カテゴリー「076その他の幕臣」の記事

2008.09.30

書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)(2)

銕三郎どの。そのことは、評定所の書留(かきとめ)で、書物奉行の書庫にあるかどうか---」
長谷川主馬安卿(やすあきら 50歳 150俵)は言いわけをした。

銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)の頼みごとは、老叔母・於紀乃(きの 69歳)の5年前に亡じた夫・長谷川讃岐守正誠(まさざね 享年69歳)が、延享4年(1747)から4年間、甲府勤番支配として赴任させられた因がなんだったかを知りたい---という、突拍子もない案件であった。

延享4年といえば、銕三郎が誕生して2年目である。もちろん、記憶があろうはずはない。
また、父・平蔵宣雄(のぶお 50歳 先手頭)からも、本家の主・太郎兵衛正直(まさなお 55歳 1070石余)からも一度も聞いたこともないし、尋ねたこともない。

また、当事者の讃岐守正誠は52歳、於紀乃が47歳のときの人事である。

「無理にとは申しませぬ。お分かりになるかぎりでよろしゅうでございます。ひらにお願い申します」
「一つだけ、お聞かせくだされ。何ゆえのお調べですか?」

銕三郎は、しばらく主馬安卿の顔を見つめていたが、
「甲府の軒猿(のきざる)にかかわりがあったかと疑念いたしまして---」
「軒猿とは---忍びの?」
「はい。ご内密にお願いいたしますが、ある女盗(にょとう)にかかわっておりまして、そのことにつながりがあるかとおもいついたものですから---」

銕三郎どのは、『孫子』の[用間(ようかん)第13]をお読みになったことはおありかな?」
「いいえ。第6の[虚実篇]は筆写いたしましたが---」
久栄(ひさえ 16歳)に写本させておいて、いかにも自分がしたように口ぶりで答えたものである。

長谷川主馬安卿は、そこは気にとめず、
武田信玄公が愛読していたという[用間第13]がわが奉行所の書庫にありましてな。傍書きがそれはそれはたっぷり---」
信玄公のものであれば、拝見いたしたいものですが、そもそも[用間」とは---?」
「間者(かんじゃ)の用い方を説いたものです」
「あっ---」


ちゅうすけのつぶやき】長谷川銕三郎の成長の過程で、かかわりのあったさのざまな幕臣の周囲を仔細に見ているのは、そうすることにより、幕閣のような実権をもった人たちではなく、光があたることは少ない下の層も示すことで、江戸時代の一端に触れられるとおもうからである。
ぜひ、ごいっしょに散策していただければ、うれしい。

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2008.09.29

書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)

使いにだした老僕・太作(60歳)が、本所・石原町(現・墨田区石原2丁目)に屋敷がある長谷川主馬安卿(やすあきら 50歳 150俵)の返事をもらってきた。
「明後日は非番なので、お待ちしている」
とのことであった。

_360_4
(青〇=本所石原町・長谷川安卿屋敷 左斜め上=徳山五兵衛屋敷
=『おとこの秘図』)

長谷川安卿とは同姓ながら、縁戚ではない。
_100家紋も、銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)の家紋は、左藤巴だが、主馬安卿のは、注連三枝松という変わった図柄である。
注連三枝松をつかっている長谷川家は、お目見(みえ)以上の幕臣では、安卿のところと、その本家にすぎない。

もっとも、本家といっても家禄は100俵10人扶持で、分家よりも低い。
祖は稲葉家の家臣であったというから、美濃系であろうか。
信長の死とともに、庶士となっていたのかもしれない。
綱吉が5代将軍となるときに、家臣団を充実させるために、神田の館に137人の土豪・庶士・不明者が雇われて幕臣化したという。(深井雅海さん『江戸城』 中公新書 2008.4.25)。
2家の長谷川は、その137人のうちであった。

2_360
(上=本家 下=主馬安卿の長谷川家)

主馬安卿は、書物奉行・中根伝左衛門正雅(まさちか 300俵 享年79歳)の後任である。
書物奉行の定員は4人。

参照】中根伝左衛門正雅  (A) (B) (C)   (D) (E)

中根正雅は、銕三郎をとくに気に入っていてくれ、なにかと世話を焼いてくれた。
自分が老齢(?)を理由に役を辞したとき、後任の長谷川主馬安卿を紹介してくれた。
「姓が同じゆえ、くれぐれも、よしなに頼みますぞ」

主馬も、
「同姓というのも、前世の因縁かもしれませぬ。それに、それがしの旧姓は、田中です。銕三郎どののご先祖は、駿州・田中城の城主でござったでしょう」
と、言ってくれた。

_360_3
(主馬安卿の実家・田中休愚右衛門喜古(よしひさ)の個人譜)

そのとき---明和2年(1765)---主馬安卿は47歳で、初めての出仕であった。
田中家から長谷川家へ婿養子にはいったのは28歳のときであった。
長谷川家のむすめばかり4人の、長女の婿となったのである。

_360_2
(長谷川主馬安卿の個人譜)

初目見は翌年。29歳。

家督は42歳とずいぶん遅かった
養父・甚兵衛安貞(やすさだ)が富士見宝蔵番(3番組)組頭としての400石の役高にこだわって、享年74歳で果てるまでこの役にとどまっていたからである。

銕三郎が訪ねると、嫡男・弥太郎(17歳)を引きあわせ、
「明年には初目見を考えております。こんごともよろしく、うしろ楯となってやってくださいますよう」
父親に似て、顔の四角な少年であった。

「拙の初目見は遅れており、今年あたりはもう逃がれられません」
銕三郎が自嘲すると、弥太郎少年が
長谷川さまは、どうして、遅くおなりなのですか?」
と、踏みこんできた。
銕三郎が釈明をする前に、主馬安卿がたしなめた。
「これ。はしたないことを申すでない。わしの初目見は29歳であった。長谷川どのにお詫びを申しなさい」
「まあまあ---拙は、遊びすぎたのです」
銕三郎が笑ってとりなすと、弥太郎は引き下がっていった。

銕三郎の頼みごとに、主馬安卿はちょっとむつかしい表情をしたが、
「10日ほど、日をいただいてもよろしいか?」
「別にいそぎませぬ。いつにてもよろしゅうございます」

返りぎわに、手みやげの〔塩瀬〕の落雁を差し出した。
銕三郎の頼みごととは---。

ちゅうすけのつぶやき】長谷川銕三郎の成長の過程で、かかわりのあったさのざまな幕臣の周囲を仔細に見ているのは、そうすることにより、幕閣のような実権をもった人たちではなく、光があたることの少ない下の層も示すことで、江戸時代の一端に触れられるとおもうからである。
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