カテゴリー「115長野県 」の記事

2006.07.03

〔蓑火〕の喜之助から

ブログを「日記」と訳すことに、違和感をもちつづけてきた。

「日記」というから、明日になると、昨日のコンテンツは読まれなくなる。

せっかくの記録なんだから、貴重なデータとして、その後も繰り返し呼び出して読み返されるように仕立てられないか。

その1例として、このブログの、巨盗〔蓑火〕の喜之助をあげたい。

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VTR『鬼平犯科帳』[老盗の夢]ほか

〔蓑火〕の喜之助は、数十人の部下を育ててきた。
その名を並べて、リンクを張ったら、20人を越えた。

↑オレンジ文字の〔蓑火〕の喜之助をクリックすると、彼のコンテンツが現れる。その中のオレンジ色になっている盗賊たちに、それぞれリンクがはられているから、読みたい奴(の)をクリックする。

クリックして呼び出した1人の項に、さらにリンクが張られている盗賊たちをつぎつぎにクリックして読み、[戻る]をつづけてクリックで〔蓑火〕の喜之助へ戻り、つぎの盗人でもおなじことを繰り返していくと、100人を超える盗賊たちに出会えるはず。

つまり、〔蓑火〕の喜之助は、『鬼平犯科帳』の蔭のヒーローなのである。

つぶやき:
この『鬼平犯科帳』プロムナードを始めると、1時間や2時間はすぐにたってしまう。時間の余裕のあるときにゆっくりお楽しみを。

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2006.03.15

密偵・仁三郎

『鬼平犯科帳』文庫巻18に収録の[一寸の虫]は、本格派の〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(52歳)の配下で、いまは火盗改メの密偵になつている仁三郎が、かつての同僚で血なまぐさい盗めをする盗人〔鹿谷(しかだに)〕の伴助(中年男)に誘われて、忠兵衛の娘(24歳)が嫁いでいる菓子舗へ押し込むが、その直後に伴助を刺殺し、自らも自裁する物語である。
(参照: 〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛 の項)
(参照: 〔鹿谷〕の伴助の項)
密偵としての初登場は、文庫巻15[雲竜剣] 。藤代へ出張る与力・小林金弥や小柳安五郎の供としてである。しかし、このときには、密偵となった経緯は説明されない。

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年齢・容姿:40がらみ。細身で背丈が高く、頬骨の張った皺の深い顔。
生国:この道の最初の首領が〔船影〕なので、同郷とみて信濃(長野県)のどこか。

密偵となった経緯:[一寸の虫]にいたって初めて、〔不動(ふどう)]の勘右衛門の一味にいたとき逮捕され、「見どころがある」と鬼平に認められて密偵として働くことになった。〔不動〕一味の事件についての記述はないから、それが何年前のことかは不明。
しかし、先掲の[雲竜剣]では早くも「腕きき」と評されている。[雲竜剣]は寛政8年(1796)の事件と推定できるから、その1年ほど前の逮捕劇だったか。

つぶやき:タイトルの由来は、「一寸の虫にも五分の魂」からきていることは贅言するまでもないが、それが、かつて〔船影]の忠兵衛に勘当された〔鹿谷]の伴助の恨みを指しているのか、密偵(いぬ)に身を落としても忠兵衛から受けた恩は忘れない仁三郎の心根をいっているのか。
読み手としては、後者をとりたい。
仁三郎の葬儀は、古参密偵の〔小房(こぶさ)〕の粂八がすべて取り仕切った。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

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2006.03.04

〔平尾(ひらお)〕の徳次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されて題名になっている女賊[網虫のお吉]は、3年前にも、駿府の扇子屋で〔三村屋〕徳太郎夫婦という触れこみで木挽町4丁目の旅籠〔梅屋〕に滞在したとき、男のほうが〔平尾(ひらお)〕の徳次郎だと、密偵おまさが認めた。おまさはかつて2度、2人が属している〔苅野(かりの)〕の九平を助(す)けたことがあり、そのときに見知っていたのである。
(参照: 〔網虫〕のお吉の項)
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔苅野〕の九平の項)
そこで、おまさは五郎蔵と、水戸が江戸見物にきた夫婦ということで〔梅屋〕へ投宿したら、お吉の姿が消えていた。急用ができて駿府へ帰ったということであった。

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年齢・容姿:そのとき、お吉は30を越えていたが、ほっそりとしていて外見にはとてもそうは見えなかったというから、その亭主ということだと、徳次郎は33,4か。物腰も実直な商人風だったろう。
生国:信濃(しなの)国佐久郡(さくこおり)上平尾(かみひらお)村(現・長野県佐久市平尾)。
当初、お吉が江戸生まれということ、任務が江戸でのお盗めの段取りをつけることだったので、少しでも江戸を知っているということで、都下稲城市平尾を考えたが、『旧高旧領』で検索にひっかからなかったので、あきらめざるをえなかった。

探索の発端:こんどの資源ではなく、3年前のことは、密偵おまさが浅草の奥山でお吉を見かけ、尾行(つ)けて旅籠〔梅屋〕をつきとめた。
おまさと五郎蔵が水戸から江戸見物に来た夫婦をよそおって〔梅屋〕へ投宿したときには、徳次郎のお吉も、駿府に急用ができたといって、消えていた。

結末:徳次郎は、それきり、姿を見せない。
お吉については、彼女の項をお読みいただきたい。

つぶやき:こんどの逃避行は、夫の琴師・歌村清三郎に前身がいずれバレるとともに、同心・黒沢勝之助に躰をもてあそばれたことも知られると読んでのうえである。この判断は正しい。

それはそれとして、筆者が舌をまいたのは、3年前、〔苅野〕の九平が、お吉の、江戸でのお盗めは、鬼平がいるかぎり危険であるとの言上を信用して、本所四ッ目の呉服屋〔丁字屋〕への企みをあっさりあきらめたことである。部下の見解をまるまる飲みこむんでやることで、部下は本気になる。

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2006.01.26

医生(いせい)・山本弁二郎

『鬼平犯科帳』文庫巻11に収められている[土蜘蛛の金五郎]の篇の、主人公・盗賊の首領〔土蜘蛛(つちぐも)}〕の金五郎(50がらみ)の甥にあたる山本弁二郎は、〔土蜘蛛〕一味が江戸でのお盗めを企んだとき、信州・上田を出、幕府の表御番医・井上立泉の新銭座の宅に近い三島町に住み込んで、立泉方の医生に化ける機会を狙っていた。
(参照: 〔土蜘蛛〕金五郎の項)

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年齢・容姿:若者とあるが、上田で医者を開業していたというから、20代も後半か。いかにも医生らしいものごし。
生国:信濃(しなの)国小県郡(こがたこおり)上田(現・長野県上田市)。

探索の発端:市中見廻りの途中、立ち寄った下谷・車坂代地の蕎麦屋〔小玉屋〕で、格安の飯屋の噂話を小耳にはさんだ鬼平が、疑いをいだいて内偵をはじめた。
食いつめ浪人に扮した鬼平は、根岸に居をかまえている〔土蜘蛛〕に接近するとともに、出入りする山本弁二郎や浪人たちの看視もすすみ、2カ所の盗人宿もつきとめられていた。

