カテゴリー「108栃木県 」の記事

2006.02.27

〔風穴(かざあな)〕の仁助

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[浅草・鳥越橋]は、シェイクスピア[マクベス]以来、「悪魔のささやき」ともいわれる妻の不逞の讒言が引きおこす悲劇である。
もっとも、>〔風穴(かざあな)〕の仁助はマクベスに比すぺくもない小者ではあっても、嫉妬の炎に強弱はない。
、お頭〔傘山(かさやま)〕の瀬兵衛(50がらみ)が、仁助の女房おひろと情事をつづけていると吹きこんだのは〔押切(おしきり)〕の定七(35歳)で、ある魂胆があったのこと。
(参照: 〔傘山〕の瀬兵衛の項)
(参照: 女賊おひろの項)
(参照: 〔押切〕の定八の項)

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年齢・容姿:35歳。色白で小柄。ふっくらとしてやさしげ。
生国:「通り名(呼び名)」の〔風穴〕が日光火山群のそれからきているとして、下野(しもつけ)国都賀群(つがこおり)日光村(栃木県日光市)。

探索の発端:〔小房〕の粂八がまかされている船宿〔鶴や〕へ、客として現れた〔白駒(しろこま)〕の幸吉と〔押切〕の定七が、〔傘山〕一味の仕掛けを横からかっさらうために〔風穴〕の仁助を裏切らせたことを話しあったために、粂八に疑われ、尾行(つ)けられ、それぞれの住いが判明し、見張られた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
(参照: 〔白駒〕の幸吉の項)

結末:おひろは、定七に殺されていた。それしとは知らない仁助は、鳥越橋で見かけた瀬兵衛を刺殺し、捕らえられた。獄門であろう。
〔白駒〕と〔押切〕の逮捕の時は刻々と迫っている。

つぶやき:目に見えている〔白駒〕と〔押切〕の逮捕のことを書かないで、熱い蕎麦と酒で物語を終わらせるのは、芝居の作法であろうか。余韻が大きい。

それはそれとして、おひろという女賊。細っそりとして見えながら、裸になったときの胸乳と腰まわりの量感はみごとで、あの時の狂態がすざましい---池波さん、お得意のヒロインである。

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2005.12.31

道場主・和田木曾太郎

『鬼平犯科帳』巻11におさめられている[泣き味噌屋]で、勘定掛同心・川村弥助(27歳)の妻さと(20歳)を荒れ寺の墓地へ引き込んで犯した3000石の大身旗本・秋元左近鑑種(あきたね 30歳)の取り巻きで、この件にも手を貸したのが、ながれ者ながら秋元の引き立てで剣術道場を開いている和田木曾太郎である。
道場は牛込・中里町のはずれ、まわりは一帯、田畑といっていい場所にある。

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年齢・容姿:30がらみ。総髪。筋骨がたくましい。
生国:下野(しもつけ)国那須郡(なすこおり)木曾畑中村(現・栃木県黒磯市木曾畑中)。
池波さんが名前に「木曾」の2文字を入れたからには、なにか魂胆があってのことと推察。しかし、美濃国の木曾では広範囲にすぎる。武蔵国多摩郡(現・神奈川県)の木曾村もかんがえたが、現在はのこっていない地名である。それで黒磯市を採った。ここらあたりの出だと、「ながれ者」という形容もなんとなく似合いそうだ。

探索の発端:鮫ヶ橋の御用聞・富七の下っ引きの庄太が、牛込払町の菜飯屋〔玉の尾〕の亭主・房次郎から、さとの実家・四谷仲町の菓子舗〔栄風堂〕の名代「初塩煎餅」の名を口にした2人連れの浪人客のことを聞きこんだのが手がかりとなったて、密偵たちが〔玉の尾〕に張りこんだ。

結末:道場を取り囲んだ長谷川組の前に、和田木曾太郎とその門弟・柴崎忠助が現れた。柴崎は鬼平の一撃で太ももを切り払われた。和田は、川村弥助の捨て身の突きに胸を刺されて斃れた。
秋元左近は竜の口の評定所で裁かれて切腹、断絶。

つぶやき:川村同心の後日談が笑わせる。出戻りのお妙(25歳)を後妻にもらったが、木村忠吾のからかいに「しごく、よろしい」と惚気るとともに、雷鳴に地袋へ頭から逃げ込んだのに、鬼平がいう。
「お前が地袋へ、あたまを突き込んだことなど、わしは、すこしも見てはおらぬ」
温情というより、一種の叱声であろう。

