カテゴリー「112東京都 」の記事

2007.03.10

「もう、男はこりごり---」とおまさ

[4-4 血闘]は、密偵志望のおまさが、少女時代に憧れた長谷川平蔵と再会する物語。

長谷川平蔵が火盗改メの本役が発令された天明8年10月2日から、さほど日を置かずして、おまさが役宅へ現れて密偵を懇請する。

このおまさによって〔乙畑(おつばた)〕の源八一味が〔火盗改メ〕に捕らえられたことはもちろんだが、その後、平蔵は、おまさを密偵にするつもりはなかった。
しばらくは、自分のところへ引きとり、そのうちに適当な相手を、
「見つけてやろう」
と、平蔵はおまさにいったが、
「もう、男はこりごりでございます」
おまさは笑って、うけつけようともしない。 p1138 新装p144

ミク友(SNS組織---mixiの仲間)で文芸評論家のイケガミさんの日記「若い女性の無邪気な感想」を少々引用させていただく。
イケガミさんが、いまは女性の部下が多い職場の上司をしているかつてのクラスメートと酒席をともにしたときの会話だ。

上司さん「---けっこう悩みをきかされるんだよ。まあ平たくいうと、愛されていると思ってセックスしたのに、愛されていなかった、バカヤロウという話ね」
つづいて、「セクハラじゃないかと思って一瞬迷ったけれど、こっちも酔っていたし、いったけわけだ。“勃起したペニスには良心がない。とくに若い男のそれには”。だから気をつけなさい、と」
と、悩みを打ち明けた若い女性が「“刺激的な格言ですね”と」
上司さん「そればかりじゃない。もっと驚いたのは、そのあとでね。“いろんなことをいっぺんに思い出しちゃいますね”と」

おまさが平蔵に「もう、男はこりごりでございます」といったとき、どんなことを思い出したろう、と思った。
7歳になる娘は、亡父の里へ預けており、その子の父親は、5年前に死んでいる。
〔狐火(きつねび)〕一味にいたとき、一味を放逐されることになった掟やぶりをして、首領の息子・又太郎を男にしてやったことか。
18歳で〔乙畑〕一味にいたときに、〔夜鴉(よがらす)〕の仙次郎にレイプされたことか。

池波さんがあとになって後悔したのは、[血闘]で浪人たちにおまさを輪姦させたことだろうと憶測している。

おまさはその後、[9-2 鯉肝(こいぎも)のお里]で密偵仲間の〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵とむすばれる。
そして、未完[24 誘拐]で、レズの〔荒神(こうじん)〕のお夏に誘惑されるらしい。

いや、よくできた短篇を読むようなイケガミさんの日記の---“いろんなことをいっぺんに思い出しちゃいますね”に触発された。男性も女性も、どういうときに「いろんな、どんなことを、いっぺんに思い出しちゃう」のか。

それこそ、人生の1断片々々々が、ページをぱらぱらと落とすようによみがえるから、人生は悲しくもあり、嬉しくもあるか。
 

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2006.03.31

女賊お才(さい)

『鬼平犯科帳』巻4に所載[あばたの新助]で、長谷川組の同心・佐々木新助(29歳)を誘惑、組の夜の警戒巡回情報をききだす役目を成功させた女賊。
(参考:同心・佐々木新助

兇悪な首領〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)の女房という触れこみのお才(さい)だが、どうみても20後半に入ったかどうかだから年齢が違いすぎるし、甚五郎が潜んでいるのは加賀であることが多いから、江戸へ現れたときの妾のような立場とみる。
(参考: 〔網切(あみきり)〕の甚五郎の項)

お才は、佐々木新助が甘いもの好きということで、富岡八幡宮境内の東側、二軒茶屋のうちの〔伊勢屋〕の隣で、甘酒・しる粉の〔恵比寿屋〕の茶汲み女となって網を張り、情事に初心な新助をまんまとたらしこむ。
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上=北 富岡八幡境内の赤○=二軒茶屋の位置。
八幡宮の南正面の先が蓬莱橋。

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『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)

年齢・容姿:20代後半にさしかかったばかり。「躰つきに健康な女の若さがみなぎり、うす化粧の下の鮮烈な血の色が、かくそうとしてもかくしきれぬ」「くろぐろとした双眸(りょうめ)」「豊満なお才の乳房が夕あかりをうけ、ことさらにふかい陰影をつくって、むっちりともりあがり、腕や肩のあたりの産毛(うぶげ)が光って見える」
生国:不明だが、甚五郎に仕込まれた性技にたけたあたりから想像するに、武蔵野国江戸かその近郊生まれであろう。

探索の発端:偶然に深川の巡回をおもいついた鬼平が、富岡八幡宮の前の道を歩いてくる浪人姿の新助とお才を見かけて尾行し、富吉町の正源寺(江東区永代 1-8-8)裏の〔川魚・ふじや〕をつきとめた。
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正源寺裏の〔川魚・ふじや〕

ここでお才と素っ裸で睦みあっていた新助は、〔網切〕の配下の文挟〔ふばさみ〕の友吉(406男)に恐喝され、組の見廻り順路を洩らすはめになった。
(参考:文挟〔ふばさみ〕の友吉の項 )

結末:見廻りの隙を幾たびも衝かれた鬼平は、お才逮捕の手配をしたが、そのとき新助は、〔網切〕配下の浪人と切りむすんで惨殺されていた。

つぶやき:
お才のような魅惑的な女性の性技にかかると、経験不足の若い男は、新助でなくてもたいてい参ってしまうであろう。
いや、年齢に関係なく男も女も、性技の深みには興味がつきるということがない。
それをどこで打ちどめにできるかは、自制心の強弱によろう。

小説の構成上はなんの問題にもならないような隙を。
新助の亡父・伊右衛門も、鬼平の亡夫・宣雄が先手組頭のときの組下にいたので銕三郎は顔を見知っていたとあるが、宣雄が就いていたのは先手弓の7番手、平蔵宣以が組頭となったのは弓の2番手。
7番手から移籍してきたのならともかく、2番手の組みに新助がいるのは、当時の先手組の組織からいっていささか奇妙。


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2006.03.18

〔玉や〕の弥六

『鬼平犯科帳』文庫巻1に収められている[老盗の夢]は、本格派の盗賊が滅びゆく時代を象徴しているかのように、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助が畜生ばたらきの盗人たちに殺されてしまう物語。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
悪党たちは、シリーズの初篇で一昨年(天明7年 1787)火盗改メに就任早々の鬼平に捕縛された〔野槌(のづち)〕の弥平一味の生き残り---〔印代(いしろ)〕の庄助、〔火前坊(かぜんぼう)〕権七〔岩坂(いわさか)〕の茂太郎だが、同じ〔野槌〕の息がかかっているといっても、〔玉や〕の弥六は3人とはいささか異なり、四谷・伝馬町1丁目で〔貸座敷・御料理屋を営んでいる。
(参照: 〔印代〕の庄助の項)
(参照: 〔火前坊〕の権七の項)
(参照: 〔岩坂〕の茂太郎の項)

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年齢・容姿:どちらも記述はないが、50はすぎていよう。太り気味。
生国:首魁の〔野尻〕の弥平に江戸での盗人宿をまかされるぐらいだから、江戸に通じているとみて、府内か近郊育ち。

