カテゴリー「110埼玉県 」の記事

2005.11.22

〔狢(むじな)〕の豊蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻16にはいっている[見張りの糸]は、品川の旧友宅へ一泊した〔相模(さがみ)〕の彦十が、飯盛旅籠から出てきた〔狢(むじな)〕の豊蔵の弟の〔稲荷(いなり)〕の金太郎(50がらみ)を見かけて尾行(つ)け、三田八幡宮(御田八幡神社 港区三田3丁目)門前の茶店〔大黒や〕へはいっていったのを突きとめたことから、2重3重の事件へと発展していく物語。
(参照: 〔稲荷〕の金太郎の項)

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品川駅(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:どちらの記述もないが、弟の年齢から推察して、60歳前か。剽軽(ひょうきん)。
生国:武蔵(むさし)国比企郡(ひきこおり)上狢村(現・埼玉県比企郡川島町上狢)。

探索の発端:上記のとおり。〔狢〕の豊蔵が登場するのは名前のみ。

結末:したがって、捕縛もない。

つぶやき:鳥山石燕『画図百鬼夜行』に、なんとも剽軽(ひょうきん)でとぼけた風貌の「狢」が描かれている。池波さんの「剽軽」との表現の出所であろう。
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絵に添えられているのは---、
「狢の化(ばく)る事、おさおさ狐狸におとらず。ある辻堂に、年ふるむじな僧とばけて、六時の勤(つとめ)おこたらざりしが、食後の一睡にわれを忘れて尾を出せり」
あくまで、剽軽。

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2005.09.19

〔浅羽(あさば)〕の久蔵

『仕掛人・藤枝梅安』文庫巻3におさめられている[梅安流れ星]で、7年前に、借財がたまっている木挽町3丁目の料亭〔吉野屋〕の謝金を肩代わりして店を手にいれたばかりか、娘のお園(当時20歳)の亭主におさまった元盗賊の首領〔浅羽(あさば)〕の久蔵は、かつていっしょに盗めた浪人・林又右衛門(37,8歳)に500両という大金をゆすられている。ときは寛政12年(1800)の晩秋。
(参照: 浪人・林又右衛門の項)

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年齢・容姿:47歳。でっぷりとした体格。精力的な風貌。
生国:武蔵(むさし)国入間郡(いるまこうり)浅羽村(現・埼玉県坂戸(さかど))市浅羽)
林又右衛門の言によると、全国をあらしまわったらしいから、さいきん、袋井市に合併された浅羽町(旧磐田郡)であってもおかしくはない。池波さんは、当町の馬伏塚(まむしづか)城址を訪れて、〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛という盗っ人も創作している。
(参照: 〔馬伏〕の茂兵衛の項 )
池波さんの取材ということでは、南端が川越市に接している坂戸市へも足がむいていたとおもわれる。とくに、『万葉集』の「浅羽の野」、
 紅の浅羽の野らに刈る草の束の間も吾を忘らすな
に魅かれて、坂戸市の「浅羽」にしたとおもいたい。

結末:「蔓」の〔玉屋〕七兵衛が、彦次郎にいちど命じた仕掛けを中止したことから、疑惑がしょうじた。仕掛ける相手は、林又右衛門で、これには梅安の同朋の小杉十五郎のこともからんでいたからである。梅安と彦次郎は、仕掛け金抜きで又右衛門をしとめたため、〔浅羽〕の久蔵は、又右衛門に誘拐されていた愛娘お梅(5歳)も取りもどすことができた。

つぶやき:〔浅羽〕の久蔵への林又右衛門の誘拐と恐喝、さにらは又右衛門が請け負っている小杉十五郎の抹殺、〔玉屋〕七兵衛が仕掛けてくる彦次郎の始末---と、ストーリーは込み入っているが、さすが、池波さんは巧みな筋はこびで、読み手をみちびく。
誘拐は、池波小説にはしばしばつかわれるテではある。

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2005.09.11

〔羽沢(はねざわ)〕の嘉兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻5でタイトルになっている[乞食坊主]こと鬼平の剣友・井関録之助に、南品川の貴船明神社(現・荏原神社  品川区北品川3丁目)境内で盗めの会話を聞かれてしまった、〔古河(こが)〕の富五郎一味の盗人たちは、100両を金策し、録之助殺しを、両国一帯の香具師の元締・〔羽沢(はねざわ)の嘉兵衛へ頼み込んだ。
嘉兵衛は、仕掛人の菅野伊介へいいつけた。ところが、伊介も高杉道場で同門だったために、奇計を案じて、六之助のボロ法衣に犬の血を塗って、首尾をごまかした。

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年齢・容姿:あくまでも蔭の人物扱いなので記述がない。[乞食坊主]の篇は寛政元年(1789)の事件だが、寛政4,5年(1792-3)とおぼしい『闇の狩人』(新潮文庫)では、2年前に没したことになっている。
一方、寛政11年(1799)の事件が描かれる『仕掛人・藤枝梅安』(講談社文庫)の第1話[おんなごろし]では健在。
要するに、年齢不詳。容姿はいかにも香具師の元締風と。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡羽沢(はねさわ)村(埼玉県富士見市羽沢)。
葛飾あたりから江戸へ出てきて、さまざまな闇の仕事に手をそめてのしあがったのであろう。
武蔵(むさし)国橘樹郡羽沢(はさわ)村(現・神奈川県横浜市神奈川区羽沢町)ははずした。

