一橋治済の陰謀説
SBS学苑パルシェの[鬼平クラス]でともに学んでいる村越一彦さんが、相良史料館がつくっている『田沼意次侯の話』という、本文4ページほどのパンフレットのコピーを全員にくださった。
一読、「一橋治済(はるさだ)の陰謀」とでもタイトルをつけたいような、公けの組織のバンフにしては、ずいぶんおもい切った文章が活字(ワープロ)になっているとおもった。
今後、検証していかないといけないが、鬼平ファンとしては、「そうだ、そうだ」と賛成もしたい項目が多々あるので、その該当ページの全文を引用させていただく。
(田沼侯の政策に対する家柄・門閥派の反発の)その上さらに、安永2年(1773)に一橋家に豊千代君(後の家斉公)生誕の時点から、徳川家の世嗣問題の騒動に巻き込まれていたことに気付かずにいたことが、致命的な打撃となった。
1. 安永4年(1775) 一橋家治済公の口添えにて田安定信侯幕府決定として奥州白河藩松平家の養嗣として田安家を出る。この計画をしたのは田沼侯であるような思いを定信侯に植え付けたため、生涯、定信侯は意次侯を目の敵にして恨んでいた。
2. 安永8(1779)家治公世嗣家基公、狩りの途中発病にて急死。この時代、隠密が大変暗躍したので、鳥頭(とりかぶと)等の毒物を食物に混入したのではないかと言われている。
3. 天明元年(1781) 一橋家斉公(9歳) 将軍家治公の養嗣となる。
4. 天明3年(1783)浅間山噴火、死者2万余人、天明大飢饉5年連続この年最高となる。意知若年寄拝命。
5. 天明4年(1784)意知侯殿中にて佐野善左衛門政言に斬り付けられ、そのために翌4月2日死亡。35歳。
※ 原因についてtは、系図を返さなかったとか、栄達を頼んだが果たされなかったからというが、実際は若くて優秀な意知を除くために佐野に斬らせたのだと考えられる。長崎出島のオランダ商館長チチングが出府したとき江戸の街に、
「鉢植えて梅か桜と咲く花を、誰たきつけて佐野に切らせた」
という狂歌が取り沙汰されていたと、オランダに掃ってから日本誌に思い出としてローマ字で書いてあったとのこと。
6. 天明5年(1785)松平定信侯溜間詰となる。老中にする一橋公の下準備と思われる。実に計画的なことが解る。
7.天明6年(1786) 8月28日 反田沼派御三家・御三郷、譜代の門閥等刃物をつきつけ、無理やり将軍の命令だとして病気届を出させ、一挙に政権を奪い、老中罷免の上、2万石を召し上げられる。
同年9月8日家治公死去(51歳)が発表される。ところが徳川悪五代史には8月20日と書かれている由で、意次侯が罷免された時にはすでに将軍は死去されていたということがハッキリしてくるわけである。
8.天明4年(1784)4月 家斉公(11歳)11代将軍となり、定信侯6月に老中首座となり、父家済公の大御所政治が始まる。
民間の間に隠密による流言飛語が大々的に流され、あたかも大悪人であったかのごとく印象付け、田沼派の徹底的な追放を行った。
意次侯蟄居、、3万7千石召し上げ、孫意明1万石にて奥州下村へ移封も相良城没収される。
その後城は取り壊された。普通の考え方からすれば当然お家断絶のケースの筈である。しかし断絶にならなかった。
以上のように一橋治済公の仕掛けた罠に、関係のあった大名等すべてが知らぬ問に踊らされて、一橋公の天下を作るのにを力を貸してしまったのだと思われてならない。
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いずれ、地元在住の篤学の郷土史家の手になる弾劾文の気配が濃いが、このように断言してしまっていいかどうかはともかく、田沼意次の再評価は、もっとすすんでしかるべきであるとおもう。
しかし、史料の多くが抹消されているので、遅々としてすすむまい。
地元在住の篤学の郷土史家の手になる弾劾文---と書いたが、たとえば、「田沼派の徹底的な追放を行った」という1行も、言いすぎではないかという反論もないではない。
たとえば、長谷川平蔵宣以---すなわち、われらが鬼平だが、田沼時代に先手組頭に41歳という若さで抜擢されている。
『よしの冊子』によれば、田沼にへつらいともおもわれかねないこともやっている。田沼派の末端にいたともいえそうである。その平蔵が、松平定信政権になっても先手の組頭を罷免されていないのだから、「徹底的な追放」という表現はいいすぎと揚げ足をとられかねない。
もちろん、定信が火盗改メとして飼い殺しにしたという見方もできる。
定信とおなじ久松松平の一人---松平左金吾定寅との対立などをみて、ちゅうすけはむしろ、この説に与しているが。
それにしても、上掲のきめつけは、仔細な検分を要しよう。
【参照】2007年11月27日~[一橋治済] (1) (2) (3) (4)
2007年11月24日~[田沼意次その虚実] (1) (2) (3) (4) (5)


手にしてみると、写真のように、表題・装丁が『田沼意次◎その虚実』とは異なる。



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