事件の顛末:物置小屋を抜け出した〔蓑火〕の喜之助は、九段坂下で景気づけの一杯をやつている悪党3人を始末するが、自分も刺殺されることは、鬼平ファンなら百も承知。
問題は〔玉や〕弥六。その正体を知っている4人は死んでしまった。残るは座頭・彦の市だが、彼が捕縛されるのはずっと先のこと。それまではそのままいかがわしい営業をつづけていたことであろう。
(参照: 座頭・彦の市の項)

つぶやき:『江戸買物独案内』(文政8年 1824刊)に、「貸座敷・御料理」と謳っているのは、図を掲げた武蔵屋三右衛門だけである。
この「貸座敷」から「売春」を推察した池波さんは、さすがである。
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2006.03.17

〔八百茂(やおしげ)〕の茂六

『鬼平犯科帳』文庫巻4に収録の[霧の七郎]で、〔小川や〕梅吉・〔霧(なご)〕の七郎の兄弟を盗人の世界へ引き入れた伯父。表向きは浅草橋の八百屋〔八百茂(やおしげ)}の主人・茂六でとおっているが、裏の顔は〔野槌(のづち)〕の弥平の盗人宿をやっている、歴とした盗人である。
(参照: 〔小川や〕梅吉の項)
(参照: 〔霧〕の七郎の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
茂六は、幼いときに両親を疫病で亡くした梅吉・七郎兄弟を引きとって店の手伝いをさせていたが、梅吉が16か7のとき、〔野槌〕の弥平から仕込んでみてはといわれた。めきめきと腕をあげた梅吉を、5つ年少の七郎が見習った。

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年齢・容姿:とぜちらも記述されていないが、兄弟の伯父というから、梅吉が17歳のときには、47,8歳だったろう。
生国:江戸の近郊と推定。兄弟の父親は船宿の船頭だったというから、隅田川ぞいのどこかの村の出であろう。

消息:g)兄弟が巣立っていってまもなく病死したろう。〔野槌〕の弥平が鬼平に捕縛されたときには、すでに物故していたとおもわれる。
〔霧〕の七郎が出府してきたこの篇のとき、茂六のところへ挨拶にいった形跡もないのが、そのことを物語っている。

つぶやき:『鬼平犯科帳』には、茂六のように、もちょっと書き込めば1篇の主人公になりそうな人物がいくらも放りだされている。
それを読み手が空想でおぎないながら読むのも、一歩ふみこんだ読み方といえよう。

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2006.03.08

〔女掏摸(めんびき)〕お富

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収録されている[女掏摸お富]の女主人公が、元掏摸(すり)で、いまは巣鴨追分の笠屋の女房におさまっているお富である。亭主は卯吉(21歳)。

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年齢・容姿:22歳。やわらかい躰つきの町女房風だが、掏摸(しごと)にかかるときは鼻の頭に小豆大のつけ黒子(ぼくろ)する。
生国:捨て子なので、厳密にいうと生国は不明だが、掏摸の元締の〔霞(かすみ)〕の定五郎夫婦に拾われたのが江戸のどこかなので、江戸生まれということに。

探索の発端:従兄の三沢仙右衛門と王子権現へ参詣に出かけた鬼平は、俵坂を下ったところで黒子をつけたお富とで出会った。
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王子権現(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

ふだんの顔には黒子などない、とお富の店をよく知っている仙右衛門が断言した。
鬼平は、前日役宅へやってきた日本橋・鉄砲町の御用聞き・文治郎から、鼻の頭に黒子のある女掏摸の話を聞いたばかりであった。
看視がお富へ注がれた。
お富は、かつての仲間の〔岸根(きしね)〕の七五三造(しめぞう)に前身を黙っていてほしかったら100両つくれといわれて、掏摸にはげんでいたのだった。

結末:100両は稼ぎおわって七五三造へ渡したものの、よみがえった指先の感触に辛抱たまらず、市ヶ谷八幡宮で掏ったところで鬼平に捕まり、しばらく入牢。
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市ヶ谷八幡宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:池波さんには、この篇のほかにも、掏摸を主人公にした独立短篇がある。年代順はまだ調べていない。
掏摸ものは、江戸時代ものの定番ではあるが、掏摸の生態が長谷川伸師ゆずりかどうかも、ついでに調べたい。

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2006.03.03

〔四木(しもく)〕の房五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻14iの巻頭におかれている[あごひげ三十両]の主人公は、高杉道場で銕三郎や岸井左馬之助の兄弟子にあたっていた野崎勘兵衛(かつて40歳。現在は70歳前後)である。
30年ほど前、妻子がいる身で、深川の船宿が世話した女・お兼に入れあげ、師・高杉銀平に逆らって失踪。
お兼のうしろにいたのが、土地(ところ)でも羽ぶりのよい無頼者〈四木(しもく)の房五郎がついていたからたまらない。
この盗賊でもない房五郎を取りあげたのは、テレビの冒頭の「この世に悪は絶えない」のナレーションを地でいっているとおもうからである。

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。察するに、40歳前後、筋肉質の鬚の剃りあとの濃い風貌であったろう。
生国:深川でいい顔になったのだから、深川育ちと推定。

事件の経緯:所用で渋谷・羽根沢へでかけ、氷川明神社へ参詣した岸井左馬之助が、野崎老人を見かけ、その家にお兼が病妻となって寝ていることを確かめた。
とすると、勘兵衛は添いとげたことになる。
〔四木〕の房五郎との話ばどうついたのか。多分、妻子も家禄も師も捨ててきた勘兵衛の誠意に、お兼のほうが房五郎に別れ話をもちかけたのであろう。尋常なことでは話のつく房五郎ではないが、自分に愛想ょをつかした女がわからないほど野暮でもなかったのであろう。
もとろん、房五郎の手下が勘兵衛を襲いもしたろう。それにも耐えて、添いとげたとみる。
あるいは、房五郎が縄張り争いで殺されたか。

つぶやき:小説は、そこのところを読み手の想像にまかせている。主題はそのことではなく、勘兵衛が病妻のために自慢の鬚を30両で売るところと、鬼平・左馬之助が名乗りかけないおもいやりにあるのだ。

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2006.03.01

剣友・長沼又兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録されている[高杉道場・三羽烏]に、福井藩に仕官のかなった田村甚太夫を名乗って、巣鴨の徳善寺へ回向を頼み、その通夜の席でたちまち浪人盗賊に早替わ代りしたのは、20年前、高杉道場で、長谷川銕三郎、岸井左馬之助とともに三羽烏といわれた長沼又兵衛であった。

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巣鴨庚申塚 徳善寺はこの右手はるかはずれ
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

又兵衛は、名古屋の役者くずれの盗人〔笠倉(かさくら)〕の太平を家臣に仕立て、100両の回向料を持たせて欲深い念誉和尚を、巧みにたぶらかしたのである。
(参照: 〔笠倉〕の太平の項)

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年齢・容姿:50近い。堂々たる体躯。見るからに颯爽としている。
生国:]武蔵(むさし)国江戸・下谷(したや)ニ長(にちょう)町(現・台東区上野5丁目)。
500石の旗本・長沼家のの次男。

探索の発端:船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房(こぶさ)〕の粂八は、かつて兇盗〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、引き込みをしていた〔砂蟹(すながに)〕のおけいを見知っていた。
船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房(こぶさ)〕の粂八は、かつて兇盗〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、引き込みをしていた〔砂蟹(すながに)〕のおけいを見知っていた。
(参照: 〔砂蟹〕のおけいの項)
おけいが、むかしなじみの太平を又兵衛へ引き合わせた。その時、又兵衛の名前が出て、鬼平の知るところとなった。