探索の発端;〔古河(こが)〕一味には、録之助の注進によって火盗改メの見張りがついた。
・〔羽沢(はねさ゛わ)の嘉兵衛のほうには、さすがの火盗改メも、いまのところは手を打つすべがない。

結末:古河一味は捕縛されたが、〔羽沢の嘉兵衛には手つかず。

つぶやき:、『仕掛人・藤沢梅安』の第1話[おんなごろし]で、羽沢(はねざわ)の嘉兵衛の依頼で、薬研堀の料亭〔万七〕の先妻おすずを仕掛けたのは32歳のとき、寛政8年(1796)であった。
『闇の狩人』に描かれている年代を推測する唯一の手がかりは、安永元年に刊行された黄表紙『運附太郎左衛門咄』について、「20何年前に発行された」とある箇所がそれ。試算すると寛政4,5年になる。

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2005.08.19

〔牛久保(うしくぼ)〕の甚蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録されている[浮世の顔]で、板橋の上宿のほうからやってきて、ちらっと姿を見せたところを、いまは密偵になっている〔大滝〕の五郎蔵に見かけられる。
五郎蔵の鬼平への甚臓評。「むかし、二度ばかり、私の盗めに使ったことがございます。はい、一人ばたらきのしっかりした男で、ずいぶんと役には立ちましたが、どうもその、肚(はら)の底が知れねえような気がいたしまたので----それっきりになったのでございます」
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

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年齢・容姿:50を越えている。容姿は記述されていない。
生国:武蔵(むさし)国都筑郡(つづきこうり)牛久保村(現・埼玉県坂戸市善無能寺)
江戸時代の牛久保村は、善能寺村の北東にくっつくようにしてあった小村という。戸数5軒、田21石余、畑7石というから、ほんとうに小さな貧しい村だったにちがいない。いつのまにか善能寺村にのみこまれてしまっていた。
そんな土地で育った甚蔵が、めったに腹の底を他人には見せない男に育ったのもなんとなくわかるような気がする。
それよりも気にかかるのは、小さくて村名名も消えてしまったような村を、池波さんはどうやって知ったかである。

探索の発端:石神井川に架かる板橋をわたった甚蔵が川ぞいに右へ折れて、突当りの旅籠〔上州屋〕へ入っていったことから、そこが5年ほど前から〔神取(じんとり)〕の為右衛門の盗人宿に変っていたのである。
(参照: 〔神取〕の為右衛門の項)

結末:[神取(じんとり)〕の為右衛門の項に記したとおり、一味18名が、深川の上大島町の釘鉄銅物問屋〔釜屋〕へ押し入ろうとしたところを、40人を動員して網をはっていた火盗改メが捕らえた。うち、抵抗した5名は斬殺。

つぶやき:〔帯川(おびかわ)〕の源助と、〔門f原(もんばら)〕の重兵衛の現地取材で、長野県下伊那郡阿南町を訪れたとき、「牛久保」という地名銘板をみかけた。しかし、『旧高旧領』にも載っていない地名なので、逡巡のすえ、坂戸市をとった。
(参照: 〔帯川〕の源助の項)
(参照: 〔門原〕の重兵衛の項)
 

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2005.08.13

〔稲荷(いなり)〕の金太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻16にはいっている[見張りの糸]は、品川の旧友宅へ一泊した〔相模(さがみ)〕の彦十が、〔狢(むじな)〕の豊蔵の弟の〔稲荷(いなり)〕の金太郎を見かけて尾行(つ)け、三田八幡宮(御田八幡神社 港区三田3丁目)門前の茶店〔大黒や〕へはいっていったのを突きとめた。

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三田八幡宮(『江戸名所図会」 塗り絵師:西尾 忠久)

さっそくに、〔大黒や〕の向いの、〔京 御仏像厨子・御位牌 和泉屋〕忠兵衛方に二階に見張り所が設けられた。

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年齢・容姿:50がらみ。身なりはさっぱりした商人風。
生国:武蔵(むさし)国比企郡(ひきこうり)上狢(かみむじな)村(埼玉県比木企郡川島町上狢(かみむじな))。
生国調べで苦労する「通り名(呼び名)」が、どこにでもある「追分」「落合」「押切」「神明」「下山」などである。〔稲荷」にいたっては、ちゃんとしてたものだけでも全国に12万社あるといわれている。
しかし、〔稲荷〕の金太郎の場合は、兄が〔狢(むじな)〕を名乗っている。それで埼玉県の川島町(かわじわまち)が候補にのぼった。
地図を見ると、町の北端に「稲荷塚古墳」があり、角川『日本地名大事典』の近世の項に、上狢の稲荷社は「上・下狢村、下新堀村の鎮守」とある。

探索の発端:先記したように、彦十が北品川の手前の歩行(かち)新宿2丁目の飯盛旅籠からでてきた金太郎を尾行して住いを突きとめた。

結末: 2件の結末がある。1は、見張り所として借りている仏具屋〔和泉屋〕忠兵衛方を襲った賊を、鬼平と沢田小平次が処置したの。
2は、〔稲荷〕の金太郎一味17名が押し入ろうとしていた赤坂・伝馬町の乾物問屋〔丸屋〕で捕縛されたの。

つぶやき:「狢(むじな)」を探していて、「稲荷塚古墳」にあたったのは幸運であった。こうなったら、上狢の稲荷社へお礼詣でをしなくては、な。

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2005.07.13

〔墓火(はかび)〕の秀五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻2に所載されている[谷中・いろは茶屋]は、寛政3年(1791)晩夏、シリーズきっての愛すべきコメディー・リリーフ兎忠こと同心・木村忠吾(24歳)が1番手柄を立てる篇である。共演者は、谷中の遊所・いろは茶屋〔菱屋〕の娼妓お松と、兇盗〔墓火(はかび)〕の秀五郎である。

