カテゴリー「079銕三郎とおんなたち」の記事

2009.12.15

銕三郎の追憶

2_130松造(まつぞう)。しばらく、黙っていてくれ。考えごとがある」
長田(おさだ)家から借りた、家紋・枝柏入り提灯を、銕三郎(てつさぶろう 28歳)の足元にさしかけている松造(22歳)にいいつけた。(丸の内二枝柏)

神田川の北岸ぞいに、浅草橋門にむかっている。
神田川には、三日月の影をさざ波でゆらして行き来する舟が、たまに行きかっていた。
浅草橋までたどりつけば、船宿が数軒あるから、舟で帰ってもいいとおもっている。

長田越中守元鋪(もとのぶ 74歳 980石)と交わした会話の中の一片に、銕三郎はこだわっているのだ。

「で、禁裏付をまる16年も---?」
「なじむと、京の水もおいしゅうござる。あ、長谷川うじは、なじむまもなく---?」
「いえ。いささかは---」
「ほう。お若いということは、なににもまして、甘いものに聡(さと)うござるな。それがしの禁裏付の発令は、人生も晩秋の51歳がおりで、しかも、妻同伴の身ゆえ、そちらのほうの楽しみは厳しい冬の晩ばかりでの---ふ、ふふふ」
「とても、まともにはお受けいたしかねますが---」

(「いささかは---」と応えたとき、おれはだれをおもい描いていたろうか?)
〔千歳(せんざい) 〕のお(とよ 24歳=当時)のことではないはずである。
女ざかりであったおは、幼いときに尾張・鳴海の宿で捨てられたといっていた。
京おんなではない。

【参照】2009年7月27日~[〔千載(せんざい)〕のお豊] () () (10) (11

盗賊の一味とわかり、捕り方がふみこんだときには、穴道づたいに逃げおおしていた。
いまは、どこでどうしているか。
かなうことなら、捕まらないでほしいような気がする。

すると、貞妙尼(じょみょうに 享年25歳)であろうか。
青みがかってみえる透けるような肌が、興奮が高まると淡い桜色に変わり、下腹からもやってくる濃い香り---たしかに京のおなごのものといえた。

参照】2009年10月12日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))]() () () () () () (7

C_170貞尼(さだあま)は、仏門にはいる前は若妻であった。
亡夫は、貧乏牢人だったといっていた。
めずらしく美貌をおんなの宝にしないところが、いさぎよかった。

(そういえば、お(りょう 享年33歳も、そうだった)

は、後家になると、その美貌に魅せられていた男たちが待っていたようにいい寄ってくるので、さっさと尼になって身を隠したつもりが、こんどは僧たちに口説かれた。
銕三郎には、融(と)けたように躰を許した。
求められなかったからかもしれない。
銕三郎が、金銭に恬淡としていたこともある。
婚ずる前に母親と住んでいた2軒長屋で抱きあうときには、仏法の戒律を破っている罪深さにおののくことで、おなんなとしての喜悦を高めていた。
それが、僧たちの嫉妬心に火をつけた。

参照】2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10

ただ、貞尼は口にはださなかったが、20歳ですでに2児をもうけている久栄(ひさえ)をうらやんでいる気配があった。
還俗したら、銕三郎の子を産むつもりだったのかもしれない。
いじらしいとおもうとともに、かなえてやりたい気持ちもあった。
父・宣雄が逝き、家禄を継げる資格をできたいまなら、その子を長谷川の庶子として届けることもできた。

たが、長田越中守に、「いささかは---」と応えたときに心中にあったおなごは、京生まれの貞尼ではなかったようにおもう。

そう、お(りょう)であったような---。
奇妙である。
は、京へいそいでいる途中に湖中に消えた。
銕三郎は、京ではおを抱いていない。
しかし、夢の中では、結ばれあっていた。
京の三条白川橋西入ルの旅籠〔津国屋〕で見た夢には、ー会ったことのないお竜の母親・飛佐(ひさ)まで登場した。

参照】2009年7月25日[千載(せんざい)のお豊] (

を意識したのは、芝の牛小屋の牛の角に火のついた松明をくくりつけて放ち、捕り方のをほかへそらした盗(つと)めぶりと、その沖あいに小舟をうかべ、灯りでつなぎ(伝信)を送った者に目星をつけたことによる。

参照】2008年9月3日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] () () (

それで、おが生まれ育った甲斐国八代郡中畑村まで探索にでかけた。
その旅のとっかかりで久栄に出会ったのもなにかの縁というものであろうが、そのことはおいて---。

深い結びつきができたのは、おの知恵をもとめてであった。

参照】2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] () (

その後は、、深慮遠謀をわかちあいながらの躰の結びつの深まりであった。
これは、それまで銕三郎が体験したことのない男女の交合の深みといえた。

2008年11月25日[屋根舟
2009年1月1日[明和6年(1769)の銕三郎] () () (
2009年1月24日[掛川城下で] (
2009年5月22日[〔真浦(もうら)〕の伝兵衛] () (

「殿。浅草橋ご門です。舟を頼みますか?」
松造のことばに、銕三郎はわれに返った。
「そうしよう」

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2009.10.28

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(10)