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2005.07.24

〔瀬川(せがわ)〕の友次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻18に入っている[草雲雀]で、目黒・権之助坂の中ほど、上覚寺(現在はない?)の門前茶店ともいえる〔越後屋〕の隣の、煙草ほかのこまごました品を並べている〔かぎや〕は、女房のおきぬが店を仕切っており、亭主の友次郎は旅商いというふれこみで留守をしていることが多いが、じつは一人ばたらきの盗人で、仲間うちでは〔瀬川(せがわ)」の---と呼ばれている。

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年齢・容姿:42歳。引きしまった細身の躰。
生国:下野(しもつけ)国都賀郡(つがこうり)瀬川村(現・栃木県今市市瀬川)。
近くの今市村(現・今市市今市)からは、宇都宮を本拠とする盗賊の首領の〔今市(いまいち)〕の十右衛門が出ているが、〔瀬川〕の友次郎は3ヶ条の掟てを守りきっているので、つながりはない。
(参照: 〔今市〕の十右衛門の項)

探索の発端:[俄か雨]で、茶店〔越後屋〕の寡婦お長と乳繰りあった同心・細川峯太郎が、目黒村にある菩提寺・感得寺へ墓参した帰り、〔かぎや〕から出てきた友次郎と立ち話をしている男、片方の耳たぶのない〔鳥羽(とば)〕の彦蔵(37,8歳)、が、人相書にそっくりと気づいた。
彦蔵はお長の茶店の隣の〔かぎや〕へ入ってゆき、昼間なのに戸が締められた。「あやしい」と睨んだ、細川同心の監視がつづく。

一方、〔瀬川(せがわ)〕の友次郎が訪ねたのは、芝・三田2丁目で眼鏡師の看板を出している市兵衛(70に近い)の家であった。かつて本格派の〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の下でともに盗(つと)めた仲である。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
その市兵衛に友次郎は、上方の盗賊〔西浜(にしはま)〕の甚右衛門一味を助(す)けて南堀江町5丁目の砂糖問屋〔和泉屋〕を襲ったとき、むしぶりついてきた手代をふりはらったら、倒れた拍子に大台所の石畳に頭をぶつけて死んでしまったので、それを悔いて悩んでいた。
(参照: 〔西浜〕の甚右衛門の項)

結末:市兵衛に慰められて帰宅した友次郎を待っていたのは、彦蔵の棍棒だった。その異常な様子を監視していた火盗改メが踏み込んで、彦蔵は逮捕。

つぶやき:久しぶりに、『鬼平犯科帳』の主旋律の一つともいえる、3カ条の掟てを守っている盗人が登場したが、時代にあわないか、撲殺されてしまう。どこかで、『鬼平犯科帳』は変質を始めているのかも。

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2005.07.16

〔今市(いまいち)〕の十右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻10の巻末を飾っている[お熊と茂平]は、彦十とともにたくまざるユーモアをもたらすお熊婆さんが事件のとっかかりをつかみ、進行役をつとめながら鬼平を助(す)ける一編。

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南本所 弥勒寺 お熊婆さんの茶店は正門前の板屋根
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

盗人役で登場するのは千住大橋の手前の小塚っ原町で畳屋をやっている〔荒尾(あらお)〕の庄八と、つなぎ役の〔猿野(さるの)〕の仙次だが、この線から糸がたられたのが、宇都宮に本拠をおいている首領〔今市(いまいち)〕の十右衛門。
(参照: 〔荒尾〕の庄八の項)

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千住大橋 小塚っ原町は左端(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:どちらも記載されていない。
生国:下野(しもつけ)国都賀郡(つがごうり)今市(いまいち)村(現・栃木県今市市今市)。

探索の発端:いをまきちらすお熊婆さんのボーイフレンド、南本所の真言新義の名刹・弥勒寺の寺男の茂平の遺言で、お熊はその死を、南千住の畳屋〔荒尾〕の庄八のへ伝える。
事情を聞いた鬼平は、茂平が引き込みではないかと疑い、〔荒尾〕の庄八に見張りをつけた。
庄八の動きがあやしくなった。幡ヶ谷の旅籠〔入升屋〕から、宇都宮の〔今市〕の十右衛門へとつながって行ったのである。