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年齢・容姿:50男。でっぷりとした、大様な風貌、どこにあるかわからないほどの細い眼。
生国:武蔵(むさし)国埼玉郡(さきたまごおり)粕壁宿(現・埼玉県春日部市粕壁)。
いろは茶屋〔菱屋〕では「川越の大きな問屋の主」を自称しているので、最初は川越市(埼玉県)の生まれかとおもっていたが、まさかのときの手配をミス・リードするための、手のこんだ韜晦と判断した。

探索の発端: 20年前、〔墓火〕の秀五郎は〔血頭(ちがしら)〕の丹兵衛の上方での盗めを助(す)けたことがあった。そのときに伏見の娼家でなじんだお松に、〔菱屋〕のお松が似ていた。それだけではなく、店の者やお松が家庭の雰囲気で迎えてくれるのが嬉しかった。

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谷中の〔いろは茶屋〕(『歳点譜』より 塗り絵師:西尾 忠久)

(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
それで、お松が熱をあげている信州・上田の若い浪人(じつは木村忠吾の偽称)へ、揚げ代として10両(いまなら100万円相当)もの金をお松へ渡してやった。それず命とりになるとも知らずに。

書類づくりに部署替えになった忠吾は、辛抱たまらず、夜分に役宅の長屋を抜け出して谷中へ走ったが、一乗寺(台東区谷中1丁目)の脇で、盗み装束の一団を発見、彼らが引き上げていった家の前の上聖寺(台東区谷中1丁目)の塀に梯子をかけて監視するとともに、寺の者を役宅へ走らせた。

結末:捕らえた老人と下ッ端の男の自白から、〔墓火(はかび)〕の秀五郎の本拠、日光街道の武州・粕壁の旅籠〔小川屋〕がわかり、鬼平みずから14名をしたがえて出張り、仙台での大仕事をたくらんでいた一味の12名を逮捕。死罪であろう。

つぶやき:寛政3年(1791)より20年前といえば、明和8年(1771)で、この秋、平蔵の父・宣雄が火盗改メ・助役(すけやく)を命じられた。〔小房〕の粂八は17歳で、丹兵衛の破門されたのはこの2年後。すでに〔血頭〕一味にいたのだろうか。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
それにしても、2年後に押し入り先の下女に手をだした粂八を追放するほど本格派だった丹兵衛が、そのころから恐ろしげな〔血頭〕を名乗っていたとは---。

〔墓火〕の秀五郎がお松に語ったという「人間という生きものは、悪いことをしながら善(よ)いこともするし、人にきらわれながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている---」の至言は、池波さんが長谷川伸師から受けついだものである。

付記:鳥山石燕『画図百鬼夜行』に、[墓の火]と名づけられた化け物が描かれている。池波さんは、〔墓火(はかび)〕の秀五郎の「通り名(呼び名)〕を、この化け物から借りたのであろう。
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絵に添えられている文は、
「去るものは日々にうとく出るものは日々にしたし。古きつかはく犁(すか)れて田となり、しるしの松も薪となりても、五輪のかたちありありと陰火(いんくわ)のもゆる事あるは、いかなる執着の心ならんかし」

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2005.07.06

〔牛子(うしこ)〕の久八

『鬼平犯科帳』文庫巻23は長篇[炎の色]で、密偵おまさと〔荒神(こうじん)〕の2代目を継いだ女賊お夏が出会う。これに、〔峰山(みねやま)〕の初蔵一味がからむ。
(参照: 女密偵おまさの項 )
(参照: 〔荒神〕のお夏の項)
(参照: 〔峰山」〕の初蔵の項)
〔牛子(うしこ)〕の久八は、〔峰山〕一味。

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年齢・容姿:中年。おだやかな口調。
生国:武蔵(むさし)国入間郡(いるまこうり)牛子村(埼玉県川越市牛子)
頭の〔峰山(みねやま)〕の初蔵が丹後(たんご)国の生まれなので、上方かとおもったが、どこにでもありそうな地名なのに、近畿・西国にはなかった。
宮城県伊具郡丸森町にあったが、おまさがつれていかれた盗人宿が千住大橋より上流ということで、川越近辺の出身とみた。

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千住大橋 宮城村は川上(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

探索の発端:〔峰山〕の初蔵から、、〔荒神〕一味と組んでやるお盗めを手伝うように声をかけられた密偵おまさを、送り迎えの舟で目隠しをしたのが〔牛子〕の久八であった。

結末:荷舟で箱崎町2丁目の醤油酢問屋〔野田屋〕のかたわらへ乗りつけてきた〔峰山〕一味は〔牛子〕の久八も、〔荒神〕一味とともに、待ち構えていた火盗改メと船手方・向井将監の手の者たちに逮捕されたが、〔峰山〕の初蔵は鬼平に斬って捨てられた。

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新大橋と三ッ又 富士の方角の川筋に箱崎町2丁目
(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

つぶやき:〔峰山(みねやま)〕の初蔵は、〔荒神(こうじん)〕一味の幹部級〔天徳寺〕の茂平を調略して、寝返らせていた。もし、逮捕がなければ、〔荒神」のお夏は、もっと痛いおもいをしていたのではなかろうか。池波さんによる、盗人仲間の調略の結末を見たかった。

