カテゴリー「107茨城県 」の記事

2007.02.14

〔乙畑(おつばた)〕の源八

[19-6 引き込み女]は、密偵おまさが、〔乙畑(おつばた)〕の源八一味にいて〔引き込み〕を手伝っていたとき、同様に〔引き込み〕をしていたお元(現・35,6歳)が物語の中心となっている篇である。おまさは、お元と仲がよかった。

この篇に、〔乙畑〕の源八は、こう書かれている。

おまさとお元の〔お頭〕だった乙畑の源八は、ずっと以前に病死してしまい、以来、一味の盗賊たちは四散してしまった。p267 新装p278

『鬼平犯科帳』シリーズへのおまさの登場は、[4-4 血闘]で、

おまさに、平蔵が二十年ぶりに再会したのは、去年(天明8年)の十月初旬の或日のことだ。
おまさのほうから、役宅へ名のり出て来たのである。p136 新装p143

このおまさによって〔乙畑の源八一味〕が〔火盗改メ〕に捕らえられたことはもちろんだが、その後、平蔵は、おまさを密偵にするつもりはなかった。p138 新装p144

[5-3 女賊]にも、こう、ある。

おまさの自白によって、乙畑の源八一味を長谷川平蔵が捕らえたのは、去年の十二月七日である。
そのとき、おまさは平蔵のために女密偵としてはたらく決意をかため、乙畑一味を裏切ったわけだ。
ために平蔵は乙畑一味十二名を一網打尽(いちもうだじん)にしたとき、これをあくまで隠密(おんみつ)にはからい、ひそかに島送りとしてしまった。p85 新装p90

さて、〔乙畑〕の源八は病死か獄死か。
一味は解散か島送りか。

常識的な推測だと、初めに書かれたほうが池波さんの心に近いといえようか。

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2006.09.27

〔吉間(よしま)〕の仁三郎・追記

_4文庫巻4-4[血闘]で、おまさを密偵と見破った〔吉間(よしま)〕の仁三郎については、すでに、常陸国真壁郡吉間村の出身として取りあげている。
そのときは現行の町名を明野町としたが、その後、同町が近隣の町村と大合併し、筑西市となったことを知ったので、それも訂正した。

Photo_210確認のために筑西市のホームページにアクセス、明野図書館館報「花さき山」で、三輪 巴館長のお名前が目にとまった。学識が深く、利用者のためには調べものもいとわない方とお見受けしたので、思いついて、吉間村が明野町へ包括された経緯をお尋ねしてみた。

ブログの記録は、データが手に入った都度々々、順次つけくわえてこそ、充実し、後続の士の道しるべとなる。

三輪館長は、お忙しいにもかかわらず、データをそろえて送ってきてくださった。

『角川 日本地名大辞典8 茨城県』(昭和58年) もと西に芦間という入江があったという。芦と吉は同音であるためこの地名になったという(杉山私記)。

吉田東伍博士『増補 大日本地名辞書 第6巻 坂東』(昭和61年 冨山某房) 今村田村と改む。(略)南北争乱の際に聞こえし、村田城址は、吉間に伝説せらる。

村田村となったのは、明治22年(1889)の市町村制施行の5村1新田の合併による。
明野町の成立は昭和29年(1954)11月3日。

『茨城県の地名 日本歴史地名大系 8』(1998年 平凡社) 元和9年(1623)には藩主水谷氏の検地が行われ、同年2月の水野谷様御代下館領村々村高ならびに名主名前控(中村家文書)に村高1,098.185石とある。寛永16年(1667)の水谷氏転封に伴い天領---(略)。

や、これは凄い発見!

この水谷(みずのや)が転封した先が備中・松山(5万石。高梁市)なら、同藩に仕えていた馬廻役・三原七郎右衛門(100石)が水谷家の改易とともに失職、そのむすめ長谷川平蔵宣雄(鬼平の父親)のである。
また、3,000石の幕臣となっていた後裔の伊勢守勝久は、西丸書院番士として出仕した平蔵宣以番頭(ばんがしら)で、平蔵の引き立て役でもあった。

この、吉間村を領していた水谷(みずのや)家が、長谷川平蔵と関係が深い水谷かどうか、再度探索する必要ががある。

もちろん、〔吉間〕の仁三郎が育ったときには、水谷家は真壁郡を去り、村は旗本・飯塚帯刀、井上越中守、石巻栄吉らがそれぞれ、520石余、507石余、75石余を知行しており、さらに安藤伝蔵支配が93石余、三所神社領5石となっていた。

仁三郎の家がこれらのいずれの支配下にあったかは調べえうるべくもない。

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2006.03.30

〔神崎(かんざき)〕の伊之松

『鬼平犯科帳』巻10iに入っている[蛙の長助]で、かつて長助が仕えていた首領。
(参考:〔蛙(かわず)の長助の項)。
小さい組織ながら関東一帯に出没したが、血をみることはなかった。
喧嘩っぱやい長助が剣術遣いと喧嘩して片足を失って盗みの世界から足を洗ったとき、引退(ひき)祝いとして50両与えたほど、しっかりした首領ぶりを示した。

年齢・容姿:どちらも記されていないが、いま56歳の長助がはたらきざかりの30代だったころ、40代前半か。
生国:常陸(ひたち)国久慈郡(くくじこおり)神崎郷(現・茨城県那加市石神外宿)
Kanzaki_map
江戸期にもっとも近い明治20年ごろの常陸国那加郡の地図

Kanzaki_map_up
同地図の本米崎あたりを拡大。神崎郷は石神外宿へ併合された

探索の発端:そのあと、伊之松のことにはまったく筆がおよばない。
話の推移は、長助をめぐってすすむ。弥勒寺門前で、借金取立てのいざこざから、長助殴りたおした御家人を鬼平が投げとばして救ってやったのを見ていた密偵〔舟形(ふながた)〕の宗平が、かつて長助が〔神崎〕一味にいたことを鬼平へ告げた。
〔神崎〕の伊之松のところから、宗平が仕えていた〔初鹿野(はじかの)〕の音松の組へ借りられてよく来ていたので、宗平が顔を見知っていたのである。
(参考:〔舟形(ふながた)の宗平の項)。
(参考:〔初鹿野(はじかの)の音松の項)。

