紹介すべきだが、本格派の首領〔西尾(にしお)〕の長兵衛と組んで---などと書かれているので、往時の「とおり名(呼び名)」の〔小鼠(ねずみ)〕の安兵衛でいきたい。
(参照: 〔西尾〕の長兵衛の項)

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年齢・容姿:70近い。小柄な細い躰をきびきびと動かして、食事の支度をする。
生国:遠江(とおとうみ)国長上郡(ながかみこおり)鼠野村(現・静岡県浜松市鼠野町)。
伊勢、尾張、三河あたりをテリトリーとした〔西尾〕の長兵衛と組んだとすると、遠江あたりがふさわしかろう。

探索の発端:筆頭与力・佐嶋忠介がせっかく捕らえた〔犬神〕の権三郎を牢破りさせたのが、密偵になってさほどに歳月が経っていない〔雨引〕の文五郎とわかるや、火盗改メは探索にとりかかった。
一方で、権三郎の行動を見張っている。

結末:権三郎は、いっしょに盗めたときの盗め金の金額をごまかしたのを文五郎が責めていると誤解したが、じつは、文五郎が牢破りをさせたのは、かつて病妻の面倒をみてもらった恩返しのつもりだった。
だから、権三郎を追った火盗改メが安兵衛の家を取り囲んだとき、短刀で胸を刺して自裁して果てた。
安兵衛の過去の詮索はなし。

つぶやき:この世は人と人の誤解でなりたっている---というのが、長谷川伸師譲りの池波さんの人生哲学でもある。だから、つぎつぎと小説が生まれる余地があるのだとも。
この篇は、それを主題にして重い物語に仕上げられている。

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2005.12.22

〔枝場(えだば)〕の甚蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻7の[雨乞い庄右衛門]、つまり題名にもなっている首領〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門(58歳)は、巨盗〔夜兎〕角右衛門に仕込まれた本格派である。
(参照: 〔雨乞い〕庄右衛門の項)
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
駿河の山奥の温泉湯治場「梅ヶ島」で療養しながらも、次の盗め先と狙いを定めている深川・熊井町の油問屋〔山崎屋〕へ、1年半前から下男(飯炊き)として〔枝場(えだば)〕の甚蔵を住み込ませている。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:いろいろと地理書をあさったが、記載がなかった。「枝葉」のような軽い男のもじりかともおもい、『旧高旧領』を検索したが、やはりなかった。
庄右衛門の地縁で考えると、甲斐国か駿河国の富士川ぞいのどこかの村とおもえるのだが。
もっとも庄右衛門の湯治中に手配されているので、それをした参謀格の〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛(60近い)の地縁でいうと、美濃国のどこかもありうる。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
いちおう、駿河(するが)国駿東郡(すんとうこおり)水土野村(現・静岡県御殿場市水土野)としておく。

探索の発端:〔枝場〕の甚蔵の探索ではなく、庄右衛門である。
自分でも快癒とおもうほどに回復したので、妾のお照の待つ江戸で一仕事すべく、東海道をくだっているとき、平塚宿で配下に殺されかかったのを岸井左馬之助に助けられた。
六郷の渡し舟で心臓発作をおこし、左馬之助の手の中で絶命した。そのいまわのきわに、妾・お照(20代の半ばすぎ)の住いを告げたのが、探索の発端となった。
(参照: 女賊お照の項)

:結末:捕縛された〔勘行(かんぎよう)〕の定七らが、責められて、引き込みの甚蔵の所在を白状におよんだはず。
(参照: 〔勘行〕の定七の項 )

つぶやき:「狙いを定めている深川・熊井町の油問屋〔山崎屋〕」とさりげなく書かれているが、2重の意味で、池波さんの凄さを感じる。
その1.熊井町のそばに「油堀」という名の堀がある。油屋があったための命名という。
その2.徳川期の前、油の特権を有していたのが、山崎の八幡宮であったと、司馬遼太郎さんの『国盗り物語』(新潮文庫)で知った。なんとも符号する屋号であることよ。

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2005.12.21

〔馬返(うまがえ)し〕の吉之助

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、ノー天気な同心・木村忠吾に酒をおごってくれる、一本眉の男、じつは盗賊の首領〔清洲(きよす)〕の甚五郎のやっている煮売り酒屋〔次郎八〕の亭主が、〔馬返(うまがえ)し〕の吉之助である。もちろん、一味の盗人。帳場にすわって、あれこれと若い者を指図している。
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)
酒屋の場所は、湯島天神裏門に近い。去年(寛政8年 1795)の夏ごろ開店したが、流行っている。女は置かないで若い者5人がきりまわしているのも珍しい。
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湯島天神(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:40男。おだやかそうな風采。
生国:駿河(するが)国駿東郡(すんとうこおり)水土野(現・静岡県御殿場市水土野)。
「馬返し」と呼ばれた土地は、日光市と富士山の山梨県側、長野県小県郡新張牧(みはりのまき)にもあるが、尾張出身の〔清洲〕の甚五郎との関係から御殿場を採った。

探索の発端と結末:〔清洲〕の甚五郎は、一味よりも一ト足さきに元飯田町の銘茶問屋〔栄寿軒・亀屋〕に押し入り、一家を惨殺した〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味を割り出し、その盗人宿---板橋の料理・貸し座敷〔岸屋〕を襲って制裁したので、逮捕も仕置きもない。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)

しばらく江戸を去るにあたり、やってきた木村忠吾に酒をおごったうえに、5両の小遣いをわたしてやったが、忠吾は例によっていっかな気づかない。

つぶやき:この篇の事件は、寛政8年だから、史実の長谷川平蔵はその前年に病死しているが、そのことはいまはとわない。

湯島天神裏門に近い〔次郎八〕は、改装しなかった7,8年前の〔しんすけ〕がモデルのような気がする。改装後は、〔次郎八〕の雰囲気が失われた。江戸らしい飲み屋がつぎつぎに消えていく。惜しい。

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2005.12.20

〔船明(ふなぎら)〕の鳥平

『鬼平犯科帳』文庫巻11の冒頭の[男色一本饂飩]事件の主人公・寺内武兵衛は、表向きは〔算者指南〕を掲げた経営コンサルタントだが、裏の顔は、出入りの商店から得た情報を盗みに使っている。
(参照: 浪人・竹内武兵衛の項)
と同時に、男色家でもあり、木村忠吾に魅力を感じて、火盗改メの同心とも知らず誘拐してしまう。
忠吾の姿を最期に見たのが、深川・海福寺門前の一本饂飩の〔豊島屋〕の女中のお静(年増)である。鬼平は、このお静を囮にして、竹内武兵衛をおびきだすことにした。
〔船明(ふなぎら)〕の鳥平は、いまは、竹内武兵衛と組んでいる、いっぽうの、ちっぽけな盗賊集団の頭である。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:遠江(とおとうみ)国豊田郡(とよだこおり)船明(ふなぎら)村(現・静岡県浜松市船明)。

