カテゴリー「097宣雄・宣以の友人」の記事

2009.08.09

〔左阿弥(さあみ)〕の円造(2)

「〔音羽(おとわ)〕の2代目はんからご丁寧な文(ふみ)をいただいとります。そやよってに、きょういらはるか、あすお越しやすかと、お待ち申してとりました」
祇園・京極一帯の香具師の元締・〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60歳がらみ)は、その実力に似ず、小柄で、艶のある温和に顔だが、張りがあり、役者のようによくとおる声をしていた。
この声がいち怒気をこめたら、たいていの者は、ふるえあがってしまうだろう。

参照】2009年6月21日[〔銀波楼]の今助] (http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/06/post-89f7.html)
2009年6月30日[〔般若〕の捨吉] (
2009年7月22日[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (

「父が着任する前に、手くばりをしておく雑用がありまして、ごあいさつが遅れ、申しわございませんでした」
「なんの、なんの。うちらは、まっとうな生業(なりわい)から遠いとこでやらしてもろうてますよってに、こっちから出むくわけにもいきまへんなんだ。それにしても、目黒の大火はたいへんどしたなぁ。〔音羽〕の元締もひと役買ったそうで、よろしゅおした」
「〔音羽〕の元締にお引きあわせいただいた、〔愛宕下(あたごした)〕の元締のお助けがなかったら、父は火付け犯を逮捕できましたがどうか---」

参照】2009年7月2日~[目黒行人坂の大火と長谷川組] () () () () () (

「それで、うちらに、なにか、お手伝いさせていただくことがおきましたんか?」
「はい。じつは---」
「お待ちを---。できの悪い子ぉやけど、息子の角兵衛をご相伴せていただきます」

角兵衛は40歳がらみで、円造よりも男ぶりはいいが、目の鋭さょまだ隠しきれていない。
それでも、銕三郎(てつさぶろう 27歳)をあなどる様子はみせず、部屋のすみにかしこまった。
(そういえば、〔愛宕下〕の息子・伸太郎も、あのようにひかえた。この世界の礼法なのであろうか)

銕三郎は、堺町通り四条上ルの白粉舗〔延吉〕半兵衛方に化粧指南師として、かかわりのあるおんなが雇われたこと、そのおんなの お披露目(ひろめ)として、[読みうり]をださせたいこと。
その[読みうり]には、禁裏ご用達の髪油、髪飾りの類、紅、鉄漿(かね)、かもじ、手かがみ舗をはじめ、美顔水、にきび消し、被(かずき)帽子、日傘舗などの広告をとり、禁裏の女官たちのあいだで流行(はや)っている髪形、化粧などの読み物を絵入りでのせるが、その[読みうり]を、〔左阿弥〕傘下のおんな物をあつかっている店で配ってもらうわけにはいかないか---[読みうり]は無料である、と説明した。
いまでいう、フリーペイパーの発想であろう。

「彫り師や刷り師への手間はどないしはるおつもりですかな」
「お披露目(広告)枠の揚がりでなんとか---」
「お武家はんに似合わず、銭勘定の帳合(ちょうあい)まで、みとおしてはりますのんか」
「江戸の[読みうり]の者に教わりました」

参考】2008年8月12日[〔菊川〕の中居・お松] (11

祇園社さんや清水寺に屋台店をだしている、それらしい店に置かし、おんな客に手渡さすことはなんでもないが、と、
長谷川さまの目星は、どうやら、禁裏やろおもうとりますねんが、女官のあいだでの流行(はやり)ものというのんが気になりますな。堅気のおんなどもも、腹の底では、島原の太夫たちのようにおとこにもてたいおもうてるはず。いっそ、読みもののほうは、島原の太夫の化粧(みじまい)の秘伝のほうがよろこばれるのとちがいますやろか」
角兵衛が、遠慮がちに口をはさんだ。