結末:長助は、鬼平が見ている前で、むすめ夫婦のために財布を掏った瞬間、卒中に襲われてそのまま昏睡状態となり、逝った。

つぶやき:盗人の末路としては、趣向が凝られ、いっぷう風味の異なった人情劇。
もっとも、〔神崎〕の伊之松の一生も読んでみたい気もしきり。


てらさんからのHPへの書き込み--- 2003年11月06日

茨城県の神崎村について
私の友達のお祖父さんが、かつて神崎村の村長さんだったそうです。
その友達が「かんざき村」と言っていたので間違いないかと思います。
石神外宿=「いしがみとじゅく」と読みます。
現在の東海村にあります。

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2006.02.23

敵(かたき)持ち・土田万蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻6の末尾篇[のっそり医者]で、主人公の萩原宗順(60すぎ)を親の敵(かたき)と狙ってきた、下総・古河藩の浪人・土田万蔵。16歳のときから敵討ちの旅に出てほぼ25年---この間、辛酸をなめつくし、いろんな悪事にも手を染めた。
最近では、稲荷堀(とうかんぼり)の近くで辻斬りもやった。
相棒は〔落合(おちあい)〕の儀十(30がらみ)という盗人。
(参照: 〔落合〕の儀十の項)

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年齢・容姿:40すぎ。しっかりした身なり。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこおり)古河(こが)(現・茨城県古河市)
父が古河藩の膳番。

探索の発端:鬼平が萩原宗順のもとへ送った小娘およしが、不審な男2人が宗順の身辺をさぐているようだと、鬼平へ告げたことから、宗純の身元もあらわれ、彼が敵(かたき)討ちをうける身であることがわかった。が、いまの宗順は、前非を悔いて、医術でもって世のために尽くそうとしていた。

結末:難をさけて宗順とおよしが捨てた家を、土田万蔵と儀十が襲ってき、待っていた鬼平に斬られた。

つぶやき:「敵討ちは、火盗改メの相知らぬこと---」といって、萩原宗順の過去を不問に付する鬼平のかっこうのよさは、読み手を酔わす。が、法の仕事に就いている幕臣としての言葉としては---。

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2006.02.15

〔黒灰(くろばい)〕の宗六

『鬼平犯科帳』文庫巻7に置かれている女賊の[掻掘のおけい]の篇で、おけい(40をこえている)と組んで、荒っぽい盗めもいとわない一味の首領が〔和尚(おしょう)〕の半平(年齢不詳)の配下として、おけいとの連絡にあたっているのが、〔黒灰(くろはい)〕の宗六である。
(参照: 〔掻掘〕のおけいの項)
(参照: 〔和尚〕の半平の項)

207

年齢・容姿:30男。苦味のきいた顔。
生国:常陸(ひたち)国多賀郡(たがごおり)黒坂村(現・茨城県多賀郡十王町黒坂)。
5年前といえば宗六の25歳前後のころだが、〔和尚〕の半平の使いで、相州・平塚の盗人宿にいた〔大滝〕の五郎蔵のところへ共生国、多賀郡(たがこうり)関本村(現・北茨城市関本町小川)の近くで捜して、黒坂を見つけた。聖典には、同じ篇[掻掘のおけい]に〔黒坂(くろさか)〕という通り名の盗人の首領・伝右衛門が先に出ているので、池波さんは 〔黒灰〕と変えたと類推。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔黒坂〕の伝右衛門の項)

探索の発端:かつて現役時代の五郎蔵の下にいた〔砂井(すない)〕の鶴吉が、大豊島の女賊〔掻掘〕のおけいに可愛がられすぎた精も根も吸いとられていると、五郎蔵に助けを求めてきた。
(参照: 〔砂井〕の鶴吉の項)

五郎蔵がおけいを尾行(つ)けると、新川の蕎麦屋で〔黒灰〕の宗六と密談していた。
五郎蔵が宗八を見知っていた経緯はすでに書いた。

結末:宗六ちを尾行(つ)け五郎蔵が見つけた〔和尚〕の半平の盗人宿を見張った火盗改メは、彼らが襲おうとした浜町堀・富沢町の紅・白粉問屋〔玉屋〕で、全員逮捕。宗六は矢で殺された。

つぶやき:イケメンの宗六をねぶってみようと、おけいは思わなかったか。また、宗六はおけいに一度抱かれてみたいとおもわなかったか。
お盗めの前のいましめを守りきった宗六は、生きていたら、伊三次のようないい密偵になったかもしれない。

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2006.02.09

〔鈍牛(のろうし)〕の亀吉

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[鈍牛]の主人公は、いささか知恵遅れで動作も言葉もゆっくりめなので〔鈍牛(のろうし)〕と綽名をつけられている。
6年前に下総・佐原で母親が病死、その母親のいいつけで深川の釣具師の女房におさまっていた伯母をたよって上府し、深川・相川町の菓子舗〔柏屋〕へ奉公していたのが、ある夜、隣の熊井町の蕎麦屋〔翁庵〕へ放火し、どさくさにまぎれて8両を盗んだと、「晒し者」になっている。

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年齢・容姿:25歳。ぽってりと太り気味。八の字のような眉に点をうったような眠たげな両眼。ちょこんと上を向いた鼻。ようするに童顔なのだ。
生国:常陸(ひたち)国鹿島郡(かしまこおり)鉾田(ほこた)村(現・茨城県鹿島郡鉾田町鉾田)。
精薄児・亀吉を産んだために離縁された母親は、上総(かずさ)・下総(しもうさ)と流れて、潮来(いたこ)の女郎屋にいた。その母親が死んだので上府。