探索の発端:武兵衛は、囮のお静を気絶させ、老僕・吉六に背負わせて行かせた。その吉六がかけつけた先が、鉄砲洲川の船着き場の、〔船明〕の鳥平の盗人宿だった。
で、尾行していた沢田小平次たちに捕縛された。

結末:竹内武兵衛は鬼平に斬りかかって逆に殺されたが、あとの一味の処刑は記述がない。
幽閉されていた忠吾が純潔(?)を守りとおしたと力説するのみ。

つぶやき:池波さんの作品には、周囲か知りあいにその道の人でもいたかとおもうほど、男色者が登場する物語が少ないとはいえない。
むろん、そういう詮索は作品鑑賞の本筋から遠くはずれていることで、小説読みの醍醐味は、作品に徹して楽しむところにあることはいうまでもない。

それはそれとして、「船明」という地名に引かれて、天竜川を遡り、当時の天竜市船明を訪れた。いまは、船明ダムが築かれていた。
1301
天竜川を堰きとめた船明ダム

〔船明〕の鳥平の盗人宿を鉄砲洲川の船着き場に置いた池波さんが同地を訪れたのは、ダムで川が堰きとめられる前で、天竜下だりの船頭や木遣り師が多くいたころだったのかもしれない。


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2005.12.19

〔二俣(ふたまた)〕の音五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[駿州・宇津谷峠]は、鬼平、同心・木村忠吾と剣友・岸井左馬之助が、京都からの帰路の浜松から岡部のあいだで遭遇した事件である。
もっとも、左馬之助は、浜松から竜川を遡って二股で気田(けた)川ぞいに秋葉大権現へ詣でたので、先行の2人より3日行程ほど遅れていたが。
左馬之助が袋井宿までもどって入った旅籠で、幼馴染の〔臼井(うすい)〕の鎌太郎会った。しかし鎌太郎は、左馬之助を避けるようにして夜発ちをした。
(参照: 〔臼井〕の鎌太郎の項)
発ったあとの鎌太郎を訪ねてき、後を追ったのが〔二俣(ふたまた)〕の音五郎だった。盗め金を横領しようと浜松でお頭の〔空骨(からぼね)〕の六兵衛と妾・おもんを殺害してきたのである。
(参照: 〔空骨〕の六兵衛の項)

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年齢・容姿:年齢と面体の記述はない。背が高い、とだけ。
生国:遠江(とおとうみ)国豊田郡(とよたごおり)天竜村(現・静岡県浜松市二俣町二俣)
池波さんは、岸井左馬之助が詣でた秋葉神社への途中、武田の大軍に水を絶たれて落城した徳川方の堅城・二俣城址へ立ち寄ったとき、この地名を記憶にとどめたのであろう。
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二俣城址

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二俣城址下あたりの天竜川の流れ

探索の発端:〔臼井〕の鎌太郎とお茂の会話を聞き、〔空骨〕の六兵衛殺しや〔二俣〕の音五郎殺しに関連があると、鬼平に報告した。

結末:交情中にお茂までしめ殺した鎌太郎が、岡部川の上流の隠し金の場所までいったとき、まちかまえていた〔藤枝〕の久蔵もろとも、捕縛。

つぶやき:二俣城址へは、2度訪れた。鈍なことだが、1回目はカメラの電池切れで撮影できず、半年後に再訪した。
浜松から電車で約30分。鹿島(かじま)下車。

「二俣」の地名は、天竜川へ気田川が合流しているから。二俣城は、その合流点の上手---小高い丘の上にあった。

武田勝頼の大軍がこの城を攻めあぐんだとき、徳川方の守将は青木又四郎と中根正照だった。のち、水汲み施設を壊されて水絶ちにあい、落城。ところが家康は、帰ってきた2人を浜松城へ入れなかったので、2人は武田軍に討ち入って戦死した---という史話がある。
若かった家康は、部下にむごい扱いをした時期もあったらしい。

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2005.12.07

〔蝋燭(ろうそく)屋〕六兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]で、題名になっている火盗改メ・堀帯刀組から消えた元・同心高松繁太郎(当時27,8歳)に、女賊お杉を奪われ、8年間にわたって高杉を狙っていたのが〔笹熊(ささくま)〕の繁蔵(37,8歳)である。
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
(参照: 〔笹熊〕の勘蔵の項)
品川宿の外れで〔蝋燭(ろうそく)屋)を営んでいる六兵衛は勘蔵の叔父で、尾張から美濃へかけてずいぷんとお盗めをしたが、安永6年(1777)ごろに足を洗い、労咳病みの女を女房にし、品川へ来て店をだした。

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年齢・容姿:62,3歳。無口。すっかり老け込む。
生国:遠江(とおとうみ)国(現・静岡県)のどこか。

探索の発端:8年前(天明6年 1786)〔小房(こぶさ)〕の粂八が〔野槌(のづち)〕の弥平一味にいたころ、〔野槌〕のところへいっときいた〔笹熊〕の勘蔵が、粂八に、高松の命を狙っていると打ち明けたことがあった。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
それをおもい出した粂八が、なにげないふりで六兵衛の店を訪ね、〔大滝(おおたき)〕のお頭から勘蔵が江戸へ戻ったと聞いたが---とカマをかけた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
六兵衛は、元同心・高松が江戸へ帰ってきているとわざわざ告げに来たことを、勘蔵へ話したといった。

結末:逆に勘蔵を殺した高松は、鬼平のすすめで密偵になったが、六兵衛が雇った殺し屋に殺された。
鬼平が気づいて、〔蝋燭屋〕へ手をまわしたときにはすでに遅く、六兵衛は姿を消していた。

つぶやき:あらかじめ、六兵衛を捕縛しておかなかったことを鬼平は後悔しているが、10年も前に足をあらった者を、どういう理由をつけて逮捕できるのか。時効は、泥棒にはないのか。未詳。

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2005.12.04

〔空骨(からぼね)〕の六兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[駿州・宇津谷峠]は、京都からの帰路の浜松で、岸井左馬之助は10余里の寄り道にはなるが、かねて念願の秋葉大権現社へ参拝、さらに10余里を歩いて袋井宿へ下り、旅籠〔六文屋〕へ入った。
泊まりあわせていたのが、30年ぶりの再会となる臼井での幼なじみ・鎌太郎だったが、なぜか彼はそそくさと出立していった。
(参照: 〔臼井〕の鎌太郎の項)
盗賊〔空骨(からぼね)〕の六兵衛の一味の鎌又郎としては、左馬之助がけむったかった。