結末:まず、つなぎにあらわれた〔猿野〕の仙次が吐き、つづいて〔荒尾〕夫妻も落ちた。幡ヶ谷の旅籠〔入升屋〕が手入れされた4日後には筆頭与力・佐嶋忠介が15名を率いて宇都宮へ出張り、〔今市(いまいち)〕の十右衛門以下4名を捕まえて、江戸へ護送。あわせて21名が死罪。

つぶやき:あたかも幕間劇のように、『鬼平犯科帳』で笑いを誘うのは、同心・木村忠吾、彦十とお熊のかけあいである。1話きりだと、盗人も仲間入りする。〔伊砂(いすが)〕の善八、〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門、〔帯川(おびかわ)〕の源助たちである。
こういうコメディ役を巧みに配するのも、劇作から出た池波さんの強みである。
(参照: 〔伊砂〕の善八の項 )
(参照: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
(参照: 〔帯川〕の源助の項 )

ついでだが、池波さんに[釣天井事件 本多正純](初出『歴史読本』1961年11月号 のち『霧に消えた影』PHP文庫)という短篇がある。秀忠の2代目将軍の家督継承をめぐって、本多正純と土井利勝の暗闘を描いたものだが、まだ駆けだしだった池波さんは、宇都宮や今市を現地取材したとおもわれる。
日光参詣の秀忠の予定では、元和8年4月14日に宇都宮城へ入り、翌15日と帰路の19日に今市で宿泊している。

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2005.06.28

〔白根(しらね)〕の三右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[鯉肝のお里]が仕えている首領。水戸城下の旅籠屋〔黒木屋〕を本拠にして、常陸から野州・上州へかけて跳梁している。

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年齢・容姿:どちらも記載されていない。ただ、上州・沼田の酒問屋〔丸屋〕へ女中となって引き込みを務めた〔鯉肝(こいぎも)〕のお里に、盗んだ1,050余両のうちから分け前として50両(ほぼ5パーセント)も与えるほど気前はいい。
(参照: 〔鯉肝〕のお里の項)
生国:下野(しもつけ)国都賀郡(つがごうり)白根(しらね)山麓(現・栃木県日光市湯元あたり)。
旅籠屋の屋号〔黒木屋〕から、磐城国宇田郡黒木村(現・福島県相馬市黒木)の線もありうる。

探索の発端:一仕事が済んで、50両もの分け前を貰った配下の〔鯉肝(こいぎも)〕のお里〕が、博打場かにの帰り、あることで一膳飯屋の女将に1両小判を投げつけたところを、女密偵おまさ(35歳)に見られ、住いまで尾行(つ)けられた。
(参照: 女密偵おまさの項)
隠れ家が見張られ、つなぎに現れた30男が尾行されて一味の盗人宿が割れた。

結末:次のお盗めの打ち合わせのために集まった三右衛門以下18名が、木沢の盗人宿で全員逮捕された。

つぶやき:彦十の爺つぁんがいう。「女賊の息ぬきは、男を買うのがいちばんいいそうで---」
女性優位時代の現代の、ホストクラブの隆昌がうなずける。それにしても、池波さんの眼光は鋭い。

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2005.03.15

〔戸祭(とまつり)〕の九助


『鬼平犯科帳』文庫巻24に収録されている[二人五郎蔵]に顔を見せている盗人。はじめは〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵の配下だったが、伊佐蔵が火あぶりの刑に処せられたあと、伊佐蔵の弟の〔暮坪(くれつぼ)〕の新五郎の配下となる。

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(参照 : 〔強矢〕の伊佐蔵の項)

年齢・容姿:中年。小肥り。鼻の下に大きな黒子(ほくろ)がある。
生国:下野(しもつけ)国河内郡(かわちごおり)戸祭(とまつり)村(現・栃木県宇都宮市戸祭)。

探索の発端:女密偵おまさの手引きで密偵となったお糸の初仕事---筋違御門外でお糸に見かけられて尾行され、千駄ヶ谷の百姓家へ入ったところまで確かめられた。
一方、〔大滝〕の五郎蔵が、神田・旅籠町の菓子舗〔桔梗屋〕に引きこみに入っている〔長尻〕のお兼を認めた。
お兼を見張っていると、御成道の黒門町のあたりで、すれ違った〔戸祭〕の九助がかすかにうなづいたのを、五郎蔵は見逃さなかった。
〔暮坪〕一味の、〔桔梗屋〕への押し入りは今夜と知れた。