結末:家督を継いでいる兄・伊織の体面のためにも、名乗っている田村甚太夫のまま死んでもらうしかないと鬼平は判断、数合刃をあわせたいすえ、ついに殪しえた。

つぶやき:20数年前、師の高杉銀平が又兵衛にだけは目録を授けなかった理由は、小説の中では沈黙のままだが、剣であれなんであれ、修業は人格陶冶のためのものとかんがえると、銀平師のおもわくも読めてくる。
師の留守中に目録を盗んで消えた又兵衛に、はげしい怒りをたぎらせた銕三郎の義憤もわかる。

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2006.02.19

〔丸太橋(まるたばし)〕の与平次

『鬼平犯科帳』文庫巻1に収められている[暗剣白梅香]の主人公、仕掛人にまで身を落としている金子半四郎に、本石町3丁目の蝋問屋〔葭屋(よしや)〕の婿・宗太郎の殺害を100両で依頼したのは、深川一帯の暗黒街を取り仕切っている〔丸太橋(まるたばし)〕の与平次であった。
(参照: 仕掛人・金子半四郎の項)
与平次は、200両でこの仕掛けを引き受けている。そのことも、〔起(おこ)りが婿の行状に手をやいていた〔葭屋〕の当主・専右衛門であることも、半四郎には関係ないことである。

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年齢・容姿:どちらの記述もない。推察するに、60すぎ、小柄で善良そうな、笑顔をたやさない好々爺然とした仁であろう。そうでないと、〔葭屋〕専右衛門のような大店(おおだな)の主(あるじ)が信頼して頼むはずがない。
生国:武蔵(むさし)国江戸の深川、仙台堀支川に架かる丸太橋ぎわの顔役の家(現・江東区福住あたり)。

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近江屋板・深川(部分)。左手に丸太橋

仕掛けの顛末:女道楽がはげしいといっても、吉原ほかの遊興のちまたへ出入りするのだから、金づかいも自然に荒くなる。、〔葭屋〕専右衛門としては、200両費やしても、宗太郎の今後の遊興費をかんがえると、安いといえるかもしれない。
ある夜、吉原へ向う宗太郎の駕篭を、日本堤土手からちょっと入谷田圃の農道へそらせ、駕篭かき2人ももろともに惨殺してのけた。

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不夜城といわれた新吉原の夕景。周囲は入谷田圃。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:これまで、数え切れないほどの証拠を残さない暗殺をしてのけているからこそ、〔丸太橋〕の与平次も半四郎を起用した。
しかし、いくら証拠を残さないためとはいえ、なんの罪もない駕篭かき2人まで殺してしまう非道さは、長年の敵探しで精神に異常をきたしているとしかおもえない。
〔丸太橋〕の与平次としては、半四郎のやり口を耳にするや、2度と依頼しないつもりになったろう。

「丸太橋」は、小石川の富坂下にもあるが、文庫巻11[密告]の〔珊瑚玉(さんごたせま)〕のお百が小女時代に働いていた富岡橋北詰の茶店〔車屋〕から、赤ん坊を抱いて故郷の上総(かずさ)へ帰るとき、丸太橋をわたっているから、池波さんの頭の中は、深川の丸太橋と断じた。
(参照: 〔珊瑚玉〕のお百の項)

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2006.02.16

〔武蔵屋(むさしや)〕のおこう

『鬼平犯科帳』文庫巻5におさまっている[深川・千鳥橋]の主人公---三ノ輪の〔魚伝〕の2階に間借りしている大工の〔間取(まど)り〕の万三を、〔己斐(こひ)〕の文助がまっているからと、駕篭を仕立てて迎えにいった、堅気の内儀風の女---といっても、ほとんどの読み手は記憶していまい。
(参照: 〔間取り〕の万三の項)
(参照: 〔己斐〕の文助の項)
深川・加賀町で煎餅を商っている〔武蔵屋(むさしや)〕の内儀ということだが、じつは〔鈴鹿(すずか)〕の弥平次の江戸での盗人宿だから、おこうも当然、女賊にちがいない。
(参照: 〔鈴鹿〕の弥平次・3代目の項)
じつは、こういう端役までは紹介するまでもなかろうともおもったが、いや、「神は細部に宿りたもう」---作家の腕のふるいどころは細部にある、ととりあげてみた。
おこうの、いかにも堅気風の言葉づかいや所作を読みとるのも一興。

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年齢・容姿:中年---とあるから、40歳前後か。堅気風の身なり。
生国:屋号の〔武蔵屋〕からいって、亭主の加兵衛は葛飾あたりの出か。煎餅屋というから、野田からの道筋の村の出とみた。
おこうは、江戸で知り合った女賊であろうか。

探索の発端:>〔大滝〕の五郎蔵が現役のお頭だった時分、日本橋南1丁目の呉服問屋〔茶屋〕の間取り図を万三から買ったことがある。そのことを、「お縄にはしない」との約定のもとに鬼平へ話した。
鬼平は、間取り図になっている残りの商店を聞くために、五郎蔵に破牢の形をとらせて万三を探らせた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
万造の家は見張られてい、〔武蔵屋〕へも目くばりされていたから、加兵衛もおこうの面もわれていた。

結末:万三があわや撲殺されるかというとき、打ち込みがあり、〔鈴鹿〕一味は、加兵衛・おこうともども捕縛。鬼平に刃物をふるった弥平次は惨殺。

つぶやき:おこうの堅気風は板についている。江戸生まれの江戸育ちとみた。池波さんとしては、自分が育った阿部川町あたりの内儀のイメージで描いたのであろう。

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2006.02.10

〔落合(おちあい)〕の儀十

『鬼平犯科帳』文庫巻6の末尾篇[のっそり医者]で、主人公の萩原宗順(60すぎ)を親の敵(かたき)と20年間も狙ってきた、下総・古河藩の浪人・土田万蔵(40がらみ)の悪事仲間として付きあってきたのが、〔落合(おちあい)〕の儀十である。
かつて鬼平に成敗された兇盗〔網切(あみきり)〕の甚五郎一味の生き残り。
(参照: 〔網切〕の甚五郎の項)

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年齢・容姿:30がらみ。死んだ魚のような目つき。
生国:武蔵(むさし)国豊島郡(としまこおり)下落合村(現・東京都新宿区下落合)。
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落合惣図 右手の地名が「下落合(現・JR目白駅あたり)
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

2つの河川が合流するところが「落合」と呼ばれる。したがって、日本中いたるところにあるが、池波さんは、儀十の「通り名(呼び名)」を『江戸名所図会』の上掲「落合惣図」から拾ったと推理。

探索の発端:小網町2丁目と3丁目の境の横丁を入ったところにある医者・萩原宗順のところへ下女として行ったおよしが、家に土田万蔵があがりこんでい、また儀十が家のまわりをうろついていたことから、鬼平へ相談。それから火盗改メの探索がはじまり、宗順が敵持ちであることも明らかになった。

結末:宗順の家を襲おうとした土田万蔵は鬼平に斬ってかかり、逆に殪された。儀十は短刀を沢田小平次にたたき落とされ、伊三次に縄をかけられた。死罪であろう。

つぶやき:「追分」や「天神」のような、全国どこにでもある地名を「通り名(呼び名)」にしている者の生国を特定するのはきわめてむずかしいし、安易に決めるのは危険きわまりない。
儀十の〔落合〕も上記のように岩手県東和町から愛知県瀬戸市まで、それこそ30以上の市町村にある。
が、『旧高旧領』には、相模国大住郡と下野国那須郡、羽前国置賜郡と武蔵国足立郡のほかには、豊島郡の下落合しか収録されていない。それで、『江戸名所図会』説を採った。