埼玉県川越市 市役所観光課 渡辺 さんからのリポート

「牛子村」は、明治22年(1889)4月1日、同村を含む8ヶ村が合併して、南古谷村となりました。
昭和30年4月1日、南古谷村を含む9ヶ村が川越市に合併、現在の市域となりました。牛子は当市の南東に位置しています。
なお、上記は川越市立博物館で確認したものです。

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2005.07.01

〔入間(いるま)〕の又吉

『鬼平犯科帳』文庫巻19に収められている[逃げた妻]は、下谷・坂本裏町に住む浪人・藤田彦七(34,5歳)とその妻りつ(28歳)の物語である。
りつは、家に碁をうちにきていた同じ浪人・竹内重蔵に誘惑され、夫とむすめ(7歳)を捨てて出奔した。
藤田彦七と同心・木村忠吾は酒友だちである。湯島天満宮裏門前の酒場〔次郎八〕で知り合った。
そして藤田の妻から「助けてほしい、許してほしい」との手紙がきていることを知らされた。
竹内重蔵と〔入間(いるま)〕の又吉とのつながりは、藤田も忠吾もまったく知らない。

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年齢・容姿:年齢の記載はないが、30代とおもわれる。色白で鼻がつんと高い。背丈は尋常。細竹のよう引きしまった躰。身が軽い。
生国:武蔵(むさし)国入間郡(いるまごうり)入間(いるま)村(現・埼玉県狭山市入間町)
(いりま)と読むと、調布市入間町だが、(いるま)とルビがふられているので、狭山市を採った。

探索の発端:木村忠吾から藤田浪人の妻りつの一件の報告を受けた鬼平は、手紙が指定している大塚の波切不動の門前茶店を下見していた。と、西から富士見坂をのぼってくる〔燕小僧〕こと〔入間〕の又吉を見かける。

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大塚・波切不動堂(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

尾行すると、小石川の氷川神社前の農家に入った。そこには、藤田の逃げた妻・りつのほか、竹内重蔵もいたではないか。

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小石川・氷川明神社(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

結末:両国の軽業師あがりで急ぎばたらき専門の〔入間〕の又吉は、釘抜きを鼻へくらって昏倒、竹内浪人は頬を切られ、腹に峰撃ちをうけた失神。2人とも捕縛。

つぶやき:〔入間〕の又吉を尾行の途中、鬼平は古ぼけた釘抜きを拾い、あとで又吉の身動きを封じてしまうが、長谷川家の替紋が「釘貫(くぎぬき)」であったことを、池波さんはこの篇のどのあたりを執筆していておもいだしたか。

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2005.06.13

〔久保島(くぼしま)〕の吉蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、長篇[迷路]である。〔猫間(ねこま)〕の重兵衛こと、かつての御家人の息子・木村源太郎が陰の主人公で、さまざまな手段を使って鬼平を悩ます。
それというのも、鬼平が銕三郎時代に、源太郎の父で無頼漢として悪名の高かった惣市(50を超えていた)を砂村の海辺で斬って殪したことがあった。
(参照: 〔猫間〕の重兵衛の項)
もっとも、源太郎は「親父がくたばって、せいせいした」と銕三郎に接近してき、2人して無頼に明けくけれていたとき、〔久保島(くぼしま)〕の吉蔵の「盗みばたらきに手を貸してくれ」といった。
断りきれなかった銕三郎は、盗みの当夜、見張りをつとめた。

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年齢・容姿:どちらも記されていない。なにしろ、20数年も前のことである。
生国:武蔵(むさし)国幡羅郡(はたらこうり)久保島(くぼじま)村(現・埼玉県熊谷市久保島)
幡羅郡に(はら)とルビをふっているリファレンス本(平凡社『日本歴史地名大系 埼玉県篇』)もある。
池波さんは(くぼしま)とにごらないでルビをふっているが、地元では(くぼじま)とにごっている。
江戸期の初期までは「窪島」と書いたが、幕臣・大久保氏の知行地となって「久保島」としたようである。

探索の発端:押しこんだのは南新堀の傘問屋で金貸しもしていた〔大坂屋〕だが、探索もなにも、銕三郎自身が参加したのだから、逮捕劇もない。ただ、銕三郎のつよい要請で、血をみることはなかった。

結末:銕三郎は、吉蔵がくれた割り前金をそっくり、〔相模(さがみ)〕彦十と〔鶴(たずがね)〕の忠助へわたした。
(参照: 〔鶴〕の忠助の項)

つぶやき:文庫巻7の[泥鰌の和助始末]では、20になるかどうかの銕三郎が〔相模〕の彦十に誘われて、〔泥鰌(どじょう)〕の和助のお盗めを手伝おうとしたことがあったが、松岡重兵衛にさとされて手を汚さずにすんだ話が書かれている。
ところがこの長篇では、〔久保島(くぼしま)〕の吉蔵に実際に手を貸したことになっている。なんとも割り切れない。


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2005.04.23

〔鷹ノ巣(たかのす)〕の新五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻21に収録の[春の淡雪]に点景のように登場する首領。