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年齢・容姿:〔空骨〕の六兵衛についての記述はない。ただ、配下にそむかれるほどシミったれた性格らしい。
生国:駿州か遠州(どちらも静岡県)の生まれだろうが、〔空骨〕という地名は見あたらない。

探索の発端:舞台は変わり、こちらは鬼平と随行の同心・木村忠吾。
左馬之助に先行していて、大井川越えした先の林で、忠吾が下痢の処理をしていると、〔臼井(うすい)〕の鎌太郎がお茂を絞め殺すのが聞こえてしまった。
その鎌太郎と〔稲荷(いなり)〕の徳治は〔空骨(からぼね)〕の六兵衛一味だった。府中(静岡)の薬種問屋〔神崎屋〕で奪った460余両の分配をめぐっての不満から、お頭の六兵衛と妾おもんを殺害し、金を横領しようというわけだ。
岡部川をさかのぼる2人を尾行(つ)けていく鬼平と忠吾。

結末:行きついた山中の小屋で待っていたのは、お茂が酔わせて締め殺したはずの久蔵だった。徳治も鎌太郎も久蔵に殺されたが、その久蔵は鬼平の手に。
鬼平とすると、鎌太郎の正体を左馬之助に知らせずに終わったのがせめてもの友情であった。

つぶやき:〔空骨〕の六兵衛はお茂を密偵として配下の動きを探ぐっていたというが、それにしては〔二俣(ふたまた)〕の音五郎にあっさり殺されたものだ。
音五郎もお茂を抱いているらしいから、謀反一味だという情報は〔空骨〕の耳に入っていて、用心はしていたろうに。
さらにいうと、自分を守ってくれる配下をつくっていなかった六兵衛は、首領になる器量のなかった人物だったのかもしれない。

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2005.12.02

下働きの又太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻6の巻頭に置かれている[礼金ニ百両]で、不逞浪人と組んで、2000石の大身旗本・横田大学(40過ぎ)の嫡男・千代太郎(12歳)を誘拐、身代金1,000を要求した又太郎は、かつて兇賊〔網切(あみきり)〕の甚五郎の手先だった。
甚五郎一味が捕縛されたあと、又太郎のような下働きは仕事にあぶれて、悪事をおもいつくのだった。

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年齢・容姿:22,3歳。骨ばった躰つき。切れ長の両眼は獣のそれのよう。
生国:駿河(するが)国駿府(すんぷ)の外れの安部郡(あべこおり)宇津谷(うつのや)村(現・静岡県静岡市宇津ノ谷)
横田大学の先代が女中もよに手をつけて孕ませたが、妻女・芳乃(現・61歳)が承知せず、もよに10両渡して追い出した。もよは遠縁をたよって駿府へ行き、産みおとしたのが又太郎であった。
駿府でもいい扱いをうけることができず、城下はずれで暮らしたろうから、宇津谷村あたりと推定した。

探索の発端:筆頭与力・佐嶋忠介の叔父・谷左衛門(60過ぎ)は横田家の家老だが、千代太郎の誘拐事件の話をもちこみ、鬼平がかかわることになった。
鬼平は、横田家の家来・山本伊助がかんでいると察して手くばりをすすめた。

結末:浪人2人は鬼平に斬られ、又太郎は逮捕。誘拐犯だから獄門であろう。

つぶやき:誘拐事件を盗賊に結びつけるのに、池波さんは苦労したろう。けっきょく、又太郎をもよの子とすることで、盗みの世界へ入る筋道をつけ、そのあと〔網切〕の甚五郎の下働きという形をとり、前の[兇賊]のときには逮捕の現場にいあわさなかったというような苦しい言い訳を設定せざるをえなかった。
もっとも、この篇の主題は、火盗改メのお頭は、私財の持ち出しをしなければつとまらないということだあろうし、幕府も、裕福な幕臣をえらんで火盗改メに任じたふしがある。

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2005.10.31

〔笹熊(ささくま)〕の繁蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]で、題名になっている火盗改メ・堀帯刀組から消えた元・同心高松繁太郎(当時27,8歳)に、女賊お杉を奪われ、8年間にわたって高杉を狙っていたのが〔笹熊(ささくま)〕の繁蔵である。
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
8年前の天明7年(1787)、非道な盗賊〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎一味を内偵していた高松同心は、〔蛇骨〕配下の女賊お杉(30歳)と接触ができ、30両の支度金でお杉を逃がすことを条件に、一味の盗人宿を聞き出すことにしたのだが、堀組は金を用立てることを拒んだ。
(参照: 〔蛇骨〕の半九郎の項)
高松は、佐嶋与力あての置手紙を残して役宅を出奔するときに、お杉をともなった。

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年齢・容姿:標題の事件が起きた寛政6年(1794)には37,8歳。「通り名(呼び名)」の「笹熊」は「アナクマ」の別称とあるから、あの小獣に似た容貌だったのであろうか。
生国:遠江(とおとうみ)国のどこか(現・静岡県西部のどこか)。
記述はないが、〔蛇骨〕一味を抜けたあと、〔血頭(ちがしら)〕の丹兵衛の口ききで、〔野槌(のづち)〕の弥平のところへ身を寄せたとある。〔血頭〕は駿河の島田、〔野槌〕も三河国の出身である。地縁を考えると三河か遠江であろう。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
繁蔵が江戸での巣にしていた,、品川宿はずれの小さな蝋燭屋の亭主の叔父・六兵衛も、もとは、尾張から美濃へかけて一人ばたらきをしていた盗人だったというではないか。

探索の発端:筆頭与力・佐嶋忠介は市中見廻りの途中、赤坂・一ッ木の菓子舗〔鈴木屋〕で叔父・谷全右衛門の好物の〔一輪牡丹〕を持参し、愛宕下の旗本横田大学の屋敷内の長屋を訪ねた。
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『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)
上・左の〔成田屋〕に「一口一輪牡丹」 下・中に赤坂一ッ木の〔鈴木若狭掾〕

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愛宕下(部分)。画面の手前に横田大学の屋敷があることに---。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

そのあと、愛宕権現に詣でた参道で町人姿の高松繁太郎とであった。近くの料理屋〔弁多津〕で酒を酌みかわして別れたところ、高松は襲ってきた相手を刺殺した逃走。
殺されたのが、〔笹熊〕の繁蔵と名ざしたのは、かつて〔野槌〕一味にいっしょにいた〔小房〕の粂八だった。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