探索の発端:亀吉は真犯人をかばって冤罪をかぶったのだと土地(ところ)の者たちが噂していると、深川で船宿をあずかる〔小房〕の粂八が同心・酒井祐助へ告げた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
南町奉行の池田筑後守へ処刑延期を依頼した鬼平は、亀吉が晒されている現場へ張り込んだ。
と、人だかりのなかに、亀吉と視線をまじえた男がいた。
亀吉の母親のなじみ客だった安兵衛で、亀吉には菓子などを与えていたという。亀吉は、放火現場で安兵衛を見かけ、「だれにも言うな」といわれたので、身代わりに立った次第。
(参照: 下総無宿の安兵衛の項)
結末:安兵衛は、晒しのうえ火あぶりの刑。
拷問で亀吉からウソの自白を引きだした密偵の源助は、八丈島へ島送り。
田中同心は、身分と役目を召しあげられ江戸追放。

つぶやき:池波さんの初期の戯曲に[鈍牛]という、売れない画家が大金を拾い、持ち主が現れなかったので下げ渡されたために起きるドタバタを描いたものがある。現代劇---といっても、終戦後の昭和20年代後半あたり、みんな貧しかった時代を描いている。
この篇とはなんのつながりもない---が、しいていうなら、庶民の深い人情味が共通している。

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2005.10.27

鰻(うなぎ)の辻売り・忠八

『鬼平犯科帳』文庫巻15の[雲竜剣]は、シリーズでは最初の長篇なので、ゆったりと謎が解かれる。小名木(おなぎ)川が大川へそそぎこむその河口に架かる万年橋の南で鰻(うなぎ)の辻売り屋台を出している忠八の名あげたのは、弥勒寺門前の茶店〔笹や〕の女主人・お熊である。
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茶店〔笹や〕は、弥勒寺楼門前の板庇の家。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:32,3歳。容姿の記述はない。
生国:書かれてはいないが、鰻に縁があって、剣客医師・堀本道伯と直接に知り合ったとすると、下野(しもつけ)国都賀郡(とがこうり)牛久(うしく)村(現・茨城県牛久市牛久)あたりと推察。
(参照: 剣客医師・堀本伯道の項)

探索の発端:同心・金子清五郎が殺害される前日、忠八と肩をならべて〔笹おや〕の前を通りずぎたと、お熊が証言したのである。事件とかかわりがある人物が初めて浮きあがった。
しかし、万年橋きげわに彼の姿はなかったのである。
別の線から、忠八が本所の獺(かわうそ)長屋に住み、夜分、深川・佐賀町の足袋問屋〔尾張屋〕へ鰻の櫛焼きを届けたり、下男の彦兵衛と連絡(つなぎ)をつけていることも判明した。

結末:堀本伯道は息子に斬り殺されたが、忠八のことは書かれていない。

つぶやき:[雲竜剣]は、シリーズが始まってから,8年半目に連載がスタートした。池波さんも編集部も、ファンが固定したと読んだのであろう。
もっとも、読み手とすると、毎月の展開をいらいら気味で待ったにちがいない。文庫で読みきれるいまの読者は幸せである。

『鬼平犯科帳』の発生事件の年代順リストは、
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/sanko/index.html
の、目次の下から3番目あたりの、年代・季節順を。

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2005.10.23

〔大崎(おおさき)〕の弥平

strong>『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[兇賊]で、兇賊〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)の父親〔土壇場(どたんば)〕の勘兵衛が登場するが、この勘兵衛は、20数年前、両国の盛り場を牛耳っていた香具師の元締〔大崎(おおさき)〕の弥平の右腕と称して、悪徳のかぎりをつくして、土地の嫌われ者だった。
弥平が勘兵衛のことをどう扱っていたかの記述はない。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:下総(しもうさ)国猿島郡(さるしまこうり)大崎村(現・茨城県水海道(みつかいどう)市大崎)。

探索も結末もなし

つぶやき:「大崎」は水海道市の北西の岩井市にもある。迷ったが、江戸に少しでも近いこと、訪れたことがあるというまったく理にあわない個人的な心情から、水海道市をとった。
もし、岩井市の鬼平ファンの方からアピールがあったら、乗りかえることにやぶさかではない。

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2005.09.20

〔古河(こが)〕の富五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に載っている[乞食坊主]こと、剣友・井関録之助に、南品川の貴船明神社(現・荏原神社  品川区北品川3-30-28)境内で盗めの会話を聞かれてしまった〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵と〔鹿川(しかがわ)〕の惣助は、ともに〔古河(こが)〕の富五郎一味の盗人である。
(参照: 〔寝牛〕の鍋蔵の項 )
(参照: 〔鹿川〕の惣助の項)

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年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこうり)古河(こが)宿(現・茨城県古河市古河)
地名は、未開地を意味する空閑(くが)の転訛と。

探索の発端:冒頭に記したように、井関録之助が聞いたのがきっかけだが、鬼平の申しつけで、録之助は武士に変装して品川宿をさぐっているうちに、〔寝牛〕の鍋蔵が3年前からひらいている小間物屋を見つけた。隣の質屋〔横倉屋〕が押し入り先とわかり、見張り所が設けられた。
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品川宿(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

結末:黒づくめの装いに身をかためた〔古河〕一味15名があらわれたのを、火盗改メの与力・同心・小者17名がとりかこみ、宿役人なども手伝って、全員捕縛。

つぶやき:連載3年目の第31話である。池波さんの筆づかいにも油がのった時期。枝葉の話にもきちんと説明がついている。
たとえば、井関録之助を消すために、両国の香具師の元締〔羽沢(はねざわ)〕の嘉兵衛に仕掛けを頼むなど。
(参照: 〔羽沢〕の嘉兵衛の項)