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年齢・容姿:点景あつかいなので、どちらも記述されていない。
生国:]武蔵(むさし)国男衾郡(おぶすまこうり)鷹巣村(現・埼玉県大里郡寄居町鷹巣)。
聖典は「鷹ノ巣」と記しているから、最初に美濃国加茂郡鷹ノ巣村(現・岐阜県美濃加茂市鷹之巣)を考えた。
また、〔雪崩(なだれ)〕の清松と知り合いという線から、雪の多い土地の出身とふんで、秋田県北秋田郡鷹巣町鷹巣も考慮してみた。
が、あれこれの候補地の中から「寄居町」の文字が目に入った瞬間、ここに決めた。
池波さんに『よい匂いのする一夜』(講談社文庫 初出:『太陽』1979年7月号-56年5月号)という、宿についてのエッセイ集がある。中の1軒が寄居町の〔京亭〕である。池波さんは、『偲びの旗』の冒頭場面のロケーションを書くためのほか、よほど気にいったか、その後も幾度も宿泊している。

探索の発端: 〔鷹ノ巣〕の新五郎の押し込先の、麹町の薬種店〔小西〕方は、もともとは〔池田屋〕五平が立てた計画であった。それを〔雪崩(なだれ)〕の清松と〔日野(ひの)〕の銀太郎が〔鷹ノ巣〕へ売ったものだ。
同心・大島勇五郎の密偵でもある清松に疑いをかけていた火盗改メは、〔池田屋〕一味をさぐりだし、〔小西〕方へ網を張った。
(参照: 〔池田屋〕五平の項)

結末: 〔小西〕方へ押し込む寸前に、待ちかまえていた鬼平軍団に、全員、あっけなく逮捕され、伝馬町の大牢屋送り。たぶん、死罪。

つぶやき:この盗人の生国調べは、池波さんの取材先・訪問先リサーチでもある。と同時に、過去の旅行先をどのように思い出して活用するのか、作家の頭脳の働きをのぞくことにもつながる。創作の楽屋裏調べという品がないが、クリエイティヴ・プロセスの追跡というと、なにやら、ありがたく聞こえる。
今度の〔鷹ノ巣〕の寄居町のように、そけがズバリときまると、爽快ですらある。。

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2005.04.16

〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(その2)

〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵は、鬼平直属の密偵群のなかでも、キー・メンバーの一人である。
この人の生国の推理にあたり、まず、池波さんが座右に置いてつねに開いていた恩恵の書---吉田東伍博士『大日本地名辞書』(明治33-)を参照にした。

「大滝」という村名は、
 ・大和(現・奈良県吉野郡川上村)
 ・近江(現・滋賀県犬上郡多賀町)
 ・紀伊(現・和歌山県伊都郡高野町)
 ・越前(現・福井県今立郡今立町)
 ・越中(現・富山県西砺波郡福岡町)
 ・美濃(現・岐阜県不破郡垂井町)
 ・信濃(現・長野県下高井郡野沢温泉村)
 ・武蔵(現・埼玉県秩父郡大滝村)
 ・上総
 ・羽前(現・山形県最上郡小国町)
 ・羽後(現・秋田県大館市)
---の11カ所あった。

うち、『新記』を引用したものを、自分で勝手に現代文に直して読んだ、武蔵国秩父郡大滝村の文章につよく魅かれた。

秩父郡の山奥は、山々の峰が四方八方に聳えて平地はなく、耕しているのはすべて火耕(焼畑)の畑である。
栽培がいかに困難かは、種蒔きの春期から初冬のころまでは、山をへだて谷をこえたそれぞれの畑へ掘立小屋を結び、夫妻母子がばらばらにはなれて移り住み、実が熟す時期になると、昼は猿を防ぎ、夜は猪や鹿を逐って声をあげ、板木を鳴らさなければならないので、朝まで眠ることができない。
野生の獣のなかでも、猪と鹿の害がもっとも多いため、各家に四季、鉄砲や猟師筒を備えている。
それでも、収穫は半年分ほどしかまかなえない。橡(とち)の実や栗でおぎなっているありさまだ。
住民の姿態をみるに、ほとんどの者が髪はそのまま伸ばし、髭などものびるにまかせており、裾のみじかい単衣で、冬はそれを重ね着してすごしている。(後略)

読んだ池波さんの頭にも即座に、口べらしのために村を出て、盗賊団に身を投じた五郎蔵の姿が思い浮かんだろう、と推測した。

(その1)に記した、滋賀県多賀町の富之尾の記述のことを聞くまで、ぼくは目を、ずっと、秩父の大滝村にそそぎつづけており、大滝村長にいくたびか問い合わせたが、返事はなかった。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

多賀町の大滝神社を先に取材したので、4月に入ってついに腰をあげた。西武池袋線の特急(1時間ごと)で[西武秩父]駅まで約1時間半。飯能からは単線で谷間を縫う。幾重もの谷間ごとに小川があり、鉄橋をわたる。
杉林が車窓へ迫ってくる印象は、会津若松への行程に似ていた。

秩父鉄道[御花畑]駅へ移り、1時間に1本の電車で[三峰口]へは25分ほど。

これまた1時間に1本きりの西武バスで、[大滝総合支所]へ。
荒川べり沿いに造られた道を上流へ遡行。両岸は道はともかく、ぎりぎりまで山がせまっている。
奇岩巨石を洗う水流は、ここで瀬となり、かしこでぼくが小学(国民学校)1年生のときに泳ぎをおぼえたような淵をつくる。

「奥秩父」とはよくぞ名づけた。

バスの運転士に「村役場で降りたい」とつげると、「大滝総合支所で下車です」との答え。「?」と思ったが、下車すると、庁舎の前に「閉村の碑」が。

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村役場前だったバス停も名前が変わった

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閉村の碑におもわず「ギョッ」

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大滝村時代のなごり。花はシャクナゲ、木は橡(トチ)、鳥はコマドリ