結末:菓子舗〔桔梗屋〕へ押し入りかけた〔暮坪〕一味は、待ちかまえていた火盗改メに全員逮捕。首魁の新五郎は火あぶりの刑。九助らは死罪。

つぶやき:池波さんが、〔戸祭(とまつり)〕という風雅でいわくありげな地名に目をつけたのは、博徒ものの取材で下野地方を取材して見つけたともおもえないこともない。が、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年-)の、以下の記述に目をとめたからとも推察する。
「戸祭(ト マツリ) 今宇都宮の西北郊の里名なるも、割けて一部は市中、一部は国本村へ編入す(中略)。宇都宮の庶流に、戸祭氏あり、天正十七年(1589)、戸祭備中は、多気城へ拠り、北条勢を拒ぎたり」

付記:奈良博多さんからの「戸祭」の土地についてのリポート。

1、「戸祭」の地名の由来
由来に関しては、諸説があるが、代表的なものをあげると、
①「土」の「祭」「土祭」が、転訛し「戸祭」となった
②宇都宮氏の一族、戸祭備中守高定の領地であったため。
③宇都宮築城に際し、各家々の戸神を祭って、城(村)の繁栄を祈願したため
現在の地名の付く地域の広さからと、他の地方に無い地名であることから、 ②の説が有力であろう。

2、地形的な事実
現在、「戸祭」が付く地域(例、戸祭元町等)は、二荒山神社から北に続く丘陵地帯の西側で、 釜川に
沿った平地である。
ここは、東の丘陵地帯には、古墳や、洞穴住居等の遺跡があることからも、古代より人々が集う地域であった。したがって、農業にも適していたと考えられる。
江戸時代にも、 大きな庄屋が南北に一軒ずつあったことから、豊穣な土地であったと推察できる。
また、日光杉並木の始めでもある。江戸時代には、杉並木の間に緑の田畑が広がる光景が みられたのではないだろうか。
昭和の後半まで、田畑がそこかしこに見られていた。平成の現在でも、少ないが田畑は残っている。

3、歴史的な事件
まず、平蔵の任期中の1787年~1795年に中年である
<戸祭>の九助に関する調査なので、 1790年頃に、
30から40歳と仮定した場合、宇都宮の歴史において、1750年以降の状況を調査すれば良い。
歴史上の事件として、当該年代にあったことは、
①宝暦3年(1753年)「籾摺り騒動」が発生した。
 これは、戸田氏に替わって、島原藩から移封されてきた松平氏が、藩財政再建のために、 年貢米の籾摺りの割合を変更し、2割の増税をしようとしたために起きた農民一揆で、 市内4箇所で一斉蜂起し、一部が宇都宮城に迫る大規模なものだった。
 また、醸造業も商い、繁栄していた戸祭の庄屋も、一揆衆に襲われた。
 この一揆は、二日ほどで平定されたが、首謀者の
一人鈴木源之丞だけは、抵抗した後、捕らえられ、
日光の僧侶の助命嘆願の使いが表門に届く前に、
処刑場に向かうため出た城門(裏門)を振り返り、
その門を「処刑された後で、必ず流してやる。」というようなことばを残した。
(この件は、②の洪水の後からの創作ではないかと個人的には思う)
②宝暦7年(1757年)、明和元年(1764年)、に宇都宮が洪水に襲われた。
 どちらも市街地が冠水する洪水だったそうだが、明和の洪水は城門が流されそうになるほどで、400人を超える犠牲者がでたと記録されている。
(これらの洪水は、当時、籾摺り騒動で処刑された庄屋の鈴木源之丞のたたりと思われたらしく、源之丞を供養する碑がこの後建てられ、現存している。)

4、<戸祭>の九助に関する考察
前回は、名前を考慮していなかったことを反省し、「九助」という名前に拘ってみる。
「九」ということは、単純に考えると、「九男」であろう。子沢山は農家に多い。
ここで、洪水である。
洪水でも、実家が無事であったとするならば、
食い扶持を減らすために、子供を外に働きに出したと考えられ、働きにでた子供が、いつしか悪の道に入ることはよくあるお話か。
または、洪水で家族が犠牲になり、生活のため、盗人家業に踏み入ったか?

最後に、ほとんど可能性は無いが、戸祭備中守の子孫というのはいかがだろうか?