結末:鬼平に化けた岸井左馬之助との偽の一騎打ちを演じた鬼平は、岸井鬼平を殪す。それで安心していた〔槌蜘蛛〕一味15名は全員逮捕。死罪であろう。医生を演じた山本弁二郎はまだ盗みをはたらいていないから、江戸追放か。

つぶやき:池波さんは、取材で旅館へ宿泊しても、作家であることを明かさず、「化け」の楽しみと名づけて、女中がどんな職業に見てくれるかを楽しみにしていた。一番目が呉服屋、二番目が刑事であったそうな。

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2006.01.24

剣客(けんかく)・高橋勇次郎

『鬼平は科帳』文庫巻17は、このシリーズ2つ目の長篇[鬼火]である。物語は、富士前町の居酒屋〔権兵衛酒屋〕が賊に襲われた謎を解きあかす形で展開する。そのエピソードの一つに、鬼平殺害に加担した剣客・高橋勇太郎と鬼平との偽りの果し合いがある。
間借りしているのは、池ノ端・茅町2丁目の一膳飯屋〔三州屋〕の2階。
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茅町は池の左岸辺(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:
30がらみ。提灯店のおよねによると、目の色が涼やかで、引きしまって細身だが柔軟な肌身は伊三次に似ていると。
生国:信濃(しなの)国小県郡(おがたこおり)上田(現・長野県上田市)。
父は信州・上田藩士で剣は強かったが気ばたらきが鈍くで失職、浪人となり、勇次郎が17歳のときに江戸へ出てきた。

探索の発端:浪人・大野弁蔵とともに下谷町2丁目の〔みよしや〕へあがったとき、鬼平殺害の会話をおよねに聞かれてしまい、探索がはじまった。

結末:鬼平に斬りかかったものの、まるで手が出ないことがわかり、あっさりとあきらめた。
そのあきらめふりに愛嬌があるというので、鬼平が手の者の一人にしてしまう。

つぶやき:上下はもとより、対人関係を円滑にはこぶ貴重な潤滑油のひとつが「愛嬌」であることは、池波さんがつとに描いているところである。木村忠吾しかり、井関録之助しかり、岸井左馬之助しかり、〔五鉄〕の三次郎しかり、〔みよしや〕のおよねしかり。
そして、またひとり、剣客・高橋勇次郎が鬼平グループに加わった。

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2005.11.28

〔藤や〕源吉

『鬼平犯科帳』文庫巻1の[老盗の夢]の主人公〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(67歳)から8年前に、一味の京での盗人宿でもあった五条大橋東詰の旅籠〔藤や〕を、きっぱりと足を洗うなら、とゆずられた源吉は、女房おきさへは「叔父」ということにして、喜之助の残りすくない余生の世話をしぬくつもりであった。
「犯さず、殺さず、貧しきからは盗まず」の本格派の3カ条を守りぬいて引退した〔蓑火〕の、幹部級の配下だった源吉のことゆえ、現役(いまばたらき)時代には、もちろん、いちども縄にかかったことはない。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)

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年齢・容姿:どちらも記述はされていないが、40歳すぎか。
生国:数いる配下の中で、〔藤や〕をゆずられたほどだから、信濃・上田出身の喜之助と、地縁があるとみた。で、旅籠名の「藤や」でこじつけてみた。
信濃(しなの)国埴科郡(はにしなこおり)松代町(まつしろまち)中町藤屋小路(現・長野県長野市松代町松代)。
越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)藤屋新田(現・新潟県北蒲原郡笹神村藤屋)も考慮したが、喜之助との地縁が薄い。

探索の発端・結末:どちらも、物語の展開には関係がないし、記述もない。

つぶやき:いまは足を洗って、旅籠の亭主にりっぱにおさまっているので見逃してやってもいいかともおもったが、そういう配下を育てた〔蓑火〕の喜之助のみごとな統率力の一例としてとりあげた。
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旅籠名〔藤や〕と位置「五条大橋東」は、京都『商人買物独案内』から合成したのであろう。

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2005.11.20

〔土蜘蛛(つちぐも)〕の金五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻11に収まって、[土蜘蛛の金五郎]のタイトルにもなっている〔土蜘蛛(つちぐも)〕〕の金五郎は、越後・越中から信州へかけてをテリトリーにしている盗賊の首領だった。
江戸での一仕事をたくらみ、それには邪魔になる火盗改メ方の長官・鬼平を片づけてからと、腕利きの浪人たちを飼っていた。
その一方で、あこぎに手に入れた金子(きんす)のほんの一部をあてて、三ノ輪のはずれに格安の一膳飯屋を開き、善根をほどこしている気になっている。

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年齢・容姿:50がらみ。品はよい。中肉中背。色は浅黒く、目玉が大きい。
生国:テリトリーは越後・越中から信州とあるが、肌色が浅ぐろいというから、越後・越中をはずすと、信州(長野県)がのこった。甥・山本弁二郎が信州・上田で医者をしていたとあるから、信濃(しなの)国小県郡(こがたこおり)上田(現・長野県上田市)だろう。
(参照: 医生・山本弁ニ郎の項)

探索の発端:市中見廻りの途中、立ち寄った下谷・車坂代地の蕎麦屋〔小玉屋〕で、格安の飯屋の噂話を小耳にはさんだ鬼平が、疑いをいだいて内偵をはし
じめた。

結末:金五郎は、浪人・木村五郎蔵(じつは鬼平の化け姿の偽名)の腕を見込んで、鬼平の惨殺を依頼した。
鬼平に扮した岸井左馬之助との壮絶な組太刀を演じ、止どめをさしたふうにみせかけ、金太郎から50両をせしめた上で、全員逮捕。金五郎は磔刑だろう。

つぶやき:鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれている「土蜘蛛」という妖怪の名は、文庫巻2[埋蔵金千両](『オール讀物』1968年3月号)の主人公・万五郎に冠していたが、それから5年後の12月号の本篇にうっかり同じ「通り名(呼び名)」をつけてしまったために、読者から指摘があったのだろう、万五郎のほうは出生地の〔小金井〕に変えられた。
(参照: 〔小金井〕の万五郎の項)
絵としてはそれほどのことはない「土蜘蛛」ではあるが、非道盗賊の「呼び名」として「土蜘蛛」という妖怪名を、池波さんはかなり気にいっていたのかもしれない。
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絵に添えられているのは、「源頼光土蜘蛛を退治し給ひし事、児女のしる所也」
源頼光が渡辺綱を伴い、京・西山の土蜘蛛を退治した。岩場から蜘蛛を睨んでいるのが頼光か。

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2005.11.11

〔井草(いぐさ)〕の為吉

『鬼平犯科帳』文庫巻16の冒頭に置かれている[影法師]で、浪人くずれの長坂万次郎と組んで、〔塩井戸(しおいど)〕の捨八(40歳)一味の盗金270余両を、手のこんだ芝居をうって横取りしたのが、同じ流れづとめの〔井草(いぐさ)〕の為吉である。
(参照: 浪人くずれ長坂万次郎の項)
(参照: 〔塩井戸〕の捨八の項)
その芝居とは、〔塩井戸〕一味が、中仙道・熊谷宿の料理屋〔棚田屋〕を襲ったとき、長坂浪人と為吉も仲間だったが、しんがりを捨八にまかせ、盗金を馬に乗せて先発し、上州・白石の村はずれの盗人宿へ向った。
そこで長坂浪人が3人を斬り殺し、為吉にも血が多くみえるように配慮した傷をおわせ、馬もろとも逃走。
遅れてやってきた捨八に、為吉は、長坂浪人と〔さむらい〕松五郎の仕業と偽ったのである。
(参照: 〔網掛(さむらい)〕の松五郎の項))
のち、為吉は、傷の保養に故郷の信州・小諸(こもろ)在へ帰っていった。