左阿弥(さあみ)〕父子がいるのを認めた与力・浦部源六朗(げんろくろう 51歳)が、
「元締は、どうしてここに?」

円造(えんぞう 60すぎ)が、貞妙尼(じょみょうに 25歳)の夫が病死前に祇園社の境内で蝦蟇(がま)の油売りをしていたこと、その死後に仏道へはいったお(てい 25歳)の後ろ盾になっていたことを手短に話した。

納得した浦部与力が、銕三郎(てつさぶろう 28歳)や奉行に対しては使わない京言葉で、
「〔左阿弥〕やのうて、〔めんどう見〕の円造・元締いうて呼ばれてはるわけが、よう、わかりました」
円造は、照れもせず、きつい顔で、
浦部はん。手ェをくだしよった悪党らに、早う天罰をくだしてやっくとくれやす」

「元締はん、法度(はっと 法律)は法度どす。けっして私怨をはらすような真似はせえへんことや」
浦部与力が念をおすと、元締は不満顔ながらうなづいたが、眸(め)で銕三郎をちらりと見た。

小者の一人に、中之町の本道(内科)の町医・玄泉先生を呼んでくるようにいいつけ、別の小者には、今熊野の先の本山へこのことを知らせてこいと命じた。

玄泉がきて、遺体をていねいにあらため、緊張のあまりに心の臓が突然に止まってしまったのだが、そういう衝撃を与えた者がいたとすると、犯罪がおこなわれたと見てよいと診(み)たてた。
和田 貢(みつぐ 23歳)同心がそれを書き取っている。

浦部与力は、寺男に坐棺を求めてくるようにいい、小者をつけていかせるとき、帰りにご用聞き・〔大文字町(だいもんじまち)〕の藤次(とうじ)に声をかけてこい、といい添えた。

玄泉医師が引きとったあと、銕三郎貞妙尼の右手の爪を示した。
「爪のあいだに灰がついています」
「それがなにか---?」

須弥壇の裏の房への通路に浦部与力を案内した。
なぜ、そんな通路を知っているのかといったことは、訊かない。
銕三郎貞妙尼の関係を察していたのである。

茶室の風炉(ふろ)を示し、懐から灰がついている紙入れと紙片をわたした。
読みおえて和田同心へまわす。
和田は、おどろいた目を銕三郎へ向けたが、なにも訊かないで、与力へ返した。

「与力どの。尼は、襲撃者たちが房の表戸を叩いたとき、部屋は家捜しされるとすぐに察し、これだけを灰の中に隠したのです。拙なら、きっとも、灰の中に気づくとおもったのでしょう。尼は、このほかに、〔左阿弥〕からの10両(160万円)もこの房のどこかに仕舞っていたはずですが、奴らが持ちさったにちがいありませぬ」

小者が〔大文字町藤次(50歳前後)が来たことと、坐棺が届いたと告げた。
通路へ戻るとき、銕三郎は、三衣筥(さんねばこ)から投げだされていた緋色の湯文字をすくいあげ、坐棺におさまる貞妙尼の腰にまき、内股を隠してやった。

棺の貞妙尼の肩を引いて、脊もおこした。
躰は固まりかけていたので、手をはなすと元のようにしゃがもうとする。
彦十(ひこじゅう)に、房から布団をとってこさせ、躰の前につめた。

人目がなければ、顔に頬ずりし、乳房が暖まるで、掌で覆ってやりたかった。

本山から小者が帰ってきて、尼からは還俗の届けがでており、本山も門派とも無縁の女性(にょしょう)につき、奉行所でどのようにお扱いになろうと口だしはしない---といわれたと。

「それが、仏の教えを説く比丘(びく 男僧)のいい草かい」
左阿弥」の元締が吐いて捨てた。

遺体はとりあえず、新居になるはずであった錦小路通り・室町通り上ルの家へ移すことになった。
棺桶は幕で覆って分別がつかないようにし、小者たちが尾行者を見張りって運び込んだ。

襲撃者たちが証拠隠滅のために寺男を襲うこともおもんぱかり、1ヶ月ほど、移り住むように銕三郎がすすめた。

参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (
 

参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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2009.10.27

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(9)

http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/10/11-7016.html(てっ)つぁん、っつぁんはいるかえ---」
内庭先で呼んでいるのは〔〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 38歳)であった。
一度訪ねただけで、もう、わが家のように自在に振舞うのが特技である。

その声に、銕三郎(てつさぶろう 28歳)と久栄(ひさえ 21歳)が顔をだすと、
「奥方にはかかわりがねえんで---」
銕三郎の袖を引いて、表と役宅をしきっているくぐり戸の外へ連れだし、
「早く助けねえいと、っつぁんのびっくりの人、あぶない---って、子鹿が、今朝方から、しきりにわめくんでさぁ。それで報らせにきやしたが---}
「びっくりの人---?」
「なにしろ、まだ世間知らずなもんで、口跡(こうぜき)がはっきりしねえんで---」

「比丘尼だ。貞尼(ていあま)だ!」

部屋へとってかえし、袴をつけ、大小を腰に、
彦十どん。いそぐんだ。仲筋町だ」
「仲筋といわれても---」
「ついてくればいい。待て---」
若党・松造(まつぞう 22歳)にも支度をいいつけ、さらに表役所から小者を一人借りて、誠心院(じょうしんいん)へ向かった。