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2006.02.08

女賊(おんなぞく)お民

『鬼平犯科帳』文庫巻11に、[雨隠れの鶴吉]の題名としてあげられている盗人(29歳)の女房がお民。中国筋から上方へかけてがテリトリーの〔釜抜(かまぬ)き〕の清兵衛の子飼いの配下。
(参照: 〔雨隠れ〕の鶴吉の項)
(参照: 〔鎌抜(かまぬき)〕の清兵衛の項)
夫婦して12年ぶりに物見遊山のつもりで江戸へ戻ってみると、鶴吉の実家である日本橋・室町2丁目の茶問屋〔万屋〕に、〔稲荷(とうが)〕の百蔵は以下の〔貝月(かいづき)〕の音五郎が引き込みに入っているのを、お民が見つけた。
(参照: 〔稲荷〕の百蔵の項)
(参照: 〔貝月〕の音五郎の項)

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年齢・容姿:31歳。中年太りがはじまっている。
生国:武蔵(むさし)国江戸かその近郊(現・東京都下)
〔野槌(のづち)〕の弥平の配下にいたとき、ほとんど江戸で引き込みをやっていたが、一味が捕縛されたとき、あやうく逃れ、上方へ走って〔釜抜〕の清兵衛一味へ入った。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)

探索の発端:〔万屋〕へ宿泊することになった鶴吉・お民だったが、、そこに〔野槌(のづち)〕の弥平一味の生き残りの〔貝月(かいづき)〕の音五郎が下男として引き込みにはいっていることを、お民が見破った。
鶴吉は、八つ山の井関録之助にすべてを打ち明け、江戸を去る。それを見とどけた録之助は、火盗改メの役宅へ鬼平を訪ねた。

結末:〔貝月(かいづき)〕の音五郎に見張りをつけた火盗改メは、上州・武州をまたにかけて荒らしまわっている〔稲荷(とうが)〕の百蔵一味24名が〔万屋〕へ押しこんできたところを全員逮捕。

つぶやき:盗賊が盗賊を差す話は、聖典には数篇あるが、そのほとんどが怨念か金がらみで生臭い。
しかし、この篇は、親子の真情に基をおいた展開になっていて、読後感がすがすがしい。
往年の井関録之助と鶴吉とのからみも、難なくできあがっている。池波さんの物語づくりの巧みさを示している一篇といえる。

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2006.02.02

女賊(おんなぞく)お浜

『鬼平犯科帳』文庫巻17は、長篇第2作[鬼火]である。この篇で謎めいた男、〔権兵衛酒屋〕の亭主の正体が、旗本・永井家(600石)の長男・弥一郎と知れるのは、物語が200ページほども進展してからである。
(参照: 元旗本・長井弥一郎の項)
さらに意外なのは、〔権兵衛酒屋〕の亭主の古女房とおもわれていたお浜の正体があかされるのが、巻末4ページ前であること。
実家を飛びだして〔名越(なごし)〕の松右衛門一味の笠屋の友次郎と一緒になったために女賊として生きることになった。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)

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年齢・容姿:58歳。白いものが混じった髪を無造作に後で束ねている。両眼がくろぐろと大きく、浅ぐろい顔は肌理(きめ)がこまかい。
生国:武蔵(むさし)国江戸の町屋(現・東京都中央区の商家のどれか)。
7000石の大身旗本・渡辺家へ行儀見習いをかねて奥向きの女中として奉公にあがっていたとき、当主の嫡男・16歳の直義の子を産みおとしてのち、実家へ帰された。

探索の発端:〔権兵衛酒屋〕で呑んだあと、様子をうかがっている妖しい者たちに気づいた鬼平が、襲撃人たちと斬りむすんでいるうちに、亭主が遁走。斬られたお浜が、療養させていた火盗改メの役宅で見張りの同心の刀を奪って自害したことから、鬼平の疑惑が始まった。

結末:当人は自害しているので、元は女賊だが、裁決はない。

つぶやき:大身旗本の嫡男の不始末、産んだ子を取り上げられて絶望した若い女の転落、わが子を配下へ押しつけ、長男を廃嫡同様にして家督をつがせる身勝手---と、筋書きと道具立てはよくある大衆小説のものだが、鬼平の直感に筋道がついているので、読み手は、手もなく池波ワールドへ落ち着く。

それにしても気になるのは、ほとんど描写されない〔名越(なごし)〕の松右衛門という首領の人生哲学と、鬼平が、
「おれはなあ、お浜のような女に、滅法弱いのだ」
という告白である。


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2006.01.19

〔雪崩(なだれ)〕の清松

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収められている[春の淡雪]で、同心・大島勇五郎の配下の密偵でもある〔雪崩(なだれ)〕の清松は、大島同心の博打の借金を清算するとの名目で、〔日野(ひの)〕の銀太郎と組み、盗賊の首領〔池田屋〕五平のひとりむすめ・おうめを拐(わどわか)して強請(ゆす)った。
(参照: 〔日野〕の銀太郎の項)
(参照: 〔池田屋〕五平の項)

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年齢・容姿:42歳。小男。やさしげな目。
生国:武蔵(むさし)国江戸・麻布の市兵衛町(現・東京都港区麻布台1丁目)。
俗称「流垂(なだれ)」と呼ばれていた。
雪崩といえば、雪の深い山里ならどこでも起きる。それで今冬、豪雪で孤島化した新潟県の津南町を仮に想定してみたが、『旧高旧領』にはこの村名はなかった。
それで、不本意ながら江戸の市兵衛町とした。

探索の発端:探索の発端:京扇店〔平野屋〕の番頭・茂兵衛は、かつては〔馬伏(jぶせ)〕の茂兵衛といい、〔帯川(おびかわ)〕の源助の右腕だった。引退後、ひょんなことから火盗改メと関係ができた。
(参照: 〔馬伏〕の茂兵衛の項)
(参照: 〔帯川〕の源助の項)
茂兵衛が、〔雪崩(なだれ)〕の清松と〔日野(ひの)〕の銀太郎という流れづとめの盗人を見かけて尾行した。

結末:〔池田屋〕五平の幼娘をかどわかした〔雪崩(なだれ)〕の清松と銀太郎は、1,000両の身代金を要求。引渡しにあらわれたところを鬼平に捕らえられた。その前夜、五平一味16名は捕縛されていたのである。五平にしたがって千両箱を担いでいた小者は、鬼平だった。

つぶやき:そもそもは、大島同心の博打の借金から発している。同心といえども、打つ魅力には勝てない。「こんどこそ、こんどこそ」と泥沼へはまっていくのは、人の心が弱いせいかも。

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2006.01.10

情婦・お常

『鬼平犯科帳』文庫巻1の第1話[唖の十蔵]に登場する賊の頭は〔野槌(のづち)〕の弥平だが、その配下の小間物屋を隠れ蓑にしている助次郎とできていた愛宕山下の水茶屋の茶汲女だったお常は、助次郎の死後、弥平に囲われ、弥平の仮の姿---江戸郊外・王子稲荷の裏参道の料理屋〔乳熊屋〕清兵衛、その女房という形で同棲していた。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
068
愛宕山下(部分)。堀端にお常がいた水茶屋が立ち並んでいる
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
(参照: 〔下総無宿〕の助次郎の項)
助次郎が身重の妻のおふじを捨てて、お常と暮らすつもりだったことを耳にした弥平が興味をもって水茶屋へ嘗めに行き、いっぺんに気をうばわれたのである。

