奉行・備中守の審処(しんしょ)(7)
役宅の庭の紫陽花(あじさい)が咲き、京都は梅雨iにはいっていた。
その庭へ勝手にはいってきた〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 38歳)が
「銕(てっ)つぁん。そろそろ---」
久栄(ひさえ 21歳)の耳を気にした銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、目くばせするのもかまわず、
「ゆんべ、ダチが久しぶりにやってきて、この雨は、ホトケが泣いてるんだって、せかしてやしたぜ」
あわてて傘ももたずに塀の外へ連れだし、
「いま、父上が詮議をすすめておられるから、もすこし、様子をみてからでも、遅くはない」
彦十は、山伏山町(錦小路通り・室町通り)の家で待っているといいおいて、尻からげした下帯にはねをあげなら引きとっていった。
〔銕組(てつぐみ)〕には、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)の手くばりによる新顔が加わっていた。
今働きの〔牝誑(めたらし)〕・〔梅津(うめづ)〕の由三(よしぞう 32歳)がそうであった。
源七に伴なわられてきた由三に会ったとき、この男が{狐火(きつねび)〕や〔蓑火(みのひ)〕といった名門盗賊が必要とするときに口をかけるすご腕の〔女誑〕とは、一瞬、信じられなかった。
色黒の丸顔で團子鼻、脊も5尺4r寸(1m62cm)あるかなしのずんぐりむっくりなのである。
世にいう優男(やさおとこ)とはほど遠かった。
ところが、あいさつされて、驚いた。
なんとも透明な響きで、こちらの腹の底へとどくような快い声なのである。
(男のおれが聞いてさえこれだから、おんなだと、下腹の芯がしびれる声とでもいうんだろうな)
源七が口をそえた。
「由三どんの小唄で、帯をときたくならなかったらおんなじゃねえ、っていわれてます。65の婆ぁさんでも腰をもぞもぞしはじめるってぐえのもんで---」
「雌犬がよってきて困ったこともありやす」
彦十が大真面目に、
「鹿はどうかね?」
由三の役割は、富小路(とみのこうじ)五条のきせる問屋〔松坂屋〕の後家・お里(さと 30歳)に近づき、このあいだまで肌身をあわせていた破戒僧・元賢(げんけん)について、しるかぎりのことを訊きだすことであった、それも短時日のうちに。
お里に近づくために、〔松坂屋〕へ後妻に入る前にはたらいていた五条橋下の料理茶屋〔ひしや〕で仲のよかったのがお常(つね 32歳)たということは、彦十がしらべずみであった。
さしあたってお常のなじみ客になった由三が、お時を誘いだそうというわけであった。
もう一人の老〔牝誑〕・〔千本(せんぼん)〕の世之介(よのすけ 60すぎ)は、東山・源泉院の門前の花屋に泊り込み、老躰にむちうって女主人・お時(とき 57歳)の夜伽をつとめながら、寺の小坊主・賢念(けんねん 13歳)から、前の住職・元賢の生地やらなにやらを問いただしていた。
小坊主・賢念は山科・花山村の生まれ。
元賢も同村の出ということで、源泉寺へ修行にはいった。
元賢の母親は、村の取り上げ婆ぁで、父親は、本山の事務方らしいということしかしらなかった。
その事務方の引きで、源泉寺の住持になれたと、寺男・五平(ごへえ 59歳)から聞いたことがあると。
元賢は気まぐれなところのある性格で、何かに熱中したかとおもうと、いつのまにやらあきて、ほかのことしに熱中している。おんなのこともそうで、賢念が寺へきたときは、3日にあげずの感じでちょうちん問屋{鎰屋(ますや)〕の後家・お甲(こう 30歳=いま)を寺町五条上ルに呼びにいかされたが、半年ほど前、ふいと、きせる問屋〔松坂屋〕のお里(さと 30歳=いま)に変わったこと暴露(ばら)した。
賢念は、お甲が水子をして、躰をこわしたことまではしらなかった。
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)












むしろに引きすえられている元賢の前で、宣雄たちが床机にかけた。








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