道々、彦十に庵主(あんじゅ)・貞妙尼(じょみょうに 25歳)が近く還俗(げんぞく)することになっていることを告げた。
「還俗するのに、あぶねえってことでもありやすんで?」
「還俗をさせないで、破戒にしたがる輩が懲戒(ちょうかい)の集まりを開いているかもしれない」


誠心院の本堂前て、60がらみの寺男がうろうろしながらぶつぶつつぶやいていた。
銕三郎たちが駆けつけた姿をみると、奉行所の小者に、本堂の中を指さして、
「ご庵主はんが---」

雪駄のままかけあがると、白い法衣のあちこちがやぶれ、白い肌もみえている貞妙尼が須弥壇(しゅみだん)の前で正座したままうつぶせていた。
長い黒髪が頭の前方にすだれのようにひろがっていた。

法衣の背中には、紅で卍がえかがれいている。
銕三郎が油小路・二条上ルの2軒家でわたした口紅を、大切に房へ持ち帰っていたのを見つけた犯人たちが描いたらしい。
貝殻が割れて床に散っている。

そっと抱きあげたが、すでに息をしていない。

(まつ)。〔左阿弥(さあみ)の元締に報らせろ。お前は奉行所へ戻って浦部与力を呼んでこい。どん。寺男を押さえて、つれてくるんだ」

寺男が、おどろおどろに言ったことをまとめると、昨夜、数人の僧たちがやってきて、房で寝ていた貞妙尼を本堂へ引きだし、みんなでとりかこんで責めはじめたという。

寺男は、口ぎたない怒号しか聞いていない。
「淫行の相手をいえ」
「邪淫女め」
「淫戒の罪で地獄へ行け」
「淫女(いんにょ)ともお前のことや」
「淫法(いんほう 性交)の味をいうてみ」
「淫欲臭い」
合間々々に肌を撃つ音、蹴ったりの音がしたとも。
明け方には、
「それでも相手の名をいわんか」
布がやぶれる音がし、まもなく、僧たちは引きあけた。
ふせた庵主は、ぴくりとも動かなかった。

「僧たちのなかにも、見知ったのは?」
寺男は、しばらく黙っていたが、消えいるような声で、
「西迎寺の暁達(ぎょうたつ)はんらしいお人が---」

「房をあらためる。立ちあえ」
房内は、暗い中で何かをさがしたらしく、荒らされていた。
銕三郎は、庵室の三衣筥(さんねばこ)の法衣も乱れていたが、白い大衣をえらび、彦十に、
「躰に触らないようにして、覆ってくれ」

房中をぐるりと観察し、風炉に目を留めた。
掌でならした跡があった。

灰を掘ると、紺色の紙入れがでてきた。
2両ちょっとと紙切れがあった。

---どのにお返しする分

浦部与力たちが来るまえに、寺男に命じた。
「父が町奉行だ。暁達の名は、証人調べのときにはいうな」

左阿弥〕の円造(えんぞう 60すぎ)と2代目の角兵衛(かくへえ 42歳)が息をきらして駆けつけたき、本堂の貞妙尼を見るなり、
「誰が---」
と絶句した。

つづいて与力・浦部源六郎が和田貢(みつぐ 24歳)同心を伴ってやってきた。


参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10
 

参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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2009.10.26

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(8)

「さようか。〔狐火きつねび)〕のお頭のところの〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 57歳)爺(とっ)つぁんのところに泊めてもらっているのか」
役宅からは4丁ばかりの二条城の北東角、竹田町橋のたもとの一杯呑み屋である。

相模(さがみの)〕彦十(ひこじゅう 38歳)は、銕三郎(てつさぶろう 28歳)が京へのぼるちょっと前に、名古屋の〔万馬まんば)〕の八兵衛(はちべえ 40歳前後)の盗(つと)めを助けたあと、難波へくだって〔生駒いこま)〕の仙右衛門(せんえもん 40歳すぎ)のところで英気をやしなわせてもらってくるとかいい、姿を消していた。

参照】2009年7月14日[彦十、名古屋へ出稼ぎ] 

銕三郎の父・備中守宣雄(のぶお 55歳)が京都町奉行に大栄転をしているとの噂を大坂で聞きこみ、もしやして銕三郎も付随してきているのではないかと、淀川を遡ってきたというわけである。

_160(てっ)つぁんが都にいるというのに、大坂でぼやぼやしてるわけにゃ、いかねえ---で、がしょう」
盃を満たしてやりながら、
「ダチの大鹿はどうした?」
「それがねえ、雌エゾジカを嫁(めと)って帰(け)えってきたところまではご存じやんしょう? その雌がかわいい子鹿を産んだと思いなせえ。そしたら、ダチのやつ、ずるして、子鹿をよこしやがるんでさあ」

参照】2008年5月21日~[相模(さがみ)〕の彦十] () () (
2009年3月5日[雌エゾジカ
2009年3月6日[蝦夷への想い

適当に飲ませ、当座の小遣いとして2分(8万円)わたし、
「いま、ちょっとした物入りがあって手元不如意でな。足りなくなったら、源七爺つぁんに立てかえてもらっておくがいい」