「武家の商法でした。角兵衛どののご助言、うけたまわりました」
銕三郎が素直に頭をさげたので、角兵衛は面目をほどこし、一気にのり気になった。

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2009.08.08

〔左阿弥(さあみ)〕の円造

からす山〕の松造(まつぞう 20歳)が、朗報と厄報(---と書いては常識に反する)をもたらした。

朗報は、父・宣雄に、京都東町奉行の発令が(旧暦)10月15日づけとなり、同時に備中守・従五位下に叙爵の内示があり、連日、あいさつ廻りにいそがしくしていると。
叙爵は、長谷川家はじまって以来の名誉であった。
もっとも、始祖の正長(まさなが 37歳で三方ヶ原で討ち死)は紀伊守を称してはいたが。

徳川実紀』は、10月15日の授勲者を宣雄一人だけ記している。
例年、幕臣の叙爵は12月初旬であるから、宣雄のそれは、赴任後、すぐに受爵に戻るのはきつかろうという思いやりと見ることもできる。
しかし、ちゅうすけはもっとうがって、幕閣の意思をそこに見ている。
すなわち、着任したらさっそくに密命を果たせ、叙爵などのために任地を離れるな---と。

厄報は、宣雄の赴任に、久栄(ひさえ 20歳)が同道して上洛してくるというのである。
於初(はつ)はまだ、7ヶ月であろう」
「ですから、於初姫は、旅がお出来になるまで、乳母人(ちちうど)にお預けになっておくとのことでした」
「うーむ。その手があったか」
「若さまも、お待ちかねであろう、もう、すこしの辛抱---と言伝(ことづ)かりやした---ました」

松造。その言葉づかいだが、町奉行所の役宅に入るまで、やした、でいってくれ」
「なぜでございます?」
「ほれ、それが困るのだ」
「なんででごぜえやす? こうですか?」

松造に、お(かつ 31歳)とのつなぎ(つなぎ)役を言いつけ、松造のつくりごとの素性を話してきかせると、やっと納得したのはいいが、
「若奥方がいらっしゃいましたら、そのおというおなごは、あっしが引きうけてもようがすよ」
「ばか。姉弟で睦みあっては、人道にもとる」

松造とのいっときの生活のために、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)が見つけてきたのは、白粉屋〔延吉屋〕半兵衛のところから、堺町通りを御所のほうへ6丁ほど北の、押小路の路地の奥の一軒家だった。

手づけをうってあとで父・宣雄の赴任日がきまったので、しばらくはそのまま、隠れ家として借りておくことにした。家賃は、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 52歳)がしばらくみてくれるというから、好意をうけることにした。

銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、松造を伴って〔千歳(せんざい)〕で、お(とよ)に引きあわせ、ついで〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう)の家を教わり、松造に、
「明日、ごあいさつに伺いたいが---」
と、予約をとりにゆかせた。
左阿弥〕の円造は、祇園一帯をとり仕切っている香具師(やし)の元締である。

「返事は、〔津国屋〕へ帰ってからでいい。そのあたりで、一杯、やってから帰れ」
1分(ぶ 4万円)をにぎらせる。

「奥が上洛してくる」
飯台におかれた片口から冷や酒を汲みながら打ちあけると、
「いつ、お着きですか?」
「11月のはじめかな」
「それまで、飽きるほどお会いできます」

まるで、それがきまりのように、小女を帰し、老爺・駒右衛門に表戸をたてるように言いつけた。
「ほんとうに〔左阿弥〕の円蔵元締とお知り合いだなんて、変なお武家---」
「けったい---かな」
「正体がしれません」
「食いつめ浪人の子だよ。〔津国屋〕も、あさってには引き払わなければならない」
「嘘ばっかり。食いつめ浪人が、供の郎党を連れているわけないでしょ」
「露見(ばれ)たか。じつは、町奉行の子息」
「また、嘘を---。でも、嘘も大きいほうが罪がなくていい」

おもいついたことがあって、円蔵元締の知恵を借りたいのだと言うと、
「そういえば、先刻、〔川端道喜〕さんが見えて、(てつ)さんに悪いことをした、謝っておいてほしい、御所内(ごしょうち)のことでなければ、お役に立ちたい---とおっしゃっていました」
「いずれ、お力をお借りするようになるとおもいます」
「やっぱり、変なお武家さま---〔道喜〕さんが、お人柄をほめていらっしゃいましたよ」