結末:〔笹熊〕の繁蔵自身の件は、高松元同心に刺殺されたところで終わる。が、物語のほうは、蝋燭屋・六兵衛が仕掛人をやとって密偵となっていた高松を惨殺するところまでつづく。

つぶやき:高松繁太郎が愛想づかしをして組をでた、堀帯刀重隆が火盗改メを勤めたのは、冬場の助役(すけやく)が天明元年(1781)から同2年春まで。本役が天明5年(785)1月25日から同8年(1788)9月28日まで。
高橋繁太郎の事件は、天明7年と推定できる。池波さんによると、堀帯刀がこの職に飽き々々していた時期であったらしい。


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2005.09.28

〔蛸坊主(たこぼうず)〕の五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻16の冒頭に置かれている[影法師]で、探索の端緒をつかんだ密偵〔蛸坊主(たこぼうず)〕の五郎。元は本格派の盗賊であった。
血をみる畜生ばたらきがあまりにもひろがっているのに嫌気がさしていたとき、かつて何度も手伝った〔大滝〕の五郎蔵に出会った。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
「流ればたらきをしていても、根はしっかりしている」からと見きわめた五郎蔵が、鬼平に引きあわせると、五郎はたちまち鬼平の人柄に魅せられ、密偵になることを承諾したのである。

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年齢・容姿:37歳。両眼が丸く大きく、口が突き出ていて蛸に似ている。
生国:3つのときに捨て子されていたのを、伊豆(いず)国加茂郡(かもこうり)八幡野(やわたの)村(現・静岡県伊東市八幡野)の寺僧に拾われ、15の年まで小坊主をしていた。
寺を飛び出てから悪の道へ入った。

探索の発端:密偵になってからの五郎は、むかしの育ちを生かして托鉢坊主姿で探索している。
たまたま、神田橋門外の茶店で一服していたとき、〔井草(いぐさ)〕の為吉(40がらみ?)を見かけた。首領〔湯屋谷〕の富右衛門が5年前に病死して以来、流れづとめをしいている男である。尾行して、西神田・蝋燭町の旅籠〔井筒屋〕へ宿泊していることをつきとめた。
(参照: 〔井草〕の為吉の項)
そこには、3人ほどの小人数で小さな盗めが専門の〔塩井戸〕の捨八もい、どうやら、麹町8丁目の菓子舗〔池田屋〕に目をつけているらしい。
(参照: 〔塩井戸〕の捨八の項)
結末:旅籠〔井筒屋〕へ泊り込みで見張りについた同心・木村忠吾を、〔さむらい〕松五郎こと〔網掛(あみかけ)〕の松五郎と見間違えている〔塩井戸〕の捨八が宿の階段でばつたり鉢合わせし、捨八は逃げにかかったが、酒井同心に捕まった。
(参照: 〔網掛〕の松五郎の項)
そのあと、為吉も捕縛され、入牢。そこには〔さむらい〕松五郎も入れられていた。捨八は松五郎の「影法師」に右往左往したことになる。
松五郎にそっくりの木村忠吾と盗っ人たちとのやりとりの仔細は、文庫巻14の巻末の[さむらい松五郎]に述べられている。

つぶやき:木村忠吾が〔網掛〕の松五郎に似ているために起きたもう一つの事件は、
(参照: 〔須坂〕の峰蔵の項)
〔塩井戸〕の捨八と〔井草〕の為吉との入りくんだ関係は、まもなく〔井草〕の為吉の項に記す。

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2005.09.26

〔勘行(かんぎょう)〕の定七

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録[雨乞い庄右衛門]で、お頭の〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門が疾患のある心臓の保養のために、安倍川の水源の梅ヶ島の温泉に滞在していたとき、3年も介添えをしていた配下が、この〔勘行(かんぎょう)〕の定七である。
(参照: 〔雨乞い庄右衛門の項)
定七が介添え役に選ばれたのは、勘行の生地が、梅ヶ島の温泉から西南西へ7キロばかりのところにある勘行峯(標高1450m)の麓で、土地勘があったためだろう。
なにしろ、梅ヶ島は駿府(静岡城下)から7里半(30キロ)も真北へ山奥へ入った温泉である。交通の便のなかったむかしは、不便きわまりなかった湯治場であった。
お頭の庄右衛門は、そこからさらに安部峠を越して身延側へくだり、富士川ぞいをすこし南へさがった横根村の出身である。

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年齢・容姿:屈強な30男。
生国:駿河(するが)国安倍郡(あべこうり)奥仙俣(おくせんまた)村(現・静岡県静岡市奥仙俣)

探索の発端:小康に希望をもって江戸へむかっている〔雨乞い〕庄右衛門は、小田原宿で〔勘行〕の定七と〔駒沢(こまざわ)〕の市之助と出会った。二人は庄右衛門を殺そうと、江戸から上ってきていたところだった。
連れだって宿泊した平塚宿で、庄右衛門の首をしめようとしたところを、小田原帰りで泊りあわせていた岸井左馬之助が救ったが、定七と市之助はうまく逃げおうした。
庄右衛門は六郷の渡しにかかったところで心臓発作がおき、息をひきとるまぎわに、洞巻の30両を浅草・阿部川町の妾お照へとどけてほしいと頼んだ。
左馬之助が鬼平へ〔雨乞い〕庄右衛門の顛末を語り、手配がととのった。

結末:一味の若者伊太郎といちゃついていたお照は、庄右衛門の参謀格で眼鏡師をよそおっている〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛の手で、すでに始末されていた。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
深川・小松町の半兵衛の家では、定七、市之助など一味の5人が鬼平の手で捕まったが、隠し金400両の分配の邪魔になる半兵衛は、一味の手で殺されていた。

つぶやき:悪の中の善、悪の中の悪---連載3年目の後半にあたるこの篇も、悪の世界のさまざまな色あいを描きわけており、いよいよ読み手の興をそそる。1年半前から掲載誌『オール讀物』の巻末が定位置になったのもとうぜんといえよう。

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2005.08.21

〔尾川(おがわ)〕の長次

『鬼平犯科帳』文庫巻18に収録の[一寸の虫]で、火盗改メ方でも一癖のある同心・山崎庄五郎に弱みをにぎられたために、無頼どもや小泥棒の情報を密告している、当人自身も小泥棒の〔尾川(おがわ)〕の長次。
〔不動(ふどう)〕の勘右衛門の配下だった仁三郎は、処刑をまぬがれていまは火盗改メの密偵となっている。その仁三郎が〔鹿谷(しかだに)〕の伴助とであったところを、〔尾川〕の長次に見られてしまった。山崎同心は、手柄を独占しようとして、仁三郎にゆさぶりをかけてきた。
(参照: 〔鹿谷〕の伴助の項)