そのうち、つなぎ(連絡)をつけたら。手を貸してくれ---というと、
「その気で大坂からのぼってきやしたんで---」
酒の勢いもあって景気がいい。

暗くなったので、彦十を送りがてら、押小路通りのお勝の住まいまでいき、路地の入口で別れた。

_100は、お乃舞(のぶ 14歳)とその妹(11歳)と夕餉(ゆうげ)をとっているところであった。
姉妹が家を出るにあたっては、与力・浦部源六郎(げんろくろう 51歳)の配下同心・長山彦太郎(ひこたろう 30歳)が介添えしたため、父親もしぶしぶ同意した。
島原へでも売るぐらいのことは継妻と話しあって雰囲気であったという。(歌麿『寛政美人』 お勝のイメージ)

姉妹はそろって頭をさげて、銕三郎の手配にきちんと礼をいった。
11や14で、島原へ売られることの意味を知っているのだ。
もさすがに、姉妹の前では、躰の関係がある様子はみじんもみせないが、お乃舞のほうは、なんとなく察している目つきである。

(てつ)さま。おかげさまで、むくの木の皮を煎(せん)じたのを混ぜた髪仕上の〔平岡油〕の売れ行きがたいへんなんです」

3回分が50文(2000円)で、おの取り分は8分2分の8分たから、1ヶにつき40文(1600円)の手取り---買っていく客が日に10人をくだらないという。
10人で400文1万6000円かと銕三郎がつぶやくと、
「いいえ。1人の客が、親類や近所の分といって3ヶも5ヶも買っていくのもいるから、この7日のあいだに、
「240ヶも売れました」
「9600文---といえば、2両をこえているではないか」

売り出し元の祇園町の〔平岡屋〕のほうは、日に500ヶではきかないから、毎日6両をかるく超える売り上げだから、
「近いうちに、役宅のほうへお礼にあがるといっいました」
「拙への礼はいいから、表の役所k与力が20人、同心50人、それだけにわたる現物をもってくるように伝えておいてくれ。なに、いちど使えば、あとは店に行くから、何倍もになって帰ってくるとな」

さまは、あいかわらず欲がない。それでは、私の儲けの半分をさしあげます」
は3(48万円)を手早く包んだ。

_150「ありがたく頂戴しておく。〔瀬戸川〕ののところで世話になっている〔相模〕の彦十に小遣いがわたせる。ところで、〔紅屋〕の濃い紫色の口紅のほうはどうだ?」
「あちらは、私の発案ということで、手取りは5分5分ですが、売れゆきは日に5ヶというところです」

「1ヶ、幾らなんだ?」
「80文(3200円)」
「明日から、弟子の若いむすめたちにつけさせるんだな」
「わぁ、いいこと教わりました。ところで、お宝がいる、尼僧さんのほうは?」
乃舞を気にしながら訊いた。
「そのことで寄ったんのだ。錦小路通り・室町通りに格好の家がかりられた」
「では、私たちは当分ここで---?」
銕三郎がゆっくりうなずいた。(英泉〔小町紅〕の濃い紫の口紅の女)


参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10
 

参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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2009.10.25

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(7)

「元締が、脇門の外でお待ちどす」
いつも金子を届けてくれる〔左阿弥(さあみ)〕のところの若い者(の)が、役宅の下僕とすっかり顔なじみになったらしく、内庭へはいってき、銕三郎(てつさぶろう 28歳)に告げた。

読んでいた書物『十八史略』を伏せ、袴を着して門の外に出ると、円造(えんぞう 60歳すぎ)元締が、
「錦通り・室町通りに、ええ家が見つかりましてな。ご見分いただこうおもいまして---」

誠心院の貞妙尼(じょみょうに 25歳)が還俗(げんぞく)して住まう家を頼んでおいたのである。
しもうた家という条件で探してもらった。
円造は顔がひろいから、その道の周旋人にも知り合いが多かった。
「元締じきじきにお運びいただき、恐縮です」
「なにをいわはる。庵主(あんじゅ)はんは、孫むすめやおもうてますねん」

_120その家へ着いてみると、2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)が庵主を伴なって、さきに見分していた。
室町通りから路地をはいったつきあたりの二階家であった。
「どうですか?」
墨染めの大衣の貞妙尼は、淡い比丘尼頭巾で長髪をかくしていたが、顔は上気しており、頬の赤みがいつもより濃かった。
「お(てい)に戻って住むには、もったいないほどのお家どす」

「母ごもいっしょに住めるような家をと、元締にお願いしておいたのです」
「すんまへん。母(たあ)は、近所の知り合いと別れとうないさかい、いまのところを離れられへんいうて、駄々こねてます」

「ま、母・むすめで、ゆっくり話しおうたらよろし。この家さえあったら、いつかて越してきてもらえるんやさかい」
角兵衛・2代目がとりなし、周旋人に目くばせした。

貞妙尼が好みの什器をあの部屋、この納戸に配る空想にふけっているのを、元締は満足そうに眺めている。
銕三郎は、貞妙尼に5両(80万円)の紙づつみを手わたし、
「これで、なんやかや、買い整えなさい。還俗をすませ、越してきた日にとどけるようにいいつけておけばいい」

元締と角兵衛に礼をいい、銕三郎はひと足に役宅へ戻った。

_360_5
(春信『髪洗い』 久栄のイメージ)

先日の貞妙尼の髪洗い姿が、ちらっと横ぎったので、
「雇い人の目のとどかないところで洗ったらどうかね」

久栄(ひさえ 21歳)は、右腕ごしに眸(め)を投げかけ、
「旦那どのは、長い髪をさげた女性(にょしょう)がお好みとおもったので、やっているんですよ」
声にトゲがあった。