参照】2009年7月31日[川端道喜

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2009.07.01

〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵・元締

長谷川の若さま。ご尊父は、火盗の助役(すけやく)をお勤めでございましたな」
土地(ところ)一帯の香具師の元締・〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 40歳)が、母親・おくらゆずりの巨躰にちょこんと乗っている顔をかたむけて訊いた。

「さようです」
銕三郎(てつさぶろう 26歳)が応える。
「それならば、芝は、お助役のお持ち場。お引きあわせいたしたい仁がおります」
「元締のご推挙の仁とあれば、よろこんで---」
「では、近ぢか---」

重右衛門が推したのは、芝の飯倉神明宮や増上寺、愛宕山下などの一円を取りしきっている{愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 41歳)元締であった。

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(飯倉神明宮 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

参照】火盗改メの本役・助役の巡邏区分は、2008年2月28日[銕三郎(てつさぶろう) 初手柄] (

香具師の元締だから、闇の実情につうじている。
盗賊や博徒という裏で生きている輩が相手の火盗改メとしては、香具師の元締と知りあっておくことは、裏街道の地図の持ち主とこころ易くなったのにひとしい。

芝・増上寺の表門---通称・大門前で落ちあい、重右衛門に案内されて行くと、伸蔵は、北新網町の小じんまりとしたしもた屋に住んでいた。

A_360
(赤○=北新網町 池波さん゜愛用の切絵図:近江屋板)

虚飾をはぶいた質素なその構えからして、人柄をしのばせたが、家の前にちゃんと水がうってあるのに、銕三郎は好感をもった。
もっとも、
(血なまぐさい出入りごとも取りしきる香具師の元締が、きれいごとだけですまされまいが---)
疑問もおぼえなかったというと、嘘になる。

裏庭が見渡せる部屋へ通された。
伸蔵は、庭での五蓋松(ごがいのまつ)の手入れをやめ、細身の躰を蛙が跳びでもしたように身軽に縁側へ跳びあがると、そこにぴたりと座り、
「お初にお目もじつかまつります。伸蔵と申します」
丁寧に仁義をきった。
銕三郎も、あわてて座布団をはずす。
「長谷川銕三郎です。いまだ、部屋住みの若造です。お見しりおきを---」

音羽〕の重右衛門が、
「そこからでは話が遠すぎます。こちらで、ご両人とも、おくつろぎを---」

「あの鉢の五蓋松は、樹齢150年といわれており、手前の4倍近い長寿です。老父をいたわるよりも手あつく、孫の代まで生きていてもらうように、照ったといえば日陰に寄せ、降ってきたらきたで軒下へ移して、護っております」
ふところの深さを感じさせる、ゆったりと愛情をこめた口ぶりに、銕三郎は、さらに印象を深めた。

「孫の代まで---と言われましたが、ご子息は?」
銕三郎に、伸蔵が、手を打って用意の膳を催促するとともに、
伸太郎をここへ---」

商人が好んで着るような濃紺地に細縞をきっちりとまとった、20歳前後らしい青年が、部屋の隅で正座し、客たちに向かって一礼してから
「父ご。なにかご用で---?」
「おう。いい機会(おり)だ。〔音羽〕の元締の隣りおいでなのが。長谷川の若さまだ。こんご、なにかとお教えをいただくように、ごあいさつをしなされ」

伸太郎でございます。お噂は、かねがね承っておりました。どうぞ、ご配下の衆同様にこき使ってくださいますよう---」
なかなかにできすぎたあいさつふりであった。
銕三郎も、
「部屋住みの銕三郎です。このあたり、父の巡視の供をすることもあります。ご助力ください」
「いつにても、お声のままに---」

銕三郎の頼みは、3ヶ月もたたないうちに実現した。


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2009.05.17

銕三郎の盟友・浅野大学長貞

明和8年(1771)の新春である。

「久しぶりに夕餉をともにしたいが、落ちつける料亭を存ぜぬか。本郷元町・御茶ノ水の長野も誘いたいので、足場のことも考えて指定してほしい」
浅野大学長貞(ながさだ 25歳 500石)の下僕が、書簡をとどけてきた。

長貞の屋敷は、市ヶ谷牛小屋跡である。
体調がすぐれないからと、兄・長延(ながのぶ)が27歳の若さで小姓組番士を致仕したので、次弟の長貞が家督したものの、出仕はまだきまっていない。