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年齢・容姿:どちらも記述はないが、女房子どもがいるというから、35,6歳か。
生国:駿河(するが)国志太郡(しだごこうり)尾川(現・静岡県島田市尾川)。
紀伊国牟婁(むろ)郡尾川(現・和歌山県熊野市尾川)も考えたが、この地の人の気質に、江戸での小泥棒はにあわない。郷党意識が強いからすぐに徒党を組むはずだ。
ひきかえ、大井川下流左岸の尾川村の出なら人ずれしていようから、つい、追いはぎなどにも手をそめよう。さらに、池波さんはしばしば藤枝市や島田市を取材している。

探索の発端:半年ほど前に、長次が追いはぎをしているところを山崎同心に現行犯逮捕され、密告者となることを条件に釈放された。
他方、仁三郎と〔鹿谷(しかだに)〕の伴助が密議は、かつて属していた〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛への報復だった。
(参照: 〔船影〕の忠兵衛の項)

結末:山崎同心と鬼平との板ばさみに悩んだ仁三郎は、押し込みの現場で、〔鹿谷〕の伴助を刺殺して自刃。

つぶやき:〔尾川(おがわ)〕の長次は、取るにたりないような小者である。そういうほんの端役にまで、女房子どものために生き延のびなければいけないという状況設定をほどこすから、物語が真実味を益す。
生国の項で思案させられたのも、池波さんのそうした配慮をおもえばこそ。

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2005.07.18

〔梶ヶ谷(かじがや)〕の三之助

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[泥亀(すっぽん)]で、〔泥亀〕の七蔵のかつてのお頭〔牛尾(うしお)〕の太兵衛一味の小頭の1人。もう1人は〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛。
(参照: 〔泥亀〕の七蔵の項 )
(参照: 〔牛尾〕の太兵衛の項)
(参照: 〔牛久保〕の幸兵衛の項)

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。推定だと40後半。
生国:駿河(するが)国城東郡(じょうとうごうり)比木(ひき)村梶ヶ谷(現・静岡県御前崎市比木)。
「梶ヶ谷」は、現地名としてはのこっていない。比木の丘陵地帯の縄文遺跡の名称である。
〔牛尾〕の太兵衛の出身を、大井川西ぞいの旧・金谷町牛尾とみたので、駿河国で「梶ヶ谷」を探した。
ついでだが、比木が含まれていた浜岡町は2004年4月1日に御前崎町と合併して市制を敷いた。

探索の発端:〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵へ、〔牛尾〕の妻娘の窮状をきかせた〔関沢(せきざわ)〕の乙吉から、ことの次第を聞きとった密偵・伊三次が、鬼平へ報告。
(参照: 伊三次の項)

結末:捕縛した〔関沢(せきざわ)〕の乙吉が持っていた50両を、〔泥亀〕の七蔵へ持たせて御油まで届けさせたが、〔梶ヶ谷(かじがや)〕の三之助と〔牛久保(うしくぼ)〕の幸兵衛たちの行方は、けっきょく、知れずじまい。

つぶやき:縄文遺跡の地名を「通り名(呼び名)」に? との疑問ももっともだが、遺跡があったところが「梶ヶ谷」だったからその名が冠されたのであろう。とすると、土地の人びとはその谷間を「梶ヶ谷」と呼んでいたはず。

旧・浜岡町地区には遠州灘に面して「浜岡砂丘」と呼ばれる美しい砂丘があり、漁舟が並んでいた。漁師たちは天候と風向き、海流には細心の注意をはらう。〔梶ヶ谷(かじがや)〕の三之助が〔牛尾(うしお)〕の太兵衛の小頭として企画面を担当したのも、漁師時代に身につけた細心の注意力のたまものだったろう。狙った商店の間取り、金蔵の位置と鍵、使用人の数、見張りをはりつける位置や退出口、木戸の位置、月の満ち欠け具合など、三之助の計画には疎漏がなかった。


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2005.07.05

〔市野(いちの)〕の馬七

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録されている諸篇の中で、読み手が強い衝撃を受け、いつまでも記憶にのこしつづけているのが、密偵・伊三次(37歳)が、梅雨の雨が降りしきる摩利支天横丁で刺される、この[五月雨]である。
(参照: 伊三次の項)
兇刃をふるったのは、かつては仲間だった越後生まれの〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵(37,8歳)。〔市野(いちの)〕の馬七と骨休めに江戸へき、下谷の提灯店で遊んだときに、伊三次との切れていた糸がつながった。
(参照: 〔強矢〕の伊佐蔵の項)

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年齢・容姿:中年。
生国:遠江(とおとうみ)国長上郡(ながかみごうり)市野村(現・静岡県浜松市市野町)
「市野」という地名は、市が開かれる野という説もあるから、日本中のいたるところに点在した。〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵は越後国蒲原郡(かんばらごおり)暮坪(くれつぼ)の出身ということで、地縁をかんがえ、南魚沼(みなみさかな)郡大和町の甲・乙・丙がうしろにつく市野江も候補にあげてみたが、馬七は〔ひとりばたらき〕とあり、1,2度の盗めのつながりかと推理、浜松市の天竜川の安間川の上流右岸の市野を採った。

探索の端緒:。〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵と〔市野(いちの)〕の馬七が、五条天神裏の提灯店の〔みよしや〕で遊んだことを、なじみのおよねが伊三次へ告げたことから、〔大滝〕の五郎蔵が張り込んだ。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

結末:伊佐蔵と馬七があらわれたとき、店主・卯兵衛が顔色を変えたため、罠に気づいた2人は逃げたが、五郎蔵と鬼平によって捕縛された。死罪は間違いない。

つぶやき:〔みよしや〕のような私娼の店のある下谷2丁目が「提灯店(ちょうちんだな)」とよばれているのは「生池院店(しょうちいんだな)」がなまったもので、かつての生池院の跡だから。

この篇は、ストーリーの展開より、死の床にある伊三次の鬼平のこころの通いあいに注目しよう。
伊三次が、10年前に伊佐蔵の女房おうのを寝取って逃げたあと、殺してしまったことを告白すると、