「なんの話だ」
「お分かりになっているくせに---」
「分からぬ」
「お分かりにならなければ、それまでのことでございます。ただ、部屋ずみの身で、側室をおもちになるのは、いかがかと思います」

「側室? 誰のことだ?」
久栄は問いかけをはずし、お舅(しゅうと)どの・備中守宣雄(のぶお 55歳)は、1500石格に加えて西町奉行としての玄米600石の役手当てをおもらいになっているのに、
「側室にでもと雇いいれた左久(さく 17歳)に手もお触れになりませぬ」
(ははーん。父上にあてがうために佐久を座敷女中にしたのに---と、不満のはけ口を、おれにむけたな。カマをかけただけのことか---)
「38は、齢が離れすぎとはおもわぬか?」
「世間には、いくらも例がございます」
「父上は、面倒と、おおもいかも---」

浴衣に袖をとおして居室にはいった久栄を追い、障子の陰で、押したおそうとした。
「なりませぬ。辰蔵(たつぞう 4歳)がきます」

A_360
(歌麿『ねがいの糸口』 久栄のイメージ)

「若。彦十さんが見えています」
内庭から松造(まつぞう 22歳)の声がかかった。

参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () (8) () (10
   

参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。


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2009.10.24

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(6)

「すぐ、すませますよって、お待ちになっておくれやす」
双肌ぬぎで長髪を洗っていた貞妙尼(じょみょうに 25歳)が、左手で髪を束ねもち、顔だけを向け、声を送ってきた。

_360_2
(歌麿『婦人相学十躰 洗髪』 貞妙尼のイメージ)

透(す)きとおるほどの白肌が、銕三郎(てつさぶろう 27歳)には、まぶしい。
子にふくまさせたことのない乳頭は、25歳におんなにしては小さく桃色のままである。
もっとも、銕三郎は吸っているが、亡夫もなぶったであろう---。
小豆ほどの乳首にもかかわらす、張った乳房は銕三郎の掌にあまる。

(符合ということは、ほんとうにあるのだな)
きょう、油小路・二条上ルの鞘師・三右衛門の裏の、いつもの2軒長屋へやってきたのは〔化粧(けわい)読みうり〕の名代(みょうだい)料をわたすためでもあった。

符合というのは、その〔化粧読みうり〕の客寄せの記事が、[髪を洗う伝(でん)]であったからである。

陽気がよくなり、15丁ほどもいそぎ足であるくと、汗ばむ日がつづいている。
道が乾いて、土ぼこりが舞うことも多くなった。

_360
(速水春暁斎・絵 『都風俗化粧法』東洋文庫)

〔ふのり〕〔とうどんのこ〕に〔むくの木の皮〕を刻んで煎(せん)じた湯をくわえたもので洗うと光沢(つや)もでるし、黒い髪がより美しくなる---といったことを絵に添えた。

すすぎを終えた貞妙尼が上半身裸のまま、後片づけをしながら、
「きょうはお会いできるのやとおもうたら、お経をあげてたかて、気がはいらしまへんよって、早めにきて、洗ってましてん。そしたら、銕'(てつ)はんも早(は)よきィはって---」
髪を乾かすために、まだ、束ねていない。

_200
(歌麿『歌まくら あわび採り』 貞妙尼のイメージ)

「拙も、考えごとに身がはいらなくてな。さいわい、〔左阿弥(さあみ)〕のところの若い者(の)が昼すぎに届けてくれたので---」

貞妙尼は、還俗したときの住まいのあれこれについて空想していると、すぐに日が経ってしまって---と笑った。
「新世帯をととのえるみたいに、浮きうきしてくるんどす。おかしおますやろ」
「おかしくはない。お貞(てい)の新しい門出だ。ついでに、名もあたらしくととのえたらどうかな。町名主のほうへは、奉行所がなんとかしてくれよう」
「ひゃあ。新しい名を考えるだけで、3日はかかりますやろ。なんや、楽しゅうなってきました」

櫛けずろうと腕をあげたときの黒い脇毛を目にし、たまらず、抱きよせ、口を吸う。

_360_3

櫛の手をやめないので、唇がついたり離れたり---それがおかしいと、2人とも噴きだした。

「名どすけど、貞妙尼の「」を「たえ」と読んだらどないでしょう」
「待った。それだけは駄目だ」
「奥方の名やったんなら、寝言でいわはったかてたかて、よろしやおまへんか」
「違う。母上の名なんだよ」
「そら、親子どんぶりになってしまいますなあ」
また、噴きだした。

他愛もない冗談が、先の見通しが明るいために、屈託なく笑えた。

「うち、ほんまに淫らになったかもしれしまへん。ゆうべ、嫁にいくとき、母(たあ)が行李の底へしのばせてくれはった、絵ェの夢をみてしもたんどす」

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(北斎 『嘉能之故真通』部分)

「雄蛸と子蛸がからんできて、唇やら乳首やら下腹やらを吸いよりますねん」

夢の中の刺激をおもいだしたらしく、貞妙尼の双眸(りょうめ)が潤んできた。
相づちに窮した銕三郎は、懐の、刷りあがったばかりの〔化粧読みうり〕を、わたした。

下のお披露目枠に目をとめ、
「ぎょうさんの小町紅どすなあ。小町紅の大名行列やおへんか---」


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B_360_3
(『商人買物独案内』より)