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2005.03.10

〔乙畑(おつはた)〕の源八

『鬼平犯科帳』文庫巻4の[血闘][おみね徳次郎]、巻5の[女賊]、巻6[狐火]、巻19[引きこみ女]、巻23[炎の色]に名前のみでる、密偵おまさのかつてのお頭。
(参照: 女密偵おまさ)の項)

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年齢・容姿:どちらも記されていない。
生国:下野(しもつけ)国塩谷郡(しおやごおり)乙畑(おつはた)村(現・栃木県矢板市東乙畑か西乙畑のうち)。
池波さんは(おつばた)とルビをにごってつけているが、歴博のデータベース『旧高旧領取調帳』の(おつはた)によった。

探索の発端:天明8年(1788)9月28日、先手弓第1組組頭で火盗改メを加役していた堀帯刀秀隆(家禄1,500石 52歳)が持弓頭へ栄転。火盗改メの本役(定役)の後任として同年10月2日に、先手弓の第2組組頭(1,500石格)長谷川平蔵宣以(家禄400石 43歳)が発令された。
同月の初旬---とあるから、8,9日ごろであろうか、おまさが役宅をたずねてきて、密偵となることを願いでた。
おまさは、〔乙畑〕の源八一味の引きこみ役だったから、その線から〔乙畑〕一味の動静がつつ抜けになった。

結末: 〔乙畑〕の源八一味は逮捕、全員死罪。

つぶやき:おまさが密偵を志願したのが、天明8年10月初旬---とあるが、長谷川平蔵が火盗改メに任じられたという柳営内人事を、盗人世界にいたおまさは、どんなルートで知りえたか。
平蔵側は、引継ぎや挨拶廻りに忙殺されていた時期だろうに。あるいは、堀組のヴェテラン与力・佐嶋忠介を借り受けていたので、引継ぎは簡単にすんだのか。

おまさの父親〔鶴(たずがね)〕の忠助の歿後、忠助が親しくしていた、足利に本拠を置く〔法楽寺〕の直右衛門と親しく、同じ下野国を縄張りにしている〔乙畑〕の源八との話しあいによって、おまさは〔乙畑〕に入った。
その後、当サイト[女密偵おまさ]の項にリポートしておいたように、おまさは多くの首領の手助けをしている。
(参照: 〔鶴〕の忠助の項)
(参照: 〔法楽寺〕の直右衛門の項)

しかし----、
(ここがしおどき。どうせ足を洗うなら、銕さん---いえ、長谷川さまのためにはたらきたい)
と密偵を志願して出たときには、また、〔乙畑〕の源八一味へ復帰していたのであろうか。

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2005.02.19

〔文挟(ふばさみ)〕の友吉

『鬼平犯科帳』文庫巻4に収録の[あばたの新助]で、〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)の右腕として顔見せしている。
(参照: 、〔網切〕の甚五郎の項)

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年齢・容姿:40男。商人風。身のこなしが猿のように敏捷。
生国:下野国都賀郡(つがごおり)日光神領文挟宿(現・栃木県今市市文挟町)。

探索の端緒:火盗改メのお頭・長谷川平蔵(44歳)が、深川・富岡八幡宮の門前で組下の同心・佐々木新助(29歳)が、黒えりつき黄八丈の女と歩いているのを認めた。女は、境内の甘酒屋〔恵比寿屋〕の茶汲女お才であった。お才のほうから新助を誘ったのである。
お才のくちびると舌技による愛撫をうけた生まれて初めての強烈な刺激に、新助はお才のとりこになってしまった。

冨吉町の正源寺裏の〔川魚・ふじや〕の2階で素裸で抱き合っていたとき、〔文挟(ふばさみ)〕の友吉があらわれ、
「お才は、〔網切〕の甚五郎の女房」だと新助をおどし、火盗改メの夜の巡回路の提供を約束させた。
以後、巡回の隙をつくように、盗賊団の押しこみがはじまったのである。

結末:ことの次第を長官に知られたとおもいきわめた新助は、お才との決着をつけるべく、冨吉町の〔川魚・ふじや〕へ乗り込んだが、待っていた浪人どもに惨殺されてしまい、新助に心がかたむきかけていたお才は、、〔文挟〕の友吉に首筋を斬られて絶命した。
その友吉は、猿のような身軽さで、姿をくらましたのであった。

つぶやき:〔網切〕の甚五郎一味は、『鬼平犯科帳』シリーズの前半部における、鬼平の宿敵的な存在として描かれてい、手をかえ品をかえて鬼平に襲いかかる。まさに池波さんのストーリー・テリングの才の見せどころの一つともいえようか。