「長谷川平蔵、たしかに、聞きとどけた。なれど忘れるなよ」
「へ---?」
「お前は、わしの子分だということを、な---」

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2005.06.15

〔今里(いまざと)〕の源蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻20に収録されている[怨恨]は、〔今里(いまざと)〕の源蔵と〔磯部(いそべ)〕の万吉(50がらみ)という一人ばらきの盗人同士の怨恨ばらしの物語である。
(参照: 〔磯部〕の万吉の項)
5年ほど前、〔今里〕の源像が采配をふるい、一人ばたらきの仲間10人ほどで駿府(現・静岡市)の呉服屋へ押し入り、1,200両を盗みだし、それを大井川の上手の笹間の山の中へ隠した。
その隠し家を襲ったのが一味に加わっていた〔磯部〕の万吉で、見張りの者を切り殺して1,200両をそっくり奪った。
万吉が安心してネコばばをきめこむためには、源蔵を殺すしかない。万吉は浪人・杉井鎌之助(40前後)に源像暗殺を50両で請け負わせた。
(参照: 浪人くずれ・杉井鎌之助の項)

年齢・容姿:51,2歳。顴骨(かんこつ)の張った、年齢にしては皺の深い顔。微笑むと何ともいえない人懐かしげな顔に変わる。
生国:駿河(するが)国駿東郡(しゅんとうこうり)今里(いまさと)(現・静岡県裾野市今里)
武蔵野国荏原郡、下野国河内郡、信濃国佐久郡、相模国高座郡などにもあるが、大井川の上流の笹間が推理の決め手となった。
もっとも、煮売り酒屋〔信濃屋〕の喜十(57歳)との仲を考えると、信濃国佐久郡の今里の出でもおかしくはない。

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探索の発端:南八丁堀5丁目の中ノ橋のたもとの煮売り酒屋〔信濃屋}の亭主は、10年前までは〔桑原〕の喜十と呼ばれた盗人で、密偵〔大滝〕の五郎蔵への隠し〔洩らし屋〕となっていた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
その喜十の家へ、体調をこわした源蔵がかくまってくれ、ところがりこんできた。
1カ月近くたち、足ならしの散歩をしている源蔵を、〔磯部〕の手下の勇七(32,3歳)が見つけて〔信濃屋〕をつきとめた。
同じころ、五郎蔵は、喜十のいつもと違う応対に不審感を抱いた。

結末:〔信濃屋〕を襲って源蔵を惨殺しようと、南八丁堀3丁目、〔信濃屋〕のはす向かいの宿屋〔山重〕に泊まりこんでいた万吉と勇七は簡単に逮捕、浪人・杉井鎌之助は鬼平の十手に倒れた。

つぶやき:文庫巻19の[引き込み女]では、〔信濃屋〕の喜十に〔洩らし屋〕という肩書きはつかわれなかった。〔怨恨〕を書く2か月のうちに池波さんは、この種の仕事人についてのネーミングをあれこれ考えて〔洩らし屋〕としたのであろうが、この〔洩らし屋〕は、その後、2度とつかわれることなく、池波さんは生涯を終えた。残念至極。


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2005.04.29

〔江口(えぐち)〕の音吉

『鬼平犯科帳』文庫巻4に所載の[五年目の客]で、遠州の大盗賊(おおもの)〔羽佐間(はざま)〕の文蔵一味の引きこみ役として、東神田・下白壁町の旅籠〔丹波屋〕源兵衛方へ府中(静岡市)の小間物屋というふれこみで宿泊、源兵衛の女房のお吉とできてしまう。

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(参照: 〔羽佐間〕の文蔵の項)

年齢・容姿:40がらみ。小さいときに大坂へ出て役者をしていたから、なんにでも化けられた。
生国:遠江(とおとうみ)国豊田郡(とよだこおり)江口村(現・静岡県磐田市豊岡)。
首領の〔羽佐間〕の文蔵が現・静岡県岡部町羽佐間(はさま)の出であることは分かっていた。したがって音吉は駿河か遠江の出身であろうと推測したが、江戸期の江口村が明治8年に西堀村などと合併、豊岡村と名が変わっていたので、竜洋町豊岡へたどりつくのに苦労した。
美濃国厚見郡江口村(現・岐阜市江口)ほかへも寄り道したが、遠江国の江口村はその名のとおり、天竜川の河口にあった。

探索の発端:寛政5年(1793)の初秋。鬼平は剣友・岸井左馬之助と浅草・今戸橋に近い船宿〔嶋や〕で酒食をともにし、〔小房〕の粂八の舟で帰ろうとしていた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
粂八が今戸橋をわたっている商人風に装った〔江口(えぐち)〕の音吉を認めた。10年ほど前に、粂八は〔羽佐間〕の文蔵一味にいたことがあり、見知っていたのである。
左馬之助が尾行すると、浅草橋近くの船宿〔近江屋〕で、〔丹波屋〕の女房お吉と密会していることがわかり、音吉の身辺に見張りがつけられた。

結末:5年j前、お吉は品川宿の〔百足屋〕で売れない女郎だった。盗めの分配金78l両を預けて酔いつぶれた音吉の胴巻きから50両を盗んで逃げ、それから運が向いてきて〔丹波屋〕の女将にまでなったが、現われた音吉へ躰で返金しているつもりが、絞殺する結末に。
いっぽう、火盗改メは、〔羽佐間〕の文蔵一味が〔丹波屋〕を襲うことを見越して網をはり、10名をことごとく召し取った。死罪であろう。

つぶやき:火盗改メの役宅の白州で、すべてを白状したお吉に、長谷川平蔵がいう。
「お前、夢を見ているのではないか---笹やでしめ殺されていたのは、羽佐間一味の盗賊で江口の音吉という悪党だぞ」
「そのような悪党と、丹波屋の女房が何らの関係(かかわり)のあるはずはない」
法も手さばき一つで、一人の女の人生を救うこともでき、逆に奈落へ落とすことも可能なのである。
ただ、温情がすぎると示しがつかなくなろう。

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2005.04.17

〔横川(よこかわ)〕の庄八

『鬼平犯科帳』文庫巻13に所載の[熱海みやげの宝物]に登場する盗人。大坂が本拠の〔高窓(たかまど)の久兵衛が卒中で死んだ。その〔甞役(なめやく)〕をつとめていた〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治につきまとって〔甞帳(なめちょう)〕の所在をさぐりとろうとしている、高橋九十郎配下の者。

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(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)

年齢・容姿:30男。色白。でっぷり肥えている。
生国:遠江(とおとうみ)国豊田郡(とよたこおり)横川(現・静岡県浜松市横川)。
ただ、〔高窓〕一味のテリトリーが上方であることょ考慮に入れると、庄八は上方へくだるよりも、知り合いの多い江戸へ伝手を求めそうな気もする。
とすると、加賀(かが)国石川郡(いしかほこおり)横川(現・石川県金沢市横川)の線もすてがたい。金沢と京都経済圏とは遠いようで近い。