祇園町の〔平岡油〕は、〔むくの木の皮〕を煎じて混ぜた、化粧法の書いておいた髪洗い油である。
銕三郎の入れ知恵でつくらせた。
左阿弥〕の2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)は、お披露目枠にそのことを載せたらといったが、銕三郎が反論した。
混じた油はどこで売っているかと、〔化粧読みうり〕を売っている祇園社境内の仮床の店へ客が訊いときに教えたほうが、真実味とありがた味が高まるのだと教えた。
もちろん、〔延吉屋〕でお(かつ 32歳)に化粧指南をうけているむすめが訊いたら、即、売りつける。
8:2で、おの取り分は8分だと。

_150「忘れていた。女化粧指南師のおが、〔紅屋〕のために、あたらしい色に口紅を考案したんだ。橙色と濃い紫色のと桃色とかいっていた」
「濃い紫?」
「貞尼(ていあま)のように武家風のおんなには向かないが、跳ねっかえりのむすめは、その筋のおなごたちがしているから飛びつくだろう」

いつの時代にも、奇をよろこぶ若いむすめがいることを、お勝は店で毎日見ているのである。
そこから想をえた製品開発だけに、強い。
〔紅屋〕も、おのところで日に3人のむすめが濃い紫の口紅を買えば、10日後には洛中に3,000人のむすめたちが黒っぽい下唇をして街をあるき、1ヶ月後には1万人がそうしている---とふんだ。
(左の絵は、英泉『艶本婦慈之雪 洛陽之売色』)

苦笑を消した銕三郎が、貝殻(かいがら)を取りだし、まともな紅だから、還俗したつもりで、ためしに刷(は)いてみないかとすすめた。

筆にほんのすこしつけて、母親の手鏡でたしかめ、笑みをこぼした。

22y__360
(歌麿『北国五色墨』)

銕三郎が筆をもぎとり、
「こっちを向いて」
浴衣の前を押しあけ、乳頭に紅をさす。
「くすぐったぁい!」
躰をよじりながらも、胸をつきだす。
それに、銕三郎が口でうけとめた。

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(歌麿『ねがいの糸口』部部分 貞妙尼のイメージ)

軒先では、雀が藁を1茎ずつ運んでは、巣づくりにはげんでいる。


参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10


参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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2009.10.23

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(5)

「やっぱり、そないにならはりましたんか。いや、けっこうどす、ちょっぴり、うらやましゅうはおますけど---」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、貞妙尼(じょみょうに 25歳)とできてしまったことを告げると、〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60すぎ)元締は、楽しそうな笑い顔になり、かたわらの2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)に、
(かく)も、ええ話や、おもうやろ。25後家が男断ちでいはったら、躰のためにようない---」
自分で大きくうなずいた。

参照】2009年10月12日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] 
 () () () () () () (

[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)] () () () () () () () () (10

還俗の段になったとき、角兵衛が口をはさんだ。
〔縁起(えんぎ)読みうり〕を案じていたのだという。
貞妙尼に、月々の仏道の縁起を書いてもらい、それを 引き札として配布するつもりであったというのである。
お披露目(ひろめ)枠(広告枠)の買い手も小あたりして、すでに10店舗ほど予約をうけているらしい。

絵師・冬斎(とうさい 41歳)も大乗り気で、貞妙尼の似顔を描いているとも。


「これは、まったくの引き札やよって、祇園はんの境内の、うちが支配してる仮店だけで配りますさかい、〔化粧((けわい)読みうり〕とは競いまへん」
つまり、角兵衛が板元(はんもと)とお披露目枠の扱いも取り仕切るということである。

「もちろん、誠心院(じょうしんいん)はんには、1板につき2両(32万円)ずつ、寄進させてもらお、おもうてます」
貞妙尼どのが還俗してもよろしいのですか?」

元締がのりだしてきた。
「そこどすねん。還俗の話をきく前の案どすよってな。どないでしゃろ、祇園はんのわきに、小じんまりした、無宗派の庵室を一つ結んで、貞妙尼はんには、そこで読経してもらういうのんは? 姿かたちだけの比丘尼はんでよろしのや」

たしかに、祇園社の境内であれば、〔左阿弥〕の目が光っているから、貞妙尼に危害はおよぶまい。
しかし、大衆が簡単にだまされるだろうか。
数ヶ月はだませたとしても、京都中のお寺は真相を檀家も者たちにささやくと、たちまち、偽装がばれよう。
そうなると、〔化粧((けわい)読みうり〕にまで影響がおよぶ。
表向きは貞妙尼が板元(はんもと)ということになっているから、讒言はそっちにもおよぶだろう。
とりわけ、銕三郎が破戒の主とわかれば---。

そのことをいうと、角兵衛も考えこんでしまった。
やはり、貞妙尼が誠心院にいてこそ、なりたつ案であろう。

代案として、元締が取り仕切っている縁で、祇園社か知恩院の住持の説文にしては、と提案してみた。
「あきまへん。少々の名義借り料で承知なさるようにお方や、おへん。それに、尼僧はんの説文やからありがたいのんどす。僧の説文を、婆さんやったらともかく、若いむすめたちが読むはずがおへん」