大滝村は、この4月1日に、埼玉県秩父市大滝に変わっていたのである。
http://www.city.chichibu.saitama.jp/
五郎蔵のころは、武蔵国秩父郡大滝村で、東西に15キロものびた平地のない寒村だつた。

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中学校へ通じる大中橋から荒川下流をのぞむ

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2005.03.31

〔鹿山(かやま)〕の市之助

『鬼平犯科帳』文庫巻8に収録の[流星]で、大坂の艾問屋[山家屋]仙右衛門と組んで大仕掛けの悪業を働く兇賊の首領。

208

年齢・容姿:荒っぽい所業をつづけているにもかかわらず、記載がない。
生国:武蔵(むさし)国高麗郡(こまこおり)鹿山(かやま)村(現・埼玉県日高市鹿山)

探索の発端:長谷川組の同心・原田一之助の妻女きよが白昼、四谷御門外で惨殺された。つづいて与力・三浦助右衛門の次男・又二郎が三光院稲荷のところで襲われて死亡。
浅草・北馬道の味噌問屋〔佐野蔵〕と、本郷2丁目の扇問屋〔太田屋〕が同じ日に押し入られて一家皆殺し。
先手弓組の山本伊予守組の同心・木下与平治が暗殺されたのにつづき、火盗改メの役宅の門番が斬り殺された。
そして、思案橋ぎわの船宿〔加賀屋〕の船頭・友五郎が仮親をつとめていた、故・〔飯富〕の勘八お頭の遺児・庄太郎が奉公先から行方不明となり、友五郎も姿を消した。
(参照: 〔浜崎〕の友蔵の項)
ここへきて、探索は、友五郎がむかしやっていた川越船頭の新河岸川向けられた。

結末:新河岸川(しんがしがわ)ぞい、福岡村のあたりの廃寺に、〔鹿山(かやま)〕一味と仙右衛門の配下が長谷川組の急襲を受け、18名逮捕。盗人たちは死罪。手伝わされた友五郎は遠島。
庄太郎は染井村で無事に救出。

つぶやき:ノンフィクション作家・後藤正治さんが日経新聞(2005.03.19)夕刊「あすへの話題」に、「究極の読書」と題して書いていた。
睡眠薬代わりの読みものには、「もっぱら池波正太郎氏の『鬼平犯科帳』のお世話になっている」「全巻、一度は読んだはずであるが、筋はすっかり忘れていて、常に新刊をひも解いている感がある」「前夜、読んでいたところもすっかり忘れてしまっていて、同じページを何度もめくるテイタラクなのだ」「悪党盗っ人は最後、切られて、鬼平の刀の錆びとなってしまう。勧善懲悪、寝床の本は罪がないのが一番である」
「睡魔のなか現世幽界さだかならぬ読書。これぞ究極の読書というべきか」

後藤さんが記している点が、池波小説の特長であり、泣きどころでもあろうか。

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2005.02.28

〔赤尾(あかお)〕の清兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻14に所載の[さむらい松五郎]に、ちらっと出てくる、高崎在住の〔口合人〕。

214

年齢・容姿:まったく記述されていない。
生国:武蔵(むさし)国入間郡(いるまごおり)赤尾村(現・埼玉県坂戸市赤尾)
甲斐(かい)国山梨郡(やまなしごおり)赤尾村(現・山梨県塩山市赤尾)の線もすてがたいが、距離的に、こちらは高崎まで山また山で、街道づたいだとゆうに120キロを越してしまう。
坂戸市の赤尾からだと、50キロだし、絹の流通路づたいなので。

探索の発端:同心の兎忠こと木村忠吾が、非番の日に、中目黒の威得寺へ仲のよかった密偵・伊三次の墓参に行った。忠吾は、自家の墓域の横に伊三次を葬ってやっていたのである。
帰路、不動前の〔桐屋〕で、お頭の奥方のために、黒飴をもとめていたところ、〔須坂(すざか)〕の峰蔵と名のる盗人に肩をたたかれ、自分が〔さむらい〕松五郎こと〔網掛(あみかけ)〕と瓜二つであることを知った。
〔さむらい〕松五郎に化けきった忠吾の働きにより、、〔須坂)〕の峰蔵がいま助(す)けようとしていた〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七一味の動きもつかめた。
峰蔵を〔轆轤首〕へ引き合わせたのが、〔赤尾(あかお)〕の清兵衛だった。

結末:〔轆轤首〕の藤七一味はもちろん、ほんものの〔さむらい〕松五郎と〔須坂〕の峰蔵も、火盗改メの手によって捕縛された。〔轆轤首〕の藤七一味はとうぜん死罪。〔須坂〕の峰蔵は密偵になったろうが、記録はない。
〔赤尾〕の清兵衛にも手がまわったはずだが、これも書き残されてはいない。

つぶやき:〔口合人〕という新語を考案した池波さんのネーミング上手を確認するために、〔赤尾〕の清兵衛に登場してもらった。
〔口合人〕---いまふうにいうと、人材派遣業。盗賊界専門の〔口入れ屋〕である。盗賊界専門というところが目新しい。たしかに、表向きにはできない人材派遣業者ではある。

30年ほど前、ニューヨークの広告界を取材していたとき、コピーライターとかアート・ディレクター専門の〔口入れ屋〕のことを、〔パーソナル・エージェント〕と聞いた。いや、「パーソナル・エージェント」とは人材派遣業者全般をさす言葉かもしれない。