が、〔古河(こが)〕の富五郎の描写の手を抜いているようにおもえるのは、原稿枚数の制限を気にしてか。

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2005.08.22

〔砂井(すない)〕の鶴吉

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録されてタイトルを飾っているヒロイン---[掻掘のおけい]は、ツバメになっている〔砂井(すない))〕の鶴吉の悲鳴まじりの告白によると、じつに、その、存在感たっぷりの女賊であるらしい。女好きの---女が好きでない男はいないのだが---とりわけ好きな、同心・木村忠吾が「抱かれてみたい」とうめくほど。
〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の配下だったころ、仲のよかった〔蛙(かわず〕)の市兵衛の一人息子で、少年のころから五郎蔵のの下でこの道の修業していたが、高崎在でのお盗めのときに押し込み先の下女に手をだしたので放逐された。
そのあと、駿河の〔黒坂(くろさか)〕の伝右衛門、〔生駒(いこま)〕の仙右衛門のところでつとめていた。
(参照: 〔掻掘〕のおけいの項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔黒坂〕の仙右衛門の項)
(参照: 〔生駒〕の仙右衛門の項)

207

年齢・容姿:25,6か。色白で、下ぶくれの可愛らしい顔だち。
生国:下総(しもうさ)国猿島郡(さしまこうり)上砂井村(現・茨城県古河市上砂井)。

探索の発端: 〔砂井」の鶴吉のほうから〔大滝〕の五郎蔵へ声をかけてきて、この1年、〔掻掘(かいぼり)〕のおけいのくわえこまれて精も根も吸いつくされているから、助けてほしい、と。
それで、おけいに見張りがつき、 おけいが組んでいる〔和尚(おしょう)〕の半平一味の存在もつかめた。
(参照: 〔和尚〕の半平の項)

結末:〔掻掘〕のおけいがたらしこんた日本橋・富沢町の紅・白粉問屋〔玉屋〕茂兵衛方へ押しいろうとした、〔和尚〕の半平一味は射殺と逮捕。鶴吉は逃げようと誘うおけいをふりきって投降。身柄は五郎蔵にお預けの形となった。おけいは半平とともに、市中引き回しの上、死罪。

つぶやき:読者サーヴィスとこころえてはいても、40歳をこえている〔掻掘〕のおけいの量感の描写はすごい。もっとも、いまの日本女性は精神的も躰も若返っており、40歳代は花の盛りともいえるから、おけいの性的アピールには驚かないかもしれない。

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2005.07.27

〔和尚(おしょう)〕の半平

『鬼平犯科帳』文庫巻7に置かれている女賊の[掻掘のおけい]の篇で、おけい(40をこえている)と組んで、荒っぽい盗めもいとわない一味の首領が〔和尚(おしょう)〕の半平である。
(参照: 〔掻掘〕のおけいの項)
おけいの若いツバメ〔砂井(すない)〕の鶴吉(26,7歳)は、「和尚のお頭とだけは組まないでくれ」と頼むが、〔掻掘(かいほり)〕のおけいは、委細かまわず、日本橋・富沢町の紅・白粉問屋〔玉屋〕茂兵衛方への押しいりの計画を、〔和尚〕一味とすすめている。
(参照: 〔砂井〕の鶴吉の項)

207

年齢・容姿:記述がない。
生国:常陸(ひたち)国多賀郡(たがこうり)関本村(現・茨城県北茨城市関本町小川)
関本町の北西に標高804メートルの和尚山(おしょうざん)がある。半平は自分を大きく見せるためにこの山名を「通り名(呼び名)」にいただいたとみた。
別に、僧籍から還俗したとの見方もできないではない。だとすると、貧ゆえに寺へやられたのであろう。

探索の発端:〔砂井(すない)〕の鶴吉が、かつてのお頭〔大滝〕の五郎蔵に声をかけたことから、五郎蔵が〔掻掘(すなぼり)〕のおけいを尾行(つ)けて、〔和尚〕一味の十万坪にある盗人宿を突きとめた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

結末:富沢町の〔玉屋〕方への押しいろうとしていた、〔和尚〕一味11名は、追跡していた火盗改メに捕縛された。〔和尚〕の半平は鬼平に斬られて死んだ。
〔掻掘(かいぼり)〕のおけいは、市中引きまわしの上、死罪。

つぶやき:。〔和尚〕の半平と〔掻掘(かいぼり)〕のおけいとのつながりが、も一つ、はっきりしない。男と女の関係があったともおもえない。
はっきりしないといえば、〔生駒(いこま)〕の仙右衛門とおけいのつながりもよくわからない。
(参照: 〔生駒〕の仙右衛門の項)
拷問にも、おけいは、〔生駒〕一味のことを吐かなかった。それほどに義理立てしなければならない理由があったのであろうか。小説はそのあたりをぼかしている。

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2005.06.11

〔吉間(よしま)〕の仁三郎

『鬼平犯科帳』文庫巻4の[血闘]は、おまさが初登場の篇として、鬼平ファンにはよく知られている。
(参照:女密偵おまさの項)

おまさが自分から密偵を志願してきたのは、長谷川平蔵が火盗改メの本役に就いた翌日か翌々日、すなわち天明8年(1788)10月3日か4日である。

テレビでおまさ役をやっている梶芽衣子さんのぱっちりした瞳とおちょぼ口の美貌と、少女時代から抱いていた鬼平への思慕の気持ちを抑えて鬼平に接するいじらしさに同情するせいか、おまさにひそかに岡惚れしている男性の視聴者は少なくはない。
まあ、映像をとおしてのことだから、いくら想いを寄せようと人畜無害ではあるのだが。

そのおまさを、不逞の浪人たちに輪姦をそそのかすのがこの〔吉間(よしま)〕の仁三郎なのだから、人気が得られるはずがない。
(参照:〔吉間(よしま)〕の仁三郎の項)
おまさと仁三郎の接点は、3,4年前に2人が〔熊倉(くまくら)〕の惣十一味に属していたとき。
(参照: 〔熊倉〕の惣十の項)