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年齢・容姿:どちらも記載がないが、捨八と長いつきあい、とあるから40歳前後であろうか。
生国:信濃(しなの)国佐久郡(さくこおり)小諸町のどこか(現・長野県小諸市のどこか)。
聖典に「故郷の信州・小諸在」とあるので上記としたが、小諸近辺にも長野県にも「井草」という地名は見あたらない。池波さんは、「小諸在」としてとき、どこの「井草」を頭に浮かべて為吉の「通り名(呼び名)」としたのだろう。
栃木県足利市井草町と、東京都杉並区に上、下井草がある。

探索の発端:〔湯屋谷(ゆやだに)〕の富右衛門一味にいた〔蛸坊主(たこぼうず)の五郎を、〔大滝〕の五郎蔵が密偵として推薦した。
(参照: 〔湯屋谷〕の富右衛門の項)
(参照: 〔蛸坊主〕の五郎の項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
五郎は、たまたま神田橋門外の茶店で一服していたとき、〔井草〕の為吉を見かけた。〔湯屋谷〕のお頭が5年前に病死して以来、流れづとめをしている男である。尾行して、西神田・蝋燭町の旅籠〔井筒屋〕へ宿泊しているのと、麹町8丁目の菓子舗〔池田屋〕を見張っていることをつきとめた。

結末:為吉は菓子舗〔池田屋〕を見張っているところを、逮捕。死罪であろう。

つぷやき:この篇は、同心・木村忠吾が、〔さむらい松五郎〕こと〔網掛〕の松五郎に間違えられた、文庫巻14の[さむらい松五郎]の後日譚ともいえる物語である。
『鬼平犯科帳』がチェーン(連鎖)仕立てといわれる好サンプル篇である。

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2005.10.09

〔駒沢(こまざわ)〕の市之助

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録[雨乞い庄右衛門]で、大盗〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門(58歳)が疾患のある心臓の保養のために、安倍川の水源の梅ヶ島の温泉に滞在しているのを、〔勘行(かんぎょう)〕の定七(30男)と連れ立って江戸から殺害に出かけた没義道なのが、この〔駒沢(こまざわ)〕の市之助である。
(参照: 〔雨乞い〕庄右衛門の項)
(参照: 〔勘行〕の定七の項)
3年にもおよぶ梅ヶ島の湯の効果があらわれたかして、庄右衛門の心臓の発作と神経痛は小康をえた。そこで燃え上がる〔盗みへの情熱〕をもてあました庄右衛門は、江戸へ下ってかねてからのお盗めを実行する気になった。
梅ヶ島を発って安部川ぞいに東海道へ出、小田原の旅籠〔伊豆屋〕に宿をとった翌朝、市之助と定七にばったり出会ったものである。
平塚の宿で、2人は庄右衛門を襲ったが、同宿していた岸井左馬之助に邪魔をされ、ほうほうのていで逃げ出した。

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年齢・容姿:屈強な30男。
生国:信濃(しなの)国諏訪郡(すわ)郡駒沢村(現・長野県岡谷市川岸西1丁目)。

探索の発端:剣友・左馬之助が庄右衛門一味に疑惑を感じたのはそのときからである。
六郷の渡しで発作をおこして死んだ庄右衛門のいまわのきわの頼みで、浅草・阿部川町に住む庄右衛門の妾のお照へ金をとどけに行ってみると、一味の若者伊太郎といちゃついていたお照は、庄右衛門の参謀格の眼鏡師・〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛の手で、すでに始末されていた。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
火盗改メの捜査がはじまった。

結末:つぎのお盗めのための隠し金400両を預かっていた深川・小松町に住む半兵衛は、市之助や定七など一味の5人の手で殺されていたが、全員、鬼平に捕まった。一同、死罪であろう。

つぶやき:じつは、『鬼平犯科帳』に描かれている江戸以外の史跡で、最初に訪れて宿泊したのが、〔雨乞い〕庄右衛門が湯治をした梅ヶ島であった。
静岡新聞社が主催するカルチャーセンターに〔鬼平〕クラスをもった最初の講義のあと、旧友のN君が2時間以上も車を走らせて送りとどけてくれた。立教大学出身という宿のご主人の丁重なもてなしも気にいった。
翌朝の小雨にけぶる安倍川源流を、野生猿の一群が沢渡りしているのをみ見て、瞬時にこの温泉場が好きになり、ここで3年間も湯治をした庄右衛門の心中へもおもいがおよんだ。
以後、この小品は、ぼくの心の中で、好きな1篇に育っている。

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2005.08.15

剣客・松岡重兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[泥鰌の和助始末]で、実の息子・磯太郎(23歳)を自殺に追いこんだ南新堀(中央区)の紙問屋〔小津屋〕へ、仇討ちのつもりで盗みにはいろうとしている〔泥鰌(どじょう)〕の和助(60がらみ)を、手助する剣客・松岡重兵衛である。
高杉道場の食客をしていたときの松岡重兵衛は、若き日の長谷川銕三郎(のちの平蔵)や岸井左馬之助に稽古をつけてくれた。そして、小遣いに困った銕三郎が、彦十の口ききで左馬之助とともに盗みの手伝いをしようとしたとき、事前に引き止めたこともあった。

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年齢・容姿:50前後。痩身。怒り肩。白いものがまじった髪。居眠りでもしているようなおだやかな顔。
生国:信濃(しなの)国更級郡(さらしなこうり)大豆島(まめじま)村(現・長野県長野市小豆島)
善光寺の坊の和尚が妾に産ませた子。p181 新装版p189 仏門の庶子がどのような経緯で一流の剣客となったか、想像するだけでもわくわくするではないか。
明治30年に市制を敷いたとき、古里(ふるさと)、柳原、淺川などの村が『旧高旧領』で検索にひっかからなかったので、つぎにヒットした小豆島村を採った。

探索の発端:息・辰蔵(20歳)が通っている市ヶ谷・左内坂上(新宿区)の坪井道場へあらわわれた松田十五郎と名乗った剣術遣いの剣筋を聞いた鬼平は、それが松岡重兵衛の変名と悟り、辰蔵に住いを突きとめるようにいいつけた途端、さっと消えられてしまった。
重兵衛が立ち寄った市ヶ谷田町1丁目の鰻屋[喜田川]も店を閉めて逐電していた。が、辰蔵の悪友・阿部弥太郎が鰻屋の女房が天現時寺(港区南麻布4丁目)の門前で茶店をだしているのを見つけてから、見張りがつけられた。

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広尾毘沙門堂 天現寺(『江戸名所図会
塗り絵師:西尾 忠久)