探偵小説の鉄則の一つに、悪人が強ければ強いほど、智謀に長けていればいるほど、探偵側の知恵と力がきわ立つ---というのがある。〔蓑火〕の喜之助や〔夜兎〕の角右衛門のような本格派だけでは、鬼平の凄さは光らないのである。

冨吉町の正源寺の前庭には、四季とりどりの花が咲くが、真夏のスイカズラの淡い橙色の花弁がみごとだ。

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正源寺の前庭に咲くスイカズラ

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2004.12.27

法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻4の[おみね徳次郎]の女賊おみねのお頭。
上総(かずさ)、下総(しもうさ)がおつとめのテリトリー。
(参照: 女賊おみねの項)

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年齢・容姿:60がらみ。でっぷりと肥えた、おだやかな老顔。
生国:栃木県足利市の城山南麓に法楽寺(禅宗)があり、あたりが法楽寺の里。

探索の発端:女密偵おまさが、四谷・舟町の全勝寺の前で、幼馴染みで女賊おみねと出会い、おみねがいま同棲している徳次郎のことを惚気(のろけ)たことから、狙いがつけられた。
(参照: 女密偵おまさの項)
おみねのお頭〔法楽寺〕の直右衛門には、おまさの父親・〔鶴(たづがね)〕の忠助が一味に加わっていたこともあり、忠助の歿後、おまさは〔法楽寺〕の手配で〔乙畑〕の源八一味へつけられた。
(参照: 〔鶴(たずがね)〕の忠助 の項)
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)

結末:おみねが、一味の盗人宿である千駄ヶ谷の仙寿院(日蓮宗)の門前茶店〔蓑安〕の店主〔名草〕の嘉平を訪れ、そこへ〔法楽寺〕の直右衛門が早めに上府してき、新堀川端の浄念寺(浄土宗)門前の茶屋で盗人宿の〔ひしや〕へ入ったところを、一味5名もろともに捕らえられた。
〔鶴〕の忠助が配下になったぐらいだから、本格派のおつとめだが、重ねてきた罪状からいって死罪はまぬがれないところ。
しかし、おみねだけはおまさの懇願で釈放されている。
(参照;〔名草(なぐさ)の嘉平の項)
(参照:女賊おみねの項)

つぶやき:〔法楽寺〕は、池波さんが盗人に「通り名」をつけるときにいつも参照していた吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治38年-)に、
法楽寺(摂津・田辺)
法楽寺(播磨)
法楽寺(上野・足利郡)
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明治20年(1887)ごろの足利市とその近郊

『蝶の戦記』(文春文庫)には、北近江(滋賀県東浅井郡浅井町)の法楽寺も登場する。

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明治20年(1887)ごろの北近江・小谷山近辺

茶店の亭主・嘉平の〔名草〕が決め手となった。足利市の北に「名草」という山間(やまあい)の里がある。
また、〔法楽寺〕の直右衛門がつかまったのちの吟味で、上総・下総に潜んでいた一味22名もそれぞれ逮捕されている。

〔法楽寺〕の直右衛門がおまさを預けた〔乙畑〕の源八も、どうやら栃木県矢板市乙畑の出身らしい。

足利義氏の墓所でもある足利市の法楽寺を訪れた。
館林をすぎたあたりから車窓は一望、田圃で、むかしから豊かな農村地帯だったみたい。こんな土地でのびのびと育った〔法楽寺〕の直右衛門を〔鶴〕の忠助が信用してお頭と仰いだわけも、なんとなく納得がいく。
現実の法楽寺は、足利市駅から徒歩25分、本城山の東南麓にあり、中級武士たちの屋敷が建ち並んでいた雰囲気をのこした高台の地区で、きれいな疎水が流れていた。
9月初旬だったので、境内には赤萩がまっさかり。高台の下の平地は足利氏のころは農地だったのであろうか。

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足利市本城山下の法楽寺

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法楽寺の内陣

池波さんは、いつ、足利義氏の墓所のあるこの寺の存在を知ったのだろう。
『蝶の戦記』の執筆中に、近江・浅井町の取材で見えおぼえた法楽寺村を脳裏にとどめて、上杉謙信がらみで『大日本地名辞書』で足利家の支配地を調べているうちに、引きあてたのかも……。
名草は、町営バスが昼間は3時間に1本間隔だったので、いつか自分の車で……と、断念。

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