204

年齢・容姿:中年。書かれているのは声のみ。
生国:常陸(ひたち)国真壁郡(まかべこうり)吉間(よしま)村(現・茨城県筑西市明野(あけの))
農業地の吉間]村は明治22年(1889)に村田村に合併。昭和29年に村田村はほかの3村と合併して明野町が成立。

探索の発端:どこかの盗賊一味を密偵していたらしいおまさが、「しぶ江村、西こう寺うらのばけものやしき」の書き置きをのこして誘拐された。
鬼平は、渋江村(現・葛飾区四つ木)の不逞の浪人たちがたむろする西光寺裏の化けもの屋敷へ飛んだ。援軍を待つうちに陽が落ちはじめる。

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渋江村 西光寺(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
池波さんは、この絵で、舞台を渋江村に決めた。

おまさが危ない!
一人で乗りこむと、〔吉間〕の仁三郎が次の浪人にすすめている。
鬼平は、やにわに、仁三郎の首に腕をまきつけていた。

結末:遅れていた佐嶋与力や山田市太郎同心、酒井祐助同心ら捕方がかけつけ、浪人どもも仁三郎も逮捕。死罪。

つぶやき:時代小説に、おまさ役は定番である。
ヒーローに岡惚れしているのが鳥追い女であったり、女掏摸(すり)であったり、水茶屋の茶汲女であったり、売れっ子の芸者であったり、小唄のお師匠であったり---いずれも男性経験の豊な女性たちである。
おまさとてそこのところは同じだが、おまさがほかの女たちと異なるのは、胸の内を告白してヒーローを困らせない点といえる。
もちろん、代弁者はいる。おまさの少女時代を知っている相模無宿の〔彦十〕がそれ。このあたりの配慮も、これまでのありふれた時代小説と一線を画しているとおもう。


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2005.06.10

〔関本(せきもと)〕の源七

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収録されている[火つけ船頭]で、南伝馬町の畳表問屋[近江屋〕を襲ったが、たまたまその夜、〔加賀や〕の船頭・常吉が裏塀に放火。火の番が燃えている板塀を発見して騒ぎたて、町火消しがかけつけて消火にあたたったが、その騒ぎで〔関本〕一味は盗みをあきらめて逃走する。
(参照: 船頭・常吉の項)
船頭・常吉のむ放火癖は、黒江町の同じ裏長屋に住んでいる浪人・西村虎次郎と女房おときの不倫を目にしたことから始まった。
(参照: 浪人盗賊・西村虎次郎の項)
西村虎次郎を〔関本〕の源七へ引き合わせたのは、口合人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門である。
(参照: 〔塚原〕の元右衛門の項)

216

年齢・容姿:どちら記載されていない。
生国:常陸(ひたち)国真壁郡(まかべこうり)関本(現・茨城県筑西市関本)
*=関本肥土(あくと)、関本上(かみ)、関本上中(かみなか)、関本下(しも)、関本中(なか)、関本分中(わけなか)。
『旧高旧領』には、常陸国多賀郡(たがこうり)関本(現・茨城県北茨城市関本町*)もあり、捨てがたいが、〔関本〕一味の本拠・草加宿からはいささが離れすぎていると判断。
こちらの*=関本町小川、同才丸(さいまる)、同関本上(かみ)、同関本中、同八反(はったん)、同福田、同富士ヶ丘。

探索の発端:〔塚原〕の元右衛門の項から再録。深川・黒江町の裏長屋を見張っていた密偵〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、浪人・西村虎次郎のもとを訪ねてきた顔見知りの口会人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門を見かけたので、おまさと彦十が尾行して、橋場の真崎稲荷裏の隠れ家をつきとめ、ひとりばたらきの盗人たちの所在がつぎからつぎへと明らかになっていった。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)
と同時に、〔関本〕の源七が隠れ蓑にしている草加宿の旅籠〔吉田屋〕もあきらかになった。

結末:草加宿の旅籠のほか、2カ所の盗人宿で、一味全員がお縄となった。死罪。

つぶやき:火盗改メの任務には放火犯の検挙もあるが、現行犯でないかぎり、探索がきわめて困難らしい。
明和9年(1772)に、行人坂の大円寺から出火して江戸の半分を焼失する大火となった、いわゆる「行人坂の大火」の放火犯の逮捕は、鬼平の父・長谷川宣雄が火盗改メに就いていたときの大手柄である。
検挙のきっかけは、高位の僧衣をきている若造のかかとがひび割れていたのを不審におもって逮捕してみたら、大円寺放火の犯人であった。
この功で宣雄は、京都西町奉行へ栄転したといわれている。

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2005.06.09

〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻19に所載の篇[引き込み女]のヒロインお元とは、密偵おまさがかつて〔乙畑(おつばた)〕の源八の下にいたとき、仲が45よかった。
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)
〔乙畑〕一味が解散した後、お元がその情婦となって引き込みをつとめてきたのは、〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎という首領であった。
喜太郎は常陸(茨城県)の浪人くずれで、上信2州から北陸へかけての盗みばたらきが多い。

219

年齢・容姿:45歳。容姿の記述はない。
生国:常陸(ひたち)の浪人---とあるが、国許で浪人になって江戸へ出て、両国橋北詰めの入り堀に架かる駒止橋の近くに住んでいたので〔駒止〕を「通り名(呼び名)」にしたか。浪人なら苗字があったはず。
深川に下屋敷を置いていた常陸国の藩は多い。麻生藩、笠間藩、志筑藩、下館藩、下妻藩、土浦藩、石岡藩、水戸藩、谷田部藩。つまり、上のどの藩士であっても「駒止橋」になじみがあったといえる。池波さんがそこまで承知していて、〔駒止〕の「通り名」をつけたとはおもえないが。
岩代(いわしろ)国大沼郡(おおぬまこおり)の山中の「駒止峠(こまどとうげ)」あたりに盗人宿をかまえており、それを「通り名」に---とかんがえるのは、あまりに突飛すぎよう。