参照】2009年5月16日[銕三郎、初見仲間の数] (

本郷・御茶ノ水の長野佐左衛門孝祖(たかのり 26歳 600石)も、ともに初見をした仲で、去年からすでに西丸の書院番として出仕している。

銕三郎(てつさぶろう 26歳)は、父・平蔵宣雄(のぶお 53歳 先手・弓の組頭)に意を伝え、元飯田町中坂下角の〔美濃屋〕を推してもらった。

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(飯田町 左:九段坂 中:中坂 
『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

なるほど、中坂下なら、本郷からも市ヶ谷からも近い。
宣雄は、先手・弓の組頭に就任したときに、この店で披露(ひろめ)の宴をもよおして以来、馴染みである。
〔美濃屋〕は、清水門、田安門にも近く、水戸家一橋家のご用もつとめているほどに格式も高く、一見(いちげん)の客は受けない。

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(飯田町中坂下の〔美濃屋〕 『江戸買物独案内』 1824刊)

参照】2008年3月11日[明和2年(1765)の銕三郎] (その6

銕三郎が〔美濃屋〕へ入ったときには、浅野長貞と長野孝祖が先に着いており、中坂を利用した滝が望め、梅の香りが流れてくる座敷で、主人の源右衛門(45歳)が相手していた。
宣雄の口ききということで、源右衛門みずからがあいさつら出てきたのであろう。

源右衛門は、銕三郎と目が会うと、器量を読むことにたけた商売柄、一目でその人柄が気にいってしまったらしく、
「組頭さまには、いつもご贔屓をいただいておりますが、若も、どうぞ、いつなりと---」
商売用のお世辞とはおねえない口調であった。

武士はともかく、市井の町人職人たちが銕三郎に魅されてしまうことを知っている長貞は、源右衛門の気持ちをすかざず読みとり、
どのにいい店を教えたもらった。ご亭主、手前は家督したといっても、まだ出仕がきまらない身ゆえ、いささか敷居は高いが、今後とも、長谷川の殿同様によろしく頼みますぞ」
孝祖も、
「いや、近間に、このような風雅な座敷があろうとは---屋号から推して美濃の出と察したが、われも浅野うじも祖は尾張者、隣国のよしみでぜひ、これからも使わせていただきたい」

幕臣の継嗣2人に如才なく頭をさげられた源右衛門はかえって恐縮し、
「せいぜい、お口に合いますように勤めますれば、ご贔屓のほど、お願い申しあげます」

源右衛門が引きさがったところで、銕三郎が訊いた。
「ところで、今宵の題目は?」
佐左(さざ)にややが生まれる」
「いつ?」
「来月だ」
「それはめでたい」
「子なしは、われ一人となった」
「奥も娶(めと)らないで、子ができたら、ことだ。庶子には世継ぎの利がないからな」
「いま、話がすすんでいる」
「なんだ、それを言うための夕餉か」

「さきほど、(がく)から訊いたのだが、諏訪一族の息女らしい」
孝祖が、口をはさんだ。
「いくつだ?」
「それが、薹(とう)がたちかけておる」
「いくつだと、訊いておる」
「19」
「もちろん、初婚であろう?」
{しれたことを訊くな」

それから、ひとしきり、若者らしい猥談めいた話をしたあと、
。半月ほど、躰があけられぬか?」
「どういうことだ?」
「知行地に---」
「どっちの村だ?」
浅野家の知行地は、安房国朝夷郡(あさいこうり)と平郡(たいらこおり)に分かれている。

「朝夷郡の江見村(現・千葉県鴨川市東江見)のほう---」
「どうした?」
「賊がな---」
「む?」


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_
(長野佐左衛門孝祖の個人譜)

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2008.11.29

〔橘屋〕忠兵衛

日中はまだ日ざしがきびしいが、陽がおちると、なんとなくしのぎやすくなってきている。
日没も、こころもち、早くなってきた。
六ッ半には、家々は灯を入れる。

銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、5の日なのを思いだし、雑司ヶ谷(ぞうしがや)の料理茶屋〔橘屋〕の女中・お(なか 34歳)と一夜をすごすために、宵の七ッ(午後8時)前に鬼子母神(きしもじん)の一の鳥居前を左へ曲がろうとした。