201

年齢・容姿:24,5歳か。渋皮のむけた伝法肌。
生国:武蔵(むさし)国江戸の在のどこか。

探索の発端:いまは密偵になっている、もと盗賊の岩五郎が、〔野槌〕弥平一味にいたとき、助次郎の父親の伊助とともに顔見知りだった。
その助次郎が東両国の小間物問屋からでてくるところを尾行し、住まいを確かめたことから、〔野槌〕一味の〔小房〕の粂八が捕縛され、拷問で王子の盗人宿を吐いた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

結末:〔小房〕の粂八が捕らえられたと、〔小川や〕梅吉から伝えられた弥平は、とりあえず故郷の三河へ隠れるためにお常と旅支度をしているところを、火盗改メに踏み込まれて捕縛。弥平は磔刑。お常についての記述はない。
(参照: 〔小川や〕梅吉の項)

つぶやき:〔野槌〕の弥平ほどの大物なら、女に不自由はしていまいから、お常もいっときの慰みとして同棲することはあっても、女房までには---とおもうが、池波さんは「女房お常」としている。
長くつづけるつもりのなかった連載の第1回目だから、話を完結させてしまうつもりで、つい、女房扱いにしてしまったのかもしれない。なに、いまの若いカップルの結婚セレモニーを想像するから「女房」という言葉にこだわるのである。
当時の盗賊とすれば、同棲している女性を「女房同然」といったのであろう。

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2006.01.05

〔木の実鳥(このみどり)〕の宗八

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録されている[春雪]の道化役は、かつては〔木の実鳥(このみどり)〕---猿、と異名をとった老掏摸の宗八である。田舎へ帰った義弟夫婦の下大島の家に畑を耕しながら独りきりで暮らし、ときときき盛り場へでては指先を使う。年に15両もあれば酒も好きなだけくらえて、気ままにすごせた。
が、深川の富岡八幡宮の通りで侍・宮口伊織(40がらみ)の懐から2両2分入りの紙入れを掏ってからケチがついた。
570
富岡八幡宮・部分(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

213

年齢・容姿:61歳。痩せて小柄。
生国:武蔵(むさし)国江戸(現・東京都)の近郊の村のどこか。
少年の頃から掏摸の親方〔霞(かすみ)〕の定五郎に仕込まれたというから、江戸かその近辺の出生と見る。亡妻が北陸あたりの出だったとしても。

探索の発端:富岡八幡宮の通りで先手組々頭の一人・宮口伊織の紙入れを掏ったことから、鬼平に後をつけられ、住まいを確認されたが、捨てた紙入れに山下御門前の呉服問屋〔伊勢屋」の間取り図が入っていたことから、火盗改メが動きはじめた。

結末:鬼平から、掏った相手は火盗改メのお頭・長谷川平蔵だった、と脅された宗八は、生きていくのもこれまで、今生の名残りに、4年前に交合の極上の愉悦を味あわせてくれて女おきねと、もう一度、肌をあせてからと、大島橋のたもとの妾宅を訪れ、居合わせた盗賊浪人・山田某(50がらみ)に斬り殺される。
山田某は、歯医者兼入れ歯師をよそおっている盗賊の頭・大塚清兵衛の一味であった。

つぶやき:掏られた紙入れから陰しごとの発覚の端緒があらわれる---のは、よくある筋書きだが、老掏摸が、消えかけている性の炎をよみがえらせた女性に、いま一度---と執着させるとは、池波さんも考えたものである。
この篇の初出は1975年(昭和50年)で、池波さんの52歳のときである。

掏摸が主役の篇は、7年前にこのシリーズで[女掏摸お富]が、また、『剣客商売』では1972年(昭和47年)に佐々木三冬が掏摸を捕まえて田沼老中の毒殺を未然にふせぐ[御老中毒殺]が書かれている。
短篇では、さらに前の1961年(昭和36年)の『週刊朝日別冊』に[市松小僧始末]を発表して、掏摸術のうんちくがなみなみでないことを示している。

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2005.12.30

引き込み女おしげ

『鬼平犯科帳』文庫巻10の巻頭に[犬神の権三]と、タイトルにもなって収まっているひとりばたらきの主人公〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎の情婦で、引き込みもつとめるおしげだった。
(参照: 〔犬神〕の権三郎の項)
権三郎が〔雨引(あまびき)〕の文五郎(33歳)と組み、大坂・心斎橋筋の唐物屋〔加賀屋〕に押し入る半年前から、引き込みとして入っていた。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
上野・車坂の北、御切手町のはずれの老筆師の二階に、出戻りむすめという触れこみで住んでいる。

210

年齢・容姿:30女。お世辞にも美人とはいえない。骨張った躰つき。ぬけるように白い肌。蛇足だが、セックスの要求が強い。
生国:武蔵(むさし)国江戸(東京都)。
ぬけるように白い肌というから、越後か秋田あたりかとも考えたが、美人ではないとあるし、「江戸へ帰る」との表記もある。ま、江戸の水に親しんだ女は、おまさのように肌は白くないのが池波流なのだが。

探索の発端:上野広小路で、おまさとばったり出会った。2人は、〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門一味(初登場時は60がらみ)にいて、友達だった。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔法楽寺〕の直右衛門の項)
汁粉屋で旧交を温めたのち、おまさが尾行して隠れ家をつきとめ、火盗改メの監視がついた。

結末:大坂の唐物屋〔加賀屋〕を襲ったときの盗め金のうち、300両をごまかした権三郎は、文五郎の仕置きを恐れ、逆に暗殺するべく動いて、火盗改メに捕まった。
権三郎を牢屋破りさせた文五郎は自裁。

つぶやき:この篇も、おまさがおしげと出あったことしから、探索がはじまっている。密偵の中で、もっとも発端の多いのがおまさで13編、次が彦十と伊三次がらみが各4篇、粂八と〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治がらみが各3編。
(参照: 伊三次の項)
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)


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2005.12.18

座頭・茂の市

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味の〔嘗役(なめやく)〕をつとめたのが座頭・茂の市である。〔倉渕〕一味は、〔清洲〕(きよす)〕の甚五郎の一味がじっくりと工作していた元飯田町中坂上の銘茶問屋〔亀屋〕方を、畜生働きでさっさと襲ってしまったのである。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)

213

年齢・容姿:50がらみ。恰幅がいい。なかなかりっぱな顔だち。言葉づかいも上品。
生国:
江戸だろう。目が不自由だから、遠国からきたとはおもえない。
〔高砂煎餅〕が名代の神田三河町4丁目の〔高砂屋〕の横道を入っていったいまの家に住んだのは7年前からだが、その3年前に、旅籠に泊まっている〔野槌(のづち)〕の弥平を治療して、盗みの世界へ引き込まれた。

探索の発端と結末:〔亀屋〕の事件を調べていた火盗改メは、茂の市を圏外に置いた。ところが、〔清洲〕一味の引き込みで、4年も前から〔亀屋〕へ下女として入っていたおおみちが、事件のとき、屋根にのがれて生きのこり、仔細を甚五郎に告げたために、茂の市の家が〔清洲〕一味によって見張られ、板橋宿にあった〔倉渕〕一味の盗人宿が割り出され、襲われてほとんどが惨殺。
(参照: 引き込み女おみち
茂の市と女房のおふみも、〔清洲〕一味によって始末された。