探索の発端:熱海へ湯治に来ていた鬼平夫妻、密偵おまさと彦十の宿へ、〔馬蕗〕の利平治が〔横川(よこかわ)〕の庄八とともに現われた。
むかしなじみの彦十へ利平治が打ち明けた。
庄八はじつは、〔高窓〕一味を乗っとった盗人浪人・高橋九十郎の配下で、オレにおため顔をしているのだと。
〔小沼(こぬま)〕の富造というのがひそかに、庄八に連絡(つなぎ)をつけているのがその証拠だとも。
高橋一味のねらいは、〔高窓〕の2代目の久太郎の居所をつきとめて殺すこと、利平治が隠している〔甞帳〕を取り上げること。
鬼平は、江戸へ行くという利平治の身の安全を請け負った。

結末:程ケ谷宿の手前の権太坂で、刺客が現われたが刺客は鬼平に斬って捨てられ、庄八は彦十たちに捕まった。

つぶやき:盗賊一味の内実も、ふつうの組織となんら違わず、権力あらそいの巣みたいなもの。欲が強ければ強いほど、勢力と金をにぎろうと画策する。そこをいかにも現実的な味つけで描くのが、池波さんの腕のふるいどころ。

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2005.04.10

〔彦島(ひこじま)〕の仙右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻12に入っている[二人女房]で、深川の大島町の飛び地におときと妾宅をかまえている首魁。上方から尾張、駿河のあたりをテリトリーとしている。

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年齢・容姿:55,6歳。でっぷりと肥えた「蟇(がま)が相撲取りになったような」大男。鼻のまわりや額にいぼが10個ほど。醜怪だがなんとも憎めないのは、人のよさゆえか。
生国:遠江(とおとうみ)国山名郡(やまなごおり)彦島村(現・静岡県袋井市彦島)

探索の発端:[〔加賀屋(かがや)〕の佐吉]のところでも書いたが、酢醤油問屋〔佐野倉〕の用心棒をしている高木軍兵衛を誘いこんだ佐吉が、〔彦島(ひこじま)〕の仙右衛門の殺害を企てる。佐吉は大坂にいる仙右衛門の本妻おますとできていた。
(参照: 〔加賀屋〕の佐吉の項)
佐吉のそのたくらみは、軍兵衛によって逐一、鬼平の耳へ入れられていた。

結末:佐吉は、このが首尾よく運んだあと、報酬を払わなくてもいいように軍兵衛の殺害を不逞浪人たちに請け負わせたが、鬼平によって逮捕された。

つぶやき:地名の「彦島」は、吉田東伍博士『大日本知名辞書』には収録されていない。池波さんは、どこで磐田市と接しているここをを知ったかだが、徳川軍と武田軍がしばしば矛をまじえた地区でもある。「忍者もの」の現地取材をしたときに見覚えたのであろう。
JR東海道線・袋井駅を出た下りの電車が、ほんの1,2分で原野谷川(はらのやがわ)をわたってすぐに通過する町が「彦島」である。

見附(みつけ)の合戦、〔馬伏(まむし)塚城〕の攻防、高天神城の戦い---若大将だった家康は、このあたりを軍馬でいくたび踏んだことか。
(参照: 〔馬伏〕の茂兵衛の項)


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2005.03.22

〔寺尾(てらお)〕の治兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻20の[寺尾の治兵衛]とタイトル名にもなっている口合人(くちあいにん)。
生業(なりわい)としては盗賊団のお頭たちへ〔ながれ盗(づと)め〕の盗人を口合(斡旋)して紹介料を受けとる口合業だが、この篇では、盗みの世界で生きてきた棹尾(とうび)を飾るべく、手持ちの〔ながれ盗め〕人の名簿の中からえ選(え)りすぐった者たちで組織し、自ら采配をふるう計画を樹てている。

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年齢・容姿:50がらみ。弥勒寺門前の茶店〔笹や〕のお熊婆ぁさんいわく。「寺尾の治兵衛という男(の)も、ちょいと、しゃぶってみたくなるような顔をしているねえ」
生国:駿河(するが)国庵原郡(いはらごおり)寺尾(てらお)村(現・静岡県庵原郡由比町寺尾)
「由比町が合併されないで現存しているかどうか、地元の鬼平ファンの方のコメントを得たい)。

探索の発端:いまは長谷川組の密偵になっている〔大滝〕の五郎蔵が、現役(いま働き)のお頭だったころに〔ながれ盗め〕人の口合(斡旋)をなんども頼んだことのある〔寺尾〕の治兵衛から、浅草寺の境内で声をかけられた。
2人はともに、〔蓑火〕の喜之助から盗人として守るべき薫陶をうけた間柄だったのである。
(参照・ 〔蓑火〕の喜之助の項)
その「〔寺尾〕の治兵衛どん」が、助(す)けてくれないかといったのは、芝・片門前町2丁目の蝋燭問屋〔橘屋〕方への押し込みだった。
鬼平に報告すると、〔ながれ盗め〕人を逮捕するいい機会だから、自分も一味に加わると、乗ってきた。

結末: 上方から助っ人をさらに12,3人ほど探してくると、 寄宿している茶店〔笹や〕を明日には発とうかという日、〔寺尾〕の治兵衛は、座敷牢を破り出るや白刃をふりかざして町中を暴れまわる旗本の狂人息子に斬殺されてしまった。

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本所・弥勒寺の門前は二ツ目の通り。中央あたり木戸柵の右手、門前茶店〔笹や〕。右隣は〔植半〕(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

留守中の資金としてわたされた50両を、〔大滝〕の五郎蔵は、島田宿で古着屋をやっている遺族へ、ひとり娘の嫁入り資金として届けるべく旅立った。治兵衛が最後のお盗めをおもいたったのも、この嫁入り資金かせぎが目的の一つでもあった。

つぶやき:鬼平が盗人の浪人に化ける話、シリーズ後半に入ってからいささか多いなあ。1,500石格の火盗改メの長官が、そうそう軽率に盗賊団に潜入していいものかと、このところ、いささか首をかしげている。

〔口合人〕は、池波さんの造語になる人材紹介人である。「口合」を小学館『日本国語大辞典』で引くと、「間に立って口をきき、保証をすること」とある。
池波さんが愛用していた昭和10年(1935)刊の平凡社『大辞典』は「中に立って口をきく人。保証人。口入れ」とある。ここからたどったとおもう「口入」は、「奉公口、又は金銭の貸借などの世話をすること。又それらを営業とする人。桂庵。周旋屋」。