探索の発端:〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎の情婦のお元が、南鍋町2丁目の袋物問屋〔菱屋〕彦兵衛方へ、引き込みに入っていることを、おまさがつきとめた。
お元は、〔菱屋〕の手代あがりの入り婿店主・彦兵衛に駆け落ちをもちかけられて、悩んでいた。

結末:お元は単独で失踪。それを知らずに押し入りをかけた〔駒止〕一味は、開かない戸の前で立ち往生しているところを逮捕されたが、助(す)けばたらきの〔磯部(いそべ)〕の万吉だけが巧みに逃走。
(参照: 〔磯部〕の万吉の項。
一味は死刑。

つぶやき:首領の〔駒止(こまどめ)〕の喜太郎が主役の物語であるなら、彼が浪人した経緯(ゆくたて)や苗字を捨てた理由などが述べられ、転落の詳細があかされるのだろうが、この篇は、おまさがお元の女としての悩みの聞き役になることでストーリーが展開する。
いってみれば、テレビ映画化したときの、女性視聴者向けの一編として創作されたのであろう。

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2005.05.27

〔塚原(つかはら)〕の元右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収められている[火つけ船頭]。思案橋たもとの船宿〔加賀や〕とくれば、〔鬼平〕ファンならたちまちにこの船宿で船頭をしている〔浜崎(はまざき)〕の友五郎を思いおもいうかべるはずだが、この篇の主人公は友五郎とは船頭仲間の常吉(29歳)のほう。女房おときを浪人・西村虎次郎(30がらみ)に寝取られた鬱憤ばらしに諸所へ火つけをしている。
(参照: 〔浜崎〕の友五郎の項)
(参照: 船頭・常吉の項)
(参照: 浪人盗賊・西村虎次郎の項)
西村浪人とつるんでいるのが口会人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門である。

216

年齢・容姿:50がらみ。商人風。
生国:常陸(ひたち)国鹿嶋郡(かしまこうり)塚原村(現・茨城県鹿嶋市)。
塚原は、長野県茅野市、福島県相馬郡、静岡県御殿場市、千葉県君津市のほか諸所にあるが、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)で、以下の文章を目にして、瞬時に鹿嶋市に決めた。
「塚原 沼尾と須賀の間を、塚原という。是れは、近古天正中の剣客、鹿嶋新当流の祖、塚原卜伝の苗字の地とぞ」
池波さんに[塚原卜伝最後の旅]という短篇がある。「塚原村」を取材したにちがいない。

探索の発端:深川・黒江町の裏長屋を見張っていた密偵〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が、浪人・西村虎次郎のもとを訪ねてきた顔見知りの口会人〔塚原(つかはら)〕の元右衛門を見かけたので、おまさと彦十が尾行して、橋場の真崎稲荷裏の隠れ家をつきとめ、ひとりばたらきの盗人たちの所在がつぎからつぎへと明らかになっていった。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)

結末:女房を寝取られた恨みをはたすべく、常吉は西村虎次郎が盗賊であることを火盗改メへ投書。それにつづいて〔塚原〕の元右衛門も逮捕された。
常吉は死罪。西村虎次郎の悪業を知っていた女房おときは、島送り。

つぶやき:[塚原卜伝最後の旅]は、『鬼平犯科帳』シリーズの始まる7年前、1961年の『別冊小説新潮』1月号(のち、新潮文庫『上意討ち』に収録)に発表された。
73歳のト伝が、師岡一羽、松岡則方、斉藤主馬之助の高弟3人を伴って武田信玄を再訪し、下総の剣客・梶原長門を真剣による試合で殪す。
(ついでだが、『菅政友雑稿』ほかの諸書は梶原長門との果し合いの場所を武州・川越城下の松原としている)。

ト伝は、武田信玄と上杉謙信の川中島の決戦を見学。、謙信が信玄の本陣へ乗り入れて斬りつけたとき、かたわらにいて、咄嗟に謙信の馬の尻を槍で突いて危急を救った。
信玄へ別離の辞をのべたあと、ト伝は京に将軍・義輝を訪ねる。義輝は皆伝を与えた教え子であった。
「ト伝が数多く知己を得ている名流の中にあって、人間的に心をひかれるのは、武田信玄と足利将軍義輝であった」とあるのを、「信玄」を「池波」と置き換えてもいいようにおもうのは、ぼくだけだろうか。

なお、同篇は「鹿島神宮から約一里を離れた塚原村の領主、塚原土佐守にのぞまれ、ト伝がその養子になったのは、文亀ニ年(1502)の秋」と書いて、「塚原」の位置を明らかにしている。

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2005.05.13

〔駒羽(こまばね)の七之助

『鬼平犯科帳』文庫巻9の[白い粉]で、本郷の湯島天満宮・門前の料理屋〔丸竹〕の2階座敷で相談している3人の盗賊の首領たちの1人。
ほかの2人は、
〔花輪(はなわ)〕の万蔵---盗めのテリトリーは、〔駒羽(こまばね)〕の七之助と同じで、武州・上州から信州へかけて。
(参照: 〔花輪〕の万蔵の項)
〔霰(あられ)〕の小助。「江戸の他では盗めはしねえ」が自慢。
(参照: 〔霰〕の小助の項)
首領たちとはいえ、組織(しくみ)はいずれも小規模---と、小助のところで書いておいた。

209
(参照: 〔霰〕の小助の項)

年齢・容姿:35歳。容姿の記述はない。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこうり)駒羽根村(現・茨城県猿島郡総和町駒羽根)。

探索の発端:半年前に〔五鉄〕の三次郎が寄越した料理人・勘助(31歳)がつくる料理の味付に乱れがあることに、鬼平が気づき、ひそかに勘助を見張らせたところ、湯島の〔丸竹〕へ連れ込まれたことから、警戒がはじまり、料理はすべて鼠に与えられた。
勘助は博打にふたたび手をだしてい、博打場でから借金を重ねており、女房おたみを人質にとられ、その代償として鬼平の食べ物に毒を盛ることを強要されていた。