鳥居の柱のかげから、
長谷川さま」
声の主は、〔橘屋〕の女中頭・お(えい 36歳)であった。
「---?」
足をとめ、
(おに異変があったのか?)
即座に、そのことが浮かんだ。
そういえば、ここ、2度ばかり、5の日の通いを欠かしている。
中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)と妙なことになったので、なんとなくこだわるところがあり、足が向かなかった。

長谷川さまがお見えになったら、ご本邸のほうへご案内いたすようにと、旦那さまから言いつかり、こうして、お待ちしておりました。ご案内いたします」
旦那さまとは、〔橘屋〕の主人・忠兵衛(ちゅうべえ 50すぎ)のことである。

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(〔橘屋〕忠兵衛 『江戸買物独案内』 文政7年刊 1824) 
  
「こころえましたが、おになにか---?」
「旦那さまがお話しになりましょう」
それきり、黙ってしまった。
(悪い報らせだな)
銕三郎は、覚悟をきめた。

鬼子母神の参道へ入り、三の鳥居の先を右へ折れて境内をはずれた。

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(雑司ヶ谷・鬼子母神の参道に、二と三の鳥居が見える
『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ  )

〔橘屋〕忠兵衛の本邸は、そこから半丁も行かない木立の中に、前庭をひろくとっていた。

は、玄関で銕三郎を小間使いのおんなへ引きつぐと、会釈して帰っていった。
案内された部屋は、簡素だが、趣味のいい什器が置かれていて、忠兵衛の感性をうかがわせる。
この部屋にくらべると、おと寝る客用の座敷は、華やかすぎるように思える。

小間使いが茶菓を置いたのと入れ違いに、恰幅のいい忠兵衛が満面に笑みをうかべてあらわれた。
(どうやら、悪い話ではないらしい)

「組頭さま、ご内室さまには、お変わりはございませんかな」
忠兵衛は、父・宣雄が若かったときからの知り合いである---というより、忠兵衛が恩義を感じている。
「お蔭にて、どちらも、つつがなく---」
「重畳々々---」
忠兵衛は笑みを消さない。

「拙に、なにかお話が----?」
銕三郎のほうから、切りだしてみた。
「おお、そのこと、そのこと---」
忠兵衛は、いかにも思い出したように、わざとらしく真顔になって、語った。

要するに、銕三郎の口ききで雇いいれたお仲だが、店の古くからの馴染み客が、後妻にとたっての所望で、おも承知したので、嫁にだすつもりで、先方の家へ移ってもらったと。

「この20日ばかりのあいだのことですか?」
「そう、鳥が飛びたつように、ばたばたと運びましてな。ご紹介くださった銕三郎さまにお断りもしないで申しわけないことですが、おの先行きのことを推しはかると、この機をのがしてはと---」

参照】お仲が〔橘屋〕へ雇われた経緯 [〔梅川〕の仲居・お松] (4) (6) (7) (8)
[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6)  (7) (8)

「で、お(きぬ 13歳)はどうなりますか?」
長谷川家の女中として働いていたおを、銕三郎が納戸町の長谷川家(4050石)の老叔母・於紀乃(きの 69歳)の世話係に転じさせた。
「その娘(こ)も、いずれ、引きとって嫁にだしてもらうことになっております」
「それなら、拙から言うことはありませぬ」
「ご了解いただけましたか。かたじけのう---」
「こちらこそ、おこころづかい、重々、謝辞をのべます」
そう言いながら、銕三郎は、手の中の珠たま)を獲られたようなこころもちであった。
11歳も年上のおであったが、なんでも飾ることなく打ち明けられる、姉であり情婦でもあった。

帰り道、おを後妻にした男の名前も住まいも年齢も商売も聞いていないことに気づき、話が真実とはおもえなくなった。
が、すぐにおもいなおした。

(そうだ、徒(かち)目付の探索の目がおへおよばないうちにと、父上が忠兵衛どのへ頼んだことかもしれない。お目見(みえ)も近いことだし---)
そのことを告げられたら、おも承知せざるをえなかったろう。
(いまは、はいった先で、おが大事にされることを願うばかりだ)


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