しかし、話してくれたのがコピーライターだったから、そのときは広告制作技術者専門の〔口入れ屋〕と受けとめた。
仕事先を依頼した側からは月収分、制作技術者を紹介してほしがった企業側からも月収分の紹介料をもらうのだとか。それで、人材の移動を激しくして稼ぎを大きくするために、1、2年単位で辞めさせてつぎの職場に送り込むタチの悪い〔口合人〕もいるのだとか。

池波〔口合人〕の紹介料は、いかほどだったのだろう。

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2005.02.24

〔浜崎(はまざき)〕の友蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻6の[大川の隠居]で堅気の船頭・友五郎として登場。その後、巻8[流星]ほかでも顔を見せる。

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年齢・容姿:寛政3年(1791)の初秋の事件、[大川の隠居]では68歳。[流星]は翌々5年(1793)の事件。
日増しの焼竹輪のような肌色。棹をあつかう手さばきはみごと。
生国:武蔵国新座郡(にいざごおり)浜崎(はまさき)村(現・埼玉県朝霞市浜崎)
池波さんのルビは(はまざき)だが、地元での発音は(はまさき)と濁らないと。

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明治19年(1886)ごろの川越-浜崎

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上記の地図の部分拡大

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〔浜崎〕の友蔵が川越船頭として雇われたかもしれない上福岡の回漕問屋〔福田屋〕。
上福岡市立河岸記念館となつている入館チケット

探索の発端:風邪で伏せっていた鬼平の寝間から、亡父ゆずりの煙管を盗んでいった者がいた。
快気祝いを兼ねた鬼平は、剣友・岸井左馬之助と連れだって、思案橋たもとの船宿〔加賀や〕から舟を出した。と、船頭の友五郎が、長谷川家の替紋「釘貫(くぎぬき)」を彫りこんだ煙管をだしてくゆらせたではないか。
密偵の〔小房〕の粂八にいいつけてさぐらせてみると、友五郎は10年ほど前に、〔飯富〕の勘八一味で右腕として段取りをしきっており、粂八もその薫陶を受けたものであった。
(参照: 〔飯富〕の勘八の項)
そこで鬼平が、煙管を取りもどすための一計を案じた。

結末:今戸橋ぎわの料理屋〔嶋や〕で友五郎に酒をすすめた鬼平は、煙草入れからくだんの煙管を取り出して一服つけた。
と、友五郎の手から盃が、音をたてて落ちた。

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亡父・宣雄が特注した煙管師・後藤兵左衛門(赤印)
文政12年(1829)ごろ刊行の京都の問屋名鑑『商人買物独案内』

つぶやき:池波さんが少年時代をすごした永住(ながずみ)町の東には、新堀川が流れていた。その対岸の竜宝寺(台東区寿 1-20- 4)は、別名「鯉寺」と呼ばれている。目の下4尺5寸もあった巨鯉の供養塚が建立されているからである。

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竜宝寺(鯉寺)の正面。かつては新堀筋に面していた。

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「大川の隠居」の巨鯉のモデルの供養塚

この巨鯉が、大川の隠居のモデルである。少年時代に鯉塚の由来を知った池波さんの胸の中で、[大川の隠居]の物語はしずかに発酵してい、『鬼平犯科帳』随一の佳篇に育った。

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2005.02.09

〔伊勢野(いせの)〕の甚右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻6に所載[猫じゃらしの女]で、本拠の武州・熊谷から、江戸でのお盗めをたくらんで、浅草・新堀端の荒物屋を買い、とりあえず本郷5丁目の薬種問屋〔堺屋〕に目をつけていた。

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年齢・容姿:老爺とあるから、そうとうに高齢なのかも。容貌は書かれていない。
生国:埼玉県八潮市に「通り名」の伊勢野という町名がある。

探索の発端:[伊勢野〕一味が、40両の約束で〔型師〕の卯之吉から入手しようとしていた〔堺屋〕の金蔵の錠前の蝋型を、卯之吉が寸前に70両に値上げしたため、怒った〔伊勢野〕の甚右衛門が卯之吉を幽閉してしまった。
(参照:〔伊勢野〕の甚右衛門に型師・卯之吉を紹介した、 〔中釘(なかくぎ)〕の三九郎 の項)
危険を察知した卯之吉は、蝋型を提灯店の娼婦およねに預けていた。
それを伊三次が見つけて、蝋型を受け取りに来た〔伊勢野〕一味の者を尾行し、盗人宿を突き止める。

結末:残りの一味は熊谷まで出張った長谷川組に、本拠で追捕された。これまで上州・信州で犯した盗みの数々により、獄門のはず。

つぶやき:卯之吉の二枚舌は、〔伊勢野〕一味から仕置きをうけてとうぜんなのに、つい、読み落としていたのが、〔伊勢野〕の甚右衛門の「殺傷ぎらい」の一行。
殺傷ぎらいの甚右衛門が卯之吉に死にいたるほどの仕置きをしたのだから、盗人仲間での二枚舌はそれほどに忌みきらわれていたということだ。

いや、なに、ふつうの世間でも、二枚舌は信用の死滅にあたいする。、

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2005.02.06

〔中釘(なかくぎ)〕の三九郎

『鬼平犯科帳』文庫巻6の[猫じゃらしの女]に、上州・信州一帯をあらしまわっていた〔伊勢野〕の甚右衛門一味が、初めて江戸進出をくわだてたとき、上州・高崎に本拠をおく〔中釘〕が、外神田・山本町代地に住む〔型師〕の卯之吉を紹介した。

年齢・容姿:触れられていない。
生国:武州・大宮の中釘郷か?(現・埼玉県さいたま市大宮区中釘?)