つぶやき:〔亀屋〕の事件の夜、茂の市は現場に居合わせてはいなかった。
なのに、引き込みの下女・おみちが、なぜ、茂の市があやしいと断じたかというと、犯人たちの「さすがに、茂の市の嘗役はたいしたものだ」という盗人同士の会話を耳にしたからである。
お盗めの最中に、犯人同士がうっかり会話をかわしたのは、一家皆殺しにしたとおもい、つい油断したからであろうが、現場では、目さしや指の動きで意志をつたえあうのが、本格の盗賊集団の心得のはず。

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2005.12.15

表御番医・吉野道伯

『鬼平犯科帳』文庫巻17は、長篇第2作[鬼火]である。この篇の後半部にいたって初めて登場するのが、この仁---いまは隠退して病臥中の、元表御番医・吉野道伯。
かつて、600石の旗本・永井弥一郎を浅草の水茶屋の茶汲み女・お絹に引き合わせだが、お絹が女賊だったために、家督を養子の弟の伊織へゆずる形で逐電させた。
(参照: 元旗本・永井弥一郎の項)
伊織は、大身7000石の渡辺丹波守直義が家督前の16歳のときに女中のお浜に産ませた子で、開幕以前には家臣であった永井家へ送りこまれていた。
道伯は、丹波守とは別腹の弟で、表御番医にまでなれたのも、父・渡辺直幸の配慮であったという。
しかし、道伯は医術を学ぶかたわら、本格派の盗賊〔名越(なごし)〕の松右衛門とも結びついていた。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)
しかし、ある事情から、〔名越〕の松右衛門は一味を解散、飄然と故郷・伊勢国へ去った。残された者たちのうち、足を洗う気のなかったのが、浪人あがりの滝口金五郎(43歳)を頭にすえた。

217

年齢・容姿:70歳近くか。容姿の記述はないが、医者としてはなかなに商売上手で資産も多い。
生国:武蔵(むさし)国江戸の町家のむすめが生んだとある。

探索の発端:駒込に〔権兵衛酒屋〕へ賊が押し入り、弥市夫婦を惨殺しようとするところを、鬼平が助け、弥市が逃げうせたことから、探索が始まった。謎は謎を呼び、600石の引退中の旗本・清水三斎までたどりついて、ようやく事件の真相が見えてくる。

結末:吉野道伯は、入牢中に病死。滝口金五郎ほか一味は磔刑。弥一郎も死罪。

つぶやき:大身旗本家のお家騒動に盗賊をからませたところがストリー・テリングのうまい池波さんの手腕であろう。時代小説も、ミステリー風味をつけないと、読み手の興味をつなぎとめられなくなっている。

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2005.12.13

女賊お杉

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]の題名になっている男---火盗改メの元・同心高松繁太郎(当時27,8歳)とともに、属していた盗賊一味〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎のもとから消えた女賊がお杉だった。
(参照: 〔蛇骨〕の半九郎の項)
本格派の盗賊〔千代ヶ崎(ちよがさき)〕の源吉のむすめ・お杉は、〔蛇骨〕一味の血なまぐさいやり方に嫌気がさしていた。
(参照: 〔千代ヶ崎〕の源吉の項)
〔蛇骨」一味の情報を高松同心へ売ることにしたが、高松が属している堀組では逃走資金の30両をケチった。
置手紙をして組屋敷から消えた高松繁太郎は、お杉とともにあちこちで盗みを働きながら潜伏をつづけたが、信州・上田でお杉ば病没。いまわのきわに、目黒の寺に眠っている父親の墓の隣へ埋めてほしいと懇願した。
繁太郎は遺髪を抱き、7年ぶりに江戸へ戻ってきたところを、いまは長谷川組に借りられて筆頭与力となっている佐嶋忠介とめぐりあった。

210

年齢・容姿:病死したときが34,5歳。盤台面(つら)。いさぎよい性格。
生国:武蔵(むさし)国荏原郡(えばらこおり)目黒村(現・東京都目黒区上目黒)。

探索の発端:お杉自身は病死しているので、探索の対象外。
高松繁太郎は、お杉の元情夫の〔笹熊(ささぐま)〕の繁蔵を殺して、目黒の墓のそばに立っているところを、鬼平に探りあてられた。
(参照: 〔笹熊〕の勘蔵の項)
結末:繁太郎は、鬼平のすすめで密偵となってみごとな働きをしたが、繁蔵の叔父〔蝋燭(ろうそく)屋〕六兵衛が雇った仕掛人に惨殺された。
(参照: 〔蝋燭屋〕の勘蔵の項)

つぶやき:元同心・高松繁太郎は、いっしょに7年間もにげまわったお杉のことを、「何事にもいさぎよい女でした」と鬼平に述懐した。
「いさぎよい」とは、済んでしまったことには愚痴をいわない、あきらめがいいとか、欲が強くない---といった意味があろう。
そういう、いってみれば、女の業みたいなものが少ない女性は、男にとっては理想だが、欲望をそそるようにできている現代社会では、稀有のことに属する。

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2005.11.27

仕掛人・菅野伊介

『鬼平犯科帳』文庫巻5におさめられている[乞食坊主]で、30俵2人扶持の御家人を父親に、その妾を母にもつ菅野伊介は、正妻にいびlり出されて、結局、高杉道場で習いおぼえた剣の腕を武器に、両国一帯の香具師の元締・〔羽沢(はねざわ)の嘉兵衛の仕掛人となっていた。
(参照: 〔羽沢〕の嘉兵衛の項)
その〔羽沢(はねざわ)〕の嘉兵衛へ殺しを依頼したのは、南品川の貴船明神社(現・荏原神社 品川区北品川3丁目)境内で盗めの会話を、乞食坊主の井関録之助に聞かれてしまった、〔古河(こが)〕の富五郎一味の盗人---〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵(50をこえている)と〔鹿川(しかがわ)〕の惣助(30男)であった。
(参照: 〔古河〕の富五郎の項)
(参照: 〔寝牛〕の鍋蔵の項)
(参照: 〔鹿川〕惣助の項)

205

年齢・容姿:37,8歳。暗い表情。
生国:武蔵国江戸・本所(現・東京都墨田区本所)。

探索の発端:品川近辺の林で、標的の井関録之助に斬りかかり、逆に組み伏せらて捕らえられ、鬼平の親類の三沢家へ預けられた。

結末:、〔古河〕の富五郎一味は逮捕、菅野伊介は自裁。

つぶやき:シリーズとしてまとまったのは『仕掛人・藤枝梅安』だが、池波さんは早くから、仕掛けの世界に目を向けていた。
この篇は、『梅安』シリーズの登場以前に発表されている。
もっとも、「仕掛け」という用語はまだ創始されていなくて、「殺し」である。

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2005.11.23

〔縄ぬけ〕源七

『鬼平犯科帳』文庫巻2に入っている[密偵(いぬ)]で、下谷・金杉通りの一膳飯屋〔ぬのや〕の亭主・弥市は、かつて〔荒金(あらがね)〕の仙右衛門の配下だった盗人。
(参照: 〔荒金〕の仙右衛門の項)
鬼平の前任・堀帯刀組に捕まった弥市が、責められて〔荒金〕一味の盗人宿を吐いたことから、一味全員の逮捕につながってしまった。が、〔縄ぬけ〕の異名をもつ源七は、縄ぬけして逃走した。
弥市には見どころがあると判断した与力・佐嶋忠介は、彼を1年間入牢させておいて、その後、一膳飯屋をひらかせ、密偵に仕立てた。
ある日、偶然のように訪ねてきた〔乙坂(おつさか)〕の庄五郎は、江戸へ帰ってきている源七が、弥市の命を狙っていると教え告げた上で、合鍵の製作を強要した。
(参照: 〔乙坂〕の庄五郎の項)