ありがたい尼寺---たとえば御寺(おてら)御所と呼ばれている烏丸上立売の大聖寺のご庵主(あんじゅ)さんとか---。
「伝手(つで)が---」
しぶる角兵衛に、禁裏付から公家方の武家伝奏(てんそう)を打診してみるテなら---といった銕三郎に、元締が、
「公家はんたちへの口きき料いうたら、世間相場の10層倍ではききまへん」

けっきょく、銕三郎が身を引いて貞妙尼は口をとざしていまのまま庵主をつづけるか、〔縁起読みうり〕の案を延期するかだが、貞妙尼は還俗をあきらめないだろうということに落ち着いた。

「長谷川の若ぼんも、罪つくりなお人どすなあ」
元締がしみじもといい、談義を3人で笑ってすませた。

お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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2009.10.22

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(4)

「愛(いと)しい娘(こ)・お乃舞(のぶ 14歳)とは、その後、うまくやっているか?」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)としては、おんな同士の出事(でごと 性愛)のことを、冗談めかして訊いたつもりであったのに、お(かつ 32歳)は、そうはとらなかった。

参照】2009年9月24日~[お勝の恋人] () () (

_100「お店でも、甘えてくるので、ほかの弟子2人が焼餅で、ちょっと困っているんですよ」
「それは、よくないな。床の中で、きちんと躾(しつけ)るんだな」(歌麿『寛政3美人』 お勝のイメージ)

甘えられる大人ができて、おもいっきり、そうしているので、無碍(むげ)に叱るのはかわいそうなんだという。
7年前の3人目のお産が難産で、母親とともに嬰児](えいじ)も死んでしまった。
やってきた継母が、自分の子ができると、お乃舞と妹を邪魔ものとしてあつかうようになったのだという。
父親も継女房にかまけ、姉妹の生母をしだいに忘れていく様子も悲しい。

「情に飢えていたのと、父親と継母との痴態にやりきれなくなっていたんです」
「よくある話だな」
「で、お乃舞と妹をここへ引きとり、いっしょに暮らそうかと---」
「妹というのは、幾つなのだ?」

「3つ下だから11歳ですか」
「いっしょに住んでいて、お勝たちの睦みごとが隠せるのか?」
「妹のほうは、まだねんねですから---」

(「十三と十六はただの年でなし」と、姉妹をもっている儒塾の悪友から聞いたぞ、といいかけ、やめた。
お勝もおんなだからこころえていよう)

ちゅうすけ注】「十三と十六はただの年でなし」は、銕三郎の時代の古川柳で、数えの13歳で月のものが始まり、16歳で芝生が生えてくる---を詠んでいる。

「家のことをやるのは、馴れているようですから、弟子をやめさせて---」

それで、おのほうから、銕三郎に相談があったところだと言った。
奉行所のだれかに、わからず屋の父親らしいとの話しあいに立ちあってもらえないかと---。

浦部という与力に頼んでみよう。小者が打ち合わせに〔延吉屋〕へ行ってもいいのか?」
「近くのうどん屋でなら話せます」

引きうけて、銕三郎が切り出した。
「日に2分(8万円)は稼ぐとのことであったが---」
「お宝ですか? 幾らお入り用ですか?」
「いや。いますぐではない。頼んだ時のことだが---」

「おなごですか、お相手は?」
「おんなでは、嫌か?」
「嫌とは申しませんが、どんなおなご衆かと---」

「齢は、25歳」
「そんなときもありいました」
「名は、貞妙尼(じょみょうに)---」
「え? いま、なんと?」
「じょみょうに---」
「に---って、比丘尼(びくに)さまの、に---ですか?」
「そうだ」
「その比丘尼さまがお堂でもお建てになるから、(てつ)さまが、壇越(だんえつ)にでも?」
「そうではない。還俗(げんぞく)をすすめている」

そうなってしまった経緯(いきさつ)をかいつまんで話した。

参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () (

貞妙尼のほうから誘ったということで、お勝は納得した。
「わたしだって、お竜(りょう 享年33歳)お姉さんだって、銕(てつ)さまには、ころりといってしまったのですから、その比丘尼さんも、そうだったのでしょう」

そう言ってから、
「お宝はなんのために?」
「自活させなければならない。とりあえずは、寺をでて住むところを借りなければならない」

しばらく考えていたお勝が、
「わたし、この家をでます。さいわい、これまで稼いだものが10両(160万)ほど、お吉(きち 37歳)姉さんに預けてありますから---お竜お姉さんがのこしてくれた12両(192万円)も手つかずです。これをさまへさしあげます」
「おの遺産金(かたみがね)なら、拙も20両(320万円)もらっていた」

参照】2009年8月22日[〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛] (


参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10


参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () () () () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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2009.10.21

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(3)

おんな化粧(けわい)指南師・お(かつ 32歳)との連絡(つなぎ)をつけた若党・松造(まつぞう 22歳)が、六ッ半(午後7時)までには、押小路裏の家に帰っているとの返事をもってきた。

「出かけてくる」
夕餉(ゆうげ)のあと、そういった銕三郎(てつさぶろう 28歳)に、久栄(ひさえ 21歳)が、不満を押し殺して見送った。
「ずいぶんと、お忙しいご様子でございますこと」

武家の夕餉は、七ッ半(午後5時)には箸をとる。
六ッ半には1刻(2時間)ほどあった。
この時分は日没がおそくなってきており、六ッ(午後6時)でもまだ夕闇がこない。