結末:紙問屋〔小津屋〕の盗みは、〔泥鰌(どじょう)〕の和助がほどこしておいた仕掛けで上々にはこんだが、仲間に入れた〔不破(ふわ)〕の惣七の裏切りで、引き上げてきた亀戸村(江東区)の百姓家に、盗めき金を横取りしようと不逞浪人たちが待ちかまえていた。
(参照: 〔不破〕の惣七の項)
、〔泥鰌〕の和助は斬られて死んだし、松岡重兵衛も鬼平に看取られながら「退屈は死ぬよりつらかった」といいのこした。

つぶやき:この篇の主題は松岡重兵衛のいまわの言葉「退屈は死ぬよりつらかった」である。これをどう受けとめるかで、読み手の生き方が問われる。
目標をかかげて精進している読み手は歯牙にもかけまい。
定年生活に入り、しなければならないこともなく日をおくっている人には、『鬼平犯科帳』の再読をおすすめする。

なお、この篇は、寛政4年(1792)の暮から翌5年正月へかけての事件である。史実の辰蔵は23歳。正月には24歳となってい、この年、永井亀次郎安清の養女を娶っている。

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2005.07.12

〔諏訪(すわ)〕の文蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収録されて、主人公としてタイトル名にもなっている、[明神の次郎吉]の父親で、盗人。息子の次郎吉(30男)が「生まれた下(しも)の諏訪(すわ)にある諏訪大明神から採(と)ってつけた〔明神(みょうじん)〕を「通り名(呼び名)」としているのに、文蔵が〔諏訪(すわ)〕を名乗っているのは、たぶん、盗め金を稼いでから下諏訪の大明神の近くに家を買ったからであろう。それまでは小百姓だった生家は諏訪湖の近くにあったとおもえる。
(参照: 〔明神〕の次郎吉の項)

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年齢・容姿:記述はないが、寛政5年(1793)盛夏の事件である[明神の次郎吉]の篇から5年前に病死したというから、職業柄、晩婚で、次郎吉が35,6歳のときの子とすると、享年は60歳前後。
生国:信濃(しなの)国諏訪郡(すわごおり)大和(おおわ)村あたり(現・長野県諏訪市大和)

探索の発端・結末:本格派の大泥棒〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛の配下として盗みの3ヶ条を守りぬいて、関東一帯から奥羽へかけての遠国で盗めてき、諏訪には骨休めに戻っていたために、畳の上でやすらかに死を迎えた。一度として捕縛されたことはない。

つぶやき:息子の次郎吉は、鬼平の剣友・岸井左馬之助が惚れこんだほど気性のいい男である。こういう男に育てあげるには、たまさかに家へ戻ってきたときの薫陶がよほどちゃんとしていたのであろうし、女房に対するしつけも行きとどいていたとおもえる。
ところでその女房だが、亭主が盗人だとわかっていないと、次郎吉がその世界に入るのを見すごはずがなかろう。
盗人業といえども、亭主の職業を女房が理解・尊敬していないと、家庭はうまくいかない。

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2005.07.07

〔駒場(こまんば)〕の宗六

『鬼平犯科帳』文庫巻2の所載の[蛇(くちなわ)の眼]で、頭の平十郎配下の1人。合鍵づくりの達人。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)
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年齢・容姿:30歳。容姿の記述はないが、蝋型がとれなかったためにかなりの重さになる蔵破りの諸道具を運ぶから、筋骨はたくましいはず。
生国:池波さんは、〔蛇〕の平十郎の配下として4人を列記している。
 志度呂(しどろ)の金助(35歳)
 片波の伊平次(40歳)
 (参照: 〔片波〕の伊平次の項)
 駒場の宗六(30歳)
 鶉(うずら)の福太郎(25歳)
(参照: 〔鶉〕の福太郎の項)
4人のうち、〔片波〕と〔駒場〕にルビがふられていないのはなぜなのかを、かんがえてみた。たぶん、(かたなみ)(こまば)は、ほかに読みようがない、と編集部が判断したか。
しかし、馬を移動用・戦闘用にたくさん使っていた戦国から江戸時代へかけて、放牧したり飼育したりするための「駒場」は、それこそいたるところにあって、たいてい地名になっていたはずである。
考えていたら、鬼平熱愛倶楽部のメンバーである〔みやこ〕のお豊さんから、武田信玄がみまかった信州・下伊那の駒場(こまんば)ではないかとのご教示をうけた。
信濃(しなの)国伊那郡(いなごうり)駒場(こまんば)村(現・長野県下伊那郡阿智町駒場)。
池波さん愛用の吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33~)には、「駒場(こまんば) 今会地村とあらたむ」とある。
さらには、近年は(こまば)と呼ぶむように法制できまっていると、町役場で教わった。

探索の発端:〔蛇〕の平十郎の項に記したので、その一部を再録。
鬼平と平十郎が出会ったのは寛政3年(1791)初夏で、本所・源兵衛橋ぎわの蕎麦屋〔さなだや〕において。
そこで冒頭に記したような視線を交わしあい、鬼平のほうは(油断のならぬ怪しい奴)としかおもわなかったが、平十郎は相手を鬼の平蔵と察知した。
日本橋・高砂町で〔印判師・井口与兵衛〕の看板をあげている〔蛇〕の平十郎は、浜町堀をはさんで斜向(はすむか)いの道有屋敷の金蔵を狙っていた。

〔駒場〕の宗六は、蔵破りの諸道具の手当てと手入れにかかりきっていた。

これより前の事件---文庫巻1に所載の[座頭と猿]で逃げ隠れていた座頭・彦の市が女に会いに現われて逮捕され、〔蛇(くちなわ)〕一味の盗人宿が相州・小田原宿の北の部落・上之尾にあることを白状した。

結末:上之尾へ馬で急行、待ち構えていた鬼平以下の火盗改メに、全員逮捕、死罪。
平十郎だけは過去の残虐な所業もふくめて、市中引き回しのうえ火刑。

つぶやき:(こまば)を採るか、(こまんば)にするかで、ずいぶん迷った。
で、(こまば)の宗六、(こまんば)の宗六---と、何回も口に出してみた。そのうちに(こまんば)の宗六のほうが、語感がよくなってきた。舞台のせりふまわしは語感だから。
あとになってだが、口合人の〔鷹田〕に平十に、(たかんだ)とルビをふった例もあることだし、とも牽強付会。

明治座の舞台で、〔蛇(くちなわ)〕の平十郎が、
「〔こまんば〕の、逃げろ!」
と叫んでいる場面も目に浮かんでき、ぜったいに、(こまんば)だと確信できた。

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2005.06.30

〔雨彦(あまびこ)〕の長兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻16に載っている[白根の万左衛門]のタイトルは、そのまま本格派盗賊の首領(72歳)の名前である。
(参照: 〔白根〕の万左衛門の項)
江戸で稼ぎまくってずいぶんと名前を売っていたものだが、鬼平が火盗改メに就任すると同時に、ぴたりと活動をやめた。といっても、盗めをやめたわけではなく、仕事の場を上方から中国すじへ移しただけである。
久しぶりの江戸でのお盗め先(数寄屋橋門外の文具舗〔大和屋〕)の準備がととのった、との知らせが名古屋へ届き、万左衛門は老巧の〔灰谷(はいだに)〕の菊松とむすめ婿の〔沼田(ぬまた)〕の鶴吉をまず下向させ、つづいて自らも麹町6丁目の鞘師の家へ落ち着いたところ、死の病いにとりつかれた。
(参照: 〔灰谷〕の菊松の項)
長くはなさそうというので、配下の者が気をきかせて、名古屋から小頭の〔雨彦(あまびこ)〕を呼んだ。