202

年齢・容姿:40男。まぶたがかぶさった糸のように細い眼。ほっそりした躰つきで、女のようにやわらかな声。
生国:江戸へ戻ってきた、という記述をそのままうけとると、江戸とみたい。縄ぬけの技は、東両国あたりの見世物小屋でみがいたか。

探索の発端:庄五郎から強制されて合鍵づくりに家をあける亭主・弥市に不審をいだいた女房おふくが、尾行(つ)けているのを佐嶋与力が見かけて、それで〔乙坂〕の庄五郎への見張りがはじまった。
庄五郎の合鍵づくり小屋は、山谷の玉姫稲荷の裏手の百姓家だった。
557
妙亀明神社 浅茅ヶ原の向うが玉姫稲荷社
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久) 

結末:浜河岸の住吉町へ合鍵をとどけにきた弥市の前に現れたのは、〔縄ぬけ〕源七で、おどろく弥市を撲殺したのは庄五郎だった。
しかし、見張っていた鬼平らに、11名の賊全員が逮捕。死刑だろう。

つぶやき:「縄ぬけ」は、文庫巻1の[老盗の夢]で、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助がつかっている。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
その後、巻3の[艶婦の毒]でも、〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門もぬける。
ただ、喜之助は一度も捕縛されたことがないのに、この最期のお盗めに齟齬をきたしたときに突然つかったのは、いささか解せない気もせぬではない。

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2005.11.17

〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]
〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎一味わずか2年間のあいだに、江戸市中から近郊にかけて押し込み20件、殺傷68名という非道なことをしていた兇賊であった。
火盗改メの任についている堀帯刀組(先手・弓の第1組)の同心・高松繁太郎(25,6歳)は、〔蛇骨〕一味の盗人宿のありかを聞きだすべく、一味の女賊お杉と接触、彼女へ与える逃走資金30両を組へ申請し、拒否された。
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
捜査へのその無理解ぶりに、繁太郎は愛想づかしをして、組屋敷から消えた。
8年後、繁太郎は江戸へ現れ、堀組から長谷川組へ出向のかたちとなっている与力・佐嶋忠介と出会うが、このことは〔蛇骨〕の半九郎とはつながりはない。

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年齢・容姿:どちらも記載されていない。
生国:武蔵(むさし)国江戸の浅草・田原町3丁目蛇骨長屋(現・東京都台東区浅草2丁目)。
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近江屋板・浅草三ノ輪の一部 伝法院の西端に「蛇骨長屋」

『江戸町方書上 浅草(上)』(新人物往来社)の浅草田原町の蛇骨長屋の項に、
「同町のうち、北の方の町端へ寄り湯屋これあり候場所を里俗に蛇骨長屋と唱え候。これは往古蛇の骨に候や、掘り出し候義これあり、右のように申し伝え候由」

探索の発端:前書きのとおりで、高松同心の逃去とともに、捜査は頓挫。

結末:記述されていない。

つぶやき:鳥山石燕『画図百鬼夜行』(国書刊行会)の[今昔百鬼拾遺]篇に、〔蛇骨婆〕があった。
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絵中に添えられている文は、
「もろこし巫咸(ぶかん)国は女丑(じょちゅう)の北にあり。右の手に青蛇をとり、左の手に赤蛇をとる人すめるとぞ。蛇骨婆(じゃこつばば)は此の国の人か。或説に云う、〔蛇塚の蛇五右衛門四囲減るものの妻(め)なり。よりて蛇五婆(じゃごばば)とよびしを、訛(あやま)りて蛇骨婆(じゃこつばば)といふ」

池波さんが〔蛇骨〕という「通り名(呼び名)」をおもいついたとき、わが家の庭同様に熟知している浅草寺あたりの切絵図の「蛇骨長屋」が頭にあったか、それとも妖怪の〔蛇骨婆〕の絵がうかんでいたか。

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2005.11.07

〔火前坊(かぜんぼう)〕権七

『鬼平犯科帳』文庫巻1に入っている、シリーズ初期の秀作の一つ[老盗の夢]で、あと一トばたらきと願う元大盗〔蓑火(みのひ)〕の喜之助へ、〔前砂(まいすな)〕の捨蔵が紹介した、〔野槌(のづち)〕の弥平の配下だった3人の30男の1人が、この〔火前坊(かぜんぼう)〕権七。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔前砂〕の捨蔵 の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項 )
あとの2人も、すでに逮捕・処刑された〔野槌〕一味で生き残りの、〔印代(いしろ)〕の庄助と〔岩坂(いわさか)〕の茂太郎。
(参照: 〔印代〕の庄助の項)
(参照: 〔岩坂〕の茂太郎の項)

201

年齢・容姿:屈強な30男。
生国:「火前坊」は、各種地名辞書に見当たらない。
が、池波さんがこれから造ったなという「我前坊(がぜんぼう)谷」は、江戸にあったし、「我前坊町」は明治2年(1869)から昭和6年(1931)まで港区にあった町名である。
江戸時代、我前坊谷に割り当てられていた先手組組屋敷は、筒(てっぽう)組の第7,8組の2組。うち、第8組は、長谷川平蔵が火盗改メの本役のとき、冬場の助役を2度つとめた松平左金吾定寅の組下だった。
我前坊の由来は、将軍・秀忠の夫人(崇源院殿)をここで火葬にし、建てた御堂「龕前堂(がんぜんどう)」がなまったものという。

探索の発端:(〔印代〕の庄助の項から転載)この盗人仲間同士の決闘物語には、火盗改メは直接にはからんでいない。
引退先の京都郊外の山端(やまはな)の飯屋の座敷で給仕をしている大女おとよの躰に、久しぶりに男性としてのきざしが蘇った〔蓑火〕の喜之助は、おとよとの生活資金をつくるぺく江戸へ下り、〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門の盗人宿の番人〔前砂(まいすな)〕の捨蔵に、臨時の助っ人の世話を頼んだ。
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)

結末:〔縄抜け〕の異名をもつ喜之助は、うまく縄から抜け出て、九段下の屋台にいた3人を襲い、まず〔印代(いしろ)〕の庄助と〔火前坊(かぜんぼう)〕権七が刺される。そのあと、喜之助は、〔岩坂〕の茂太郎と相打ちの形で斃れた。

つぶやき:池波さんが「我前坊坂」に気がついた経緯を推理してみる。
ここに組屋敷を賜っていた先手・筒の第8組の存在に気づいたというより、別の津の理由がありそうだ。
というのは、『大武鑑』の寛政3年の先手組頭の項で、長谷川組の組屋敷の所在の「目白台」を平蔵の拝領屋敷と早合点した池波さんである。
『大武鑑』の同じ項に、松平左金吾---「我前坊坂」とあったのを、平蔵と左金吾の確執とは関係なく、おもしろい地名と記憶したのであろう。
松平左金吾は、ことごとに長谷川平蔵に逆らった実在の仁で、久松松平の一族。

付記:
豊島のお幾さんから、〔火前坊〕は妖怪名から採られてはいまいか、とのご教示があった。
さっそくに鳥山石燕『画図百鬼夜行』(国書刊行会 1992.12.21)を確かめた。
『鬼平犯科帳』に登場している盗賊のうち、その「通り名(呼び名)」を妖怪から借用したとおもえるのが15名いた。
〔火前坊〕もその中の1人ともいえる(この仁にかぎって「我前坊」の影響も否定しがたい)。
0322
絵に添えられているのは---、
「鳥部山の煙たちのぼりて、竜門原上に骨をうづまんとする三昧の乳りあやしき形の出たれば、くはぜん坊とは名付けたるならん」
京都郊外の鳥部野には火葬場があった。