結末:勘助を絞殺して証拠の隠滅をはかった〔霰〕の小助一味は、鬼平に斬り殺された。
〔丸竹〕にいた〔駒羽〕の七助も〔花輪〕の万蔵も捕縛。
勘助は遠島。

つぶやき:池波さんは(こまばね)と濁らせているが、「駒羽根」は江戸時代から(こまはね)と濁らない。

悪事が博打の借金からはじまる例は、この篇だけにとどまらない。
火盗改メの同心で博打に手を染めるものもいる。
「飲む、打つ、買う」はいつの時代でも、男を誘っているのだ。

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2005.04.26

〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻5に載っている[乞食坊主]こと、剣友・井関録之助に、南品川の貴船明神社(現・荏原神社  品川区北品川3-30-28)境内で盗めの会話を聞かれてしまった、〔古河(こが)〕の富五郎一味の盗人。

205

年齢・容姿:50すぎ。6尺ちかい肥体の大男。目が糸のように細い。動作ものっそり。
生国:下総(しもうさ)国岡田郡(おかだこおり)横曽根村(現・茨城県水海道市大生郷 おおのごう 町)。
「寝牛」といえば天満宮につきもの。さらに〔古河〕の一味ということで、学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラスの堀眞治郎さんが古河市近辺の天神社を探して、大生郷天満宮を見つけた。日本3大天神の一という。
それで、水街道市へでかけてみた。社域そのものはさして大きくはないが、なんでも菅原道真公が現われたとかいう伝説がのこっており、九州の大宰府、京都の北野に次いで3大天神に数えられている。

探索の発端:品川の貴船明神社の床下で昼寝をしていた井関録之助に、〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵と〔鹿川(しかがわ)〕の惣助がかわした極秘の会話を聞かれた。
(参照: 〔鹿川〕の惣助の項)

105
貴船明神社 中央手前が旧東海道に架かる中ノ橋
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

仕掛人を頼んで録之助を襲わせたが、なんと、その仕掛人が同門の菅野伊介だったことから、録之助は20年ぶりに長谷川平蔵を役宅へ訪ねることになった。
録之助の話から、火盗改メは、南品川2丁目に小さな小間物屋〔吉野屋〕をだしている〔寝牛〕の鍋蔵を見張りはじめた。

結末:賊たちが〔吉野屋〕の隣家の質店〔横倉屋」のくぐり戸前へ集結したところで一網打尽。

つぶやき:聖典には、高杉銀平道場の同門およびゆかりの人物が17人登場する。
高杉道場の同門者

[1-2 本所・桜屋敷]   岸井左馬之助
               谷五郎七
[3-6 むかしの男]    大橋与兵衛(久栄の父親)
[5-2 乞食坊主]     井関録之助
                菅野伊助
[7-5 泥鰌の和助始末] 松岡重兵衛(道場の食客)
[8-3 明神の次郎吉]   春慶寺の和尚=宗円
[8-6 あきらめきれずに] 小野田治平
                (多摩郡布田の郷士の三男。
[11-7 雨隠れの鶴吉]    妾の子:鶴吉
[12-2高杉道場三羽烏]  長沼又兵衛 盗賊の首領。
[14-1 あごひげの三十両] 先輩:野崎勘兵衛。
[14-4 浮世の顔]       小野田武吉
                 (鳥羽3万石の家臣)
                 御家人:八木勘左衛門(50石取り)
[15雲竜剣]           堀本伯道(師:高杉銀平の試合相手)
[16-6 霜夜]          池田又四郎
[18-5 おれの弟]        滝口丈助
[20-3 顔]            井上惣助
[20-6 助太刀]         横川甚助(浪人)

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2005.04.14

〔小妻(こづま)〕の伝八

『鬼平犯科帳』文庫巻4に収められている[敵(かたき)〕で、10年前に、父親〔五井(ごい)〕の亀吉を殺害して盗めの分け前を奪ったのは、ならび頭(がしら)だった〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵と、せがれの与吉をそそのかし、〔大滝〕の一味の乗っ取りを策した邪悪な盗人。錠前外しがうまい。
(参照: 〔五井〕の亀吉の項)
(参照: 〔大滝〕)の五郎蔵の項

204

年齢・容姿:中年。細っりとした躰つき。精悍だが陰気な顔貌。
生国:常陸(ひたち)国多賀郡(たがこおり)小妻村(現・茨城県常陸太田市小妻)
豊富な薪炭を利用して銑鉄を移入し、鍬先をつくる鍬鍛冶がさかんな土地、とものの本にある。

探索の発端:三国峠にさしかかった鬼平の剣友・岸井左馬之助が、敵討ちといって切り結んでいる2人の男を見かけた。若い方(与吉)は死んだ。
残った50男(五郎蔵)を尾行して住いをつきとめた左馬之助は、経緯を鬼平に報告、火盗改メによって五郎蔵の身辺が見張られた。

結末:本所の如意輪寺門前の花屋は〔大滝〕の五郎蔵の盗人宿の一つだが、番人の利兵衛が殺された。さらに、小梅村の盗人宿で待っていたのは、〔小妻(こづま)〕の伝八と五郎蔵を裏切った配下の者たちだった。亀吉を殺害したのは、盗め先の女を犯すくせを叱られた伝八だった。
配下にあわや殺されそうになったところへ、五郎蔵を尾行していた鬼平と岸井左馬之助が現われた。

つぶやき:池波さんとしては、密偵たちを束ねていく頭級が欲しかった。そこで、〔大滝〕の五郎蔵に白羽の矢が立った。
おまけに、〔初鹿野(はじかの)]一味の盗人宿の番をしているが、かつては〔蓑火〕の喜之助の下でいっしょだった〔舟形(ふなかた)〕の宗平まで加わったので、鬼平直属の密偵陣の層が一気に厚くなり、物語の展開の前途iに明るさが増し、連載長期化の足固めができた。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔初鹿野〕の音松の項)