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年齢・容姿:60がらみ。顔は陽にやけているが、足取りは達者。
生国:「通り名(呼び名)」の〔雨彦〕は、ムカデに似た小さな虫のことである。どこでも見かけるから、生国の推理の手がかりにはならない。
〔白根(しらね)〕一味のNo.2ということなので、地縁を考えた。
万左衛門を信濃(しなの)国上高井郡(かみたかいこおり)白根山麓(現・長野県上高井郡白根山の西麓)の出とした。その近隣の村---小さな虫にかけて、上高井郡の千曲川右岸・小布施(おぶせ)町小布施としてみた。

探索の発端:平河天満宮の鳥居のところで、2人づれの男女を、〔白根(しらね)の万左衛門のむすめのおせき(24歳)と、その婿の〔沼田(ぬまた)〕の鶴吉(30がらみ)だと、密偵〔馬蕗(うまぶき)〕の利平次が鬼平へ告げた。
尾行がつき、麹町の鞘師・梅之助の店が割れ、つづいて下向してきた長兵衛の身元がつきとめられた。
(参照: 〔馬蕗〕の利平次の項)

結末:万左衛門は死の床で、隠し金1,500両ほどの遺(のこ)し金を京都のさる家の仏壇の下へ隠してると、むすめ夫婦と小頭の長兵衛へ告げた。
遺し金を一人占めしようとしたおせきがまず締め殺され、ついで鶴吉が殺されかけたところで、〔雨彦〕グループは尾行していた火盗改メに縛られた。

つぶやき:これまで、右腕とか左腕とか、軍師役などと呼んできたNo.2が、この篇ではじめて「小頭」という呼称を与えられた。
これは、『雲霧仁左衛門』(新潮文庫)へそのまま転用されることになった。

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2005.06.23

〔桑原(くわはら)〕の喜十

『鬼平犯科帳』文庫巻19では[引き込み女]に、巻20に所載の[怨恨]ではかなり重要な役どころを受け持つ、いまは足をあらって、南八丁堀5丁目(じつは4丁目。5丁目は近江屋板の切絵図の誤植)、京橋川に架かる中ノ橋の南詰で煮売り酒屋〔信濃屋〕をいとなみながら、盗人情報をこっそり、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵にだけ洩らしている〔洩らし屋〕。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

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年齢・家族:57歳。10年前に足をあらい、いまの店を開いた。女房のおときは20も年下。むすめのお光は7歳。
生国:屋号の〔信濃屋〕から推定。信濃(しなの)国諏訪郡(すわごうり)下桑原(しもくわばら)村(現・諏訪市四賀桑原)

探索へのかかわり:煮売り酒屋をつづけながら、かつて2度ほど助(す)けて、その人柄に好感をもっている〔大滝〕の五郎蔵にだけ、そっと情報を洩らす。五郎蔵も心得ていて、鬼平へは、喜十のことは告げていない。

つぶやき:人と人のまじわりの中で、信義というものの大切さを悟らせる一編である。喜十と五郎蔵、喜十と〔今里(いまざと)〕の源蔵の信頼関係、そして源蔵から受けた旧恩に報いようとする喜十---「恩は着せるものではなく、着るものだ」との、池波さんが長谷川伸師からうけた人生訓をみごとに小説化している。
(参照: 〔今里〕の源蔵の項)

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2005.05.28

〔須坂(すざか)〕の峰蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められている[さむらい松五郎]で、同心・木村忠吾を、さむらい松五郎こと〔網掛(あみかけ)〕の松五郎とまちがえて手下になりたがった、鍵開けが専門の盗人。
(参照: 〔網掛〕の松五郎の項)

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年齢・容姿:40がらみ。ずんぐりした躰つき。
生国:信濃(しなの)国高井郡(たかいこうり)須坂村(現・長野県須坂市須坂)。
『角川地名大辞典』によると、地名は古代の墨坂神に由来し、墨坂(すみさか)が転訛したものと。
池波さんは、〔須坂〕にきちんと(すざか)とルビをふっている。訪れた証拠とみたい。

探索の発端:[五月闇]で〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵に刺殺された密偵・伊三次の墓参に、威徳寺へ詣でたあと、帰りかけている同心・木村忠吾の肩をたたき、「網掛のお人」といった男がいた。〔湯屋谷(ゆやだに)〕の一味にいたときに見知ったのだといい、〔須坂(すさか)〕の峰像と名乗った。
(参照: 〔強矢〕の伊佐蔵の項)
(参照: 伊三次の項)
(参照: 〔湯屋谷〕の富右衛門の項)
この顛末を鬼平長官へ報告すると、すぐさま、峰蔵と、峰蔵が抜け出したがっている〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七一味に見張りの手がうたれた。
藤七一味への加担は、高崎に住む口会人の〔赤尾(あかお)〕の清兵衛の口ききだったという。
(参照: 〔赤尾〕の清兵衛の項)

結末:〔須坂〕の峰蔵が助(す)けることになっていた〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七一味は、断首。
小柳安五郎が捕らえたほんものの〔網掛〕の松五郎と、〔須坂〕の峰蔵の処置は書かれていない。

つぶやき:他人のそら似は、1人2役で演じる舞台の場合は早変わりの妙技が見どころになるが、小説の場合は嘘っぽさがいなめない。

しかし、前話が伊三次が刺殺される悲話だったので、ここは明るい物語で読み手の気分転換をはかろう、との、小説巧者・池波さんの配慮だったのだろう。

「須坂」出身の盗人には、もう一人---〔沼目(ぬまめ)〕の太四郎がいる。
(参照: 〔沼目〕の太四郎の項)

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2005.05.26

〔布引(ぬのびき)〕の九右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻1に収められている[浅草・御厩河岸]で、密偵〔豆岩〕の岩五郎の手引きによって捕縛された一味の首領。
(参照: 〔豆岩〕の岩五郎の項)

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:〔布引〕一味のだれかを見知っていた〔豆岩〕が、つながっている与力・佐嶋忠介へ指したとすると、2通りの類推ができる。
1は、〔豆岩〕の父親・卯三郎が加わっていた〔中尾〕の治兵衛は近江から上方がテリトリーだったという。親子して盗めをしたとすると、卯三郎に土地勘のある近江でもやったろう。そのときに助(す)けた男が〔布引〕一味に加わっていたとすると、九右衛門は滋賀県八日市市の布引丘陵から「通り名(呼び名)」をとったと。
(参照: 〔中尾〕の治兵衛の項)
1は、逮捕されたのが江戸のようだから、江戸に近い土地の出身とみると、信濃(しなの)国佐久郡(さくこうり)布引山(現・長野県小諸市近郊)。布引山について『大日本地名辞書』は「今北御牧(きたみまき 現・北佐久郡北御牧村)、川辺村(未詳)の管内にして、千曲川の崖山とす。観音堂あり。水石の奇勝を占めて、地方の名所とす」と。
「布引」とは、「布を引いたように絶え間なく引き続いていること」(小学館『古語大辞典』)

