彦十、名古屋へ出稼ぎ
「おや、彦十どの。お久しぶり〕
銕三郎(てつさぶろう 27歳)が声をかけると、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 37歳)は、齢甲斐もなく首をすくめて、
「銕(てっ)つぁんよう。、遠国盗(つと)めに出むくんで、しばらく会えなくなりやす」
「ほう、どちらへ?」
「尾張は名古屋でやす」
板場(はんば)を顔をだした〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 50がらみ)が、
「名古屋といえば、〔鳴海(なるみ)〕のお頭?」
「こんどは、そうではねえんで。〔万場(まんば)〕のお頭の助っ人でやす」
【ちゅうすけ注】初代・〔鳴海〕の繁蔵(しげぞう 45歳前後=当時)は、『鬼平犯科帳』文庫巻7[盗賊婚礼]に、また〔万場〕の八兵衛(はちべえ 40歳前後=同)は文庫巻10[むかしなじみ]に、どちらも尾張の盗賊の首領としてでている。
火盗改メ・本役のお頭の息・銕三郎がいても、2人とも遠慮なんかしないで、盗賊の〔通り名、呼び名ともいう〕を口にしている。
それだけ、銕三郎が裏の世界に通じたがっている。
また、香具師の元締や盗賊の首領、盗人(つとめにん)、土地の顔役にも信頼されるようになっている銕三郎である。
げんに、目黒・行人坂の放火犯の逮捕も、銕三郎つながりで挙(あ)がっている。
「彦十どの。それじゃあ、しばらく、会えないかもしれない」
「あっしも、名古屋の盗めが終わったら、大坂の〔生駒(いこま)〕の仙右衛門(せんえもん 40歳すぎ=同)お頭のところを手伝ってきやす」
「そういう長旅だと、お民(たみ 24歳)どのもお連れかな?」
「とんでもねえ」
お民は、彦十が手をひょんなことでつけた、内藤新宿の豆腐屋の出もどり娘で、この2年ばかり、本所の中ノ郷・横川町のあばら家でいっしょに暮らしていた。
「お民さんが、留守を守ることをよく承知しましたな」
銕三郎もじつは、父・宣雄(のぶお 54歳)が京都西町奉行に転じそうだが、生まれて6ヶ月にもならない長女・於初(はつ)を連れての京のぼりは無理ということで、久栄(ひさえ 20歳)に、しばらく江戸に居残り、来春にでも来るように言ったところ、すねられて困っているのである。
久栄の言い分は、銕(てつ)さまがご奉行になったわけでもないのだから、銕さまも来春まで居残るべきであると。
たしかに、京都町奉行の任期は、たいてい6,7年だから、嫡男が半年遅れで合体しても、どうということはないのである。
「いえ。お民は、大枚5両をつけて、千住2丁目の煮売り屋をしている甚五郎に引きとってもれえやした」
「おいおい、彦十どの。それはむごすぎませぬか」
「なあに、あっしみてえな浮き草稼業の男にくっついているより、お民としても、安定した暮らしができるってえもんで---」
「まあ、夫婦(めおと)仲のことには、他人が口をはさんではならないが---」
(彦どのにとっては、おんなよりも雄鹿の、なんとか言ったな---あっちのほうが頼りになるんであろう)
銕三郎は、それきり、お民のことには触れなかったし、
「拙は、父上について、京へ行くことになるかも---」とも言いそびれてしまった。
このあと、銕三郎---いや、この時は火盗改メ・助役(すけやく)の鬼平だが---と彦十が再会するのは、16年後の天明8年(1788)1月、彦十が53歳、鬼平43歳、本所・横川べりで。
そう、文庫巻1[本所・桜屋敷]の中でであった。
この時に彦十は、香具師のあがりということになっている。
彦十はともかく、〔盗人酒屋〕の忠助である。顔色がすぐれない。
「忠さん。躰がどこ悪いんではないですか? そこの田中稲荷西隣りの了庵先生に診てもらったら?」
「診立ててもららいやした。肝の臓がよくねえってことで、酒をとめられやした」

(四ッ目の〔盗人酒屋〕の南に田中稲荷(赤地))



その探索の行きがかりで、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳=当時)と躰をあわせてしまった。(歌麿 お竜のイージ)












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