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2005.02.17

〔雨引(あまびき)〕の文五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻9の[雨引の文五郎]と巻12[犬神の権三]に登場。〔西尾(にしお)〕の長兵衛一味にいたときは、その右腕だった。長兵衛の歿後は後継者になることを嫌って〔ひとりばたらき〕。
(参照: 〔西尾〕の長兵衛の項)

209

〔西尾〕一味にいたときのライバルだった〔落針(おちはり)〕の彦蔵との因縁の果し合いに勝ったのち、密偵に。
〔ひとりばたらき〕時代の別名は、[隙間風(すきまかぜ)]。
(参照: 〔落針〕の彦蔵の項)

年齢・容姿:[犬神の権三]のとき(寛政5年 1793)33歳。その前年の寛政5年の事件である[雨引の文五郎]では32歳。小柄で矮躯で、その躰の半分はあろうかというほどに長い馬面の顔がのっている。笑うと左の頬に笑くぼがうかび、なんともいえぬ愛嬌があった。
生国:常陸国真壁郡(まかべごおり)本木村あたり(現・茨城県真壁郡大和村。ここの雨引山の中腹に有名な雨引観音がある)。

095
赤印の村々が昭和29年(1954)に大和村となった(経緯はコメント欄に。地図は明治20年制作)

探索の発端:江戸で12件、400両の盗みをし、あとに〔鬼花菱〕の紋章を黒地に白く浮きたたせ、下に朱で〔雨引文五〕と刷った手札をのこす。

099
鬼花菱

さらに、江戸を去りぎわに、自分の彩色人相書を桐箱に入れて鬼平へとどけてきた。
その、これ見よがしのふるまいに、鬼平はよい気もちはしなかった。

2年後、二ツ目通りの茶店〔笹や〕の前を行きすぎた、人相書きどおりの風体の〔雨引〕の文五郎を見かけた鬼平が尾行すると、その前を歩いていた男が、文五郎に匕首をつきつけた。〔落針〕の彦蔵であった。

結末:捕らえた彦蔵を、牢から逃がしたのは、鬼平からいいつかった密偵〔舟形(ふながた)〕の宗平で、密偵たちがみごとに尾行して所在をつかみ、見張っていると、ふたたび、〔雨引〕の文五郎と決闘し、文五郎き縛についた。
(参照: 〔舟形〕の宗平の項 )
刑を受ける代わりに火盗改メの密偵となった〔雨引〕の文五郎は、こんどは〔犬神〕の権三郎を破牢させて因縁に決着をつけようとし、けっきょく自決して果てる。
(参照: 〔犬神〕の権三郎の項)

つぶやき:〔雨引〕の文五郎を売ろうとしなかった密偵〔舟形〕の宗平のいい分がおかしい。
「雨引の文五郎ほどの芸のある盗人に、御縄を頂戴させるのが---ちょいと、その、惜しい気もいたしまして---」
つまり、盗人が盗人に惚れているということで、読み手はその盗人へ、一挙に感情移入をしてしまう---池波小説のヒミツの一つである。

雨引観音を祀っている雨引山楽法寺の事務方の大畑さんによると、楽法寺の住持も『鬼平犯科帳』の大ファンで、ビデオ全巻を購入してひそかに鑑賞されていると。

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雨引山法楽寺の境内。雨引観音は安産子育にご利益があると。


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2004.12.22

〔馴馬(なれうま)〕の三蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻18の[馴馬の三蔵]に登場。

218

年齢・容姿:60近い。中肉中背。頭には白髪が混じっている。
生国:常陸国・稲敷郡 馴馬村(現・茨城県龍ヶ崎市馴馬町)

探索の発端:密偵で船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房〕の粂八が、橋場の料亭〔万亀〕で、〔馴馬〕の三蔵をみかけた。

〔万亀〕の亭主は、〔瀬戸〕の万右衛門という盗賊で、十数年前、東海道・岡部宿で小間物屋をしていた三蔵の女房おみのと、粂八が預けた恋人お紋を惨殺していたのだ。粂八は、〔鮫津〕の市兵衛の仕業とばかりおもいこんでいたのだが。
女房の仇を討つつもりで〔万亀〕に忍びこんだ〔馴馬〕の三蔵だが、逆に用心棒の浪人に背中を刺されて、粂八に抱かれて息絶えた。

事件の結末:〔馴馬〕の三蔵夫婦と、お紋の仇とばかりに、粂八は、〔瀬戸〕の万右衛門の正体を鬼平に告げた。
火盗改メが〔万亀〕へ討ちこんで一味を捕獲したのは、翌朝であった。

つぶやき:深川・石島町の船宿〔鶴や〕をまかされて、女ッ気がないように見える〔小房〕の粂八にも、鮫津の香具師の元締の妾と「無我夢中の仲」となり、駆け落ちまでした過去があったなんて。
若いということは、思いもかけないようなことをしてのけられることでもあろうか。

いや、いまの粂八の奇妙なのは、19歳のとき、〔血頭〕の丹兵衛一味にいて、おつとめの先の下ばたらきの女に手をつけて破門されたほど女好きだったのに、いまは、妙に悟りすましていること。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)

茨城県 龍ヶ崎市市役所商工観光課 観光物産係 青山 さんからの連絡---
明治22年、「馴馬(なれうま)村」と「若柴(わかしば)村」が合併して「馴芝(なれしば)村」となりました。
昭和28年、「馴芝村」は龍ヶ崎市へ併合。
市の北部に位置している馴馬集落は、比較的古い集落で、1402年の文書に記述があります。
来迎院(らいこういん)と日枝(ひえ)神社という古い史跡もあります。
また、馴馬城跡もあり、南北朝の時代には、存在していたそうです。

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