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2005.11.02

浪人・林又右衛門

『仕掛人・藤枝梅安』文庫巻3におさめられている[梅安流れ星]で、木挽町3丁目の料亭〔吉野屋〕の亭主・久蔵(47歳)をゆする、浪人・林又右衛門は、市ヶ谷の大崎道場の後継者争いで3人を惨殺して上方へ逐電し、〔吉野屋〕久蔵こと、盗賊〔浅羽(あさば)〕の久蔵一味に加わっていた。
久蔵の正体をばらすとおどし、その愛娘お梅(5歳)を誘拐し、〔唐戸(からと)〕の為八が番をしている麻布・広尾に近い盗人宿へかくまった。
(参照: 〔浅羽〕の久蔵の項)
(参照: 〔唐戸〕の為八の項)

_3

年齢・容姿:37,8歳。人品はいい。贅沢な身なり。
生国:市ヶ谷の大崎伝左衛門の道場を継げるほどに鵜では熟達したが、同門の争いにまきこまれて上方へ走ったというから、とりあえず、江戸生まれの浪人ということにしておこう。
現在の住まいは、京橋筋の鈴木町。

事件の発端:品川宿の徒行(かち)新宿3丁目で水茶屋をやっている玉屋七兵衛が仕掛人の彦次郎に、浪人・林又右衛門の仕掛けを一度頼んだあと、取り消したことから、梅安と彦次郎が疑惑をもった。

結末:馬を使った仕掛けで、林又右衛門は殺された。また、仕掛けの依頼の作法に外れた玉屋七兵衛も、同様に2人によって始末された。

つぶやき:(〔浅羽〕の久蔵の項に記したものの再録)林又右衛門iによる誘拐と恐喝、さにらは請け負っている小杉十五郎の抹殺、〔玉屋〕七兵衛が仕掛けてくる彦次郎の始末---と、ストーリーは込み入っているが、さすが、池波さんは巧みな筋はこびで、読み手をみちびく。

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2005.11.01

元旗本・永井弥一郎

『鬼平犯科帳』文庫巻17は、長篇第2作[鬼火]である。この篇で謎めいた男、〔権兵衛酒屋〕の亭主の正体が、旗本・永井家(600石)の長男・弥一郎と知れるのは、物語が211ページも進展してからである。
5年前から開いている〔権兵衛酒屋〕の屋号も、看板や暖簾に記されているものではなく、土地の人たちが「名無しの権兵衛」からつけたほど、亭主は無口だし、女房らしい女・お浜(58歳)も愛想がない。
この夫婦が襲われ、亭主が逃亡、斬られたお浜が自害したことから、鬼平の疑惑が始まった。

217

年齢・容姿:60歳前後。老いているとのみ。
生国:武蔵国江戸・神田今川小路(現・東京都千代田区神田神保町3丁目あたり)。

探索の発端:先記したとおり、〔権兵衛酒屋〕で呑んだあと、様子をうかがっている妖しい者たちに気づいた鬼平が、襲撃人たちと斬りむすんでいるうちに、亭主が遁走した。
斬られた女房のお浜は、監視の眼を盗んで自害。
それから、鬼平たちの探索がはじまった。

結末:お浜の墓前へあらわれた弥一郎は、養子へ入った伊織に家督をゆずるべく出奔したが、〔名越(なごし)〕の松右衛門という盗賊の世話になってい、その口封じに襲われたことが判明した。
襲った浪人盗賊・滝口金五郎一味は逮捕。死罪であったろう。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)

つぶやき:紆余曲折は長篇の常だが、謎が解けてみると、大身旗本(7000石)の身勝手な行いがおこした波紋と知れる。
池波さんの謎のつくり方の見本ともいえる篇。


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2005.10.29

〔石川(いしかわ)〕の五兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収められている[瓶割り小僧]の主役が、取り調べる与力・小林金弥(30歳をこえたばかり)を愚弄するために石川五右衛門をもじって名乗った名前が、〔石川(いしかわ)〕の五兵衛である。
幼名は、音松。が、物語は仮名の五兵衛ですすめられる。
家督した長谷川平蔵が書院番士にあがる前年---安永2年(1773)、平蔵28歳のときのこと。
神谷町の刀研師の店へ立ち寄ったとき、向いの陶器屋の店主(40がらみ)と7つか8つの子どもが口論していた。
子どもが店先の大きな水瓶を2個購うといい、行きがかりで、1人で持ち帰るなら1個3文にしてやると店主。
子どもは、大石で瓶をこなごなに壊し、そのかけらを手に、「いちどに持ち帰るとはいわなかったからね」
その小ざかしさに、店主の義弟が鼠坂で斬り捨てようとしたのを平蔵が助け、「大人は馬鹿ばかりではない」とたしなめた上、音松の腹の皮1枚のところで帯と着物を切ったことがあった。
音松は、母が迎えた継父とうまくゆかず、16のときに継父を殺害して盗みの世界へ入っていたのである。

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年齢・容姿:27,8歳。色白の美男だが、左半面は火傷の跡。
生国:武蔵(むさし)国江戸・麻布あたり(現・東京都港区麻布十番2丁目)。
母親が坂下町(麻布十番2丁目)で茶店をやっているので。

探索の発端:足の傷も癒えた〔高萩(たかはぎ)〕の捨五郎が、二ッ目の通りをやってくる五兵衛を見かけた。さっそくに彦十爺つぁんが尾行(つ)けて、浅草・山谷堀の船宿〔伊勢新〕に宿泊していることを突きとめた。
(参照: 〔高萩〕の捨五郎の項)
五兵衛は、上方で畜生ばたらきをしていたが、二、三年ごとに戻ってくる江戸では盗めはしていなかった。

結末:20年前のことを持ち出した鬼平の前に、音松は一気に虚勢をくずして白状におよんだ。死罪であろう。

つぶやき:池波さんは、『鬼平犯科帳』164篇(長篇は1章を1篇として計算)中、この[瓶割り小僧]をベスト5に自薦している。
ということは、瓶を割って持ち帰るというアイデアは、池波さんのものなのであろうか。
支那ものか彦一頓知ばなしにでもありそうにおもえるのだが、はっきりとは知らない。

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2005.10.28

〔小川(おがわ)や〕梅吉

『鬼平犯科帳』文庫巻1の第1話に〔野槌(のづち)〕の弥平の配下として〔小房〕の粂八とともに柳島の妙見堂に登場し、待ち伏せていた火盗改メに粂八は捕縛されるが、梅吉は柳島橋のらんかんを伝って堀左京亮の下屋敷へ消えた。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
梅吉は、昌平橋の北詰の加賀っ原はずれの茶漬け屋を表看板としていたが、〔野槌〕一味が一斉に検挙されたときも他出していた逃げおうせた。
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筋違八ッ小路の右下にかすかに昌平橋。その北が加賀っ原
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

第2話[本所・桜屋敷]では、鉄三郎(鬼平の家督前の名前)や岸井左馬之助のマドンナで出戻って御家人の後妻になっていたふさと情を通じて、日本橋本町の呉服問屋〔近江屋〕へ押し入る寸前に捕縛された。
(参照: マドンナ・ふさの項

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年齢・容姿:30男。短躯。能面のように無表情な顔。
生国:武蔵(むさし)国江戸・深川
父親は、深川・亀久橋たもとの船宿〔みのや〕の船頭だ