(---というのは、現今のいい方で、江戸時代は日の出が明け六ッ、日の入りが暮れ六ッ。月はもちろん陰暦である)。

足が自然に三条通りを東へ、右に折れて中筋通りに入る。
桝目につくられている京の道の名も、だいぶ覚えた。

誠心院(じょうしんいん)の門前でちょっと思案したが、おもいきって境内に踏み入れる。
本堂の灯は消えていた。

房(ぼう)の木鐸(もくたく)を打つと、誰何(すいか)する声がとがめた。
長谷川です」
わざと、まわりに聞こえるように名乗った。

表口の戸があき、木綿の普段着の直綴(じきとつ)をあわててはおったらしい貞妙尼(じょみょうに 25歳)が立っていた。
洗い髪を広げ、そのまま背中にたらしているのが艶っぽい。

「おあがりになりますか?」
「ここで、帰ります。あの話がどうなったか、伺うために参上いたしましただけです」
誰の耳にはいってもいいように庵主(あんじゅ)に対している態(てい)で、丁寧に問いかけた。

ことばづかいとは裏腹に、笑みをたたえた眸(め)が、お(てい)のくつろいだ姿態をなめまわしている。
後ろからの灯で、ころもが透けて裸躰の見えるように錯覚した。
その視線にこたえた貞妙尼が、腰をくねらせ、
「はい。おすすめのように、決めました」
「それは、よろしゅうございました。では、失礼いたします」

銕三郎が、ばか丁寧にあいさつのあと、口をひそめて、貞妙尼にだけ聞こえるように、
「一目、会ういたかった」
「うちかて----」

訪問者が門前の小さな中川に架かる橋をわたりおえるところまで見とどけた庵主は、深いため息をもらして戸をしめた。

誠心院を出た銕三郎は、押小路の一筋南の御池通りで見かけた呑み屋へ入り、
「六ッ半の鐘を聞いたら教えてほしい」
冷や酒と、あぶった小魚を注文した。

(還俗(げんぞく)したおが〔化粧(けわい)読みうり〕を仕切るとなると、〔左阿弥(さあね)〕の家から離れすぎるのも考えものだ。
といって、千本の役宅から遠すぎても不便だ。
押小路の借家は、おにゆずってしまったし---)


参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10


参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () () 


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉湧寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。


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2009.10.20

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(2)

「言わはった還俗(げんぞく)どすねんけど---」
貞妙尼(じょみょうに 25歳)も全裸のままふとんから出て、茶碗酒をすすった。

「おいしおすなあ。葷酒(くんしゅ)や魚、油ものまで禁じとぉるのんは、精がついたら、淫欲にはしる---いうことや、おもいます。
そやそや。みだらいう字ィは、ふつうはサンズイどすやろ。それが仏道では、わざわざ、女偏の「婬」いう字をつこうとりますんよ。聖欲はおんなだけあるもんやおへん」
投げるようにいって、また、すすった。

「還俗から、話がそれたよ」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が腕を肩にまわした。
すりよってきて、乳房を脇の下に押しつけた。
「銕(てつ)はんと、こないなってから、乳房が肥えたみたいどす」
「ややができたんではあるまいな」
「できてたら、どないしはります?」
「うむ。側室に---といいたいが、まだ、部屋住みだから、どう、思案したものか」

「月の障りが、おととい、終わったとこどす」
「おどかすなよ」

銕三郎の前へまわり、
「銕はんの精をいただいて、肌の艶(つや)がふえたみたいどす」
全裸の肌を、目の前にさらした。

久栄(ひさえ 21歳)は、ふとんの中でなにも身につけないことはあるが、床の外では、さすがに武家の妻らしく、下腹は覆っている。
貞妙尼は、最初(はな)のときからこだわらなかった。亡夫の好みだったのであろうか)

(お(りょう 享年33歳)はどうであったかな。とっかかりは湯殿だったな。双方、裸だった。蚊帳の中で浴衣をつけていたような。こういうことって、相手まかせにしているから、覚えていないものだな)

参照】2008年11月17日[宣雄の同僚・先手組頭] (

「たしかに---。町娘なら、白粉ののりがよくなったとよろこぶところだな」
手をのばし、乳首をもてあそぶ。


障子にうつる南天の影が消えかかっていた。

「こない、なんども、極楽へのぼるの、はじめてどす。こんなん、ほかのおなご衆も、そうなんやろか」
半分、正気がもどり、しみじみともらした。
「躰が熟(う)れる齢(とし)ごろになったのだよ」
「いいえ。銕はんのみちびきのせいどす」

還俗の話にもどった。
「1ヶ月前には、本山へいうとかな、あきまへんやろな。あとにきはる比丘尼はんの手あてもあることやし---」
「その気になったようだな。髪が伸びるのを待たなくてもいいから、町住まいはその日からそのままだ」
「住むところもなんとかせな---」
「ここには帰らないのか?」
「ご近所に、みっとものうおす」
「家は、なんとか考える」

貞妙尼は暗算し、
「いただいてたお布施が、本山にないしょで、10両(160万円)ほどたまってますよって、当座のお宝はなんとか---」
「近所の衆と顔をあわせないですみ、役宅からさほど遠くないところというと---」

参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10

参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () () () () (


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