探索の発端:記されていない。

結末:佐嶋与力が「この春(寛政元年 1789)には大手柄(おおてがら)をたてたそうだな。布引(ぬのびき)の九右衛門一味をことごとく御縄(おなわ)にすることができたのも、お前の、かげながらのはたらきが大きかっさたと、先日、長谷川様も大層におよろこびだあったぞ」と、〔豆岩〕に告げている。

つぶやき:「---忠介で保(も)つ堀の帯刀」といわれていた佐嶋忠介が、長谷川組(先手・弓第2組)の前に火盗改メを勤めていた堀組(先手・弓第1組)から、長谷川組へ借りられたのは、交渉に手間どったかして、長谷川平蔵が火盗改メ・本役を拝命した天明8年(1788)10月2日から半年以上もすぎた、寛政元年初夏のことであったらしい。
もっともこの篇は、、〔中尾(なかお)〕の治兵衛の項でも記したように、文庫には収められてはいるが、『鬼平犯科帳』シリーズとして書かれたものではない。したがって上記のようなこまごましたことまでは、池波さんはまだ設計していなかったはすず。
そういう視点をもちながらこの篇を読むと、面白みが一段と深まる。


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2005.05.19

〔笠倉(かさくら)〕の太平

『鬼平犯科帳』文庫巻12に所載の[高杉道場・三羽烏]で、剣友盗賊・長沼又兵衛一味を助(す)ける、役者くずれなだけに化けのうまい独りばたらきの盗人。
(参照: 剣友・長沼又兵衛の項)

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年齢・容姿:44,5歳。一癖もニ癖もある面がまえだが、どこにでもある顔。
生国:信濃(しなの)国水内郡(みのちこおり)笠倉村(現・長野県下水内郡豊田村豊津)。
笠倉村はかつて、香桜(かざくら)村と呼ばれた。村に1本のみごとな桜の木があったからである。千曲川の氾濫で村が流され、台地に移住したときに笠倉(かざくら)村と改名した。
真田一族の取材もあり、池波さんは信濃路をよく渉猟しているが、(かざくら)と濁るとは気づかなかったのだろう。
太平は、早くから名古屋へ出て役者となり、その演技力を生かして、のち、化けの巧みな盗人となった。

探索の発端:船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房(こぶさ)〕の粂八が、かつて兇盗〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、〔砂蟹(すながに)〕のおけいも一味にいた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔砂蟹〕のおけいの項)
その女賊おけい(40がらみ)が〔鶴や〕で逢引きをした相手が、〔笠倉(かさくら)〕の太平であった。
隠し穴から2人の会話を盗みきくと、長沼又兵衛一味が狙っているのは、巣鴨の徳善寺と。
鬼平が、身分をかくして徳善寺へ潜んだ。

結末:同門だった長沼又兵衛は鬼平に斬られたが、家督している兄のために、名前は大島平之進としてと処理された。太平もおけいも逮捕。

つぶやき:梅原猛さんの「国民文学の4条件」の一つに、「抑制のきいたエロス」があげられている。
柱を背に、あぐらをかいた〔笠倉〕の太平の上に腰をおろし、着物も乱さずにゆったりと揺れるおけいとの情事には、覗き見している粂八もさすがにしどろもどろ。

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2005.04.28

〔長久保(ながくぼ)〕の佐助

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録の[見張りの見張り]で、お頭の〔万福寺(まんぷくじ)〕の長右衛門が病死、一味は解散したのに、倅の佐太郎が帰ってこない。
東海道・島田宿で古女房で元女賊のお直に小間物屋をやらせていた佐助だったが、倅探索の旅へ出た。
日光街道・草加宿で、同じく〔万福寺〕一味にいた〔橋本(はしもと)〕の万造から、女出入りが原因で佐太郎を殺したのは、これも一味だった〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉と告げられた。

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(参照: 〔万福寺〕の長右衛門の項)

年齢・容姿:60歳すぎか。上背はあるが、肉づきはたるんでいる。日に灼けた老顔に真っ白な眉毛。
生国:信濃(しなの)国小県郡(ちいさがたこうり)長久保村(現・長野県小県郡長門町長久保)
『大日本地名辞書』(冨山房)には、ほかに下野国塩谷郡長久保(現・茨城県塩谷郡氏家町長久保)が収録されているが、女房に東海道・島田宿で小間物屋をやらせているというから、信濃から大井川ぞいにくだってきて住み着いたと考えられる。
もちろん、下野国の長久保村も候補とはしたが、本拠が上方の〔万福寺〕の長右衛門へは遠すぎる。
『旧高旧領』に載っている美濃国海西郡長久保村(現・岐阜県海津郡海津町長久保)も検討したが、美濃から上方へはらきに出たものが、故郷をとおりすぎて島田宿へ居をかまえるのもいささか不自然だし、池波さんは『旧高旧領』を保有していなかったことも理由として排した。

探索の発端:〔長久保〕の佐助が、偶然にも、本所・相生町4丁目で小さな煙草店をやっている〔舟形(ふながた)〕の宗平の前に立った。煙草を切らしたのだ。
2人はかつて、〔蓑火〕の喜之助お頭の下でいっしょに盗めた仲だったのである。しかも宗平は、佐助の人柄に好意をもっのていた。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
いっぽう、〔大滝〕の五郎蔵は、かつて、〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉を配下もしたことがあったが、その性質に嫌気がさして、一味から放出した。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項 )
(参照: 〔杉谷〕の虎吉の項)
五郎蔵は、寅吉の女房がやっている品川の蝋燭屋を訪ねて、寅吉との連絡を頼んだ。
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五郎蔵が出かけた品川駅(『江戸名所図会』より)
(塗り絵師:西尾 忠久)

結末:五郎蔵の策にひっかかって虎吉は捕らえられたが、佐太郎を殺したのは彼ではなく、〔橋本〕の万造だと分かった。
〔杉谷〕の虎吉は、本郷4丁目の紙問屋〔伊勢屋〕卯兵衛方へ押し入り、一家惨殺に近い殺戮をしたので、虎吉は磔刑。一味は死罪。
〔長久保〕の佐助は、伝馬町で牢死。

つぶやき:けっきょく、〔橋本〕の万造が捕まることなく物語は終わってしまう。
勧善懲悪を期待していた読み手には肩すかし。
「盗っ人として、佐太郎も万造も半人前で、〔万福寺〕のお頭ももてあましていた」という虎吉の言葉で、それだけの者たちに、紙面をさくこともない、と池波さんは考えたか。
池波小説にはめずらしく、万造は、その後の物語にも姿を見せない。

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2005.04.21

〔薮原(やぶはら)の伊助〕

『鬼平犯科帳』文庫巻8の所載の[流星]で、〔鹿山(かやま)〕の市之助一味の者として、いまは足を洗って舟宿の船頭をして落ち着いていた友五郎を強請、盗めを手伝わせた男、と書けば、「ああ、あ奴(やつ)」と合点する読み手も多いはず。

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(参照: 鹿山〕の市之助の項)
(参照: 〔浜崎〕の友蔵の項)

年齢・容姿:40男。小肥り。
生国:信濃(しなの)国筑摩郡(ちくまこうり)薮原村(現・長野県木曾郡木祖村薮原)
昔は「やごはら」とも呼ばれたと。旧中山道ぞい、山間(あい)の小さな宿場村。