池波さんが「口合人」という造語をおもいついたのは、『オール讀物』(昭和51年 1976 2月号)に発表した[尻毛の長右衛門](文庫巻14)のためである。「口合人」という造語がよほどお気に召したか、つづく『殿さま栄五郎』(同)、『浮世の顔』(同)、1号おいた『さむらい松五郎』にも、〔鷹田(たかんだ)〕の平十、音右衛門、〔赤尾(あかお)〕の清兵衛といった「口合人」を登場させている。
(参照・ 〔赤尾〕の清兵衛の項)

「寺尾村」を『旧高旧領取調帳』で確かめると、越後・大野郡と高座郡、上州・片岡郡、上総・天羽郡、甲州・八代郡、武州・秩父郡、相州・高座郡にもあるが、〔蓑火〕の喜之助は京都など上方がおもなテリトリーであったこと、治兵衛が留守宅を島田宿においたことから、もっとも京にちかい東海道筋の駿州・庵原郡の「寺尾村」(63余石)とした。
駿河には安部郡の寺尾村(1,945余石)もあるが、家康の関係者がよく往来したはずの東海道筋であること、取れ高が少なく貧しげであることから、庵原郡を採った。

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2005.02.26

〔牛尾(うしお)〕の太兵衛

『鬼平犯科帳』には、〔牛尾〕を「通り名(呼び名)」にしている盗賊の首領が2人、登場する。
1人は文庫巻9[泥亀]で取りあげた〔牛尾〕の太兵衛である。
(参照: 〔泥亀〕の七蔵の項)
もう1人は巻20[おしま金三郎]で、かつて小柳安五郎と松波金四郎が現役時代に捕らえた賊で、名前だけがでてくる〔牛尾〕の又平。
この項で扱うのは、前者の〔牛尾〕のほう。

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年齢・容姿:記されていないが、25年も昔に、空き腹をかかえて難儀していた〔泥亀〕の七蔵(当時28歳)を一味に拾いげたというから、5,6歳年上とすれば、57,8歳。中風で倒れて3カ月後に、再起不能と見た一味全員に逃げられた。
生国:遠江(とおとうみ)国山名郡(やまなこおり)金谷宿牛尾郷(現・静岡県島田市牛尾)
「牛尾」はほかにも数箇所あるが、お盗めは駿河・遠州から伊勢へかけてとあり、岡部宿で呉服屋を表看板にしていたというから、東海道筋、大井川西岸の金谷町をとった。

探索の発端:3年前、三田寺町の魚籃観音堂・境内の茶店〔泥亀茶や〕の亭主におさまるとき、〔牛尾〕の太兵衛の盗人宿の番人を20年間もつとめていた七蔵は、お頭からもらった50両で茶店の権利を買ったのである。
大恩があると七蔵がおもいきわめているそのお頭の太兵衛が中風で亡くなり、遺された妻娘が苦労していると聞かされ、なんとか恩返しに50両の金をと、痛む痔疾をおして、押しこみ先をさがす七蔵に尾行がついた。

結末: 〔牛尾〕の太兵衛の遺族の苦境を七蔵に知らせた〔関沢(せきざわ)の乙吉の盗み金50両が、鬼平のはからいで妻娘へ届けられた。

つぶやき:「恩は着せるものではなく、着るものだ」は、池波さんが長谷川伸師から教わった人生作法の一つである。
〔牛尾〕の太兵衛に対する〔泥亀〕の七蔵のつくしようは、まさに「恩を着る」人間らしい姿であろう。
恩は、金子や物品とはかぎらない。いまでは、むしろ、無形の情報やアイデアのほうが貴重な場合もある。

つぶやき その2:2005年03月06日 金谷町牛尾地区を訪れた。
JR東海線金谷駅で、昼間は1時間に1本という大井川線で4駅、「五和(ごか)」下車。もちろん、駅員はいない。
徒歩5分で建設中の第2東名にぶつかる。右手の小高い丘が牛の後半身に似ているので、それで「牛尾」かとも思った。違った! 初老の男性が教えてくれた。
「かつては、潮(うしお)と呼ばれていたようです。それというのも、いま、向こうの杉の木立の(と、牛の後身に似た丘を指し)養福寺の麓に、老人のための集会所〔牛尾潮寿会憩の家〕がありますが、あそこで、湧いてでている潮水を引いて沸かして温泉にしています。その、潮(うしお)が、いつのまにやら牛尾になったとか」

平成16年(2004)刊の『掛川市史 中篇』で確認したら、牛の後半身に似た丘は、その昔は「潮山」といっていたと。

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牛の後身に似た丘から見た牛尾地区

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高齢者のための潮水温泉のある「牛尾潮寿(ちょうじゅ)会憩の家」

そうか、プレートの移動で海中から日本列島ができたとき、地下にとりこまれ、たくわえられた海水かな。
それにしても、「潮(うしお)」が「牛尾」とはねえ。現地を踏まないとわからない経緯。

いやいや、池波さんの取材力に感心すべきだ。
金谷町の牛尾地区は、旧東海道からそれほど北ではない。徒歩20分ばかりか。家康や信玄との関連はまだ調べていないが、池波さんは足を踏み入れたにちがいない。もしかして、潮水温泉のことも承知していたかも。

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2005.01.27

2代目〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門

独立短篇[白浪看板] (『別冊小説新潮』 1965年7月号、のち新潮文庫『谷中・首ふり坂』に[看板]と改題して収録)で初登場。『鬼平犯科帳』文庫巻5[山吹屋お勝]では、密偵として顔を見せている。

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[看板]が収録されている『谷中・首ふり坂』(新潮文庫)

年齢・容姿:[白浪看板]のときは40歳。大店の番頭風の物堅い扮装がよく似合う。
生国:不明。1歳のとき、遠江国城東郡浜松の旅籠〔なべや〕三郎兵衛方の軒下に捨て子されていたのを、初代〔夜兎〕の角右衛門にもらわれ、育てられた。
したがって、生国はとりあえず、静岡県としておく。

探索の発端:先代同様、
1.盗まれて難儀するものへは、手を出すまじきこと。
1.つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
1.女を手ごめにせぬこと。
の掟を守ってきたつもりなので、召し捕らえられることはなく、これも先代同様に、畳の上で往生できるとおもっていた。
それが、7年前、駿府のご城下の紙問屋でのお盗めのとき、同業の〔くちなわ〕の平十から預かった〔名草〕の綱六(参照:当サイトの〔名草〕の綱六の項)が、飯たき女の腕を切りおとしたことがわかり、一味を解散し、火盗改メへ自首して出、組頭の鬼平のはからいで密偵となった。

結末:盗人