探索の発端:〔型師〕の卯之吉が蝋型を、上野山下の提灯店のおよねに預けたために、伊勢野〕の甚右衛門一味の蠢動がばれたが、〔中釘〕の三九郎へは、追捕の手がのびていない。
(参照: 〔伊勢野(いせの)〕の甚右衛門 の項)

結末:素性・本拠がわかっているのに、逮捕の手がゆかない珍しい例。

つぶやき:a)提灯店の〔みよしや〕のおよねと密偵・伊三次の大活躍の篇だが、およねとの仲をとりもってもいいという鬼平に、伊三次は「とても、とても---」と断るのがおかしい。

「提灯店」は、「生池院店(しょうちいんだな)」から転じたものと。生地院は不忍池の弁天島にあった。その持ちものの貸家でもあったのだろうか。

提灯店の女性たちが「けころ」と書かれているが、昔のそのテのものの本によると、「けころ」はいまの上野松坂屋の1筋北あたりの娼婦の呼び名だったとか。提灯店はさらにもう2筋ほど北の岡場所。

〔みよしや〕のおよねが伊三次の腰につけさせ、その妙音を耳にしながら恍惚郷へ昇りつめたという「猫じゃらし」は、池波さんのエッセイによると、銀座のバーの女性が2個買ってきて、1個を池波家の猫たちへ進呈したものと。
その「猫じゃらし」をじっと眺めていて、伊三次の腰へ---と連想を働かせて物語をつくりあげるなんて、作家って奇妙な思考経路を持っているもののよう。

さいたま市 市政情報課 史料担当 加藤 さんからの連絡---
さいたま市の中釘町についてお知らせします。
市の北西にある中釘町は、かつては中釘村といっていました。明治22年4月1日に指扇村(ゆびおうぎむら)に合併し、昭和30年1月1日に旧・大宮市に合併。ずっと、農業をもっぱらとしていました。

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2005.01.14

〔前砂(まいすな)〕の捨蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻1に所載の[老盗の夢]で、女のことで戻り盗めをしなければならなくなった老盗〔蓑火〕の喜之助。江戸で人集めのために訪ねた元鳥越の松寿院門前で花屋の老亭主をしていたのが〔前砂〕の捨蔵だった。

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じつは、ここは、巨盗〔夜兎〕の角右衛門の「盗人宿」で、捨蔵はその番人でもある。
(参照: 〔蓑火(みのひ)〕の喜之助 の項)
(参照: 〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門 の項)

年齢・容姿:60代後半か。痩せこけて、焼きざましの干物(ひもの)のよう。
生国:武蔵国中仙道ぞい前砂村(現・埼玉県北足立郡吹上町前砂)

探索の発端:巨盗〔夜兎〕の角右衛門は、『鬼平犯科帳』シリーズに2年半ほど先立つ単独短篇[白浪看板](新潮文庫『谷中・首ふり坂』に収録時[看板]と改題)で、〔夜兎〕は頼まれて臨時にお盗めに加えた者の不始末を恥じて一味を解散、自首して出て鬼平の下で密偵となった。
それまで、〔夜兎〕一味は火盗改メに追われたことはなく、したがって〔前砂〕の捨蔵も目をつけられたことはない。

結末:〔夜兎〕一味の解散のとき、角右衛門にいいつかり、かつて先代ゆずりの掟の3カ条をやぶった臨時の手下〔名草〕の綱六を始末するために備前の下津井へ向かった。
そのあと、門前花屋の亭主として一生を終え、畳の上で往生をとげたものとおもわれる。

つぶやき:元鳥越にあるのは、「松寿院」ではなく、「寿松院」。現存の寺院名を避けたとの考え方もあろうが、じつは、池波さん愛用の近江屋板の切絵図の誤植---が真相。池波さんが切絵図の誤植をそのまま書き写しただけのこと。

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台東区鳥越2丁目にある不老山寿松院

吹上町前砂まで現地へ足をはこんだ朝日CC〔鬼平〕クラスのリポーター・上尾宿のくまごろうさんによると、「吹上町」の町名は、荒川(現・元荒川)がその名のとおりによく荒れ狂い、洪水時につくり出す両岸の自然堤防に、晩秋から春先、北西の風が砂ぼこりを吹き上げるところから吹上(ふきあげ)との名が生まれた、と。
で、くまごろうさんは、地元では「前砂(まえすな)」と呼んでいるが、「舞砂(まいすな)」がなまったのかも、と。

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幕府道中奉行作製『中仙道分間延絵図』(寛政年間)にみる前砂村と村社・氷川神社

Photo_114
村社・氷川神社の石標(くまごろうさん撮影)

池波さんは、「前砂」という「呼び名」がかなりお気に入りのようで、前掲[〔手越(てごし)〕の平八](新潮文庫『あばれ狼』収録の[さいころ蟲]の主人公。参照:当サイト[〔手越(てごし)〕の平八])にも、〔前砂〕の甚五郎な老人を登場させているし、これも単独短篇[正月四日の客(角川文庫『にっぽん怪盗伝に収録)には〔前砂〕の甚七という引き込み役の盗人を描いている。

池波さんが、なぜ、「前砂」にこだわるのか、調べは今後の課題---といっておく。

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