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『木曾路六十九次の内・藪原 鳥居峠硯ノ清水』(英泉)
奈良井宿から九十九折(つづらおり)の鳥居峠を2kmほど上ると[硯の清水]。峠をくだりきると薮原宿。お六の櫛伝説で知られる。

探索の発端:友五郎が〔飯富(いいとみ)〕の勘八(62歳で畳の上で大往生した本格派)一味の小頭役をしていたときの縁をいいたて、勘八の遺児を人質にとっていることをほのめかされると、友五郎としても、、〔鹿山(かやま)〕の市之助のたくらみを手伝わざるをえなくなった。
で、友五郎が日本橋川にかかる思案橋たもとの舟宿〔加賀屋〕から消えたことから、探索の手がのびた。
友五郎の盗人時代の「通り名(呼び名)」が武州・新河岸川ぞいの〔浜崎(はまざき)〕であったこと、若いときに新河岸川の川越船頭をしていたことなどから、探索の範囲がしぼられた。

結末:福岡村の新河岸川ぞいの廃寺が浮かびあがり、川越藩の手助けもあって一斉逮捕。、〔鹿山(かやま)〕の市之助、〔薮原(やぶはら)〕の伊助ほか、死罪。友之助はとりあえず遠島。

つぶやき:〔飯富(いいとみ)〕の勘八は物語上の登場てしかないが、〔浜崎(はなざき)〕の友之助は文庫巻6[大川の隠居]で忘れがたいキャラクターぶりを発揮しているので、あれきり出番がないではもったいないおもっている読み手のこころを察した池波さんは、1年置いて、〔薮原(やぶはら)〕の伊助を伴って再登場。
たぶん、「友之助iにもういちど会いたい}」いった読者からの手紙が編集部へ何通もとどいたのだろう。

〔薮原〕の伊助がふられた、いわゆる交渉役は、最初はやさしく出て、それでダメなら、有無をいわせないだけの押しの強さが必要で、しかも相手を逃がしてはいけないから、容易そうだが、かなり技術を要する役柄である。伊助はよくやっている---というより、池波さんはたくみに描いている。

蛇足だが、〔梅安最中傘〕に中仙道の「薮原宿」が登場する。梅安が5人の侍に囲まれて、あわや---となる。結果は原作でお確かめを。


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2005.04.18

〔四ッ屋(よつや)〕の島五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収まっている諸篇の中でも[五月闇]は、その悲劇を予感させるタイトルとともに、起きた事件が読み手に、もっとも忘れがたい印象を残しているといっていい。

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密偵の伊三次が〔強矢(すねや)]の伊佐蔵に刺殺された。
(参照:〔強矢〕の伊佐蔵の項)
鮮烈な印象を受けた事件にもかかわらず、つぎの一節を記憶している読み手はそれほど多くはなさそうである。

伊三次は、盗賊改方の御縄(おなわ)にかかったとき、四ッ屋の島五郎という盗賊の下(もと)でいそぎばたらきをしていた。

〔四ッ屋(よつや)〕の島五郎が顔を見せるのはこの1行きりで、年齢・容姿、探索の発端、結末など、いずれにも筆が及んでいない。
ただ、〔四ッ屋〕という「通り名(呼び名)」は、生国推定の手がかりにはなしえる。データベース『旧高旧領』からリストをつくってみる。

・陸奥国津軽郡四ッ屋村(現・青森県南津軽郡平賀町四ツ屋)
・羽後国仙北郡四ッ屋村(現・秋田県大曲市四ツ屋)
・越後国頚城郡四ッ屋古新田(現・新潟県?)
・     頚城郡四ッ屋村(現・新潟県糸魚川市四ツ屋)
・     古志郡四ッ屋村(現・新潟県長岡市四ツ屋)
・     蒲原郡四ッ屋村(現・新潟県燕市四ツ屋)
・信濃国水内郡四ッ屋村(現・長野県長野市川中島町四ツ屋)
・     更科郡四ッ屋村(現・長野県小諸市?)

つぶやき:リストを見ての第1候補は、長野市川中島町四ツ屋と気づく。
『よい匂いのする一夜』(講談社文庫)の長野の旅亭〔五明舘〕の項に、

以前は、一年のうちに何度も何度も信州へ出かけて行った。
何度も出かけた土地へ旅行するのは、私の癖なのだが、数えきれぬほどに足を運んだ京都に次いで、信州への旅が最も多かったろう。

武田信玄の近くに潜入した忍者・丸子笹之助を描いた『夜の戦士』(角川文庫 初出:1962.01.16-63.01.29 宮崎日日新聞ほか)の前半部は「川中島の巻」とサブタイトルされている。
伊三次のことのほかには気をちらせたくない[五月闇]での池波さんとすれば、伊三次のかつてのお頭には、自分の中ではとっくになじみになっている地名を冠してすませてしまいたかったろう。

〔強矢(すねや)〕---「矢」---「や」---「屋」---〔四ツ屋〕と連想が走ったのかも。

もちろん、新潟県や青森県の鬼平ファンの方々のご意見もいただきたいが。

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2005.03.24

〔日影(ひかげ)〕の長右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻8の中の秀作[あきれた奴]と、巻20の[おしま金三郎]にチラッと名前だけが出てくる盗賊。

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年齢・容姿:いずれも記されていない。
生国:信濃(しなの)国水内国(みのうちごおり)日影村(現・長野県上水内郡鬼無里(きなさ)村)。
〔通り名(呼び名)とも〕の〔日影(ひかげ)〕からだと、岩代(いわしろ)国の2カ村、上州、武州、三河、甲斐、飛騨などにもに各1カ村ある。
あえて、信濃を採ったのは、現村名が鬼無里(きなさ)村と、いかにも池波さん好みだから。ここは明治22年(1889)4月1日に、鬼無里村と日影村が合併して現村名を名乗った。

探索の発端:寛政2年の雪の頃、同心・小柳安五郎と松波金三郎が、兇賊〔日影(ひかげ)〕の長右衛門の探索の手がかりをつかんだとある。
小柳同心は、7日ほども組屋敷へ帰らないで役宅へつめきりで逮捕にあたった。
その間に、初産が難産だった妻のみつは男の子を産みおとすと息絶え、まもなく赤子も逝った。その死に目に立ち会えなかったことが、長く小柳同心の心の傷となっていた。

結末:逮捕された〔日影〕一味は、全員死罪だったろう。

つぶやき:かつて10年間ほど、池波さんや落合恵子さんらと読売映画広告賞の審査をやっていて感じたのは、池波さんの判断のずば抜けた早さ、決めたらあとはほとんど口をきかないいさぎよさだったが、横から見ていて、池波さんの好みは黒っぽい紙面の広告が多いと気づいた。つまり、視覚的な好みを優先させていたようにおもった。
ひきかえ落合さんとぼくは、白っぽい紙面の広告におおむね高い点数をつける気味があった。

池波小説の題名に「暗剣」とか「闇」とかが多いといっているわけではない。そのテの話だと、池波小説の主人公---長谷川平蔵や秋山小兵衛、藤枝梅安は、白い花をとりわけ好んでいる。

小柳家の菩提寺というか、亡妻みつと赤子が眠っている、浅草・阿部川町の竜源寺は、池波少年が育った下谷・永住町の近くの竜福寺(台東区元浅草3丁目17-2)と隣の了源寺(同・3丁目17-5)の寺号を合成したもの。近すぎるのでテレて、そのままは借りられなかったのだ。

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2005.02.16

〔明神(みょうじん)〕の次郎吉

『鬼平犯科帳』文庫巻8で[明神の次郎吉]と、タイトルにまでなっている、〔櫛山〕の武兵衛一味でも腕っこきの盗人。下の諏訪の諏訪明神からとった「通り名(呼び名)」とか。

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年齢・容姿:30男。狸のような顔。小肥り。
生国:信濃(しなの)国諏訪郡(すわごおり)下の諏訪(現・長野県諏訪郡下諏訪町)

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木曾海道六十九次の内・下諏訪(広重) 

(もっとも、諏訪社を社号とする神社は多く、南佐久郡小海町豊里、同郡八千代村、諏訪郡富士見町落合などにも鎮座。地元の鬼平ファンの方のご教示を待ちたい)。
5年前に病死した父親の〔諏訪(すわ)〕の文蔵も、〔櫛山〕の武兵衛一味にいた。
(参照: 〔諏訪〕の文蔵の項)

探索の発端:、〔櫛山〕の武兵衛の呼びだしに応じて、中仙道を江戸へ下る途路、小田井宿をすぎて前田原へさしかかった〔明神〕の次郎吉は、心の臓の発作で苦しんでいる旅僧から、江戸の春慶寺へ寄宿している岸井左馬之助への短刀をことずかった。
旅僧の遺骸は、小田井宿はずれの妙音寺へ背負って行き、とむらいを頼んだ。お盗めをしていないときには善いことをしてきた次郎吉だったのである。

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左・岩村田、塩名田、芦田、和田経由で下の諏訪へ 
前田原村 小田井宿 右・江戸へ
(幕府道中奉行制作『中山道分間延絵図』部分)

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木曾海道六十九次の内・小田井(広重) 
宿場の西はずれの「かないか原」の風景。勧進僧と遍路。

旧知の宗円坊の遺品を届けられた左馬之助は、次郎吉を荷車に乗せて二ツ目北詰の〔五鉄〕へ連れこんでの酒盛り。その帰り姿の次郎吉を、かつて〔櫛山〕の武兵衛を助(す)けたことのある密偵おまさが覚えていた。

結末:いさぎよく縛についた〔櫛山〕の武兵衛一味に鬼平は、一同、死罪をまぬがれて島送りですむようにと、南町奉行の池田筑後守へ頼んだ。とりわけ、次郎吉の刑は軽くとも。

つぶやき:幕府の道中奉行制作の『中山道分間延絵図』で小田井宿をあたってみたが、妙音寺らしい寺はなかった。池波さんが創作した寺かもしれない。

〔明神〕の次郎吉の、5年前に病死した父親〔諏訪〕の文蔵も、〔櫛山〕の武兵衛の配下だった。

〔明神〕の次郎吉の「諏訪の旅籠屋の亀五郎」との自己紹介を信じきっている岸井左馬之助に、鬼平は〔櫛山〕一味の逮捕を告げない。
そして、「人間(ひと)とは、妙な生きものよ」「悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪をはたらく。心をゆるし合うた友をだまして、その心を傷つけまいとする---」の池波人生哲学をつぶやく。

2005年06月06日、下諏訪町の諏訪大社下社2座に参詣した。
春宮は大門に、秋宮は甲州道中に面して東町にあるが、〔明神(みょうじん)〕の次郎吉の家は、どたらの宮に近かったのであろう。
そうおもいながら、春宮から秋宮までの中山道1キロほどを歩いてみた。

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諏訪大社春宮。前は中山道

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秋宮。前は甲州道中

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秋宮。神楽殿の脇から拝殿をのぞむ

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秋宮。一の御柱

上に掲げた『中山道分間延絵図』を検分していて、池波さんの錯覚を発見した。
[明神の次郎吉]の冒頭の部分である。文庫p90 新装版p96

つぎの宿場は信州・追分で、そこまで一里半ほどある。
西空の果てに、血のような夕焼けの色がわずかに残っていたけれど、これが夜の闇に変わるは間もなくだった。
その暗くなった道を、旅の男は前田原をぬけて行くことになる。
(略)
「私は、笠取峠に住む古狸ゆえ、怖いものなんかありぁしないのだ」 

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明治20年製作の20万分の1。
赤○:左から岩村田宿、小田井宿、追分宿、沓掛宿

『分間延絵図」 を見ると、左手(下諏訪側)から来て前田原村、小井田宿(つまり、前田原は小田井宿よりも下諏訪寄り)に入っている。

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赤○:左下から下諏訪宿、和田宿、長久保宿・(笠取峠)・芦田宿

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木曾海道六十九次の内・あし田(広重) 笠取峠の松並木

ところで、司馬遼太郎さんは『覇王の家』(新潮文庫)で、織田信長が甲州攻めで武田勝頼の生母の実家の諏訪氏の諏訪神社をことごとく焼いたと書く。手元の史料にはそのことが記されていない。これも、地元の鬼平ファンの方のご教示を得たい。

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2005.02.05

〔帯川(おびかわ)〕の源助

『鬼平犯科帳』文庫巻11の[穴]で、盗みの血がおさまらず、隣家の化粧品店〔壺屋〕(史実は菓子舗で白粉もあつかった)へ、穴づたいに忍び込み、盗んだ金をそっくり、また返しにし忍んで行った引退盗賊。かつては、〔帯川〕一味を率いて西国でかせぎまくった首領。
長編巻15[雲竜剣]などでも、火盗改メに協力している。

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年齢・容姿:70がらみ。鶴のように痩せ、白髪。湯あがりのようにつやつやしい顔色。
生国:信濃国伊那郡南原村和合帯川郷(現・長野県下伊那郡阿南町和合 帯川)
阿南町の帯川を見つけたのは、学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス1期生の堀眞治郎さんである。かつての南原村地区と推定した根拠は、『旧高旧領』の知久頼鎌の知行地に「阿島村」と「南原村」があり、合併して「阿南町」となったのであろうと見た(史実は、1957年7月1日に大下条村、旦開(あさげ)村(明治8年帯川を合併)、和合村、富草村が合併した町制施行)。
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南北に長い阿南町 帯川郷は最下から次の赤スポット

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阿南町部分拡大 赤スポット---下から新野、帯川、早稲田郷

探索の発端:西の久保の菓子舗〔壺屋〕の盗難ともいえない不可思議な事件に疑問を抱いた鬼平が、密偵・彦十を〔壺屋〕へ住み込ませたところ、床下から隣家の京扇店〔平野屋〕の主人・源助の部屋の押入れへ通じていることがわかった。

つぶやき:〔平野屋〕源助が、金を返しに行くとき、三方に金とともに、麦藁細工のねずみと、ねずみがかじったような跡をつけた川越産のさつまいもを載せた。その麦藁づくりのねずみは、大森の名産で、川崎大師へ参詣した帰途に求めたものだが、池波さんは、そのねずみを『江戸名所図会』の[大森の麦藁細工]の絵から拾った。

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0132大森の麦藁細工(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

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店内の向かって右隅棚にねずみが5匹

本郷3丁目の菓子舗〔壺屋〕が、その後の移転先---とは、店主・入倉芳郎さんの言。

学習院〔鬼平〕クラスの堀さん